ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1971年〜74年5月


   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Weather Report "Weather Report"     (Columbia)
   ウェザーリポート『ウェザーリポート』


01、Milky Way 
02、Umbrellas 
03、Seventh Arrow 
04、Orange Lady
05、Morning Lake  
06、Waterfall 
07、Tears 
08、Eurydice  

     Wayne Shorter (ts,ss) Miroslav Vitous (b)
     Joe Zawinul (key) Alphonse Mouzon (ds)
     Airto Moreiro (per)    1971.2.16-18,22


 マイルス・バンドを脱退後、ショーターはジョー・ザヴィヌル(key)、ミロスラフ・ヴィトウス(b)とともに集団即興をコンセプトとしたバンド、「ウェザーリポート」を作る。本作はその第一作だ。
 ウェザーリポートは最後にはザヴィヌルがリーダーのバンドとして幕を閉じるので、固定観念だけでものを判断する評者からは最初からザヴィヌルが中心人物であったかのように書かれることが多いのだが、ヴィトウスの『Univaersal Syncopations』(03) の日本盤ライナーノーツに載っているインタヴューによると、実はウェザーリポートはもともとショーターとヴィトウスの二人が双頭グループとして立ち上げようとしていたバンドであり、それにザヴィヌルが途中から加わってきたというのが真相らしい。
 確かにそう思って聴くと、初期のウェザーリポートは三頭グループというより、グループの音楽的方向性はショーターとヴィトウスにあり、ザヴィヌルはそのサポートをしているという形に見える。ザヴィヌルの方向性が徐々にグループに影響を与え始めるのは『Sweetnighter』(73) からだろう。
 とはいえ、このウェザーリポートの出発点においては、知名度から言ってもっと単純にショーターのレギュラー・バンドと見られていたのではないか。「ウェイン・ショーター・バンド」ではなく「ウェザーリポート」と名乗ったとしても、その「ウェザーリポート」というバンド名はショーターがつけたものだし、ショーターが前面に出てバリバリとソロをとるのではなく集団即興という方法を指向したために比較的ソロ奏者として目立たなかったとしても、その集団即興という方法自体がショーターがこの後数十年にわたって追求していくものなのだから、これこそがマイルス・バンドをやめたショーターが自分のレギュラー・バンドでやろうとした音楽だと見ることができる。
 さて、ではなぜここでショーターは集団即興という方法を指向したのだろうか。
 多分、この数年前にコルトレーンがモノローグ型アドリブの限りをつくし、泥沼のような燃焼を見せて死んでいったことが理由ではないか。やはり、コルトレーンに敬意はあっても、ああはなりたくない。というか、コルトレーンに敬意があるからこそ、同じ方向は目指さず、コルトレーンがやらなかった別の方向性を目指そうとしたのではないか。そこで対話型インプロヴィゼーション、集団即興の中に新しい可能性を見出そうとしたのではないか。

 さて、初期のウェザーのアルバムの作品のなかでは、本作が最も本などで紹介されているケースが多いように感じる。じっさいリリース当時もヒットし、評判になったらしい。
 しかし多分それはデビュー・アルバムということで新鮮なイメージだったことが理由であって、今の視点から見てみると本作は初期のウェザーのアルバムのなかで特筆すべきアルバムではないような気がする。
 というのは、本作では主要メンバーのショーター、ザヴィヌル、ヴィトウスの3人の個性がそれぞれバラバラに出ていて、一つには融合されていないからだ。アルバムを聴いていると、モザイク状にそれぞれの部分で3人がそれぞれの個性を発揮している気がする。
 この3人の個性が融合したバンド・サウンドが完成するのは次作の『I Sing the Body Electric』(71-72)であり、ぼくとしてはそちらを推したい。
 しかし、融合してなくてもそれぞれ個々の魅力はあるわけで、本作ではそこを聴こう。

 まず一曲目の"Milky Way"。これは演奏というより効果音といったかんじで、題名どおり宇宙をイメージさせる音響実験だ。このような音響効果・サウンド指向というのも、実は集団即興とならんでウェザーリポートの一面のコンセプトといっていいと思う。おもに『Mysterious Traveller』(74)以後、シンセサイザーという楽器が出てきたことによって、この指向が強くなるのだが。
 ということで、ウェザーリポートというバンドによる演奏は、2曲目から始まる。
 "Umbrellas"。いきなりヴィトウスのベースが全編にわたってリードをとる曲だ。ショーターは主にパーカッション的な奏法で彩りを添え、ザヴィヌルも伴奏に徹してる。このいきなりベースが主役の曲というのも、ちょっと奇をてらいすぎ、という気がしなくもない。
 3曲目、"Seventh Arrow"。これは圧倒的な演奏だ。ショーターが『Super Nova』以後追求していたドラム、パーカッション群が叩きつけてくる中、ショーター、ザヴィヌル、ヴィトウスのソロがうなる。まさに集団即興というべき前半のクライマックスで、個人的には"Umbrellas"よりこっちをトップに持ってくるべきだったと思うのだが。
 その後、『Zawinul』(70)の大自然の静寂の中にいるような世界そのままの"Orange Lady"の牧歌的な世界に変わる。
 CDではAB面がつながったために、この曲から"Morning Lake"(朝の湖)、"Waterfall"(滝)とトーン・ポエム的な曲が3曲続く。タイトルからうけるイメージどおり、いずれも美しい曲だが、『Zawinul』に比べると演奏者のソロがよりフューチャーされていて、個人的にはこちらの傾向のほうが好きだ。

 ショーター単独作の曲はアルバムの最後、ショーターが好きそうな位置に2曲おかれている。
 まず"Tears"が興味深い。なめらかで優美な導入部がおわり、リズムが快適な速度で疾走しはじめ、やわらかな女声のスキャットが入ってくる。この導入部〜快適なリズム〜女声スキャットの使い方はチック・コリアの『Return to Forever』(72)の冒頭の表題曲に似ている。実をいうと、この「アー」というだけの女声のスキャット、『Return to Forever』のほうに入っていたのではないかと錯覚していた事がある。女声の声質も似ている。チックの『Return to Forever』はこの曲からインスパイアされた面があるのではないか。
 ウェザーリポートの73年以後の変化を見るとき、チックの『Return to Forever』と、その影響力によるシーンの流れの変化が背景にあることは否定できない。しかし、こう見ていくと、そのチックの『Return to Forever』のインスピレーションを与えたのも、やはりショーター=ウェザーリポートであったようで、おもしろい。
 ラストは"Eurydice"。いきなりのフォービートには逆の意味でおどろくが、ピアノがキーボードに変わっただけのアコースティック・ジャズといった演奏を繰り広げている。メンバー各人の演奏力が高いので、かなりの名演になっているのはむしろ当然だが、なんでここでフォービートをやったのだろう。先の"Tears"といい、新バンドの出発にあたって、いろいろな可能性を探っていたのだろうか。


