慶悟沙彌の「今月の言いたい法話」

1998年3月の法話

 

  3月10日から24日まで、長谷川悟ウィーン春場所「第2回ウィーン・コントラバス・リサイタル」の演奏旅行に、応援ツアーの参加を呼びかけました所、日本から38名、インターネットを通じてイギリス旅行中の大学院生2名、ドイツからから4年前お世話になったご夫婦、そしてウィーンの日本人会から約300名、友人のウィーン・フィル・メンバーやウィーン音大の教授陣が3/16日の私のコンサートに駆けつけて下さる事になりました。

 何とも、もったいない、有り難いことでしょう。こんなに多くの方が、それぞれに多忙な、そして貴重な時間を工面して私のために来て下さるのですから、最高の演奏でお答えしなくてはなりません。日頃のスケジュールを調整しても、なかなか練習時間が思うように取れず、夜を徹して練習していますが、最近は年のせいか指や腕、肩の疲労が翌日に残ってしまい気持ちばかりが焦ってしまいます。

 そればかりか、今回共演して下さるヴィオラのフューリンガー教授、ピアノのシェトラー教授は、日本で世話になった悟の為にノーギャラで出演してあげましょうと言って下さいます。そして、今回の演奏会を企画して下さった長谷川悟ウィーン後援会代表としてのガリンスキー富士子を始め、多くの留学時代の友人達の応援、そして何よりも妻である香織の献身的な協力に言葉では言い尽くせない感謝の気持ちがいっぱいです。

 一方、私の寺では阪神大震災で諸堂が少々影響を受け、これを機に全面改修に取り組んでいます。有り難いことに私共、教信寺は4ヶ院で運営していますが、法泉院は、現住職86歳と言う高齢で活発な活動は出来かねませんが、現住職のこれまでの布教活動が私の想像以上に大きな実を結び、檀信徒の皆様の強力な団結と推進力で、文化財保存活動の一貫として好転していますが、私自身、大事な次期に席を離れ、また法事や仏事に壇信徒の皆さんや法類に迷惑をかけてしまっています。

 皆様に甘えてばかりいてはいけないことですが、法泉院の住職を始め坊守、兄弟、家族、檀信徒、ご縁を結んだ本当に多くの素晴らしい人々に何と感謝すればよいのか、はかり知れません。

 私に出来る、最大の感謝の気持ちは、私に出来る精進によって奏でる音楽を届ける以外、無いと信じます。私は佛道修行者です。人それぞれの道で精進し、少しでも社会のために、役立つことが人の道と信じます。私の佛道実践は音楽芸術をより精通し、多くの同胞と共にその精神的偉大なる喜びと素晴らしさを伝え、21世紀をになう子供達に、すがすがしい未来を約束できるなら、これ以上の佛道は無いと思っています。

 この度のウィーン旅行では、春休み前にも関わらず、私共の音楽院でヴァイオリンを習っている多くの児童が、学校側に主旨を理解して頂き、参加してくれることになりました。子供の弦楽オーケストラが編成できる!そこで、元、スロバキア・フィルハーモニーのコンサートマスターで現在アンサンブル金沢のコンサートマスターとして日本とブラチスラバの二重生活をしている親友パヴェル・ボガチュ氏に、ブラチスラバの子供達と日本の子供達の交歓演奏会が出来ないものだろうかと、相談を持ち掛けたところ、大賛成をして頂き、トントン拍子で私のウィーン公演の後3/20日に、ブラチスラバのコンサートホールで開催する運びとなりました。音楽を通じての交流、オリンピックでのスポーツと同じく、これほど純粋に、心の感動を伝える手段は現在文化の中でどれほどあるでしょうか。

 現在社会に置いて、最近、特に中学生の犯罪が増え低年齢化しています。また、金融・証券業界の失態、大蔵省、道路公団を初めとする高級官僚天下りの贈収賄、公務員・政治家の金権汚職、すべては戦後日本の金儲け一辺倒、人間の価値観の移行、自分さえ良ければよい、と言った風潮に流されてはいないでしょうか?

