外灯都市〜短歌について2






■だんだんわかってきたのであった。


 なんとなく図書館に行ったところ梅原猛の『歌の復籍』(上下)を見つけて、読みました。
 内容的には『水底の歌』の続編で、賀茂真淵以来の戦前・戦後の各学者や歌人の説を細かく検討し論破していきながら『水底の歌』で提示した説を証明していく内容です。そのため『水底の歌』のように従来の常識がどんどん覆されて意外な史実が判明していく推理小説的おもしろさには乏しいのですが、書かなければならない内容だったことはわかりますし、柿本人麿という人や万葉集というものの実像への興味でおもしろかったです。といっても、いろんな学説を細かく検討していく部分は個人的にはそれほど興味がなかったので、かなりとばしながら読んだのですが。
 むしろおもしろかったのは、特にアララギ派の有名歌人が最後まで真淵説を熱狂的に支持し、『柿本人麿歌集』は柿本人麿の作品でないと言いつづけたという点でした。これは単なる誤りではなく、この人たちの思想・価値観をあらわしている気がしたからです。(岡井隆の『現代短歌入門』を読んでから、なんとなくアララギ派と呼ばれた人たちの言動に興味があったところなんで)
 なぜアララギ派の歌人が真淵説を支持しつづけ、『柿本人麿歌集』が柿本人麿の作品ではないと言い続けたのかというと、どうもアララギ派の歌人からみると『柿本人麿歌集』に収録された歌は優れた歌には見えないのだそうです。だから、あの柿本人麿がこんな歌を作るわけはない。だから別人の作だろう……ということになるのだそうです。
 ではなぜアララギ派の歌人には『柿本人麿歌集』収録の歌がくだらない歌に見えるのかというと、それは彼らの美学に反するからであり、つまり彼らの美学が『柿本人麿歌集』収録の歌を理解できない種のものだったからということのようです。
 この本で梅原猛が簡単に説明しているところでいうと、正岡子規の短歌観というのは、主観においては感情を素直に歌ったもの、客観においては写生が良い……というものだということです。これがアララギ派に受け継がれたようです。
 このような価値観に固執したために子規やアララギ派の短歌が失ったものとは、詩歌にとってもっと大切なものだったはずの象徴という機能、そして古今和歌集的な「技巧」、つまり「尻取」「洒落」「掛詞」……といったものだったと書いています。
 このへんのところ、梅原猛はごく当たり前のようにさらりと書いているのですが、ぼくはなかなか感動したのです。というのは岡井隆の『現代短歌入門』のアララギ派批判は理解するのにさんざん苦労させられたのですが、梅原猛の子規やアララギ派への批判はすっきりと理解でき、納得できたからです。はたから見れば誰だってそう思うよな、ってかんじで、何で最初からこんなふうにわかりやすく説明してくれなかったんだよ、という気持ちです。(もっとも梅原猛と岡井隆ではアララギ派を批判するポイントは違うのかもしれませんが)

 さて、そうなると、そのアララギ派を批判した前衛短歌の運動とはアララギ派が否定してきたもの、つまり象徴的表現や、古今・新古今で見られるような「技巧」を復活させようとするものだったのでしょうか。
 そう思うと、塚本邦雄が『新古今和歌集論』とか『定家百首』という本を書いている理由がわかった気がしました。やはり塚本にはその意識があったのでしょう。
 その『新古今和歌集論』が図書館にあったので、借りてきていま読んでみているところです。
 新古今の頃には「六条家」と「御子左家」という短歌界の二大派閥があったんだそうですが、塚本は「六条家」が写実派で、「御子左家」はサンボリズムを目指している前衛派のようなものでだったと説明しています。そして当時「御子左家」は難解な歌ばかり書いているとののしられていたのだが、新古今には「御子左家」側の歌のほうが圧倒的に多く選ばれているんだと、難解と言われつづけた自分の作品と重ねるように語っています。
 と、いろいろ読んできて、なんとなく塚本邦雄までの近代短歌の流れ、そして塚本邦雄が何をしようとしたのか、わかってきた気がしました。
 長いスパンでいえば、賀茂真淵は古今・新古今や万葉集のなかの古今に受け継がれていく面を否定し、万葉集のなかの一面だけを取り出して、そこを短歌、ひいては日本的美学の中心と見ようとしたようです。それは正岡子規に受け継がれ、そして私小説の影響を受けながらアララギ派にも受け継がれていったようです。塚本邦雄はその価値観を転倒させようとしたのでしょう。
 なんていうか、ぼくには塚本邦雄という人は根本的なところでわかりやすく感じます。短歌のほうも、難しいことは難しいのですが、魅力は最初に読んだときからわかりました。
 岡井隆のほうはあいかわらず言っていることも、しようとしていることもよくわからないし、短歌もどこがいいのかわからないのですが。(もちろんぼくがわからないだけかもしれませんが)


2006.4.14


 
■〈私性〉って何だ?


