ウェイン・ショーター、アルバム紹介 1970年


   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Miles Davis "Big Fun"         (SME)
   マイルス・デイヴィス『ビッグ・ファン』


Disc-1
01、Great Expectations   
02、Ife   
03、Recollections     (bonus track)
04、Trevere        (bonus track)

Disc-2
05、Go Ahead John   
06、Lonely Fire
07、The Little Blue Frog  (bonus track)
08、Yaphet         (bonus track)

   「03」
   Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ss) Chick Corea, Joe Zawinul (elp)
   John McLaughlin (elg) Dave Holland (elb) Jack DeJohnette (ds)
   Billy Cobham (triangle) Airto Moreira (per)    1970.2.6

   「06」
   Miles Davis (tp) Bennie Maupin (bcl) Wayne Shorter (ss)
   Chick Corea, Joe Zawinul (elp) Khalil Balakrishna (el-sitar)
   John McLaughlin (elg) Dave Holland (elb)
   Billy Cobham, Jack DeJohnette (ds) Airto Moreira (per)   1970.1.27


 いちおうショーターが参加しているので書いておくが、これは聴く必要はない。
 マイルスは69年からスタジオで演奏された音をリハーサルを含めて全て録音し、その録音の中から編集作業によっていい部分だけをとり、並べ変えたりしながら一曲を完成させるという方法をとりはじめた。するととうぜん使い物にならない、編集したって曲にならないような演奏も大量に録音されることになる。そんな使われなかったボツ録音を未編集のまま集成したのが本作だ。
 どうせマイルスに無断でレコード会社が勝手にリリースしたんじゃないかと以前は思っていたのだが、マイルスの自伝を読むと、けっこう嬉々として本作のことを語っていて、そうでもないらしい。確かにリリース時期を考えればコロンビアもそうマイルスに嫌がらせのようなこともしたとは考えにくい。
 以前は、マイルスというミュージシャンは、アルバムを一枚一枚丁寧に作るんで、駄作の少ない人だという定評があったようだが、そうでもなかったのか。
 どちらにしろ、マイルス作品には駄作は少ないという定評は、マイルス自身が晩年にしょうもないアルバムを作ったのと、マイルスの意志とは無関係に、しょうもない録音がたくさん発掘・リリースされたことによって、もう既に完全に覆されてしまっている。いまやマイルスはもっともハズレを掴まされる可能性の多い、玉石混合のミュージシャンになってしまった。
 ちなみに本作の現在のCDには新たに4曲がプラスされているが、何曲増えようが、どれも聴く必要のない録音ばかりなので、意味はない。
 ちなみにショーター参加の曲は"Lonely Fire"と、追加分の中では"Recollections"の計2曲。





『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Miles Davis "Live Evil"         70.2.6 /     (SME)
   マイルス・デイヴィス『ライヴ・イーヴル』


01、Sivad   
02、Little Church   
03、Medley: Gemini / Double Image
04、What I Say   
05、Num Um Talvez   
06、Selim   
07、Funky Tonk   
08、Inamorata   

     「03」
    Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ss) Chick Corea, Joe Zawinul (elp)
    John McLaughlin (el-g) Dave Holland (el-b) Khalil Balakrishna (el-sitar)
    Jack DeJohnette, Billy Cobham (ds) Airto Moreira (per) 1970.6.2


 いちおうショーターも参加しているので書いておくが、本作はショーターめあてに聴くアルバムではない。しかし『Big Fun』(70) と違って、本作自体は聴いてソンというアルバムではない。
 説明すると、本作はスタジオ録音4曲とライヴ録音4曲の計8曲が収録されているが、ライヴ録音部分のほうが演奏時間が圧倒的に長い。本作はこのライヴ録音部分を聴くためのアルバムだ。
 ショーターが参加するのはスタジオ録音部分のうち1曲だが、このスタジオ録音部分は『Big Fun』と同様、『Bitches Brew』(69) あたりに録音されて、そのままボツ・テイクとして眠っていたものを、ライヴ録音の曲と曲のつなぎみたいなかんじで収録したもので、はっきりいってこれを目当てに聴くようなシロモノではない。(詳しくは『Big Fun』の項参照)