03.7.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Austria 1971"    (MegaDisc)


01、Firefish
02、Early Minor
03、Morning Lake
04、Waterfall
05、Umbrellas
06、(Improv.) 〜 Eurydice
07、Seventh Arrow
08、Orange Lady

     Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key)
     Miroslav Vitous (b) Alphonse Mouzon (ds)
     Dom Um Romao (per)        1971.7.27


 これはブートCDRで、音質はオフィシャルの『Live in Tokyo』と比べてしまえば落ちるものの、71年の発掘モノという点を考慮すれば高音質というべき部類だ。収録時間は77分ほど。
 1st の録音の5ヶ月後、『Live in Tokyo』の約半年前のヨーロッパ・ツアーからのライヴで、ウェザーリポートの最初期のライヴとして興味深い音源だ。メンバーは Airto Moreiro は1st のスタジオ録音のみの参加なんで、パーカッションは Dom Um Romao が加入している。なお、このヨーロッパ・ツアーの後にドラムは Eric Gravatt に代わる。
 収録曲はよくわからないものがある。1曲めの "Firefish" というタイトルはウェザーリポートの他のアルバムには収録されていないのでわからないが、ジャケットに書いてあったタイトルをそのまま書いておく。このCDR、ジャケットに書かれた収録曲がわりと正しいものが多いので、そういうタイトルの曲なのかもしれない。ただし6曲めにジャケットには書いてない14分を超えるトラックが入っている。これはまずキーボードによる自由な即興演奏が数分続き、じょじょに他のメンバーも加わってきて、全員による演奏が高まってきたあたりで "Eurydice" へとメドレーしていく演奏。
 その他、2曲めの "Early Minor" も『Live in Tokyo』に収録されてるのみでスタジオ盤には収録されていない曲で、この頃のナンバーはライヴで演奏されたのみでアルバムに収録されずに終わった曲もけっこうあるのかもしれない。
 さて、最初に書いたとおり本作はウェザーリポートの最初期のライヴとして興味深い音源ではあるのだが、演奏のスタイルは既に『Live in Tokyo』にかなり近い。曲も "Firefish" 以外はすべてダブる。半年近くの差があっても『Live in Tokyo』もまた1st のツアーの時の演奏であり、同じツアーの途中で演奏がそう大きく変化するものでもないのかもしれない。それにスタジオ盤をみても1st と2nd アルバムは方向性からいってそう大きな違いもない。
 それならオフィシャルでさらに音が良い、さらにツアーの終盤に差し掛かっているため2nd の曲も演奏している『Live in Tokyo』を聴いていれば、とりあえず本作には手を出さなくてもいいかという気にもなる。
 対して『Live in Tokyo』に対する本作の売りとしては、まず初代ドラマーの Alphonse Mouzon の演奏が聴けるという点と、冒頭の14分弱におよぶ "Firefish" という点にあるだろう。
 しかし、ドラマーが代わったことが演奏にそう大きな変化を与えているとは感じられないし、基本的には『Live in Tokyo』の演奏の別バージョンと見ても問題ない気がする。
 まずは『Live in Tokyo』を聴いて、このような演奏がもっと聴きたいと思ったら聴くべきアルバムだろう。


09.4.24


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "I Sing the Body Electric"      (Columbia)
   ウェザーリポート『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』


01、Unknown Soldier  
02、The Moors  
03、Crystal 
04、2nd Sunday in August 
05、Medley:Vertical Invader 
   〜T.H.  
   〜Doctor Honoris Causa 
06、Surucucu 
07、Directions 

     Wayne Shorter (ts,ss) Miroslav Vitous (b)
     Joe Zawinul (key) Eric Gravatt (ds)
     Dom Um Romao (per) Ralph Towner (12 string guitar-2)
                 1971.11-1972.1


 名盤だ。
 初期のウェザーリポートの最良のエッセンスはこのアルバムに凝縮している、ウェザーリポートの最初のピークというべきアルバムだ。もし初期のウェザーリポートのアルバムからとりあえず一枚聴いてみたい……という人がいたら、ぼくはこれをお勧めしたい。
 理由はまず、本作は前半(アナログ盤のA面)がスタジオ録音、後半(B面)がライヴ録音という構成になっていて、これ一枚でスタジオでのウェザーリポートと、ライヴでのウェザーリポートの両方を聴けることだ。特にこの時期、ウェザーリポートはスタジオとライヴでは、まるで別のバンドのように表情を変える。スタティックな構成の美を見せるスタジオ録音と、躍動感・緊張感に満ちたライヴ録音。一枚でその両方を味わえるのは本作だけだ。
 しかも、前半のスタジオ録音は、初期のウェザーリポートの最初の完成形といえる。つまり、ファースト・アルバムでは主要メンバー3人の個性が混ざらないまま、曲ごとにモザイク状に現れていた。それが本作では、3人の個性が溶け合って一つのサウンドに結実してきているのが感じられる。つまりバンドとしてのウェザーリポートは本作で最初の完成を見たといっていい。
 また、後半のライブでの演奏もまた、もう一つの初期ウェザーリポートの完成された形、激しい対話型のソロの応酬による、集団即興を聴かせてくれる。
 どこから見ても初期の代表作といっていいアルバムだと思うのだが、どうも今まで地味な評価を受けてこなかったようだ。なぜだろう。
 一つにはやはりファースト・アルバムが話題性からいって目立ってしまい、2作目というのはそれほど目立たないものなのかもしれない。もう一つ考えられるのは、後半のライヴ部分が当時日本のみの発売となった『Live in Tokyo』(72)からの抜粋であるという点だ。つまり、既に『Live in Tokyo』を入手していると、このアルバムのオリジナル部分はスタジオ録音部分しかないことになる。いきなり2分の1の価値になってしまう。
 しかし、先述したとおり、前半のスタジオ録音部分だけだって名作だ。このことは本作の価値をすこしも減らす要因ではないと思う。
 なお、タイトルの「I Sing the Body Electric」は、もともとはウォルト・ホイットマンの詩のタイトルだが、レイ・ブラッドベリが同タイトルのSF短編を書き、短編集のタイトルにもなっている。本作のタイトルは後者からだろう。これほどSF色をストレートに出したジャケット・イラストも初めてで、これもショーターの感性だろう。

