ウェイン・ショーター、アルバム紹介 2000年-現在



   『』この色で表記されたタイトルは、ショーター不参加の曲です。





   Joni Mitchell "Both Sides Now"     (Reprise)
   ジョニ・ミッチェル『ある愛の考察 〜青春の光と影〜』


01、You're My Thrill   
02、At Last   
03、Comes Love   
04、You've Changed
05、Answer Me, My Love
06、A Case of You
07、Don't Go to Strangers   
08、Sometimes I'm Happy   
09、Don't Worry 'Bout Me
10、Stormy Weather   
11、I Wish I Were In Love Again   
12、Both Sides Now

    「04」〜「06」「09」「12」
    Joni Mitchell (vo) Wayne Shorter (ss,ts)
    Chuck Berghofer (b) Peter Erskine (ds) 
    Vince Mendoza (arr, cond)with Orchestra /他   2000リリース


 ジョニ・ミッチェルによるスタンダード曲集。ここではジョニの自作曲は旧作の2曲のみ、あとはジャズでもおなじみのスタンダードばかりを、ボーカリストとして歌っている。曲順は、並べて聴くと歌詞の内容が一つの愛の始まりから終わりまでを描いた物語風の内容になるように工夫されている。
 ジョニ・ミッチェルというと、あくまでシンガー・ソングライターのイメージが強くて、実力派のボーカリストというふうには思ってこなかったのだが、認識をあらためたのが、ハンコックの『Gershwin's World』(98)での"The Man I Love"、"Summertime"の歌唱だ。おそらくジョニ自身もここでスタンダードを歌ってみたことで、新しい自分の要素に気づいたのだろう。その経験が本作をつくる契機となっているのはあきらかで、ハンコックも本作にはゲスト参加している。

 そこまではいいとして、好き嫌いが分かれると思うのは、これに大編成のオーケストラやビッグバンドの伴奏をつけたことだろう。
 この編曲はヴィンス・メンドーサの編曲・指揮によるクラシック風のガッチリとスコアを作るタイプのものなんで、個人的にはギル・エヴァンス系のジャズ的な集団即興スタイルのオーケストラ・アレンジのようには興味は引かれず、かならずしも好みではない。
 けれど、個人的好みをおさえていえば、やはりこれは立派な作品になっていると思う。オーケストラ・バックのジャズ系のボーカル・アルバムを聴いていると、編曲にムード音楽的な甘ったるさを感じてしまうものが多いのだが、本作にはそれがない。それにオーケストラが鳴りすぎでうるさくなってしまうこともなく、広がりのあるサウンドでボーカルを包み込んでいる。かなりの成功作なのではないだろうか。しかし、次の『Travelogue』(02)を聴いてしまうと、まだまだ……という印象もあるのだが。
 とくに夜中などに静かに聴いているとサウンドの広がりがかなり心地良い。

 さて、ショーターは上記5曲に参加している。
 ショーターのサックスはボーカルのバックで吹いて、ボーカルの感情をより増幅する働きをしたり、中間部ではソロを吹いたりと、いつも通りの好演。とくに "Answer Me, My Love" の中間部での夜空から光が降ってくるようなソロが印象的だ。
 また、個人的にはオーケストラ・アレンジという点でむしろおもしろかったのは、スタンダードよりむしろ自作の旧曲を2曲、このアレンジで録音し直していることだった。いづれも初期の弾き語り時代の作品で、オリジナル・アルバムでは30年も前に録音された曲となる。
 30年たったジョニがこの2曲が選んだと思うと、まったく同じ曲でも歌詞に別の重みが加わって聴こえてくる気がする。
「二人の愛が終わる少し前、彼はいった『きみはまるで北極星のように変わらないね』 私は答えた『ずっと変わらずに暗闇の中にいるってこと?』」と歌い出す "A Case of You" もいいが、"Both Sides Now"という曲、ジョニが二十歳そこそこの頃作った曲のはずだが、驚くほどいい歌詞の曲だ。ただし本作の日本盤に付いてる訳詞は最低だ。(自作の翻訳を載せたいところだが、歌詞関係は著作権がきびしいそうなんで、やめておく)


04.1.9


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter "Live at Monterey 2000"     (MegaDisc)


01、Masquelero
02、Aung San Suu Kyi
03、JuJu
04、Orbits (with Monterey Chamber Orchestra)
05、Angola (with Monterey Chamber Orchestra)
06、Vendiendo Alegria (with Monterey Chamber Orchestra)

