本-開からみあいの因果本-開

上空に冷たい大陸の気圧が南下してきて、今朝の気温は再び零下となりました。寒暖を繰り返しながら春がやってくるのでしょうが、この季節は体調管理が難しく風邪をひきやすくなるので気を付けてください。愚僧も元旦より毎朝6時の鐘突と朝の勤行をして最後に先代の墓参りを欠かさず続けていますが、今朝始めて「くしゃみ」がでました。それだけ空気が冷たいのです。今朝も東の空に雲が残ってますが西の空には月を拝めました。雲の形も朝焼けが始まる前の紺碧の空の色も、気温も毎日毎日変化して同じ日はありません。地球が誕生してから恐らく何億年もこうして同じ空模様は無かったでしょう。一日に変わりないけど少しずつ違う。規則的な様だけど少し違う。分類できるけど同じじゃない。それが自然界の美しさであり厳しさでもあり、大型コンピューターでも精密に演算できない、気流・気温・地形・日照・引力・物質・環境汚染など複雑な相互的からみあいの因果なのです。

それが人々の心のからみあいに似てると思います。良いことも悪いこともどんな結果になっても、複雑な要因によって生じることを因果応報と言いますね。ですから例え自分の望みが悪い結果なっても決して他人や世間のせいにしてはいけません、また、良い結果を得られても、自分だけの努力で得られた物でなく衆生の世間や、神仏と天体のリズムのお陰だと感謝できる心が「お陰様で!」と言う美しい言葉に表されます。空模様や朝焼け夕焼けの色の様に、毎日人の心も移り変わり成長してやがて消滅して魂は空にもどります、だから美しいのです。永久の愛を誓うのは恋人同士ですが変わらぬ愛はありません。変わらぬ普遍の自然界の規則を毎日の生活のリズムで共有し感謝することが永久の愛なのです。是非、恋人も夫婦も夜明けと共に一緒に起きて日の入りとと共に一緒に休みなさい。夜更かしも朝寝坊も太陽に逆らって生きてはダメです。太陽に逆らって生きてた若い頃を反省しながら、今、私は皆様の健康と世界の平和と地球環境保護を祈りつつ90日の寒行修行を実践し精進しています。合掌。2/26(零下の朝・午後より雪)

本-開地球は生命本-開

今朝はまだ東に大きな雨雲が残ってますが、西には満月が沈もうとしてるのが鮮やかに見えるます。天気は西からと言うように、西の空を見れば一日の天気がだいたい予測できます。しかし、昨日の陽気とは違い上空には大陸の冷たい空気も北から流れ込んでいますから、かなり冷え込んだ朝です。地球の大気の流れは上層のジェット気流、その下の高気圧や低気圧、海や大地からの上昇気流などが複雑にしかし規則的に流れてます。同じく海流も七つの海を潮の流れが動脈のように巡り、静脈のように戻ります。人間の体内を流れる血液も地球の海流や気流も同じなんです。

だから、地球そのものが生きてる生命だと思ってます。地球にとって見れば動物が細菌やバクテリアの様な物、植物は産毛や頭髪や毛皮の様な物、そして、現在の人間はガン細胞の悪玉菌です。世界大戦までの人類は、それでもまだ悪玉菌では無かったのですが、近代文明生活の欲望に取り憑かれてしまった先進国から順番に悪玉菌になっているのです。私も含め電化生活をしてる全ての人類は自然分解しないビニールやプラスチックの環境汚染や二酸化酸素放出による温暖化やオゾン層破壊を進め、ましてや原子力廃棄物プルトニウムの放射能汚染を出す、地球にとってはガン細胞なのです。それそろ悪玉菌に変異した細胞を善玉菌に戻すか削除しなくてはならないと地球は思ってるかもしれませんね。。。。合掌。2/25(満月)

本-開車椅子で観梅本-開

(Pc観覧写真はこちら)