 まず、前半のスタジオ録音部分からいこう。
 一曲目"Unknown Soldier"。ベースはいかにもザヴィヌルらしい、ソロの『Zawinul』の延長線といえる作りの曲だが、この曲では神秘的な夜の雰囲気満ちている。あきらかにショーターの個性だ。それに演奏面でショーター、ヴィトウスが前面に出て、張りつめた緊張感に満ちたインタープレイを繰り広げている。まさにウェザーリポートならではの、三人の個性が溶け合った曲といえるだろう。
 つづくショーター作の、十二弦ギターのイントロから始まる"The Moors"は、熱にうかされているような異様な曲。この濃密で奇妙な音像を前にしては、もはや言うことはない。傑作。
 "Crystal"は、いわゆるリズム・セクションは置かず、フリーなかたちでの楽器と楽器の対話。ここでもショーターの魔法のようなサックスが素晴らしい。ヴィトウスの曲とのことだが、ヴィトウスはもっとも出番が少ない。どういうふうにできた曲なんだろう。フリー・インプロビゼイションのようにもみえるのだが……
 スタジオ部分ラストを飾る"2nd Sunday in August"は比較的軽快なリズムの曲だが、密度では前3曲に劣るか。ま、気持ちのいいエンディングといったところか。

 続いて後半のライヴ部分。『Live in Tokyo』からの抜粋だが、当時『Live in Tokyo』は日本のみの発売だったため、このライヴは本作で世界に発信されたことになる。
 本作に収録されているのは、『Live in Tokyo』のうち、(たぶんこの後スタジオで録音され、本作に収録する予定だった)新曲の部分と、旧作だが多分この時点ではレコード化されてなかったはずのザヴィヌルの"Directions"である。
 曲が抜粋されているだけでなく、『Live in Tokyo』と比べると、演奏そのものにも編集が加えられている。例えばメドレー冒頭の":Vertical Invader"だが、『Live in Tokyo』の同曲と比べると、冒頭の2分ほどのドラム・ソロが短く刈り込まれているのがすぐにわかるだろう。
 このようにソロの冗長な部分などが編集された結果、本作で聴けるヴァージョンは、『Live in Tokyo』で聴ける同曲の演奏より、よりロック的な、高いテンションが維持される怒涛の演奏に聴こえる。
 ジャズ的な雰囲気で聴きたければ『Live in Tokyo』。ロック的にノリたければ本作でこれらの曲を聴くということもできるだろう。


03.5.2


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Live in Tokyo"      (Columbia)
   ウェザーリポート『ライヴ・イン・トーキョー』


Disc-1
01、Medley
  1) Vertical Invader
  2) Seventh Arrow
  3) T.H.
  4) Doctor Honoris Causa
02、Medley
  1) Surucucu
  2) Lost
  3) Early Minor
  4) Directions

Disc-2
03、Orange Lady
04、Medley
  1) Eurydice
  2) The Moors
05、Medley
  1) Tears 
  2) Umbrellas

      Wayne Shorter (ts,ss) Miroslav Vitous (b)
      Joe Zawinul (key) Eric Gravatt (ds)
      Dom Um Romao (per)     1972.1.13


 当時、日本のソニー・レコードは来日した外国ミュージシャンのライヴ盤を日本で制作して来日記念盤として日本でのみ売り出すということをしていた。本作もその一環として当初日本でのみリリースされたライヴ盤だが、ウェザーリポートも本作の演奏の質の高さを認め、後で本作の一部を編集して、『I Sing the Body Electric』(72) のB面として全世界にリリースしている。
 本作をレコーディング、リリースしたことは日本が誇るべき快挙といっていい。その理由は主に2つある。
 まず一つは、単純にヴィトウス在籍時代のウェザーリポートのライヴがまとまった量聴けるアルバムは、本作ぐらいしかないことだ。
 ウェザーリポートに在籍したベーシストのうちではヴィトウスはジャコ・パストリアスに勝るとも劣らない実力と才能の持ち主なわけだが、ジャコが若死にという話題性も手伝って過剰ぎみに評価され、ブートレグも含めてジャコ時代のウェザーリポートのライヴ音源は多数手に入るのに対し、ヴィトウス時代のウェザーリポートのライヴ音源はなかなか出てこない。
 そしてもう一つは、この時期のウェザーリポートはスタジオとライヴでは、まるで別のバンドのような顔を見せるグループだったことだ。
 つまり、初期のウェザーリポートのスタジオ盤は、どちらかというと静的な、知的に考えぬかれたサウンドを聴かせる演奏が多かったのに対し、本作で聴かれるライヴ演奏ではロック的な躍動感あふれる演奏や、ジャズ的な緊張感あふれる演奏も聴かれる。どちらもスタジオ録音だけでは知ることのできなかったウェザーリポートの側面だ。
 この時代のウェザーリポートはショーター=ヴィトウス双頭バンドというべき時代であり、ザヴィヌルよりもむしろヴィトウスのほうが主導権をとっていた時代だ。このショーター=ヴィトウス・バンドとしてのウェザーリポートのライヴがまとまった量で聴けるのはこれだけであり、いまになってもその貴重度は、ますます高くなっているように感じられる。

