メシアニック・ジューとは


ユダヤ人でありながら、イエスを信じる人々を「メシアニック・ジュー」と言います。しかし、こうした人々には様々な立場があり、大別すると以下のように2つに分かれます。なお、メシアニック・ジューは一つのまとまった運動ではなく、様々な立場がありますので、以下の解説はかなり単純化した説明だとお考え下さい。

1)ユダヤ人クリスチャン(または、ヘブル人クリスチャン)

一般のキリスト教徒となったユダヤ人のことです。こうした人々は、たいていはユダヤ人としてのアイデンティティーを捨て、一般のクリスチャンと同じような生活をしています。モーセの律法なども、もはや守るべきものだとは考えていません。礼拝は一般の教会で日曜日に行います。

2)メシアニック・ジュー

ユダヤ人としてのアイデンティティーを持ち続けながら、イエスを信じている人々。モーセの律法も程度の差はあれ守っており、礼拝は安息日(土曜日)に行います。また、クリスチャンの祭りである、クリスマスやイースターを祝わず、聖書に記された例祭を祝います。

メシアニック・ジューの人々は、自分たちを「キリスト教」と呼ばず「メシアニック・ジュダイズム」と呼んでいます。ジュダイズム=ユダヤ教の一つの流れだと考えているわけです。こう聞くと、クリスチャンの人々は違和感を感じられるかも知れませんが、実はキリスト教も初代教会の時代はユダヤ教の中の一つの流れだったわけです。その意味で、メシアニックは一つの復興運動であると見ることができます。

<律法遵守>

「律法を守っている」と聞くと、それはおかしいと思う人がいるかも知れません。しかし、考えてみればイエスも律法を守った生活をし、安息日には会堂に行って教えておられたわけですし、使徒たちも律法を守った生活をしていました。しかし、異邦人が教会に参加して来るに従って「異邦人は律法を守らなくても良い」という方針が出された事は、使徒行伝にもある通りです。

しかし、この論議では、ユダヤ人は律法を守ることが前提となっており、現にあれほど律法主義を非難したパウロでさえも律法はきちんと守っていました。

フィリピ 3:5 わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、

フィリ3:6 熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。
  (新共同訳より)

長年の間のキリスト教とユダヤ教の確執により「律法に定められた事柄を未だに守っているようなユダヤ人は、真のクリスチャンではない」というような見方がなされていますが、それは本末転倒なのです。 

<メシアニック・ジューの生活>

1:安息日を守ります。安息日は、新約聖書でもたびたび言及されている通り、深い霊的意義があるものです。

2:食事規定(カシュルート)を守ります。ブタ肉、エビ、カニ、貝類、乳製品と肉の混合物などは食べません。

3:旧約聖書に書かれた例祭を守ります。過越の祭、大贖罪日、などは新約聖書にも記され、イエスも守っていました。

<イスラエルのメシアニック・ジュー>

上記の説明は主に米国のメシアニックを基準にしたものです。イスラエルについては上記の説明は一部当てはまりません。詳しいことは論文コーナーにある「イスラエルのメシアニック運動」の記事をお読み下さい。

 

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