昨日の日中の気温は16度と春の陽気でした。ちょうどリハビリに毎日通う母が毎週水曜日は休息日なので、綾部山の梅林へ観梅に出かけました。揖保川と播磨灘が織りなす瀬戸内海では珍しい自然の砂浜が残る新舞子浜を見下ろす山を登ります。登山口にはちょうど車椅子が用意されてましたが、何故か長いロープが車椅子に設置されてるのです。駐車場で乗り換えの時はロープの意味が解りませんでしたが、直ぐに昔ロープで遊んだ「電車ごっこ」の様に先頭の者がロープで引っ張りながら後続者が運転をする為のアイデアだと直感しました。さっそくロープの輪の中に息子の私が入り動力車となり、後から孫の三千が運転手、同年代で寺を隠居された足が元気な元、寺庭婦人が横からサポートしての登山の一行は目立ちました。行き交う観光客に「頑張って」「もう少しですよ」と声をかけられながらも、三分咲きの梅林の白梅、桃梅、紅梅、鑞梅の可憐な花と甘い薫りに誘われ、恐縮がる母も笑顔で挨拶を交わしていました。

毎朝夜明けとともに竹ホウキもって広大な境内の掃除をしてから一日の仕事をしてた元気な母も、3度の脳梗塞に倒れた後は入退院を繰り返し、リハビリに通っても最近いよいよ足が前に出なくなり車椅子生活者になられてしまいました。自宅介護は大変で毎日の様に昼から姉達がそれぞれの家庭に犠牲を払いながらも来てくれ、外孫が納屋小屋に寝泊まりしながら夜の介護をしてくれます。こうして母は身内に自宅介護され、梅林の花か、純粋潔白な子供が笑う様に笑顔を見せてくれるようになりました。

その笑顔は、自分勝手な一切の時間を切り捨てて介護する者には大きな喜びに感じるのです。こうした介護の様な「忘己利他」の精神こそ、現在社会に望まれる大慈悲なのですね。合掌 2/24(曇り)

本-開花は水仙から梅、そして桜本-開

法泉院の裏の中庭・玄関石畳脇・そして境内阿弥陀石仏の後の上人ご廟所にそれぞれ一カブの水仙が冷たい風にも耐えて、清楚で可憐な花を風に靡かせながら毎朝6時にお参りする私に話しかけてくれます。「おはよう」「今朝もご苦労さん」「今朝もお元気な和尚さんのお姿を見れて嬉しいわ」なんて言ってくれるのです。

境内には梅の木はありませんが、桜の木がまだかまだかと堅い蕾を膨らませて開花を待っています。これから順番に蕾が開いて「おはよう」って一斉に挨拶されたら60本以上ある桜の木の数百万の花に返事してたら応え切れません。だから花達は黙って咲いてテレパシーで挨拶してくれてるのですね。有難いことです。しかし最近、花達の挨拶のテレパシーを感じない人間が増えてしまいました。誰でも幼稚園の頃までは人形や玩具、小動部や花とお話ししてましたよね。最近の貴方は花の挨拶や囁きが聞こえますか?感じますか?

今、梅の名所ではピンクの花が真っ盛りです。しかし梅は桜と違い植林された桃源郷より、山間の修験道や小道に咲く、細く痩せた古い木に、満開でなく蕾が3部咲き位がちょうど似合い味わい深く好きです。里の古い庭園に咲く梅もまた風流で、物質文明が氾濫しない一昔前、縁側で梅を観賞しながらゆっくりお茶を飲んで風流を楽しむ人々の豊かな心に憧れを思う私は、この数年の孤独のお陰で、平穏な時は、季節の小道の花(水仙)や身近な動物(猫)と会話を楽しむことが出来る「世捨て人」になれました。近代社会の仕事や家族の為とは雖も、人を騙してまでも金や権力や地位や名誉を奪い合う争いの中に身を置いていては決して花の言葉は聞き取れなかったでしょう。合掌 2/23(小雨)

