映画館がやってきた! 映画鑑賞記

ジュラシック・パーク

■DATA 原作:マイケル・クライトン

Story

感想

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原作本の感想

 原作は上下二巻からなる長い話だが、4,5日ほどで読めた。登場人物と設定は映画もほぼ 同じだが、ストーリーはかなり違うところもあった。ネタバレありで主な差異と感想。

 原作では最初から恐竜が管理を放れて繁殖しており、近くの島で子供に噛みつく という事故とそれを巡る関係者のとまどいから話が始まる。第二作で子供が犠牲に なったシーンを彷彿とさせるシチュエーションだ。
 「ジュラシックパーク」が実体を表すまでに小説ではかなりのページを割いている。
 ラストは、どうも映画より原作の方が死者が多く、イアン・マルカム、富豪の爺さん も死んでしまう。
 嵐の中、産業スパイがらみの人為的工作が引き金で、パークの機能が麻痺し、 恐竜からの逃亡劇が展開する中、以下に戦い制御を取り戻すか…という骨格は まったく同じ。

 しかし、とても気になるのが数学者イアン・マルカム。
 彼はパークの計画段階から反対した人物という役だが、彼の主張は 「カオス理論」に従うと予測可能なことは何もない。故にパークは失敗する。 …というシンプルなもの。
 「自然を人工的に作ることは出来ない」という科学万能の考え方に対する 批判がここにあるのだが、マルカムの言うことと来たら、どんな最悪の状況の 中でも「カオス理論によれば、人間は自然に勝てない」という厭世的発言ば かりで、危機的状況の中でこういう人間がブツブツしゃべり続けていたなら、 彼はまっさきに張り倒されるべき無能人間だ。
 話の中に「フラクタル」も出てきて、章ごとにドラゴン曲線が挿入されて いるのだが、これはストーリーには一切絡まない。
 当時、カオスとフラクタルが科学界でブームになっていたのを安易に取り入れ ただけという気がする。

 この時代に工学系の大学生だった私にとっても、コンピューターと数学専門誌 などで取り上げられるカオスとフラクタルは刺激に満ちた新分野だったが、これを マイケル・クライトンのように「従来科学の限界を証明する理論」というように とらえた人は居なかったのではないか。
 いままで明かされなかった自然の秘密にまた一歩科学は接近したのだという 興奮の方が支配的だったのではないかと、回想する。

 マルカムは、カオス理論によれば、カオスの系では予測が不可能であり、 天気予報など何十年も無駄な研究をやってきた物だ。と切って捨てているが、 現在でも弱点を補いながら天気予報の精度は着々と上がっている。
 日本では地球上の様々な現象をまるごとコンピューターで計算してしまう 「地球シミュレーター計画」が着々と進んでいるくらいだ。
 理論的に不可能なのは確かだが、それは100%は無いと言っているだけで、 90%の答えで良いのなら、その精度を出すために何をすればいいのか。 来年の今月今夜の天気が分からないのなら、何日先までなら予測可能なのか、 そういう角度から実用性を高めていくのが科学の仕事。

 マルカムのように事件が起きてから「だから言ったじゃないか」とだけ 言って役に立たないような学者は最低だ。
 パークの予測不可能性を指摘するなら、パークの安全設備の弱点を指摘し、 具体的な対策を提言できる人材でなくてはならない。オーナーが彼の意見に 耳を貸さなかったのは、だから全く当たり前のことだといえる。
 そういうわけで、私の読後感は「マルカムにはむかついた」 これである(^^;;

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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!