 ま、それで終わりにするのも何なんで、ショーター不参加だが、ライヴ部分について少し書いておく。
 本作は『Bitches Brew』以後、『Black Beauty』(70)『Live at The Fillmore』(70) 本作、そして『Dark Magus』(74) 『Agharta』(75) 『Pangaea』(75) と続く70年代のマイルスを代表するライヴ物の一枚だが、単純にいってしまえば、これらのライヴ物、ショーター在籍末期のライヴ、『1969 Miles』(69) や『Fillmore East』(70) あたりを聴いておけば、音楽コンセプト的には基本的には同じ路線だ。
 もちろん微妙に変化していく部分はあるが、マイルスが目指しているサウンドの方向性は『Bitches Brew』以後ずっと同じだといえ、アルバムごとの音楽内容的な変化は期待できない。
 それでもだいたいに分けていうなら、ショーターがやめて以後、70年と71年までが一区切りでき、バンド・メンバーが一新された『Dark Magus』『Agharta』『Pangaea』がまた一区切りできる。
 さて、本作等70年半ば以後の時期のマイルス・バンドはというと、同じ70年録音でもショーター在籍時のような、いまにも何かがおきそうなダークな魔力みたいなものはスッパリと消え去っていて、軽快で健康的でスピード感のある、ロック的な雰囲気が特徴だ。例えば70年代のフランク・ザッパのバンドのような、インプロヴィゼーション性の強いロック・バンドのライヴ盤を聴くような感覚で聴ける。
 そしてメンバーを一新した『Dark Magus』(74) 以後のマイルス・バンドは再び怪しげなパワーを取り戻し、混沌・過激なサウンドでマイルス・バンドの70年代を締めくくるのだが、それは既にチックの『Return to Foever』(72) が新しい時代の扉を開いてしまった後であり、あいかわらず混沌・過激を指向するマイルス・バンドの大作主義は時代遅れになってしまっていた感が強い。

 さて、本作の聴きどころはこの後70年代を通してマイルス・バンドを支えていくベースのマイケル・ヘンダーソンの初参加という点もあるが、やはりキース・ジャレットとジョン・マクラフリンの二人の共演というのが一番大きいだろう。この顔ぶれは本作以外にないのではないか。
 ただし70年代もマイルス・バンドの方法は、順番にソロを演奏して交代していくという古典的な方法なんで、ウェザーリポートの集団即興のように、キースとマクラフリンの演奏が互いを対話を交わしながら高みに上っていく……という風にはならない。交代でソロを演奏するだけだ。 また、キースやマクラフリンがマイルス・バンドのサウンド自体に影響を与えているというようなこともない。70年代マイルス・バンドのサウンドの基本コンセプトは『Bitches Brew』でザヴィヌルが作り上げたサウンドのままである。
 ということで、本作の聴きどころは、めずらしくエレピを弾くキースや、マイルス・バンドをバックにしたマクラフリンのソロ演奏そのものということになるだろう。それに、メッセンジャーズでもマイルス・バンドでもショーターの後任であるゲイリー・バーツも好演してるし。


04.1.1


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   McCoy Tyner "Extensions"       (Blue Note)
   マッコイ・タイナー『エクステンションズ』


01、Message from the Nile
02、The Wonderer
03、Survival Blues
04、His Blessings

      Wayne Shorter (ts,ss) Gary Bartz (as)
      McCoy Tyner (p) Alice Coltrane (harp)
      Ron Carter (b) Elvin Jones (ds)  1970.2.9


 前回ショーターが参加したタイナーのアルバム、『Expansions』(68) とタイトルが似ているが、これは『Extensions』のほう。アフリカをテーマにした大らかでゆったりした音楽になっている。
 伝統的な編成でのアコースティック・ジャズはショーターにとって本作が一応の終わりで、以後VSOPまで無くなる。
 メンバーではエルヴィン・ジョーンズとの64年以来の共演が目につく。特にタイナーとエルヴィンの2人が揃うと何ともいえない感慨にとらわれる。 "The Wonderer" はショーターがテナーを持ち、バーツとの2管で久々のストレート・アヘッドなジャズを演奏している。まるで64年が戻ってきたような熱演だ。
 しかしこの "The Wonderer" 以外の3曲ではかなりサウンド作りに工夫をこらされ、伝統的なアコースティック・ジャズから踏み出した内容になっている。アフリカ風というかオリエンタルというか、独特の雰囲気のある演奏で、アリス・コルトレーンのハープが効果をあげ、広がりのある大地を思わせるサウンドで、駆け抜ける風を頬に感じそうな生々しさを感じる。タイナーの新境地といっていいのかもしれない。
 『Expansions』の "Song of Happiness" と似たタイプの "Message from the Nile" など、それぞれの曲でショーターも魅力のあるソロをとっているが、 "The Wonderer" 以外のショーターの聴きどころはラストの "His Blessings" でのソプラノでのソロだろう。ショーターのイマジネーションあふれる自由自在な演奏が美しい。