 本-開舞子ビラで本-開

昨日は兵庫県全域の天台宗寺院布教師研修会冬季研修会が明石大橋を一望できる舞子ビラであり参加してきました。公演の講師は同和問題を題材に映画を制作するシナリオライターで、昨今の様々な犯罪が低年齢科する事態に、青少年育成の為に宗教界への強い期待も厳しく発言されました。また講演後には研修会参加者との意見交換され有意義な研修会となりました。修了後、帰りにふと有栖川宮の離宮屋敷であった舞子ビラホテル庭園に結婚式の為の教会が、明石大橋と淡路島をバックに溶け合うような美しいどこかで見た光景、ああ、この角度からのアングルの景色は、確か先週のNHK朝の連続ドラマ「わかば」の結婚式で撮られた場所だと確信しました。しかし、何故、結婚式は教会で、子供が産まれてから7.5.3は神社、死んだら葬式は仏教寺院にお世話になる人が多いのか、世界から見ると不可解な日本人です。しかし、このおおらかな日本人の宗教心こそ、実はすべてを許し認め合う寛容で慈愛と慈悲深い仏教の影響が意識するとしないに係わらず大変大きいのです。ですが、無意識のままだと、唯の優柔不断で魂のない人にみられてしまいます。信仰を正しく意識することから、このおおらかな本物の心の神髄に触れられる時がいつかやってくるでしょう。合掌。2/22(霜柱)

 本-開両親や祖父母を敬う者は何処に?本-開

この数十年の間に、自我を表に出しすぎる人が増えました。素性の良い自我は結構ですが、自己中心的で相手の気持ちを無意識にも意識的にも迷惑をかけてイヤな思いをさせる戦後の第2第3世代の若者が増えたと思います。

もっとも身近な親子の関係も一昔前とは違います。絶対的な存在だった父親に威厳が無くなり、権力を持つのは母親。それを見て育った子供は勝手気ままな生活態度となり、社会人になってもバランス感覚が欠乏して迷惑な存在になり、上辺だけの貢献や奉仕などしても卑しい心はなかなか改善できません。子供の頃、厳格父親が怖く、自分の話をゆっくりしたことがなかったので、当時ではハイカラな友達のような親子を見かけると羨ましくも思いました。しかし、今になって思い返せば、国際的最低限のエチケット・マナーや躾、賢者のバランス感覚を幼少の頃より教育された事を感謝してやみません。「3つの子の魂100歳まで!」「親の心子知らず!」などのことわざもありますが今やその本来の心は死語ですね。

親の話しを聞かなかったり、口応えしたり、親に反抗的な言葉や、ましては、まだまだ勉強不足・経験不足で物事の神髄を見極められなく、視野の狭い判断しかできていないくせに、今の自分が正しいと思いこみ、親や目上の人に意見したり、命令したり無理強いしたりする愚かな若輩者が、再び結婚して親になって子供を持つと、これから先、人間社会は益々崩壊し全ての仕組みが世界的に通用しなくなり、当然国家もいつか滅び生命の尊厳も維持できなく、末法の時代に驀進しているのです。全てに置いてお金に左右されずに、両親や祖父母、ご先祖様への尊敬と感謝の念を純粋に持ち続けられる人が再び、金権を持つ人よりも何100倍も尊いのだと思える人が増えることを祈ります。合掌 2/21(布教師会)

本-開参詣のお誘い本-開

一昨日からの雨の影響で、今朝の鐘突から本堂、阿弥陀・地蔵石仏、ご廟所参拝のお勤めでは、地面がぬかるんでいて滑りそうになりました。しかし、不思議なことですが1/1から今日まで日中はどんなにも強い雨が振っても、朝のお参りに傘が必要だったのは今日まででたった1日だけでした。教信寺境内のちょうど朝の6時前後は今月は厳しい寒さですが、かえって穏やかで静かな空気が立ちこめる極楽浄土の時間です。皆さんも是非、私と一緒に鐘突と教信寺諸堂巡りの朝のお参りしませんか?参加希望者は朝6時に鐘突堂の前に集合してください。お待ちしています。合掌 2/20(遍照院法事)

 

教信寺貫主:長谷川慶悟=音楽家:長谷川悟

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