 さて、70年代前半のこの時期、ショーターが離れて以後のマイルス・バンドはライヴ盤を次々に作っている頃である。ウェザーリポートのコンセプトにはマイルスからの影響があるといわれているわけだが、ウェザーリポートのライヴ盤である本作と、同時期のマイルス・バンドのライヴ盤とを聴き比べてみれば、ショーターがマイルスと何を共有し、何を共有しなかったのかが良くわかる。
 まず、パーカッションを加えたリズム・セクションや、表面的なサウンド自体が似ているように思える人も多いだろう。しかし70年代のマイルス・バンドのメンバーは7人が基本で、条件がゆるせばさらに増員される。つまり多人数による厚いサウンドの迫力を身上としていた。しかしウェザーリポートはメンバーは最高でも5人と少なく抑えられ、各奏者の演奏を際だたせている。つまり70年代のマイルスのバンド・サウンド指向を、実はウェザーリポートは受け継いではいないことが指摘できる。
 つまり、一見したサウンドの類似は、『Bitches Brew』によって70年代マイルス・バンドのサウンドが立ち上げられたのはザヴィヌル、ショーターらが中心となっていた時だから、つまり同じ人が作ったものだから似ているというていどの、ごく表面的なことにとどまる。
 また、熱狂的になってカタルシスを求めるマイルス・バンドの演奏に対して、ウェザーリポートはあくまで知的にクールな即興演奏のありかたを求めていく点があるだろう。カタルシスは宙吊りにされたまま、緊迫感あふれる対話が続いていくのだ。
 マイルスの演奏はつねにモノローグである。つまり演説だ。演説には「こうだ!」と言い切ることによってカタルシスを得、与えようとする技術がある。「男とはこういうものだ!」とか「女は男に口ごたえするな!」とか「あいつは悪だ、みんなでやっつけろ!」とか「ハルマゲドンがやってくるぞ!」とか。有無もいわさずに断言し、結論をつきつけることによって盛り上げるという手法だ。
 しかし、ウェザーリポートの演奏はポリフォニー(対話)だ。片方が「男とはこういうものだ!」といえば「そんなことはいんじゃない」というコメントがつくし、「あいつは悪だ、みんなでやっつけろ!」といえば「そんなことをいうおまえこと悪だ!」と非難される。とうぜんそのコメントにもコメントがつき、対話はえんえんと続き、結論はえんえんと先延ばしにされていく。
 つまり言い切ってしまうことへのカタルシスは得られない。こうだ! と自分の結論に心酔した瞬間、それは別のコメントによって否定されてしまうわけだ。
 世の中には断言されたい人がたくさんいる。雑誌も「こう口説けば女は絶対モノにできる!」と断言調で書いたほうが売れるそうだ。人間は人それぞれだから、そうとはいいきれない……などと冷静に正しいことをいうよりも。
 はたから見るとメチャクチャなことを言ってるとしか思えない教祖的な人物に、けっこうついていく人がいるというのは、そういうことだろう。
 まあ、人それぞれの資質なんだろうが、本作は同時期のマイルス・バンドのライヴ盤に比べると、より聴き手を選ぶ部分があるのかもしれない。ノリだけで酔ってしまわずに、より覚醒した意識で楽器間の対話を聴いていく必要がある。
 ビールでも飲みながら、クー、たまらん! イェーイ! などと音楽を楽しみたい人には、マイルスのライヴ盤のほうが向いていると思う。
 しかし、ぼくはサウンドの迫力で相手を圧倒し、断言調でカタルシスを得ようとするマイルスよりも、熱狂しながらもどこか冷静に音楽的対話が続くウェザーリポートのほうに、はるかに知的興味を感じる。

 また、対話的な集団即興という点に注意してみよう。実は本作での演奏と『Footprints Live』(2001) を並べて聴くと、集団即興のあり方として意外なほど似ていると思う。もちろん違いは多く、それぞれに独特の魅力はあるのだが、一つの線でつながっているのが感じられる。
 けっきょくのところ、ショーターは何度も変化を遂げているようでいて、いくつかのテーマを一貫して追求し、前進してきた人だといえる。その変化と一貫性が30年近く離れた時期のアルバムを並べて聴いても理解できる。
 また、そのことは同時に、この時期のウェザーリポートはショーターのコンセプトによって出来上がっていたということも表している。ザヴィヌルはウェザーリポート解散後にも結成前にも集団即興を追求したアルバムなんて作っていない。むしろヴィトウスのほうがショーターのコンセプトにより近い指向を持っていたといえる。(ヴィトウスについては別項で考える)

 曲を見ていこう。
 まず「Disc-1」。前半のメドレーの4曲の中では"Seventh Arrow"だけが1stアルバムに収録されていた曲で、後の3曲は新曲であり、編集されて次の『I Sing the Body Electric』のB面にも収められている。"Seventh Arrow"はスタジオ盤のヴァージョンよりも叙情的で静かな演奏であるが、それを挟んだ3曲は躍動感・緊張感に満ちた、ロック的なノリの演奏だ。攻撃的なドラム、パーカッションをバックに主要メンバーの3人が暴れまわり、インタープレイの限りをつくす。スタジオ録音ではおとなしかったショーターもここでは大活躍。ウェザーリポート結成当時のテーマである「集団即興」というのは、むしろライヴ演奏で達成されていたのではないか。
 それにヴィトウスというベーシストに注目してもらいたい。ベースでここまで暴れるとはすごい。ウェザーリポートのベーシストというとジャコ・パストリアスばかりが有名だが、このヴィトウスも同等くらいの実力の持ち主だ。ヴィトウスのライヴでの演奏がたっぷり聴けるのは本作だけなので、じっくり聴いてほしい。ところで"Doctor Honoris Causa"は後のヒット曲"Birdland"の原型になった曲だ。
 後半のメドレーはショーター作の神秘的な、しかし激しい"Surucucu"で始まる。これも新曲で『I Sing the Body Electric』のB面にも収められている。このへんには『Super Nova』あたりの雰囲気が残ってる気がする。次の"Lost"はショーターの『The Soothsayer』(65)の冒頭の曲。しかし『The Soothsayer』はオクラ入り中だったので、こちらのほうが先にリリースされたことになる。しかし、同じ曲という気がしない。
 後半2曲はいずれもザヴィヌル作で、ラストの"Directions"はマイルス・バンド時代に録音もある名曲。この曲も『I Sing the Body Electric』のB面にも収められている。