04.1.10


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Miles Davis "Live at The Fillmore East,70"     (SME)
   マイルス・デイヴィス『ライヴ・アット・フィルモア・イースト』


Disc-1
01、Directions
02、Spanish Key
03、Masqualero
04、It's About That Time / The Theme

Disc-2
05、Directions
06、Miles Runs the Voodoo Down
07、Bitches Brew
08、Spanish Key
09、It's About That Time / Willie Nelson

     Miles Davis (tp) Wayne Shorter (ss,ts) 
     Chick Corea (elp) Dave Holland (b)
     Jack DeJohnette (ds) Airto Moreira (per)   1970.3.7


 キース・ジャレットが入った『at The Fillmore』(70) と間違えやすいタイトルだが、こちらは『Live at The Fillmore East』。マイルスの死後発掘された2枚組ライヴ盤だ。音質は、こういった発掘ものなら、こんなもんだろう……という程度で、めちゃくちゃ悪くもないが、『1969 Miles』のようにオフィシャル並みというわけにはいかない。
 本作からパーカッションが入り、リズムが強化されて、より直線的にグイグイ進んでいくようになった。それにこのアルバム、エレクトリック・マイルス・バンドのある面の頂点だ。
 どの面の頂点かというと、いまにも何かがおきそうな、ダークなオドロオドロしい不気味な緊張感である。このすぐ後のショーターはマイルス・バンドを離れるが、ショーターが離れた以後の『at The Fillmore』(70) や『Live Evil』(70) といったライヴ演奏からはこういったダークな不気味さはきれいに消えうせて、軽快でスッキリしたサウンドになり、ロック的なノリが出てくる。
 この変化はなぜなんだろうか。
 68年以後はマイルス・バンドにおいてのショーターの影響力は弱くなり、サイドマンの一人としての役割しかしていなかったと見るのが従来の一般的な見方のようだが、そうだとするとなぜショーターが抜けると同時にこうもバンドの雰囲気が変わるのかが分からない。やはりショーターの不在がバンド全体のサウンドにも影響を与え、バンド・サウンド全体が軽快なものに変化したと見るべきではないか。
 当時のマイルス・バンドでショーターがどんな役割をしていたのかはわからないが、少なくともまだバンドのサウンド全体に影響を与える存在ではあったようだ。
 とうことで、本作に満ちたダークで不気味な雰囲気のその後を聴きたいのならば、同時期のショーターのソロ作やウェザーリポートの第一期のアルバムへと聴きすすんでいかなければならない。
 しかし、マイルスは本作の後一度は失ってしまったこのダークなパワーを取り戻したいと思っていたのではないだろうか。『Dark Magus』(74) から『Pangaea』(75) へ続くライヴ盤のサウンドを聴くと、そう感じる。

 さて、本作の価値の一つは、ショーターのマイルス・バンドでの最後期の演奏が聴けるという所にある。
 だが、録音のせいか、ショーターのサックスの音が目立たなくて、マイルスはおろか、チック・コリアのエレピの音と比べても、輪郭のハッキリしない、埋もれた音になってしまっている。とくにテナーの音がぼやけて、埋もれている。マイクがオフ気味のような気もする。
 そのため、最初に本作を聴いた時は、とにかくマイルスのトランペットばかり大音量で、他のメンバーの演奏が印象に残らないかんじだった。各曲ともマイルスが最初のソロを、かなり延々と長くとっている点もある。ショーター中心に聴くにはやはりマイルスのソロをカットしてみるのが良い。
 さて、そうしてマイルスのソロをカットしてみて初めて気づいたのだが、録音的な問題点を多少我慢しながらショーターの演奏を聴いてみると、ここでのショーターの演奏はかなり凄い。より強力になったバックのリズムを受けて、これまでになくハードにブロウしている。とくにテナーでの転がり、叩きつけるような暴れ方がすさまじく、ハッキリいってマイルスの数倍凄い演奏だ。
 ショーターはふだんはレスター・ヤングの流れの、あまりブロウしないスタイルを身上としているし、この後は対話型のアドリブを追求していくので、このようにモノローグ型の暴れまわったソロは貴重だ。普段は暴れないショーターも、その気になればマイルスなんて目じゃないことを示している。

