映画館がやってきた! | 映画鑑賞記 |
現代、ある楽器オークション会場でその日最高の呼び物として
「ニコロ・ブソッティ1681年の作品、別名レッド・バイオリン」が出品される。
高名な音楽家ルセルスキー、中国人ビジネスマンのミン、オーストリアの修道院の代理
人、ポープ財団の代表者が、この名器を競り落とそうとしている。
そしてヴァイオリンの鑑定を担当したチャールズ・モリッツも現れる。 舞台は1681年、イタリアのヴァイオリン工房に飛ぶ。 バイオリン職人ニコロ・ブソッティは産まれてくる子供のために、生涯最高の傑作を 制作するが、完成前夜、妻は出産のために命を落とし、子供も死産する。 そしてブソッティの全てをかけたヴァイオリンは数奇な運命を辿ることになる。 1792年オーストリア、天才として見出された修道院の孤児、カスパー・ヴァイスの手に、 1893年イギリス、作曲演奏家のフレデリック・ポープに創造の霊感を与える。 1965年中国、文化大革命下で西洋音楽排斥が叫ばれる上海で迎える最大の危機を音楽教師ユアン の手で守られる。。 レッド・ヴァイオリンは、人々の間を渡りながらそれを持つ物に栄光と破滅を与え続ける。
ユアンの死後、彼の楽器コレクションはモントリオールで競売にかけられることになり
鑑定のためニューヨークから専門家モリッツが呼ばれる。鑑定で明らかになる
レッド・ヴァイオリンの謎。そしてこの楽器に魅せられた彼のとる行動は… |
個々のエピソードは、少しでもヴァイオリンに興味のある人なら「こういう話、ありそうな…」
と思うような話で、大どんでん返しがあるわけではありませんが、オリジナルから時代を
経るに従って少しずつ手直しされて現代楽器に変貌していく楽器の外観を見るだけで
時の流れを感じるし、映像の美しさは素晴らしい物でした。
特に、楽器が画面中央で固定されてそれを弾く人が移り変わり世界が回っている感じ
の影像は、何か楽器の方が人間を選んでいるような不思議な効果がありました。
天才少年役で登場した少年は「本物の天才少年」だそうですし、音楽に嘘がない
感じがするところも、この映画では非常に重要なところです。
バイオリニストはジョシュア・ベル、作曲家ジョン・コリリアーノ。
レッド・ヴァイオリンが鳴るシーンで「稀代の名器」という感じの音を付けてみせる
巧さも大したものです。
また、これはラストへの伏線にもなっていますが、レッド・ヴァイオリンに触発されて
演奏する音楽家の音楽が全て、制作家の妻がお腹の中の子供に歌っていた子守歌の変奏曲
のようになっている、ということに注意しながら聴くと、いっそう面白さが増すのでは
ないかと思います。
最後のニスの秘密とか、鑑定家モリッツの行動には「ちょっと作りすぎ?」と納得
行かなかったりするところもありますが、それも「ヴァイオリンの意志」と思えば
一貫しているのかも知れません。つまり、まだまだヴァイオリンの旅は続くと。
カナダ/イタリア映画と言うことで、当然ハリウッド的スペクタクルとは無縁の映画
ですが、安手の秘密(^^;は別として、オムニバスの人間ドラマとして、異なる土地と
時代の観光ドラマとして、たくさんのハラハラドキドキと美しさが詰まっていて良い
映画でした。
まあ、ヴァイオリンのニスの謎ということ自体がすでに時代遅れの話題で、
ストラディバリウスのような古典的名器も現代楽器も、ブラインドテストでは
判別できないと言うことは半ば定説です。だから、この楽器に執着する人々の
人間模様は滑稽とも言えますが、そのこと自体がラストで伏線に使われたり
もして「やっぱり悪魔的な何か」の存在が人を動かしていると言うことなので
しょう。
そういうストーリーへの突っ込みがあったとしても、音楽映画として丁寧に
作り込まれていることへの好感は変わることはありません。
これは拡大ロードショーになっても良いと思いますね。
文:唐澤 清彦 | 映画館がやってきた! |