 「Disc-2」になると、この時期のウェザーリポートのまた別の一面が見える。思いの外ジャズ的な演奏だ。
 まず"Orange Lady"。この曲が18分も演奏しているというと、最初はちょっと……という気持ちにもなったのだが、スタジオ盤でのトーン・ポエム的な演奏を聴かせるのは序盤だけで、途中からリズムが加わり、ジャズ的な集団即興へと変わっていく。どちらかというと『Zawinul』(70)よりも、『In the Silent Way』(69)の方法をさらに前進させたような演奏だ。
 つづくメドレーは2曲ともショーター作の曲。まず"Eurydice"は、ザヴィヌルが最初の部分だけで弾かなくなり、ショーターのピアノレス・トリオの演奏を聴いているような気分。この時期のウェザーリポートは電化されているのはキーボードだけなので、キーボードが黙るとアコースティック・ジャズと変わらなくなる。続いてザヴィヌルがアコースティック・ピアノで登場し、アコースティック・バンドのスタイルで集団即興の限りをつくす"The Moors"になる。このへんもクライマックスの一つだろう。
 ラストのメドレーは再び最初のほうの感じ、エレクトリック・バンドによる集団即興という方法論に戻る。曲は"Tears"と"Umbrellas"。迫力ある本作の締めくくりだ。
 しかし、"Umbrellas"の作曲者はスタジオ盤ではヴィトウス、ザヴィヌル、ショーターの3人の名が並べてあったのが、本作ではヴィトウスの名が落ちている。なぜなんだろうか。


03.7.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Sweetnighter"    (Columbia)
   ウェザーリポート『スウィートナイター』


01、Boogie Woogie Waltz
02、Manolete
03、Adios
04、125th Street Congress
05、Will
06、Non-Stop Home

      Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key)
      Miroslav Vitous (b) Eric Gravatt (ds-2)
      Dom Um Romao (per) Andrew White (b & E.horn-3)
      Herschel Dwellingham (ds) Muruga (per-1,2,3)    1973.2.3/5/7


 本作と次の『Mysterious Traveller』(74) が、70年代半ばのウェザーリポートの大きな変化の過渡期的なアルバムといえる。
 この時期に何が変わったかといえば、初期においてはむしろショーター=ヴィトウスがバンドの主導権を握り、ザヴィヌルがサポートするというかたちだったウェザーリポートが、ザヴィヌルの影響力がじょじょに増していき、ヴィトウスがこれを嫌って結局はバンドを去り、以後ショーター=ザヴィヌルの双頭グループへと変化していったわけである。
 具体的に音楽のどこが変わったかといえば、一定のリズムが導入されたことだ。つまりザヴィヌルによってファンクのリズムが導入され、それがショーターが追求してきたブラジル的パーカッションと合体し、ファンキーで強力なリズム隊が誕生。そのリズム隊が一定のリズムを刻み、そのリズムに乗ってサックス、キーボード、ベースが自由に対話を繰り広げる……というスタイルである。
 このリズムが今後ウェザーリポートを特徴づけるものとなる。ただしウェザーリポートの場合、リズムはあくまで、それをバックに演奏をするためのものであって、中心はフロントの演奏にある。例えば同時期のハービー・ハンコックのように、リズムそのものを中心に追求していって、ダンサブルな方向へ行く、といったことはない。
 このような受け入れやすく、ノリやすいリズムの導入の背景には、おそらく72年のチック・コリアの『Return to Forever』のブレイクあたりから、ジャズ/フュージョンの流れが、わかりやすく気持ちいい音楽を指向する方向に変わったことがあると思う。
 また、このファンキーなベース・ラインを打ち出すために、もともとファンキーなスタイルとは縁のないヴィトウスにプラスして、別のベーシスト、アンドリュー・ホワイトも参加し、ヴィトウス脱退への道筋が見えてきたのも本作だ。

 内容を見ていってみよう。
 まず2つの長い曲、"Boogie Woogie Waltz"と"125th Street Congress"が目立つ。それぞれ12、3分の長さだが、両曲ともとくに凝った編曲がされているわけではない。ファンキーなリズムに乗ってサックス、キーボード、ベースが自由な対話が長く続いていく、という感じだ。このへんはウェザーの集団即興の真骨頂であり、ショーターの演奏、その対話相手の演奏を飽きずに聴いていると、あっという間に曲が終わる。このへんがショーターの60年代のモノローグ型のソロと、ウェザーでの対話型のソロの演奏の違いが、いちばんわかりやすい演奏かもしれない。
 また、テーマが曲の最後になってようやくあらわれるというアイデアも、この後ウェザーの曲で何度も使われることになる。
 他の曲はこの2曲に隠れて影が薄い印象もないではないが、ちゃんと聴いてみると聴きどころは多い。まず"Manolete"、せつないように美しい曲だ。ほんとうは本作で一番の名曲かもしれない。"Adios"は"Orange Lady"などの流れのザヴィヌルの曲。さすがに少し飽きてきたか。
 ヴィトウス作の"Will"は、ヴィトウスがウェザーで最後に存在感を示した曲かもしれない。ラストの"Non-Stop Home"は本作のなかでは異色な、実験的な香りもする曲。リズムとフロントが不思議なからみかたをしていて、どういうふうに作ったんだろうと思わせる。

 本作まででヴィトウス在籍時のウェザーリポートは終わる。
 もっと後の作品からウェザーリポートのアルバムを聴いた世代にとっては、この時期のアルバムはどうも輪郭のはっきりしない、混沌とした印象に映るかもしれない。
 しかしこの時期のウェザーリポートのアルバムは演奏重視のおもしろさ、奥の深いおもしろさに満ちているんで、その魅力に気づくようになれば、どのアルバムも楽しめるはずだ。


03.7.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "The Quiet Knight"   (SLANG)


01、Radio Intro
02、Vertical Invader
03、Seventh Arrow 〜 125th Street Congress
04、In a Silent Way 〜 It's About That Time
05、Unknown Soldier
06、It's About That Time
07、Boogie Woogie Waltz

    Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key)
    Miroslav Vitous (b) Eric Gravatt (ds)
    Dom Um Romao (per)       1973.5