 さて、一方のマイルスだが、この頃になるとメロディよりも音そのものをぶつけていくような、パーカッション・ライクな奏法がいよいよ強化されてくる。この頃以後のマイルスの奏法を評して「音楽を超えた、魂の叫びともいうべき奏法」と書いてあったのをどこかで読んだおぼえがあるが、ある種言い得て妙である。音楽を超えているとも、魂の叫びだとも思わないが、音楽ではない別のものになってくのは確かだ。これは60年代後半のフリージャズの絶叫型演奏とも通じるものだ。
 もちろんサウンド的には違うものだが、奏法的にみると、70年代前半のライヴ盤のマイルスは、60年代後半のフリージャズの絶叫型演奏を5年遅れでやってるように見えるのは、ぼくだけなんだろうか。なにか、フリー時代のコルトレーンが音楽以外のものを大いに含みながら熱狂していった過程とよく似ているような気がするのだ。
 個人的にはこのような音楽ではなくなってしまったパフォーマンスは、ライヴ会場で聴いたら大いに盛り上がるとは思うのだが、CDで繰り返し聴きたいとは思わない。ドラム・ソロをCDで繰り返し聴きたいとは思わないのと同じ理由だ。マイルスの「音楽ではなくなってしまったもの」ではなく、やはり「音楽」が聴きたい。
 やはり、「非音楽的・絶叫スタイル」に向かってくマイルスよりも、「音楽的・非絶叫スタイル」でありつづけるショーターのほうが、ぼくには好みのようだ。


03.4.26


『ウェイン・ショーターの部屋』

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   Wayne Shorter "Moto Grosso Feio"     (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『モト・グロッソ・フェイオ』


01、Moto Grosso Feio    
02、Montezuma    
03、Antiqua    
04、Vera Cruz    
05、Iska

     Wayne Shorter (ss, ts) Dave Holland (ac-g, b)
     John McLaughlin (12 string-g) Miroslav Vitous (b)
     Ron Carter (b, cello) Chick Corea (ds, mar, per)
     Michelin Prell (ds, per)         NYC, 1970.4.3


 ショーターの全アルバムのなかでも、もっとも完成度の高い“世界”をもった傑作のうちの一枚だ。しかし、演奏自体には粗々しさがあり、それもわざと狙ってそうしている。
 本作は『Super Nova』に始まる三作の中では二番目に録音され、三番目にリリースされた。三部作の三番目ということで、どちらかというと目立たない位置におかれた感じがある。けれど、これは傑作であるというだけでなく、ショーターの音楽の流れを見ていくうえでも重要な位置を占めたアルバムだ。
 だいたい、この三部作。楽器の編成がわりと似ているというだけで、音楽の内容はかなり違う。あまり三部作とまとめてはいえない作品なのである。
 さて、本作の内容だが、ここで初めてブラジル音楽の要素がアルバム全体のコンセプトとしてあらわれてくる。ショーターにとってブラジル等、南国の音楽・リズムに対する指向は最初からあったことは、活動の初期の『Africaine』(59) の表題曲を見ても確認できるし、前作『Super Nova』(69) にも"Dindi"があった。しかし、この路線が本格的に追求されていくのは70年代半ばからの『Native Dancer』(74) から、『Tales Spinnin'』(75)『Black Marcket』(76) 等と続いていく一連の作品によってだ。本作はその前哨戦といっていいかもしれない。
 その『Native Dancer』以後の作品と本作を比べてみると、『Native Dancer』が楽しげで心地よい色に染まっているのに対して、本作はたまらなく寂しげである。爽やかな広がりはあり、かぎりなく美しいが、はかないような悲しいような気分がある。物憂い風と土の匂いがし、それが幻想的な物語的な雰囲気で包みこまれている。
 遠い国の物語……といった語り出しにも似たオープニングにはじまり、遥かな、広大で風が吹きわたる世界と、どこまでも続く土の道が目の前に、大きなスクリーンのように浮かんできて、その世界を一人ぼっちで旅しているような、孤独感にも似た響きがあらゆる場面で聞こえてくる。
 不思議な世界への旅……といったものをテーマにしたCDを見つけると、わりと買ってしまったりする。たいがいは聴いてみてガッカリするのがオチなのだが、このアルバムなんかはぼくにとって理想的な、不思議な世界の旅の音楽だという気がする。
 すごくさびしい旅だけど。