    Wayne Shorter (ts.ss) Danilo Perez (p)
    John Patitucci (b) Brian Blade (ds)
    Alex Acuna (per)
       Live at Monterey Jazz Festival 2000.9.17


 ブートCDRで、音質は若干こもり気味だが、充分に高音質といえるレベルだろう。収録時間は62分半ほど。
 これは何より後にウェイン・ショーター・カルテットとなるバンドの最初期の演奏を収録したものとして興味深い。『Footprints Live』が2001年7月の録音なので、それより一年近く前の録音だ。さらに後半の3曲には Monterey Chamber Orchestra(モントレー室内管弦楽団とでも訳すのか)というオーケストラが加わっており、こちらは『Alegria』の前段階だろう。実際、演奏曲も前半3曲はすべて『Footprints Live』に収録され、後半3曲は『Alegria』に収録されている。
 さて、そのバンドだが、この時点ではアクーニャのパーカッションが加わったクインテットを考えていたことがわかる。エレクトリック/アコースティックを別にすればウェザーリポートと同じ楽器編成であり、またウェザー解散後のショーターの最初のレギュラー・バンド(87年のバンド)もこの楽器編成だった。ショーターにとってこの編成は愛着のあるものなのかもしれない。とすると、ウェザーリポートがずっとこの編成を続けたのはショーターの意向だったのだろうか?
 さて、そのクインテットの演奏を聴いてみると、ウェザーリポート的にパーカッションがリズムを増強するタイプの演奏は、成功していないと思う。カルテットの繊細な対話性から生まれてくる音楽を、こんなふうにリズムのノリが、むしろ汚してしまっている気がする。前半で良いのは "Aung San Suu Kyi" で、ドラムとパーカッションがギクシャクしたかんじのリズムを生み出しているのがおもしろい味になっている。
 ということでレギュラー・バンドからはパーカッションが抜けてカルテットになり、アクーニャは『Alegria』のほうに曲によって参加するのみになったが、この判断は正しかったと思う。
 後半のオーケストラ入りの演奏も含めて、結論をいっていまえば、どの曲も結局は『Footprints Live』や『Alegria』のバージョンが良いということなる。それを確認するためのアルバムといってしまえば、それまでだ。
 でも、ショーターの場合、このような途中経過みたいな演奏が出てくることは珍しいので、やはりこれはこれで聴いて良かったと思える演奏だった。


09.3.12


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Mucus Miller "M2"        (Telarc)
   マーカス・ミラー『M2』


01、Power  
02、Lonnie's Lament  
03、Boomerang  
04、Nikki's Groove  
05、Goodbye Pork Pie Hat  
06、Ozell (interlude 1)  
07、Burning Down the House  
08、It's Me Again  
09、Cousin John
10、Ozell (interlude 2)  
11、3 Deuces  
12、Red Baron  
13、Ozell (interlude 3)
14、Your Amazing Grace  

    「09」
    Mucus Miller (b,b-cl,key) Wayne Shorter (ss)
    Hubert Laws (fl) Paul Jackson,Jr.(Dobro)
    Poogie Bell (ds) Mino Cinelu (per)
    Larry Corbett (cello) Mathew Funes (viola)

    「13」
    Mucus Miller (b,b-cl,ts,g,ds-prog,key)
    Wayne Shorter (ss) Mino Cinelu (per)
                        2001.3 


 豪華ゲスト多数参加のマーカス・ミラーのアルバム。以前の『The Sun Don't Lie』(93)で、ゲストを生かせる人ではないことはわかっているのだが、もしかしたらを期待してしまうのがファンの悲しいところ。
 結果は、ショーターに関しては見事予想通り、期待外れ。
 しかし、作品そのものの雰囲気としては『The Sun Don't Lie』より本作のほうが好きだ。夕暮れの大都会のような香りがある。あまりに整然として、スタジオで繋ぎ合わせて作ったのがミエミエの『The Sun Don't Lie』に対し、本作はもっと自然なグルーヴがある。
 しかし、ショーターに関しては期待してはいけない。
 本作のショーター参加作は2曲。
 "Cousin John"はつねにベースがリードをとる曲で、ショーターは歌伴ものと同じかんじで吹いていて、前へは出てこない。まあ、これも得意な演奏スタイルではあるんで、そう思って聴けばいい演奏ではるのだが。
 もう一曲の"Ozell (interlude 3)"は1分ほどの短い曲。"Cousin John"よりは幾分前へ出ている感じではあるが、いかんせん短い。
 これも、あくまでミラーの演奏・編曲を聴くアルバムだ。ゲストの演奏を期待してはいけない。