 本来こう言った現在社会に役割を果たすべき仏教会においてさえ、衣の色で階級を誇示しようとしたり、ドロドロしたポジション争いに精力を費やしたりしている人がいます。そんなことはどうでもいいことで、社会の中に飛び込んで各界で活躍する一般社会人の必死の努力や、苦しみを身を持って体験し、戯言でなく実感として説得力のある相談にのれることが、真の宗教人に問われるのではないでしょうか。愚弄の私自身につきましては、当然の如く、まだまだそのような境地には到底、到達出来ていませんが、このことに生涯の重点を置いた努力目標として、阿弥陀如来様のお導きにより、精進させて頂きとう願っております。

 釈尊が説いた佛教の教えは、人間だけでなく、宇宙に存在するすべての生命は平等であることです。つまり、個々の存在理由が宇宙にとって、なくてはならないものであり、その、存在を認め合うことにあるのです。また、人間の使命はいったい何でありましょうか。そもそも、地球上では、動物は唯一植物の繁栄に貢献できます。植物は動物に必要な酸素を供給してくれます。この不偏の関係を、産業革命以後、人間は壊しているのです。一度、便利な文明を手にしてしまうと、決して後戻りできずに、これまで以上に、より多くのモノを手に入れようとしてしまいます。欲求が文明の発展の源であるからです。しかし、それを意識するとしないでは、大きな違いが生じるでしょう。現在社会の人間の心が病んできていて、これらのことが意識できなくなってきています。この、病んだ心に薬があるとすれば、それは、地球からは自然の美しさを見せてくれることでしょう。動物からは大自然で必死にいきる姿と、愛らしさでしょう。そして、人間から人間には、あらゆる芸術によって、心和まされます。そして、それらを全て抱擁する、本当の意味での宗教です。

 私共、教信寺塔頭法泉院スタッフは、あらゆる意味で開かれたお寺を暗黙の了解の様に信条にしています。私は一度境内に入れば、極楽浄土をこの世に具現化した伽藍配置、心を洗わす仏像、住職との世間話など、宗派や宗旨を超えて、全ての人に利用して頂ければ良いと思っています。寺とのご縁が、信徒であろうと、なかろうが、佛事や写経、茶道や華道の稽古から音楽のレッスンまで、様々な活動によって、前述の本来の人間の使命を全うする為に少しでもいいから、お寺が関わりを持てればいいのです。ですから、「当山に関係のないものは入山を禁ずる」などと言う看板を参道に掲げることは、佛道修行者の行為とは思えません。恐らく社会的に心の成熟がまだ出来ていない、悟を開く事を目的としない自称坊主がそう言った行動を取るのではないでしょうか。

 本来、里にある寺は、山にある寺が果たしてきた、優秀な僧侶を社会のために輩出する総合大学的要素の強い(アマチュア的)修行道場と違い、里人と密接な関わりを持ちながら里人と共に(プロフェッショナル的)佛道実践する聖地でなくてはなりません。

 とにかく、今必要なことは、過度な受験勉強で心病む子供達、企業戦士として一心に働き過ぎ、自己をじっくり見つめ直す時間を無くした大人達、そして、物質的豊かな生活、金儲けを目的に、がむしゃらに走ってきた現在日本人の抱える膿を出しきり、様々な各界の活動によって、古き良き精神文化の時代(産業革命以前の手工芸時代)に心を戻す必要性に局面していることは確かです。未来を担う子供達に、マネーゲームに狂乱する人間を否定し、手にしっかり職を持つ事により、その子の人生が幸せになれる様な社会を作り上げることと、精進して手に職を持った人間こそを尊敬できる社会を築くことが、現在の親が子供に教えるべきことではないでしょうか!金銭的財産を子供に残して兄弟・身内に争いを生じるより、正しく生きる道を子供に残すことが本当の財産になると、私は両親から教わったような気が、子供が成長するに連れ、最近思うようになってきました。(貯蓄のない家系のひがみでしょうか?でも、両親を誇りに思い、本当に心から感謝しています。)

 私は今回、子を持つ親として、学校教育者として、宗教家として、芸術家として、益々精進したく、今月の公演に寄せていただいた皆様の温かいお心に歓喜し、色々勝手に考えさせて頂きました。Namandabu.namandabu.南無阿弥陀仏。何卒、皆様のお力を拝借させて頂き、私の独断と偏見著しい「今月の言いたい法話」に叱咤激励のご感想をお寄せ下さい。        

                         乱文御免 合掌

発信者*教信寺塔頭法泉院法嗣*慶悟沙彌

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