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2005年12月 8日 読売新聞3面

小田急高架化訴訟

判例を変更 救済重視

原告の資格大幅拡大


 小田急線の沿線住民が高架化事業の認可取り消しを求めた訴訟で、最高裁大法廷は7日、原告の資格(原告適格)を大幅に広げる判決を言い渡した。実際に事業の影響が及ぶ可能性がある住民を原告と認める判断で、今後の行政訴訟のあり方を変える可能性がある。(社会部 日中史生、本文記事1面


■門前払い″15%

 のしかかるように、住宅の外壁の数十センチ先にそびえる高架橋。東京都世田谷区の梅ヶ丘駅近くにある原告の自宅では、騒音を遮断するため、常にドアと窓を閉め切っている。

 こうした住民が、国が都市計画法に基づき認可した事業について、裁判で是正を求めようとしても、従来の最高裁判例は事業地の地権者に原告適格を限定してきたため、実質的な審理に入ることすら難しかった。

 背景には、私益より公益を重視してきた裁判所の姿勢がある。「都市計画は住民一人一人の私益のためにやっているわけではないから、取り消しも求められないというのが、これまでの考え方だった」と、ある民事裁判官は説明する。

 行政訴訟では、裁判所が法律の形式を重視する判断で訴えを門前払い(却下)するケースが後を絶たず、昨年1年間の却下件数は全体の15%に上る。

 今回の判決は判例を変更し、「沿線住民が被害を受け続けた場合、健康や生活環境上の著しい被害に至りかねないから、公益を理由に原告適格を否定するのは困難」と指摘。事業地から約1`離れた範囲までカバーする環境影響評価(環境アセスメント)の対象地域の住民すべてに、原告適格を認めた。被害救済を重視した判断と言える。

 環境影響評価法が1999年に施行され、道路や鉄道の新設、発電所やごみ処分場の設置などで環境アセスメントが実施されている。これらの事業を巡る行政訴訟では、今後、アセスメント対象地域が原告適格を判断する手がかりとなりそうだ、。


■待たれた判断

 「原告適格の拡大」の方向性は、今年4月に施行された改正行政事件訴訟法=*=に盛り込まれていたが、実際の司法判断に反映されるまでの道のりは、平坦ではなおった。

 同法の改正は、行政が絶大な権限を持つ「事前規制型社会」から、国民による監視を強める「事後チェック型社会」への転換を掲げた司法制度改革の一環だ。行政側の危機感は強く、行政訴訟改革を議論レた政府の検討会では、中央省庁の担当者が傍聴席を埋めた。特に原告適格の拡大を巡っては、委員の意見が法案提出の間際まで対立した。

 このため、昨年6月に成立した改正行政事件訴訟法の原告適格に関する条文は、「関連法令」や「侵害される利益の内容や程度」を考慮するよう求めるあいまいな表現になり、国会審議で政府側が「実質的に適格を拡大する趣旨」と説明するにとどまった。

 こうした経緯もあって、実際の訴訟で原告適格をどこまで広げるかについては、現場の裁判官に戸惑いも見られた。昨年10月、行政訴訟担当の全国の裁判官が集まった協議会では、「環境アセスメントは住民個人の利益を保護するためのものではなく、原告適格を認める基準として使うのは疑問だ」という消極意見も出たほどで、最高裁の判断が待たれていた。

 今回、原告適格について大法廷が門戸を広げたことで、今後は、行政訴訟での原告勝訴が14%しかない現状が、どう変わっていくかが焦点となる。


強度偽装マンション 周辺住民にも「原告適格」?

 今回の判決は、他の行政訴訟にどのような影響を及ぼすのか。

 最高裁は1992年、高速増殖炉「もんじゅ」設置許可無効訴訟で、約58`離れた住民まで原告適格を認めている。一般的に、行政の許認可が引き起こす影響の度合いが切迫しているほど原告適格は認められやすく、今回の判決はこの考え方を後押しする意味を持つ。  このため、例えば、耐震強度偽装問題で注目を集める自治体や民間検査機関が建築確認をしたマンションについて、その倒壊で影響を受けそうな周辺住民なら、原告として建築確認の取り消しを求められることになりそうだ。

 また、生活環境の悪化が予想されるものの切迫性は比較的低いケース、例えば、火葬場の経営許可の取り消しを周辺住民が求めた訴訟で、原告適格を認めない最高裁判例があった。しかし、今回、「生活環境」を重視する姿勢が示されたことで、こういった事例でも今後は議論の余地が出てくるだろう。

 これに対し、特急料金の値上げを認可した行政庁を提訴したような場合は、利用者の中から原告を絞り込みにくい。際立った不利益を受けない人にまで原告適格を広げると、裁判が政策論争に近づいてしまうため、こうしたケースでは、やはり実質的な審理に入るのは難しそうだ。


都市計画の透明性重要に

 橋本博之・立教大法科大学院教授(行政法)の話 「国民の救済拡大を目的とした法改正を踏まえて都市計画法を解釈し、裁判所によるチェックを求める資格を広げた判断で、今後の行政訴訟の活性化につながる。都市計画を担う行政側にも、チェックに耐えうる透明で公正な事務の遂行が強く求められることになる。ただ、原告適格は訴訟の入り口の問題であり、事業の違法性に関する法的審査がどこまで行えるのかという大きな課題は残ったままだ」

環境問題での司法活用に道  原科幸彦・東京工大大学院教授(環境計画)の話「画期的な判決だ。環境アセスメントは事業や政策、計画を事前に是正する仕組みだが、事後的な訴訟で、行政の妥当でない判断や制度の欠陥を明らかにできれば、民主的で科学的な政策形成ができるようになる。特に、環境問題における市民の権利の一つとして、『司法制度の利用』が必要という認識が国際的に広がっており、判決がこれと同じ考え方を示したのは、極めて重要な意味がある」


巌後の砦 機能するために

「行政訴訟は使いにくい」と言われてきた。原告と認められる見通しが立たないのに、費用をかけて訴えを起こす人がどれだけいるだろう。提訴件数がドイツの250分の1、米国(連邦地裁)の18分の1にとどまっているのも無理はない。

 個人が、行政に是正を求める第1の手段は政治参加で、それが駄目なら裁判での救済に賭けるしかない。

「区議会に働きかけても何も変わらず、政治に絶望した」。原告の一人はそう話す。今回の判決が、司法を最後の砦として十分に機能させる契機の一つになることを期待したい

* 改正行政事件訴訟法
行政訴訟の手続きを定めた法律で、市民が利用しやすくするために改正された。行政処分が行なわれた後に取り消しを求める場合の原告適格を拡大、処分前に差し止めを求めたり、処分を義務づけたりできることも明記された。


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