03.3.14


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Herbie Hancock "Future 2 Future"       (Verve)
   ハービー・ハンコック『フューチャー2フューチャー』


01、Wisdom  
02、Kebero Part 1  
03、The Essence  
04、This is Rob Swift  
05、Black Gravity  
06、Tony Willams
07、Ionosphere  
08、Alphabeta  
09、Be Still
10、Virtual Hornets
11、Kebero Part 2  
12、The Essence (Dj Krush Remix)  (bonus track)  

   「06」「09」「10」
   Wayne Shorter (sax)  Herbie Hancock (key)
   Bill Laswell (eb)  Tony Willams (dr-6)
   Jack DeJohonette (dr-9.10)  Charnett Moffett (ab-9.10)
   Imani Uzuri (vo-9)  Dana Bryant (vo-6)    2001


 ハンコックがビル・ラズウェルと組んだ作品としては、80年代にジャズとヒップホップの融合を試みた『Future Shock』(83)『Sound System』(84)『Perfect Machine』(88)に続くものだが、聴いた印象はまったく違う。
 今回はヒップ・ホップにかわり、デトロイト・テクノとかドラムン・ベースといったクラブ系の音楽との融合ということだが、ぼくはそのへんの所は不案内なので、よくわからない。
 それともう一つ、本作は後半部の6、8〜10曲めでは、むしろ通常のアコースティック・ジャズに近い編成で演奏している。(キーボードとエレキ・ベースを使用してはいるが)
 このクラブ系の曲と、ジャズ系の曲の部分が、本作ではまったく違和感なくシームレスにつながっていて、統一感のあるアルバムになっている。ここに『Future 2 Future』というタイトルに込められたハンコックの意図があったと、とりあえずはいえそうだ。

 さて、本作の魅力、ハンコックが最も工夫をこらした部分は、ここでもやはりリズムだといえるだろう。しかし80年代の3作の躍動感のあるリズムとは違い、ここでは独特の浮遊感のある、スピーディーでなめらかなリズムが特徴となっている。
 ヒップホップ系の部分はドラム、プログラミング、ターンテーブルなど5人のミュージシャンを起用して、1曲ごとに変えたり、組み合わせてみたり、いろいろ試行錯誤しながら浮遊感のあるリズム作りりを楽しんでいるように見える。
 ジャズ系の部分は故トニー・ウィリアムスの遺したテープを編集したものと、他はジャック・デジョネットが叩いている。これらジャズ編成の部分でもハンコックは自身の即興演奏は前面にださず、むしろリズムを押し出すようにしている。
 ショーターの参加している3曲はすべてジャズ編成の曲で、本作の楽器チームでは唯一ソロらしいソロ(メロディ)をとっているようだ。しかし、ショーターはもともとリズムをズラしながらメロディを展開させるのが得意なんで、ショーターが吹いているというだけでリズムに複雑さが生まれ、浮遊感が生まれている。やはりショーターも本作のねらいである浮遊感のあるリズム作りに貢献しているといえそうだ。
 とくに本作でのショーターは風にゆれるようにフワフワとした、浮遊感を意識したソロをとっているように感じる。

 タイトルとおり、みょうに未来めいた刺激的で、しかし心地よいかんじで、BGMとしてかけておいても気持ちのいいアルバムだ。


03.6.27


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter Quartet "Footprints Alive"     (MegaDisc)



01、Sanctuary 〜 Masqualero
02、Chief Crazy Horse
03、Aung San Suu Kyi
04、Footprints

   Wayne Shorter (ts.ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds)
      Live at Lugano, Switzerland   2001.7.13


