P.ヒンデミット・「コントラバスとピアノの為のソナタ」

1895-l963

ヒンデミットは、まず演奏活動から音楽に入ったといってよい。かれの音楽はどんな傾向の作品においてもつねに演奏の楽しみということを忘れないことが一つの特徴であるが、そうしたことも彼の作曲家としての経歴と密接に関係していると考えられる。

 彼のはなぱなしい作曲活動は第一次世界大戦後にはじまり、オネゲル、ミョーらフランスの六人組と同じ世代に属する作曲家としてドイツを代表する人物の一人であった。彼はひじょうな多作家であり、その作品そのものも流れるような動きを特徴としているのであって、後期ロマン派の重苦しい音楽とはまったく別な世界を示し,第一次世界大戦後の音楽界に新しい風を送りこんだのであった。

 作品として特徴あるのは例えぱl935‐4l年に作られた一連のソナタである。これは(通常の)オーケストラに用いられるあらゆる楽器のためにソナタを書く、という意図のもとに作られており、ピアノやオルガンのためのものを含めて20曲のソナタの連作が行なわれている。このコントラバスとピアノの為のソナタは、1949年の作曲で、今日までに、コントラバスの為に書かれた、貴重なオリジナルの作品の一つである。

1楽章Allegretto,2楽章Scherzo Allegro assai,3楽章Mollt Adagio ~Recitativo~Allegretto graziosoとなっており、オーケストラや室内楽でのコントラバスの特徴を良く引き出している。

G.ボッテシーニ・「エレジー」と「タランテラ」

1821-1889

ドラゴネッティ以後のコントラバスの世界で,ボッテシーニほどこの楽器のロマン的性格を引き出した人はいない。それは、コントラバス協奏曲をはじめさまざまな性格の作品に接してみるとよくわかる。彼は、芸術家としても、人間としても、もっとも19世紀的に生きた音楽家だといわれる。「エレジー」 を始めとするヴェルディばりのベル・カントな旋律に満ちた彼の作品や、「タランテラ」などコントラバスのパガニーニと言われる超絶技巧の小品は、l9世紀イタリアを中心に世界各地のコンサート・ホールやサロンを賑あわせた。

 今日これらの作品はボッテシーニの再来とされる元、ウイーン フィルの首席で、ウイーン国立音大教授のL・シュトライヒャーによって、今世紀のコントラバスの驚異として再演されている。

 ボッテシーニは、バス独奏者としてだけでなく、指揮者としても有能で、ヴェルディから「アイーダ」の初演をまかされ、また、さまざまなオペラ劇場の指揮者を歴任の後、最晩年はパールマの音学院長に就任したが、残念なことに、肝臓病で同じ年に他界した。

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