 〈私性(わたくしせい)〉という言葉があります。たぶん短歌でしか使われない専門用語だと思います。ぼくは短歌についての文章を読むまで見たことがありませんでした。そのため何のことなのか、定義がよくわかりませんでした。けれども最近、短歌についての文章をいろいろ読むうちに、岡井隆の『現代短歌入門』のなかのこのような文章が何度も引用されているのを見ました。

「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです」

 これが多くの人にとっての〈私性〉の定義なのかもしれません。ぼくは『現代短歌入門』を読んでいてこの文章は読みとばしてしまいました。それは同じ岡井隆の『短歌の世界』の、例えばこのような文章を先に読んでいたからです。

「これは、短歌が、私小説的な意味において、いわゆる〈私性〉のつよい文学だから、そうなるという点も、むろん、あずかって力を貸していようが……」

 「作品の背後に一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もある)が見える」といういことが「私小説的な意味においての私」であるはずがありません。内容が矛盾しているので、また何だかわからないことが書いてあるという感想しかもてなかったのです。
 岡井隆の意見が変わったということなのかもしれませんが、同じ人間でもこれほど定義が変わってしまうのでは一体何なのかわかりません。が、考えてみれば、ぼくはほぼ同時期に読んだとはいえ、『現代短歌入門』と『短歌の世界』が書かれた年には30年の開きがあるわけで、30年の差があれば意見が180度変わったとしまうことも、ありえないことでもないだろうと思い直しました。
 それに、何度も引用されているのをみると、少なくとも『現代短歌入門』のほうの定義は影響力をもっているもののようです。
 そんなわけで、この二つの文章からみて、〈私性〉というのは何なのかをかんがえてみることにします。

 まず最初に『短歌の世界』のほうからみます。ここに書いてある〈私性〉=「私小説的な意味においての私」というのは、これは私小説の定義なので簡単です。つまりこれは「作者=語り手=作中の主人公」であり、作者は自分の身のまわりの事実を書くということです。それがここでいう〈私性〉でしょう。短歌の世界でいうところのアララギ派的な考え方ですね。
 『現代短歌入門』における〈私性〉の定義はもっと複雑です。「作品の背後に一人の人物の顔が見え、それが即作者である場合もそうでない場合もある」というのですが、まず「即作者である場合」を考えてみましょう。
 「作品の背後に一人の作者の顔が見える」……これは、これが〈私性〉の定義だというのもばかばかしいほど、当たり前のことです。こんな当たり前のことを言うために〈私性〉なんて言葉は必要ないでしょう。
 では「作品の背後に作者以外の一人の人物の顔が見える」というのはどうでしょう。
 これはどういうことかというと、この場合、作者が虚構のキャラクターとしての「私」を設定し、それを作品の背後に存在させるということです。
 つまり、〈私性〉がどうのこうのと一見難しそうなことを言っていますが、内容は単純で、「作者は別のキャラになりかわって作品をつくってもいい」といっているのが『現代短歌入門』で「私小説みたいに、現実の作者自身が語り手=主人公となっていなきゃいけない」といってるのが『短歌の世界』です。
 どちらにしろ、たいしたことを言っているわけではありません。作者が別のキャラになりかわった一人称で短歌をつくるという手法は、藤原定家などはるか昔から先例がありますし、短歌以外の文芸ジャンルであればごく普通に行われていることです。
 つまりこれは、アララギ派が長く支配的であり、私小説的な手法のみが正しいとされていた短歌界で、しかし、そういう昔からあるごく普通の手法にたいして「あの手もアリにしよう」とか、「いや、やっぱりナシにしよう」とか言ってるだけのことなのです。
 それにしても、ぼくは思うのですが、たかがこの程度のことを言うのに何で〈私性〉がどうとか専門用語まで使って一見難しそうな論理を長々と展開しなきゃいけないんでしょうかね。
 現在、短歌の世界で〈私性〉といったとき、この『現代短歌入門』と『短歌の世界』と、どっちの定義の意味でいっているのかはわかりません。一人の人間でもこれほど違った定義づけをするのであれば、そう定まった意味のない言葉なのかもしれません。
 いずれにしろ、どちらの手法も既に普通に存在するものなので、個々の作者が〈私性〉の意味をどちらにとり、どちらの手法で短歌をつくるのかは、個々の作者が自分で決めるべきことであり、全員が同じ意見になるよう誰かが強制的に決め、従わせるべきことではないでしょう。