 貴重な1973年のライヴを収録したブート盤だ。収録時間は全体で58分半ほどだが、音質は良くはない。特にリズム隊の低音部が遠いのが寂しくなるが、ショーターの音は大きく入っているし、個人的には我慢ができるレベルか。でも、なにより73年のライヴという点が重要だ。この時期は『Live in Tokyo』と『Live and Unreleased』の最初期の部分のちょうど間にあたり、オフィシャル盤ではライヴ演奏が聴けない時期だが、何よりヴィトウスがウェザーリポートを辞める直前であり、ウェザーリポートにとってはバンドが最も大きく変わろうとしていた時期である。
 ウェザーリポートというバンドは毎年何かが違う、変化に富んだ多彩なアルバムをリリースしつづけたバンドだったが、大きく分ければヴィトウス在籍時とベースがアルフォンゾ・ジョンソンに代わって以後の二つに分けることができる。それはスタジオ盤よりライヴ盤での演奏を聴けば一目瞭然で、『Live and Unreleased』に収録された75年から83年までのライヴ演奏を並べて聴いても、同じバンドの演奏に聴こえる。また、『Live in Tokyo』と『Austria 1971』に収録された71年から72年のライヴ演奏を聴いても、同一のバンドの演奏に聴こえる。しかし、この両者はかなり違うバンドの演奏に聴こえる。ウェザーリポートというバンドの大きな変化はベースがヴィトウスからアルフォンゾ・ジョンソンに代わったあたりでおきている。そしてその過渡期がこの73年から74年あたりだろう。
 さて、貴重な録音だが、しかし音源はあやしげな所がある。"It's About That Time" が2バージョン入っていて、まさか一夜のライヴに二回は演奏しないだろうから、複数のライブ音源が入ってるのかもしれない。
 聴いていこう。演奏は 『Live in Tokyo』と同じ "Vertical Invader" から始まり、"Seventh Arrow" へとメドレーしていく。このへんはこの時期のウェザーリポートのオープニングの定番だったのかも。
 続いてジャケットには "125th Street Congress" と記された曲になるのだが、リズムがファンキーでなく普通のウォーキング・ベースなので、別の曲みたいに聴こえる。これは73年の5月のライヴだとジャケットに記されているのだが、となると『Sweetnighter』(73年2月録音)の後のライヴのはずだが、この曲のリズムをステージで再現できなかったのだろうか? そうだとするとその辺がヴィトウスがバンドを辞めるに至る理由だったのかもしれない。あるいはジャケットに記された73年の5月の録音というのが間違いで、これが "125th Street Congress" の初期形なんだろうか? いずれにしろこのバージョンは少しタルい印象で、後半盛り上がるのでわるい演奏とまで言う気はないが、この曲はスタジオ盤のファンキーなリズムのほうがいい。
 つづくは "In a Silent Way" から "It's About That Time" と続くメドレーで、これはマイルスの『In a Silent Way』のB面と同じ流れだ。まるでザヴィヌルが『In a Silent Way』は俺のアルバムだと言ってるような構成だ。じっさい10分以上続く "It's About That Time" のほうは『In a Silent Way』を超える名演といっていいだろう。特にショーターが登場してからの緊張感がすさまじく、リズムまで躍動しだすという、 "It's About That Time" らしくないような演奏になっている。音質のわるさが悔やまれる。
 続くは14分近くも演奏する "Unknown Soldier" で、この曲はこの後の時期のライヴのレパートリーからは消えてゆくので、これも貴重なライヴ音源だ。この曲はいろんな要素を盛り込んだサウンド・スケープ的な作品だが、スタジオ盤での演奏は完成度が高く仕上げられているために、すんなりと聴けてしまうところがあった。このライヴ・バージョンだと、それぞれの要素がよりぶつかりあって、実験的なかんじの演奏になっていて、ひょっとするとこの演奏のほうが曲の意図がわかりやすいかもしれない。
 そして、よくわからない二回目の "It's About That Time" だが、こちらのほうが演奏時間も短く、散漫な印象で、一回目のほうがだんぜんいい。
 ラストは "Boogie Woogie Waltz" で、こちらのほうは "125th Street Congress" と違ってスタジオ盤に近いリズムのライヴ演奏になっている。となると "125th Street Congress" だってヴィトウスのベースで再現できないとはおもえなく、やはりあれは意識的にやったのか、あるいは違う曲なのかと考えたくなる。
 全体を通しての印象でいえば、やはりここに来ても基本的には『Live in Tokyo』と同じスタイルの演奏だと思う。とはいえ、ラストの "Boogie Woogie Waltz" などでは違うバンドとして生まれ変わろうとしているバンドの姿も感じられなくもない。
 さて、なぜヴィトウスはやめたのかを考えてみよう。一般的に言われていることは当時のファンキー路線との方向性の乖離ということだが、 "Boogie Woogie Waltz" を聴いた限りでは『Sweetnighter』の収録曲はライヴで再現できている気はする。
 現在の個人的な印象でいえば、これから目指す方向性と違うのでヴィトウスが辞めたというより、ヴィトウスが辞めてアルフォンゾ・ジョンソンが加入した後で新しい方向性が見えてきたような気がしているんだが、どうだろう。


09.4.25


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Weather Report "Mysterious Traveller"     (Columbia)
   ウェザーリポート『ミステリアス・トラベラー』


01、Nubian Sundance
02、American Tango
03、Cucumber Slumber)
04、Mysterious Traveller
05、Blackthorn Rose
06、Scarlet Woman
07、Jungle Book   
08、Miroslav's Tune    (bonus track) 

      Wayne Shorter (ts,ss) Joe Zawinul (key,syn)
      Alphonso Johnson (b) Miroslav Vitous (b-2,Bonus)
      Eric Gravatt (ds-2) Ishmael Wilburn (ds)
      Skip Hadden (ds) Dom Um Romao (per)       1974,2-5