 ブートCDRで収録時間は50分弱。音質はオフィシャル並みで文句無し。演奏も文句無しだ。
 では「買い」なのかというと、けっこう迷う人も多いのではないか。
 その理由はオフィシャルの『footprints live』と完全に同時期の録音であり、曲目もすべてダブるからだ。だから新しい何かを発見することは期待できそうもない。だから、とりあえずはオフィシャルの方を聴いとけばそれでいいんじゃないかという気にもなる。
 とはいえ、音源自体はまったくダブらない。詳しく言うと、オフィシャルの『footprints live!』は2001年7月の14日、20日、24日のライヴが収録されているが、本作は13日だからオフィシャル収録の最初の録音日の一日前のライヴということになる。
 そしてジャズはインプロヴィゼイションを身上とする音楽だから、同時期のライヴであっても演奏も同一ということはない。
 ということで聴いてみて、まず驚いたのは3曲目の "Aung San Suu Kyi" だ。これはアプローチのしかたが全然違う。『footprints live!』では最初から軽快でリズミカルだった演奏が、ここでは静寂み満ちた詩的に始まり、後半にむかって荘厳に盛り上がっていく演奏になっている。この曲だけを取り出していうのなら、ぼくはこっちの演奏のほうがいいと思う。というより、両方並べて聴きたい。
 その他の曲はアプローチのしかたは『footprints live!』での同一曲とだいたい同じであり、ただ演奏・アドリブが違うという、いわば一般のジャズの同一曲別演奏とおなじ感じになる。
 しかし、この "Aung San Suu Kyi" の全然違う演奏を聴いてしまうと、ひょっとするとこれらの曲も、たまたまこの日が『footprints live!』収録バージョンと同じアプローチをした日だったのであり、まったく違うアプローチをした日もあったのではないかと思われてくる。
 もっといろいろな音源を聴いてみたくなった。


09.3.13


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter "footprints live!"      (Verve)
   ウェイン・ショーター『フットプリンツ〜ベスト・ライヴ』


01、Sanctuary
02、Masquelero
03、Varlse Triste
04、Go
05、Aung San Suu Kyi
06、Footprints
07、Atlantis
08、JuJu
09、Chief Crazy Horse     (bonus track)

   Wayne Shorter (ts.ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds)
                  2001.7.20  1,2,6
                  2001.7.24  3-5,7,9
                  2001.7.14  8


 本作がリリースされたのを知って驚喜したファンはぼくだけではあるまい。ファンなら誰でもショーターが何も考えずに思い切りサックスを吹いたアルバムを聴きたいと思っていた筈だ。しかしアコースティック・カルテットによるライヴ盤、やってる曲も旧作ばかりというと、ちょっとばかし後ろ向き過ぎやしないか、という疑念もあった。しかしCDを聴いてみて見事予想は裏切られ、疑念は吹っ飛んだ。ショーターを甘く見て申し訳なかったと反省した。
 じつはこれ、何も考えずに思い切り吹いたアルバムでなく、よく考えられた新機軸のアルバムだ。伝統的なアコースティック・カルテットのメンバー編成であっても、これはショーターが60年代にやっていた音楽とも、V.S.O.P.等とも根本的に違うスタイルの音楽だ。
 どこが違うのか。それを見るために、まずショーターが60年代やV.S.O.P.でやっていたアコースティック・ジャズとはどんなものだったのか思い出してみよう。
 それはある定型にのっとってアドリブを展開させる音楽だといっていい。まずテーマがあり、続いてメンバー各人のソロが定められた小節数だけ、例えばサックス→トランペット→ピアノ→……といった感じに続き、テーマを再び演奏して終わる、という形態だ。
 これを変えようという傾向が70年代にあらわれた。代表的なのはまずマイルスで、ライヴの演奏曲を全部メドレーで演奏し、後で編集してテーマ部分をカットして新しい流れを作り、長くて変化に富んだ1つの曲のように見せる方法だ。しかしトランペット→サックス→ギター→……のような定められたソロの交代は残ることになる。
 そしてショーターとザヴィヌルもウェザーリポートで、別の2つの方法を提示した。一つは集団即興、"always solo and never solo"という方法であり、一つは編曲性を前面に出してドラマチックな展開を作りながら、アドリブ性も残す、という方法だ。
 本作はそのうち、とくに集団即興の方法を追求した演奏といっていい。では、本作はウェザーリポートでやっていたことをアコースティック・カルテットの形で再現しただけのものなのか。勿論そうではない。
 ウェザーリポートではファンキーなリズム、ノリの良さを指向したため、リズムは一定のパターンを刻む形が多かった。ドラム、パーカッションの二人体制では打楽器隊が息を合わせる必要があるため、曲中で自由にリズムの変化をもたせることはできなかった。ある一定のリズムにのって、サックス、キーボード、時にはベースが対話的即興演奏を行い、曲の内での展開や変化は編曲によってもたせていく、というのがウェザーリポートでの演奏の基本形だった。つまり、ウェザーリポートでは、ファンキーなリズムや編曲性が邪魔になって、その枠内でしか集団即興ができなかったきらいがある。
 しかし、本作では打楽器は一人、鍵盤楽器もアコースティック・ピアノを使用し、リズムの定型性や編曲性を抑え、よりシンプルな形態のバンドにすることによって、各楽器の自由度が大幅にアップさせている。ドラマーが一曲の内で大きくリズムを変化させたることも可能になり、あらかじめ編曲をせずとも、各楽器の対話によって即興的に曲を大きく展開させることも可能になった。そのため各楽器間の対話がより緊密で繊細になり、曲の形自体も変わってしまっている。
 正直いって、最初に本作を漠然と聴いていたとき、全曲聴き慣れた曲であるにもかかわらず、どこからどこまでが一曲なのかわからなかった。サックス→ピアノ→ベース→……のようなハッキリしたソロの交代がなく、各楽器が自由に対話しながら音楽がすすんでいく。そしてメロディーに応えてリズム楽器も自由に歌い、リズムが一曲の間で大きく変化していく。すべてが大きく移り変わり、自由自在に展開していく。