 また、メンバー編成的にも奇妙だ。チック・コリアにドラム/パーカッション/マリンバを、デイヴ・ホランドにギターを、マクラフリンには12弦ギターをと、わざと使い慣れてない楽器を使わせ、ドラムスには当時19歳の女の子を起用している。
 なぜこのようなことをしたのか。これはぼくの推測でしかないが、たぶん慣れたテクニックが前面に出て、無意識的に手が動いていってしまうような手垢にまみれた演奏を避け、初めて楽器に触れたような、新鮮な気持ちで一つ一つの音を出していくような、素朴な演奏をしてほしかったんではないだろうか。


 まず、前半の2曲が本作の世界を描きつくしている部分で、いいようもなく素晴らしい。
 まず一曲目の"Moto Grosso Feio"。鬱蒼としたジャングル。その中を漂う物憂い空気の描写からはじまり、激しい雨の到来。そして、すうっと細く続く道が見えてくる……そんな情景が見えてくる。やがてゆっくり旅がはじまり、進むほどに旅のペースは上がっていく。
 つづく"Montezuma"も、なんともいいようのない雰囲気を持つ曲。寂しいような、はかないような、遠い遥かな大地や空気を思わせるような。果てしない旅のような音楽だ。
 この前半部の世界、まさにショーターにしか求められないような世界で、大好きだ。
 後半に入ると、前半で描き出された世界の、さらに奥の暗い領域へと入りこんでいく旅が始まる。
 まず"Antiqua"は即興演奏性を前面に出した、ジャム・セッション的な味わいもかんじられる演奏で、曲も短い。アクセント的においたのではないか。
 つづく"Vera Cruz"はミルトン・ナシメントの曲のカヴァー。4年後の『Native Dancer』(74)へ続く流れを感じさせる。演奏はミルトンの原曲の軽快で爽やかな雰囲気とは違い、ぐっとテンポを落として完全にショーターの音楽、それも本作の世界になっている。
 ラストの"Iska"は本作を締めくくる傑作。一気に抽象的な世界に入りこんでしまったような、神秘的な、怖いような雰囲気から始まり、ショーターのサックスの音が、かろうじて音楽をこの世につなぎとめているような感じ。リズムも定型を刻まず、かなりフリーっぽい味もかんじられる。

 やはり何度聴き返しても、名作だ。


03.5.9


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   Wayne Shorter "Odyssay of Iska"   (Blue Note)
   ウェイン・ショーター『オデッセイ・オブ・イスカ』


01、Wind
02、Storm
03、Calm
04、De Pois do Amor, O Vazio (After Love, Emptiness)
05、Joy

     Wayne Shorter (ts,ss) Dave Friedman (vib,marimba)
     Gene Bertoncini (g) Ron Carter, Cecil McBee (b)
     Billy Hart, Al Mouzon (ds) Frank Cuomo (per,ds)   1970,8,26