 ウェザーリポートのスタジオ盤(オリジナル・アルバム)をリリース順に聴いていけば、本作でウェザーリポートのサウンドが大きく変化したのがわかる。本作は前作に続く、ウェザーリポートが新しいコンセプトへと生まれかわる過渡期的アルバムで、一見したところ本作のほうがより大きく変化したように感じられるのだが、どうもそうともいえないことがわかってきた。というのも同時期のライヴ盤での演奏を聴くと、それほど急激に変化している感じはしないからだ。
 現在では、本作で大きく変化したように感じられるのは、スタジオ録音の方法が変化したことが大きいのではないかと思っている。つまり、前作まではおそらく一発録りに近いような、スタジオ・ライヴ的な演奏を録音していたのが、本作ではより緻密なスタジオ作業によってサウンドを構築していくようになったのではないか。
 そして、ウェザーリポートの歴史を通じてスタジオ作業の中心になっていたのはザヴィヌルである。それはウェザーのオリジナル・アルバムのクレジットを見ると、一貫してザヴィヌルがプロデューサーであったことからわかる。どうもショーターはあまり細かなスタジオ作業を好まなかったらしい。
 と、いうことで本作あたりからウェザーリポートのスタジオ盤ではザヴィヌルの存在感が大きくなるのだが、だからといってザヴィヌルがウェザーリポートの中心になったと見るのは、やはり早計だろう。ザヴィヌルがウェザーリポートの中心になるのは『Sportin' Life』(84) からであり、それまではショーターの存在はやはり大きく、単にスタジオ盤だけ聴いていると、ザヴィヌルの作業の影に隠れてショーターのやっていることがやや見えにくくなっているに過ぎない。

 と、いうことで見かけほど本作でウェザーリポートが変化してはいないということはいえそうだが、それでも本作が過渡期の作品であることは間違いない。
 本作から変化した点としては、これまでの集団即興というコンセプトは残しつつも、編曲を前面に出して音楽全体を整理し、わかりやすくするという方法だ。この編曲路線への方向転換はザヴィヌルの意志によってなされたという意見もあるが、これは信用できない。この直後のショーターのソロ作『Native Dancer』も編曲を前面に押し出した作り方がされていて、この方向転換はショーター、ザヴィヌル両方の合意と見るべきだろう。
 ただ、両者の編曲の指向にはやはり差がある。ウェザー解散後のソロ作まで見てみると、この後のウェザーリポートの音楽に見られる、陽気で元気でノリのいいフュージョンという側面はザヴィヌルによって、「音楽的冒険物語」と即興演奏の融合という側面はショーターによって押し進められたと見ていいだろう。
 「音楽的冒険物語」という言葉について説明する。これは『Live and Unreleased』のライナーノーツでのショーターが語っていた言葉だが、ショーターは編曲性と即興演奏を並立させるために、オーソドックスなジャズのような「テーマ〜各楽器のソロ〜テーマ」という形には戻さず、曲を物語風というか、劇的なかんじに自由に展開させる構成を作り上げていった。これがショーターが「音楽的冒険物語」と呼んだ音楽作りである。
 実は60年代のジャズ時代にも、ショーター作品には曲の後半が盛り上がっていったりするやり方などが、特徴としてはあったのだが、このへんから編曲においてより意識的にやりはじめたということだ。
 また、本作で大きく変わった点としては、サウンドがカラフルになったことがある。その理由はシンセサイザーの大幅な導入にある。といっても、当時はポリフォニック・シンセはまだなく、自由に演奏するという感じではなかったろうが、効果音などに印象的な使い方がされている。
 例えば "Mysterious Traveller" はジャケットのイメージそのままの、流星が降下してくる音を模したような効果音で始まり、終わる。 "Scarlet Woman" では広大な大地を駆け抜ける風の音で始まり、遠くからドラムの音が聴こえてきて……という始まりかただ。
 このようなシンセサイザーの多彩なサウンドを駆使によって、サウンド・パノラマというべき側面(実はウェザーの初期からあったのだが)が、本作からより強化されたといえる。ショーターのイマジネーションをザヴィヌルがサウンド化していくことが、この二人のウェザーリポートの役割分担ではないかと別項で書いたが、そのような共同作業はシンセサイザーという楽器の登場によって、本格からさらに深まっていったと思える。
 こういった効果音と演奏音との融合させる音楽の作りかたは、個人的には同時期のピンク・フロイドなど、プログレッシブ・ロックのある部分との共通性を感じる。例えばぼくは本作の "Scarlet Woman" を聴くと、ピンク・フロイドの『Wish You Were Here』(75)の「ようこそマシーン」を思い出してしまうのだけど、ぼくだけだろうか? 別にパクったとかそういうことではなく、嗜好に似たような面があるように思う。
 その他にも多重録音をしたり、一部だけエコーをかけてみたり、楽器の録音のしかたにもサウンド指向の面が強まった。これは当然、ザヴィヌルが中心になってスタジオ作業をより緻密の行うようになった成果だろう。
 以上のように、編曲性の重視、サウンドがカラフルになったことにより、音楽全体の印象がスッキリと整理され、メリハリがきいた、つまりはポップな感じへと変わった。いわば、わかりやすいウェザーリポートはここから始まる。
 しかしこのような変化は前述したようにスタジオ作業の変化によるスタジオ盤の変化であって、ライヴ演奏そのものはそれほど変化しているわけではない。

 さて、前作(73年作)でのファンキーなリズムの導入。本作(74年作)での編曲の重視といった、わかりやすい音楽をへの方向性の変化はなぜおきたんだろうか。
 もちろんショーター、ザヴィヌルらの気持ちの変化という点もあるだろうし、シンセサイザーの導入に関しては、シンセサイザーという楽器の進歩が大きいだろう。
 しかし大きいのは、72年のチック・コリアの『Return to Forever』のブレイクあたりから、ジャズ/フュージョンの流れが変わったことが背景にあると思う。過激・混沌・前衛といった要素がウケていた時代が終わり、ユートピア指向の明るく美しいな音楽へと流行がうつっていったのだ。たぶんこれはチック一人の影響ではなく、時代の空気の変化があったのだと思う。ロックでもほぼ同時期に過激で実験的なスタイルは流行らなくなり、アコースティックをベースとしたスタイルが流行るレイドバックという現象がおこっているし、その他、小説・マンガなどを読んでも、60年代末の過激で青臭い時代が、70年代に入って快楽主義的な雰囲気に変わっていくのが読みとれる。
 そんなわけで、各ミュージシャンたちは方向転換を図ることになり、しかし何故かマイルス一人が時代にとり残されて、絶滅し損なった恐竜のように過激・混沌スタイルの音楽を続け、結果、マイルスの生涯の最高傑作というべき二枚組は70年代の中古レコード屋に山となる現象がおきたのだった。