 おそらくこのようなアコースティック・バンドによる集団即興・対話型演奏に新次元を切り開いたのは、80年代から現在までつづくキース・ジャレットのスタンダーズのトリオだったと思う。同じ対話型の演奏でも、かつてのビル・エヴァンス・トリオでのスコット・ラファロとの対話型演奏よりも、ずっと自由度が増して、空間的な広がりも感じさせるものになっていた。
 しかし、本作でのショーターの集団即興はその次元からもさらに一歩進んでいると思われる。
 つまり、キース・ジャレット・トリオの集団即興は、キースのソロ・インプロヴィゼーションの長い経験を背景としていて、ソロでも安定した演奏ができるキースにベースとドラムが自由にからむという形だった。つまりは、ベースとドラムを取ってしまったとしても、ピアノ・ソロだけでも音楽として成立するものだと思う。
 しかし本作でのショーターの演奏は、かりにリズム・セクションの音を消してしまうと、何を演奏しているかわからない、音楽になってないような部分がかなり多い演奏になっている。それはピアノのダニーロ・ペレスも同様で、つまり対話することによって初めて音楽として成り立つような演奏だ。
 はっきりいって、ソロだけで自立しているミュージシャンどうしの対話より、こちらのほうがはるかに臨場感があり、スリリングだと思う。

 と書いてしまったが、かといってこの演奏がすべてが集団即興のみで作り出されているのかというと、そうも思えない。やはり編曲はなされ、しかし、どこまで編曲でどこからが集団即興かわからない構成がなされているようだ。
 本作には立て板に水を流すような雄弁なソロは存在しない。一音一音の対話でもってアドリブが成り立っているのだ。
 このような新しい方法論を明確に打ち出すために、アコースティック・カルテットの形のバンドを作ったのだろう。このような方法論の演奏ならスタジオで演るより、観客を前にした、やり直しのきかない緊張感のある状況のほうがいい演奏になると思い、ライヴでアルバムを録音したんだろう。つまり本作は『Live In ……』といったライヴ盤ではなく、ニュー・アルバムをライヴによって録音したというアルバムである。
 では、なぜ旧作の曲ばかり使ったんだろうか。
 どうも、とくに本作の前後からわかってきたのだが、ショーターは曲を、書き上げて完成するものだとは考えていないようだ。曲とはその作曲者とともに成長し変化を繰り返すものだと考えている。つまり、いったん形になって録音された後でも、ショーターは曲を何度も書き直し続けているようだ。次の『Alegria』になると、50年かけて書き直しを続けた曲なども出てくる。つまり、ショーターにとって作曲とは完成がないのだ。ぼくらは変化を続けるショーターの曲の、ある時点での途中経過を聴かせてもらっているだけである。
 したがって、本作はおなじみの旧作ばかりを演奏してみました……というものではなく、それらの曲が現在ではどのような形に成長しているのか、新しい途中経過をまとめて見せてみた、という内容である。
 例えば冒頭の"Sanctuary"はじめ、ずいぶん印象が変わった曲が多いが、それは今回のバンド用に編曲し直したというようなものではない。以前のアルバムに録音されたヴァージョンは、それらの曲のあの時点での姿でしかなく、別にあれが完成形というわけではなかったのだ。