「イスカとは風のこと。それは通り過ぎ、跡も残さずに去っていってしまう。想像してごらん、風が生まれた時のこと。風はかたちのない魂をもって、時間と空間を旅してく。そして出会う、人間とその終わりのない旅の現実と幻想に……」
 ライナーノーツでショーターは本作のコンセプトについて、こんなかんじに書き出している。これまでのブルーノートのショーターのアルバムでも、ショーターがインタビューに答えてアルバムや収録曲のコンセプトを説明している例はあったが、まとまった量の文章を自ら書いているのは本作ぐらいではないか。
 それだけ本作がコンセプト・アルバムとして完成され、ショーター自身もその完成度に満足していたということだろう。
 しかしこの文章、ほとんど散文詩に近く、ぼく程度の英語力だと難しい単語が多すぎて、大意を読みとるのも難しい。ショーターはかなり読書家なのではないかと思う。だいたいの意味ば、風に象徴させた生命の移り変わりと終わりなき旅……がコンセプトだといってしまっていいのだろうか。詳しくは原文をあたってほしい。
 そしてこの「風」というイメージが「ウェザーリポート(天気予報)」というバンド名に続いていき、「旅」のイメージが例えば「Mysterious Traveller」といったアルバム名へと続いていく。

 本作は『Super Nova』からの3部作の最終作。3作のなかではもっともバランスのとれた出来で、完成度が高い。もし、この3作のなかでとりあえず1枚聴いてみたいというのなら、本作から入るのがいいと思う。
 ショーターがぎりぎりジャズの枠内で最も遠くまで来た作品ともいえるので、狭義のジャズ・ファンの中には本作をショーターの最高作とする意見も多い。
 が、ミュージシャンが自分の理解の枠内から外れ、自分の好きでない方向に進んでいったからといって否定する意見は個人的に嫌いだ。やはり本作はショーターの最高作ではなく、ショーターの作った素晴らしいアルバムのうちの一枚とするのが妥当だろう。それに野心的な広がりは3部作のなかで最も少なく、小さくまとまった作品ともいえそうだ。
 メンバー編成は打楽器3人、ベース2人とリズム・セクションが増強され、ギター、ヴァイヴもたいていの場面でリズム・セクションの役割をしている。つまりはほとんどショーター以外全員リズム・セクションといっていい編成で、8人編成のワン・ホーン編成といっていいかもしれない。
 とくにアナログ盤A面にあたる前半3曲は、完全にショーター以外の楽器はソロをとらない。
 こういった独奏者+リズム・セクションという編成で即興演奏の限りを尽くすというのは、コルトレーンが晩年のある時期理想としたスタイルなのかもしれない。しかし、そこはショーターであって、作品全体のコンセプト性の中で世界を描き出していくような演奏であり、コルトレーンのような一瞬の演奏行為の内に完全燃焼していくようなスタイルはとらない。
 やはり、本作は非常に高い完成度をもった作品ではあるが、完成度が高いがために、ショーター作品としてはこのスタイルの限界を示しているような面もあるような気がする。そのことがショーターをこの後、集団即興という方法や、さらなる編曲性の重視、ウェザーリポート結成へと進ませたんではないかと思うのはぼくだけだろうか。
 とはいえ、なんといっても これは凄い作品だ。ジャズが生んだ最高傑作の一つであることは、まず間違いないだろう。

 曲を聴いていってみよう。まず、アナログ盤A面にあたる前半3曲、"Wind(風)"、"Storm(嵐)"、"Calm(凪)" は完成された流れをつくっている。大気の神秘的な揺らぎのなかから、しずかに風がうまれ、しだいに育っていって嵐となり、そして美しい凪へと、生命の移り変わりと旅の物語が、ショーターのサックスによって描かれていく。この3曲はソロ楽器はかんぜんにショーターのサックスのみにしぼられていて、ショーターのソロと、それを支える伴奏……という感じに、ある意味、静的に完成された音楽だと思う。
 後半最初の"De Pois do Amor, O Vazio(愛の後の空虚さ)" は本作中唯一のカヴァー曲。ボサノバ調のやわらかな曲で、息抜きのような感じもするが、完成度は高い。ショーターはリズムにのって、ある意味風のようなソロをとるが、ギターのソロ・パートもあり、たのしげなセッションでもある。
 そして "Joy" が組曲の最後の曲となるが、ここではあきらかに前半3曲とちがい、ショーターとリズムセクションのあいだに緊張感のある対話性が取り入れられている。ゾクゾクとする、本作の山場だ。前半の完成された物語風の演奏にとどまらず、さらに即興演奏として前進していこうとするショーターの意志が感じられる。このあたりから続くウェザーリポートでの「集団即興」という方法に続いていくのかもしれない。


03.11.14


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   Joe Zawinul "Zawinul"      (Atlantic)
   ジョー・ザヴィヌル『ザヴィヌル』


