欧州演奏旅行奮闘記/欧州音大事情

 皆さん今日は、お元気でしょうか?

無事、19日間のヨーロッパ公演から帰ってきました。

 今回は、その演奏旅行の報告と、ウイーン国立音楽大学、ブルガリアのバルナ音楽学校で学ぶコントラバス学生の実状、そして、恒例のコントラバスセミナーの案内です。

 毎年のように航空券の安い二月にウイーンに訪れていた灰色の冬空、緑のない大地と違って、春の息吹と新緑のそよ風に誘われる、4月のウイーンは美しく、あのJ・シュトラウス像のある中央公園は緑に包まれ、宮殿公園にあるモーツアルト像の前のト音記号の花壇も花が咲いて、殊更新鮮で感動的でした。

 そんな音楽の都、ウイーンの街角に恐れ多くも私のポスターが貼って有るではありませんか。初めて見たときは、全く他人事のように眺めていましたが、その夜、ことの重大さが身に迫る思いをしました。何しろ、ここ、ウイーンは、あのコントラバスの神様 L、シュトライヒャーが、毎年の様に名演奏を繰り広げてきた本拠地であり、この地にコントラバスリサイタルを開くなどと恐れ多い事をしたのは、数年前にゲリー・カーが開いて以来、私が二人目の現実だったのですから・・・・・。

 次の日の朝から練習を始め、3日目にピアノのノーマン・シェトラー氏の家へ4時に合わせの約束をして緊張して伺ったのですが、話が弾んで練習は、結局5時半から1時間半プログラム順に弾いて終わりました。シェトラー氏は、ペター・シュライヤーの絶大なる信頼を得るリートの伴奏者として今や世界の第一人者だけあって、絶妙のタイミングと魔法のような音楽のサポートで、全く、細かい打ち合わせなど必要ないのですから、

 私は勿論のこと、Duo Bowsで共演のチェロの秋津氏も大変心地よくリハーサルをさせて頂いた様子でした。そんなリハーサルを二日続けて、本番の日を迎えました。

 4/10日、当日は、生憎の小雨日和でしたが、なんと言っても、ウイーンの名ホール、コンチェルトハウスのシューベルトザールは、名門の風格と、耳に心地よい響きで、私の愛器フィオリーニも長旅の疲れも見せないで、本当に喜んでいるかの様にシューベルトザールに鳴り響いてくれました。

 本番直前に、元、ウイーンフィル首席で、あの「コントラバスの歴史」の著者プラニアフスキー教授が挨拶に来られ、会場にはウイーンフィルの現役コントラバス奏者の顔も見受けられ緊張しましたが、練習の時と同じようにシェトラー氏のピアノにのせられ、リラックスして最後のプログラムまで弾かせて頂きました。そのせいか、大変な拍手を頂き、アンコールを3曲も演奏する好評を頂き、まずは、大成功でした。

 終演後、楽屋には実に沢山の方が入って来られ満杯状態、特にシュトライヒャー門下生を始め、お客様から、CDとサインを求められ(まだCD録音していないのですから)困りました。

 翌日ベルリンに移動、ベルリンから、ピアノ伴奏者がP・ウラディゲーロフ氏に変わり、ブルガリアのバルナ市、トルブーヒン市、シューメン市など4カ所でリサイタルを開き、最後の公演は、ブルガリア全土にテレビ放映されてしまいました。

 ブルガリアはウイーンやベルリンの西側と違って東欧のグループで、私自身も始めての入国であったためか、非常に興味深く、文化や、生活様式の違いに驚きました。詳しく話すと紙面が全く足りなくなりますので、今回は、そのことは、書けませんが、音楽学校で、コントラバスの学生たちに特別レッスンをした感想を、読者の皆さんに伝えなくてはなりませんね。

 先ず、ウイーンの国立音大での、レッスンです。これも予定外で、私がウイーンに着くまで、レッスンをする事は、知らされてなかったのですが、シュトライヒャー教授はスペインの講習会へ、助教授のミラン・サガトは、ウイーン八重奏団で、イタリア公演中。そんな訳で、私が代講をすることに決まっていたようでした。私の留学当時には、沢山の日本人がクラスにいました。例えば、大フィルから、宮沢氏、林氏。新日フィルから、牧田氏、廣島氏。読響から、星氏。神奈フィルの津嶋氏などです。処が現在日本人は、シュトライヒャー教授の孫弟子とも言うべき、牧田さんの弟子の飛田君と、今年6月に入学試験を受ける、私の弟子の河野の二人しかいません。しかし、音楽の発展著しい同じ東洋の国、韓国からは、数名来ていました。