 やはりショーター、なんとなく……なんてところは一つもない。すべて考えつくされたアルバムだ。
 本作にはV.S.O.P.のような定型の安定感の上を豪快にブローしていく壮快感はないが、未知の世界に手さぐりで入っていくような神秘性がある。そしてそれは、すべてのショーター・ファンにとって、より望ましいものではないだろうか。
 しかし、ショーターはすごい。つねに前進する男なんていわれていたマイルスが、実質的には70年代前半で前進を終えていたのに比べて、ショーターはまだまだ進む、進む。


03.7.18


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Joni Mitchell "Travelogue"      (Warner)
   ジョニ・ミッチェル『トラヴェローグ』


Disc-1
01、Otis and Marlena
02、Amelia
03、You Dream Flat Tires
04、Love
05、Woodstock
06、Slouching Towards Bethlehem
07、Judgement of the Moon and Stars (Ludwig's Tune)
08、The Sire of Sorrow (Job's Sad Song)
09、For the Roses
10、Trouble Child
11、God Must Be a Boogie Man

Disc-2
12、Be Cool
13、Just Like This Train
14、Sex Kills
15、Refuge of the Roads
16、Hejira
17、Chinese Caf/Unchained Melody
18、Cherokee Louise
19、The Dawntreader
20、The Last Time I Saw Richard
21、Borderline
22、The Circle Game

   Joni Mitchell (vo.g) Larry Klein (elb) Brian Blade (ds) Chuck Berghofer (b)    
   Wayne Shorter (ss) Herbie Hancock (p) Billy Preston (org) Kenny Wheeler (tp,flugelhorn)
   Plas Johnson (ts) Vince Mendoza (arr,cond)with Orchestra /他   2002 リリース


 2枚組の大作。
 内容的には前作『Both Sides Now』に引き続き、ジャズ系のメンバーの他にヴィンス・メンドーサの編曲・指揮によるオーケストラを加えての演奏で、しかしスタンダード曲集だった前作に比べ、今回はジョニ自身の旧作をオーケストラ用に編曲し直して演奏した内容になっている。個人的には前作のハイライトもジョニの旧作の2曲だと思っていたので、まず企画自体が良いと思った。ジャズ系のメンバーのほうもショーター、ハンコック、ブライアン・ブレイドの他、ビリー・プレストンなど、豪華なメンバーだ。CD2枚組という分量も、ジョニの再演ヒット曲集であれば納得がいく。曲はジョニのこれまでのアルバムのなかから、まんべんなくとられている。
 オーケストラは同じ人の編曲・指揮なので前作と同じ路線ではあるが、それでもだいぶ違った感じを受ける。全体的に前作よりさらに音がやわらかく、控えめに編曲されていて、出しゃばって前に出てくることはなく、サウンドの後ろに広がりと深みを与え、曲ごとに繊細な表情をつけている。ジョニとのコラボレーションの距離が近くなったのか、それともスタンダードではなくジョニの曲を扱っているからなのか、前作よりずっと表情が豊かな気がして、前作よりずっと好きだ。
 曲ごとの参加メンバーが書いてないので、ショーターは全曲のセッションに参加しているのかもしれない。しかしもちろん全曲でソロをとっているわけでもなく、ごく短いソロをとってるだけの曲もある。そんな中でショーターのソロがたっぷりと聴けるのは「04」「09」「11」「13」「14」「15」「18」「22」の8曲。しかも、これがかなりじっくりと味わえるものが多い。曲の最初から終わりまでジョニとデュエットしているような感じの曲も……。録音的にもショーターのサックスの輪郭がくっきりと立っていて、バックのオーケストラとの調和も素晴らしい。ジョニのアルバムの中では『Mingus』、『Taming the Tiger』に次いでショーターの貢献度が高いアルバムといえそうだ。
 それにもちろんのことながら、ジョニの詞も曲もいいし、オリジナル録音の歌唱時より深みをおびたボーカルも素晴らしい。
 曲も編曲も演奏もすべてが調和がとれて、繊細で完成度の高い作品になっている。ジョニの最高傑作だと推す人がいても、なんの不思議もない傑作だ。