01、Doctor Honoris Causa  
02、In a Silent Way  
03、His Last Journey  
04、Double Image
05、Arrival in New York  

       「04」
     Woody Shaw (tp) Hubert Laws (fl) Wayne Shorter (ss)
     Joe Zawinul, Herbie Hancock (elp) Walter Booker, Miroslav Vitous (b)
     Joe Chambers, Billy Hart, David Lee (ds) Jack DeJohnette (per)      1970.10.28


 ウェザーリポート結成の直前に録音されたザヴィヌルのリーダー作。ショーターは一曲のみ("Double Image")に参加。だが、本作はショーターの演奏を期待して聴くアルバムではない。ショーターはたいしたソロをとってない。ショーター・サイドから本作を聴くなら、むしろヴィトウズの『Infinite Search(限りなき探究)』と並べて聴いて、この二人の個性を理解し、初期のウェザーリポートでの三人の役割をみるために聴くものだろう。
 さて、その"Double Image"でショーター、ザヴィヌル、ヴィトウズの3人が揃うせいか、ウェザーリポートと関連づけられて紹介されることの多いアルバムで、本作の音楽を発展させたのがウェザーリポートだという評まで読んだことがあるが、それは間違いだ。たしかに1st『Weather Report』(71)の中の3曲など、本作の素直な発展形といえるものもあるが、本作で見られる音楽はウェザーリポートの音楽を構成する一要素と見るのが正しい。
 むしろ何の予備知識もなしにこれを聴けば、マイルスの『In a Silent Way』(69)との類似を感じるのが正常ではないか。ぼくも、それまで疑問だったマイルスの『In a Silent Way』が、実質的なリーダーはザヴィヌルのアルバムだったんだと本作を聴いてわかった。
 ただし、雰囲気は似ていても、やはり違いがある。それは本作にはジャズ色が希薄であり、各奏者がソロで即興演奏する部分が少なめな点だ。逆にいえば、その部分が『In a Silent Way』においてマイルスがザヴィヌルの音楽を取り入れながらも、ゆずらなかった部分だったのだろう。
 
 さて、本作はどういうジャンルの音楽といえばいいのか。ジャズ・バンドを使ったクラシック音楽の作品のようでもある。『In a Silent Way』(69)の項で書いたとおり、ザヴィヌルもマイルスも「トーン・ポエム」という言葉を使っているんで、この言葉を使わせてもらう。
 この「トーン・ポエム」という名称はクラシックの「交響詩」というのと似たようなニュアンスなんだろうか。ライナーに「二台のエレクトリック・ピアノとフルートとトランペットとソプラノ・サックスフォーンと二台のコントラバスとパーカッションのための音楽」とある。クラシックの現代音楽の作曲家、バルトークの有名曲に『弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽』とか『二台のピアノと打楽器のためのソナタ』というのがあるが、このへんのセンスではないか。やはりクラシックの教養が基礎となってる人のようだ。
 ザヴィヌルは演奏者として前面に出てくるよりは、作編曲者として音楽全体を作りあげていく。考えてみれば、マイルス・バンドでの彼の役割もそういったものだったんだが。
 全体的にサウンド指向が強く、オーストリアの冬の空気を思わせる、透きとおって寒い、牧歌的な、大自然の中にいるような雰囲気に満たされている。このへんは『In a Silent Way』とよく似ている。ぼんやりとしたサウンドの霧の中から情景(音楽)が静かにあらわれてきて、けぶるような風景の中を各奏者のソロがゆっくりと通り過ぎているようだ。"In a Silent Way"の出だしなど、『In a Silent Way』での同曲にはなかった美しい音の響きにハッとさせられる。
 各曲については簡単な説明がついている。例えば、"In a Silent Way"は「ザヴィヌルが牧童をしていた少年の日々の印象」。"His Last Journey"は「寒い冬のオーストリアの山村での祖父の葬式の思い出」。"Arrival in New York"は「ザヴィヌルが少年の頃、フランスから船でアメリカに着いた最初の印象」……といった感じ。ザヴィヌルがこれまでの人生(少年時代〜アメリカに渡ってくるまで)をサウンドスケープで振り返っているよう。


03.6.9


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