 話を戻そう。
 また、本作を最後に初期中心メンバーの一人だったヴィトウスが完全に脱退する。
 ヴィトウス脱退の理由については従来、ウェザーリポートにファンク・ビートを導入しようとするザヴィヌルと、もともと黒っぽいビート感覚がなく、それに同意できないヴィトウスとの間に方向性の相違が生じたためだと様々な所で書かれてきた。ぼくも始めのうちはヴィトウスのソロ作は『Infinite Search』(69) ぐらいしか聴いたことがなかったので、それを真に受けていた。
 しかし、ヴィトウスのウェザーリポート脱退後の第一作『Magical Shepherd』(75) を聴いてみると、これは同時期のウェザーリポートよりもむしろファンキーなビートに溢れているし、Flora Purim の『Stories to Tell』 (74) でもヴィトウスはファンキーな自作曲を演奏したりしている。(とりわけ『Stories to Tell』の「Silver Sword」はヴィトウスがウェザーリポートのどのような部分を作り出していたのかがわかる)
 どうも従来の説は間違っているのだと思うのだが、ではどんな理由で……と聞かれると、わからない。
 この頃のインタヴューではザヴィヌルがヴィトウスをボロクソにケナしていたそうだ。ザヴィヌルはいつも自分と袂を分かったミュージシャンをボロクソにケナす性格なんで意見そのものは信用はしてないが、おそらくこの両者の間に何かあったのだろう。
 そしてヴィトウスに代わって参加するベースのアルフォンゾ・ジョンソンについて。
 ジョンソンは本作から『Black Market』の6曲まで、スタジオ盤でいえば3枚弱の期間ベースを担当した。どうも前任のヴィトウスと後任のジャコの影に隠れている気がして可哀想なのだが、かなりいいベーシストだと思う。エレクトリック・ベースでのソロではジャコには劣るが、ファンキーさにかけてはジャコ以上ではないかと思う。
 ジャコのファンはとりわけジャコの参加がウェザーリポートに変化をもたらしたと思い込もうとするが、実際には『Heavy Weather』(77)まで進む線路はジョンソン時代に築かれていたといっていい。

 1曲目からみていこう。
 "Nubian Sundance"はライヴ盤で聴くと前作に入っていた "Boogie Woogie Waltz" や "125th Street Congress" のようなタイプの曲なのだが、今回は集団即興性を前に出さず、とくにスタジオ盤では大幅にシンセサイザーを導入して、シンフォニックなサウンド効果を狙った曲に仕上がっている。
 曲名「ヌビア人の太陽の踊り」のヌビアとは、エジプトのナイル川から紅海に至る地域のこと。この曲はどういうイメージなんだろうか。ザヴィヌルの演奏には楽しげな躍動感もあるのだが、全体を覆うのは得体の知れない危機感というか、群衆が阿鼻叫喚のうちに破滅していくような、どす黒い空気がある。ザヴィヌルのソロ作には見られない雰囲気があり、やはりショーターの存在感を感じる。
 つづく"American Tango"はそれなりにいい演奏ではあるが、いま一つ何がしたかったのかわからない。ヴィトウス最後の参加作だが、ヴィトウスらしさは感じられず、残念。
 前半で一番いいのは"Cucumber Slumber"。ファンキーなジャム・セッションで、編曲色の強い本作のなかでは"Blackthorn Rose"と並んで異質の、即興演奏中心の曲だ。これは完全に即興のジャム・セッションだそうで、このメンバーの圧倒的な演奏力に魅了される。初参加のアルフォンゾ・ジョンソンのベースも絶好調なら、ショーターのインプロヴァイザーとしての実力も前面に出て、充実した内容だ。
 続くショーター作の表題曲の "Mysterious Traveller" だが、本作を代表する名曲というべきで、イントロ・編曲・演奏の両面でキマりまくっていて、本作からの新路線を代表する曲。また、ジャケットの流星を思わせる効果音もこの曲に入っていて、本作の顔というべき曲だ。アナログ盤ではB面のトップだったので、この曲の収録位置にも意味があったのだが、CD化されて目立たない位置の曲になってしまった。本来ならこっちのB面のほうを先にもってきて、この曲をアルバムのトップに持ってくるべきではないだろうか。
 ただ、この曲の数少ない不満点はショーターのソロが短いことだ。これから……という所で終わってしまう。スタジオ作業での整理のしすぎか。
 続く "Blackthorn Rose" これは多重録音も使っているが、ショーターとザヴィヌルのデュオ。この後のウェザーリポートのアルバムではデュオが1曲ぐらい入っていることが多く、ライヴでも1曲くらい演奏する習慣になっていくようだが、デュオがアルバムに収められたのは本作が初めてだ。
 演奏のほうは基本的には即興だろう。ショーターが全編にわたって繊細で優美なソロを聴かせる。夜闇のなかを飛び踊る妖精のような美しい演奏。
 つづく"Scarlet Woman"は、荒涼たる異境の大地を駆け抜ける風の音とともに、廃墟の向こうから太鼓の音が聴こえてきて、そして突然何者かが……! といったSF的なイメージも感じさせる曲。この後ライヴでもよくとりあげられるナンバーとなる名曲。個人的には即興演奏性が少ないところが少し不満か……。
 ラストの"Jungle Book"はシンセ音楽的なトーン・ポエムで、明るい森のイメージの曲。ショーターは参加してないし、ジャズ的な魅力は感じられない。サウンド自体の雰囲気もむしろウェザーリポート結成前の『Zawinul』(71) あたりに近い気がする。たぶんザヴィヌルがほぼ一人で仕上げたのではないか。この曲はこの後のスパイロ・ジャイラの『Morning Dance』のようなハッピーに美しく軟弱化していくフュージョンの傾向を先取りしているようにも見える。
 さて、さらにボーナス・トラックとして追加されたCDの出た "Miroslav's Tune" だが、これはタイトルどおりヴィトウスの曲だが演奏しているのはアルフォンゾ・ジョンソンだ。これも前作に入っていた "Boogie Woogie Waltz" や "125th Street Congress" の路線で、ファンキーなリズムに乗せて対話的な即興演奏が繰り広げられるナンバーだが、これにストリングスが加えられているのが特徴だ。なかなかよい曲で完成度も高いので、LPに収録されなかったのは単に収録時間の関係からだろうか。しかし、終わりかたは少し唐突。


03.12.3
05.9.26


『ウェイン・ショーターの部屋』

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