 それにしても、あらためて思うことは、わざわざ〈私性〉なんていう専門用語まで使って言うほどのことなんでしょうかね、これ。
 なんだかマトモに考えるのがだんだんばかばかしくなってきました。
 それともぼくの〈私性〉の理解が間違ってるんでしょうか?


2006.4.21


 
■『サラダ記念日』に驚く


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 題詠100首に参加させていたただき、いろんな人の書いた短歌を読んだところ、ひょっとするとぼくはライトバースが嫌いなのではないかといううたがいをもったので俵万智の『サラダ記念日』を読んでみました。これがけっこう驚きました。
 実はこの本、いままでちゃんと読んだことがありませんでした。本を読まなくても収録された有名な短歌はけっこういろんな場所で引用されているのを見て知っていたんで、だいたいこんなふうだというイメージがあって、それは個人的にはそれほど好みというわけでもなかったので、そのまま通りすぎていたわけです。別に否定する気もまったくないんですが、とくにきちんと読む必要もないと思っていたのです。
 でも、今回ちゃんと最初から読んでみて、こういうものだったのかと驚きました。

 まず最初にぼくがこれまでどんなイメージをもっていたのかというと、『サラダ記念日』って、この味がいいといわれてサラダ記念日にするとか、カンチューハイ二本でプロポーズしていいの? とか、日常のさりげない出来事を新鮮な感覚で、現代の口語で書いた短歌だと思っていました。
 が、読みはじめてわかったことはまず「古い!」ということです。
 まず言葉が現代語ではなく、多くは平易ではありますが文語で書かれています。有名になって引用されてるのは現代語で書かれているのばかりなので、そういうものかと思っていたのですが、最初から順に読んでいくとむしろ現代語で書かれたものは少ないかんじです。
 次に思ったのは(これは批判しているととってほしくないんですが)「内容がない」ということです。
 つまり、「サラダ記念日」とか「カンチューハイ二本」とか、チャッチーな表現やアイデアが盛り込まれた短歌はかなり少なく、たいていのものはごく普通の身辺雑記的な内容を、ただただ57577にしてみました、みたいな感じで書いています。なんでこのような内容をわざわざ短歌にして発表するのか、と疑うような内容のもののほうが、むしろずっと多いのです。
 といっても、これは最初に書いたとおり、批判しているととってはほしくありません。たぶんこの人は短歌を書く動機づけの部分が、ぼくとは違うんじゃないかという気がするのです。
 つまり、ぼくはこういうこと・表現を書いたらおもしろい短歌になるんじゃないかと思って書いているのですが、この人はおそらくそんなことは考えず、ただたんたんと思ったことを57577にしているような気がするのです。それが私小説的に身辺の事実を書く、いわゆるアララギ派的な写実と同じ創作態度なのかどうかはわかりませんが。
 その結果がときどき、たまたま「サラダ記念日」や「カンチューハイ二本」のようなキャッチーな表現になることもあるし、ならないこともある。ならなくてもべつに問題はない……というかんじのようです。
 つまり、この『サラダ記念日』はぼくがなんとなく思い描いていた「日常のさりげない出来事を新鮮な感覚で、現代の口語で書いた短歌」ではなく、「作者の身辺雑記をたんたんと古風な言葉使いで、古風に記述していった短歌」だったようです。
 いやあ、驚きました。やっぱり本はきちんと読んでみないと、引用されている部分を読んだかけで判断してはいけないと思いました。
 さて、この『サラダ記念日』は当時かなり売れたことで有名なわけですが、こう見てみるとこれが売れた理由はこれらの短歌の「新しい感覚」が理由ではないと思います。
 初版は1987年だそうで、その頃といったらたぶん小説でいえば村上春樹とか高橋源一郎とかの時代だと思いますが、比較してみるとあきらかに『サラダ記念日』はそうとう古い時代の感覚の産物です。
 たぶんこの80年代からみても一昔前の「古風さ」が、新しい時代についていききれてない人々、安心感や懐かしさを求める人々にウケたんじゃないでしょうか。この古さが人気を呼ぶ現象は、『ちびまるこちゃん』とか『三丁目の夕日』とか、あのへんとかとも通じるんでしょうか。
 なにしろ本を開いて最初の歌に出てくるのが「ホテル・カルフォルニア」です。これは1970年代半ばの曲ですから、初版が出た時点で10年前の曲です。しかも、この「ホテル・カルフォルニア」はヒットした当時でも有線チャートで一位になった、つまりロックを聴いている若者ではなく、ふだんは演歌を聴いているオジサンたちにも人気があったことで画期的だった曲です。これを巻頭にもってくるあたりの用意周到なまでの「古さ」は、かなりの知能犯ともおもえます。70年代に中高年だった世代を標的にしているわけですね。