 シェトラーとのリハーサル前の少しの時間しか音大に行けなかったのですが、18年前、シュトライヒャー先生に怒られながらレッスン受けた同じ部屋で、ちょうどこの日の時間割の学生4名のレッスンを複雑な気持ちでしました。韓国の男子学生2人と女学生一人、そして日本の飛田君が、順番に弾き始めました。ヘンデルのソナタ、クーゼビツキーの悲しみの歌、ディッタースドルフのコンチェルト、ボッテシーニのh-mollコンチェルトを弾いてくれました。それぞれ四人ともしっかりした基礎勉強に基づいた演奏で、女性はエレガントに、男性は、ダイナミックに楽器を鳴らし込んでいました。面白いことに、ここでのレッスン、ウイーン国立音大で話す共通語は当然ドイツ語ですから、聴講している人の為に、日本人同士の時も私の拙いドイツ語でレッスンをしたのです。

 次は、ブルガリア事情です。第3の都市バルナは、毎年の国際音楽祭。声楽、バレーコンクールなども開かれ、また、黒海沿岸の夏のリゾート地として有名な場所ですが、このバルナ市立音楽学校は、10才から18才までの学生が学んでいます。バルナでのリサイタルの翌日トルブーヒンでのコンサートに専用バスで移動するまでの時間に市役所で、バルナ音楽祭実行委員長と会見をした後、音楽学校に訪問、校長と会見後、コントラバス・レッスン室へ入り、女性の教授と、伴奏の教授、8人の学生に歓迎を受けました。このバルナでもコントラバスリサイタルを開いたのは、トーマス、マーチン氏以来私が二人目だとのことで、ここの学生全員が聴きに来てくれていたようでした。

 ここでも、スケジュールに追われて1時間余りしか時間が無かったので取り合えず、10才から18才まで2名の男子、6名の女学生に伴奏付きで順次一曲ずつ弾いてもらいました。

 日本ではちょうど小学生高学年から大学受験生にあたる年齢ですが、そのレベルの高さに驚かされました。30エチュード、エックレスのソナタ、ブルガリアの作曲家の無伴奏独奏曲、カサドのチェロの為の作品、ヴァンハルの協奏曲、ボッテシーニの小品と、小さな手で真剣に弾いてくれました。最後の二人は、ソフィア国立音楽大学に進学が決まったそうで、流石に音楽的にも立派に演奏できていました。

しかし、彼らの勉強の条件は、日本を始め西側の国に比べると物質的に恵まれていません。例えば、楽器です。日本の田舎の中学校のブラスでも、最近持って無いような安価な楽器で、本来指板は黒檀のはずですが普通の木に黒くペイントされただけなので、よく使うポジションははげ落ちて生木になっていました。しかし、それ以上に驚いたことは、弦の下に当たる指板が、溝のようにえぐれていたのです。黒檀より柔らかい材質の指板を考慮しても、彼らの練習量がどれほどのものか、簡単に予測出来る訳です。余り知られていない東欧圏の子供達の音楽レベルは、大変なものです。

彼らに日本で手に入る楽器、弓、弦、教材、教育があれば、本当に末恐ろしい存在だと思いました。いつか、機会があれば、我々の夏のコントラバスセミナーに招待してあげたい、と言う強い思いが私自身にこみ上げてきた次第です。

 さて、その夏の恒例行事となったコントラバスセミナーのお知らせです。今年は、阪神大震災の影響で、今までの様に加古川の寺が使えない状態なので、兵庫県中国縦貫福崎インター近くの山林キャンプ場の研修施設を借りて、8/16〜18日の2泊3日の予定で開催します。広い場所なので、これまでの講師演奏、個人レッスン以外に、参加者全員で個人のレベルに合わせたパート別に、コントラバスオーケストラも演奏できるのではないかと楽譜の準備に入っています。大自然の森の中に、コントラバスの森を作って、低音の情報交換、みんなで楽しく語らいましょう。

お問い合わせ、参加希望者は、

第14回1995年「国際コントラバスセミナーin JAPAN」事務局までご連絡下さい。

TEL:0794-22-9414 or 0794-25-1350 〒675兵庫県加古川市野口町野口465

音楽の館コンサート協会内「国際コントラバスセミナーin Japan」事務局迄

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