 このアルバムをリリースした後ジョニは引退宣言をしたので、これがジョニの最後のアルバムになるのかもしれない。また気をとり直してアルバムを作ってもらいたいものだが、ラストアルバムだとすると、あまりにも見事に決まったラストアルバムだ。


04.2.5


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。



 

   Wayne Shorter "Baltica 2002"    (MegaVision)


01、Prelude 1
02、Sanctuary
03、Prelude 2
04、Go
05、Atlantis
06、Prelude 3
07、Over Shadow Hill Way

   Wayne Shorter (ts.ss) Danilo Perez (p)
   John Patitucci (b) Brian Blade (ds)
          Live at Salzau, Germany  2002.7.12


 これはウェイン・ショーター・カルテットの2002年のライヴをおさめたブートレグのDVDで、おそらくテレビ番組からの映像である。オフィシャル並みの高音質で、収録時間は全80分弱だ。
 ショーターの『Footprints Live』(01) は大傑作であるが、ほとんど唯一の不満は、これがかならずしもこのグループの最高の演奏ではないという点であると思う。どんなバンドだって一緒に演奏を重ねていく過程で次第に息があっていき、より緊密な演奏ができるようになっていくのは当然だと思うが、とくにこのウェイン・ショーター・カルテットのように集団即興を身上としたより緊密な対話性を求めた演奏をするのであれば、その傾向もより強くなるのが当然だ。よって、グループが活動を開始して間もない2001年に録音された『Footprints Live』と比べて、2002年のライヴ演奏にはいよいよ油がのってきた見事さがある。どこまで編曲されていて、どこからが集団即興なのかわからない緻密な構成のありかたも、さらに緻密さを増してくる。
 ところがショーターという人、気軽にそうポンポンとアルバムをリリースしてくれる人ではない。現在までのところ、2002年以後のウェイン・ショーター・カルテットのアルバムはオフィシャルではリリースされてなく、ぼくは Tokyo Jazz 2002 のBSで放送された分のショーター・カルテットの演奏(25分ほど)をMDに録音して、何度も聴き返しながら、やっぱりこっちのほうが『Footprints Live』より凄いよなあ……とつぶやいているしかなかった。
 そこに登場したのがこのDVDだ。といっても、こっちとしてはDVDだろうがCDだろうが何でもかまわない。音だけでもいいし、映像付きで値段が高くなったって、そのぶんの値段くらい払うぞ……という気持ちで即入手したのだった。
 さて、結果はといえば、もちろん開いた口がふさがらない素晴らしさだ。個人的には音楽は映像付きで何度も見ることはそうなく、何度も聴くのは音だけでいいほうなんで、普段はMDに録音した音だけを楽しんでいるのだが、その音だけにしたってオフィシャル並みの音質でナレーション等余計なものは何も入らなくて、オフィシャル盤なみの状態で聴ける。
 そして演奏内容が、やはり2001年のウェイン・ショーター・カルテットより、ぐんと一段深くなり、対話性は一段緊密になり、スケールは一回り大きくなっている感じ。ただ、そのぶんより高踏的にもなっているので、『Footprints Live』のほうが親しみやすいという人もいるかもしれない。ま、けっきょくはどちらもそれぞれの魅力があるわけなんで、どちらもいいのだけど。
 それにしてもこのウェイン・ショーター・カルテットはスゴいグループだと思う。
 アコースティック・ジャズという分野でいけば、64年頃のコルトレーン・カルテットや、67年頃のマイルス・バンドに匹敵する……というよりも、それを超えるグループではないだろうか。

 ところで Tokyo Jazz 2002 のウェイン・ショーター・カルテットの演奏は本作の録音より1ヶ月半ほど後の8月25日だが、 BS で放送された曲は "Go" と "Aung San Suu Kyi" である。そのうち "Go" はこの DVD でも演奏されているが、聴き比べてみると全然違う雰囲気の演奏である。この時期のウェイン・ショーター・カルテットの演奏はやはり即興演奏性が高く、同じ曲でも日によってどんどん姿を変えていたようだ。よって、今後も引きつづき、この時期のライヴ音源が続々 CD, DVD 化されてほしいものだ。


05.4.22


『ウェイン・ショーターの部屋』

リストに戻る。




このホームページに記載されている内容の無断引用・無断転載等を禁じます。
(c) 2004〜2009 Y.Yamada