 ところで、ぼくはまたあらためて思ったのですが、ライトバースって何なんでしょうか。ぼくはてっきりライトバースって現代語を使ったかるいかんじの短歌のことだと思ってたんですが、これがライトバースなんだとすると、そうでもないですね。
 また定義がわからなくなりました。

2006.5.14

★その後、文語について本などを読み、ここで『サラダ記念日』の短歌が「平易な文語」で書かれているとおもってたのは、実は「口語+文語混じり文」であることがわかりました。(06.9.14)


 
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 関川夏央の『現代短歌そのこころみ』という本を読みました。「関川夏央」ってどこかで聞いた名前だなと思って手にとったのですが、谷口ジローが作画した『坊っちゃんの時代』のシリーズの原作者ですね。あれはおもしろかったので、これも読んでみました。
 本全体にいろいろ教えられるところがあり、おもしろかったのですが、なかに前に書いた『サラダ記念日』のことが書かれていましたので、ここではその部分についてちょっと書きます。
 斎藤美奈子の『文壇アイドル論』という本に書かれていることの紹介が主なのですが、それによると『サラダ記念日』を最初に評価したのは(やはり)中高年の男性だったようです。そして中高年の男性はこれを「短歌という古い形式に、口語という新しい感受性」をもったものとして評価したのに対し、斎藤美奈子はこれは逆だといい「新しい革袋(短歌という形式)に古い酒(古い感受性)」で物語を歌ったからこそ万人に受け入れられた……と分析しています。(斎藤美奈子はまえに『紅一点論』というのを読んだことがあり、なかなかおもしろかったので、この本も探してみましょう)
 それにしても、やはりそうだったのかという意を強くしました。
 『サラダ記念日』を最初からかるくめくって見てください。ちょっと目につく単語をあげていくと「ホテル・カルフォルニア」「サーフボード」「九十九里(浜)」「モノクローム(写真)」「麦わら帽子」「生ビール」「屋台のコップ酒」「湯豆腐」「ハートブレイク・ホテル」「テレサ・テン」……、80年代の中高年のオジサンの青春時代〜現在を彩る必須アイテムの数々が狙い撃ちするようにちりばめられています。けっこう新しめのところを狙った場合でも、けっしてオジサンに理解不可能なほど新しいアイテムを出しません。適度に新しさを装いつつ、あくまで古い感性でオジサンのハートに迫ります。
 このへんのオジサンころがしの手練手管はスゴいですね。もし無意識のうちにこれをやっているのだとすると、もっとスゴい……。
 ところで、このような若い女性作者のオジサンころがしというのは、けっこうベストセラーの黄金律なんじゃないかと思いました。
 最近の例でいうと、数年前に芥川賞をとってベストセラーになった綿矢りさの『蹴りたい背中』も(正確なデータは知りませんが)おもな購買層は中高年のオジサンだったという話を聞いたことがあります。考えてみれば、若い世代からみれば、芥川賞受賞作なんてつまらないに決まっているので読まないわけです。そういわれて手にとるのは、まだ芥川賞が権威があった時代を知っている中高年層でしょう。
 だいたいオジサンという人たちは「最近の若い子」が何を考えているのか気になります。とくに「若い女の子」が何を考えているのか、同年代の娘がいればなおさら、いなくてもそれはそれで気になります。気にはなっても、そう腹をわったコミュニケーションがとれるわけではありません。
 そこでその「若い女の子」が書いた本を読んでみると、そこにあったのが意外に古い感受性であって、「なんだ、オレたちの若い頃と一緒じゃないか」と思えると安心する、という習性をもっています。
 ここのポイントを的確にヒットする「文芸作品」を作り、見事にオジサン層のハートをヒットできれば、けっこうなベストセラーになる……という黄金律があるんじゃないでしょうか。
 若い女性なら、ためしてみてもいいかもしれません。男はダメでしょうけど……。

 ところで、私小説的なものの商品価値って何なんでしょうか。
 もちろん全盛期だった頃にはそれなりの高尚な理由があったんでしょうが、通俗的な部分でいえば他人のプライベートを覗き見したいというピーピング・トム根性にうったえるところじゃないでしょうか。
 私小説的な短歌を提唱したアララギ派の短歌というのも、その商品価値という点でみれば、作者のプライベートの切り売りという点が大きいような気がします。
 とすると、平凡な私生活をおくっているような歌人では、歌集の商品価値は上がらないということになります。ピーピング・トム根性の読者が興味をもつ他人のプライベートといったら、まず下半身関係でしょう。とくに不倫なんていうのは恰好の興味の対象でしょう。
 俵万智は『サラダ記念日』のあと、『チョコレート革命』で不倫をおもな内容とした歌集をつくって、やはり売れたようですが、このへんの狙いの的確さはやはり偶然じゃなくて計算されている気がします。自身のプライベートのどのあたりを切り売りすれば「売れる」かがわかっているんだとおもうのです。


2006.7.13


 
■オクタビオ・パス『弓と竪琴』を読みながらかんがえたこと


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 短歌とはどういうものかと訊かれれば「だいたい31文字前後で書かれた短詩」と定義するのが、まあ間違いのない答え方だとおもうのですが、はたしてそうなのかと思うところがあります。というのは、短歌とは「詩」なのか、「詩」でなければいけないのかとう部分です。
 個人的な印象を正直にいえば、少なくともある程度名の知られている短歌の作者のなかでも、例えば枡野浩一、笹公人という人の書いたものは、どこからどう見ても「詩」にはみえません。こういった場合、ぼくには詩には感じられないとしても本人は詩だと思って書いているのか、あるいは、本人は短歌は詩でなくても良いと思っているのか、というところがまず問われるべきでしょう。
 そして、本人が書いた文章をちょっと目にしたところ、少なくとも枡野浩一氏は、自分が書いている短歌は詩ではないと自覚し、実践しているようです。
 さて、短歌というのは「詩」なんでしょうか。それとも「詩でなくても良いもの」なんでしょうか。
 と考えると、そもそも「詩」とは何か、どんな理由でこれは詩だといい、これは詩ではないといえるのか……という問題に帰着します。これはなかなか難しい問題です。正直いえばぼくはいままで何となく自分の印象で「詩っぽいもの」と「詩っぽくみえないもの」を分けていただけで、それほど明確に区別していたわけでもないし、そうする必要性も感じませんでした。
 だいたいそんなところを問いだしたら、えらく難しい問題になりそうだし、そんなことを考えてみてもそんなにおもしろい結果が得られるとも思えなかったので、避けていた部分でもあります。
 でも、このへんで果敢にそこへ挑んでみるのもいいかな、と、まずは有名な詩論ということでオクタビオ・パスの『弓と竪琴』を読んでみることにしました。これも存在は知っていたんですが、軽い気持ちで読むにはボリュームが大きすぎる本なんで、なんとなく読まずにいたものですが、この機会に読んでみようとおもったわけです。

 いやあーっ、これはおもしろい本ですね! 考えていた疑問がいくつも一気に解けていく気がしました。例えば、前からおもっていた、なんで韻律なのか、韻律の意味ってなんだ? というようなところまで。
 本というのは、つまらない本を百冊読むより、いい本を一冊読むほうがよほど意味があるんだということを再実感しました。(といっても、これからもつまらない百冊も読みつづけるつもりですけど)
 そんなわけで、この『弓と竪琴』を読みながら考えたことをちょっとばかりメモしていこうとおもいます。(思いだしながら書いてるんで、引用はすべて不正確です。すいません)

 まず「詩」とは何なのかという点についてです。
 パスはまず「詩」に対して「散文」というのを定義します。一般的には「散文」というと、「詩」以外のものをすべてそう呼んでいる人もいるようなんですが、パスの場合はこの散文を定義して、それ以外の「話し言葉」といったものと分けます。
 「散文(とくに、論述)」とは何か、ここでのパスの定義によれば、それは一義的な意味に読まれるように書かれた文章のことだそうです。そして「人は意識することなしに散文で話すことはできない」という言葉を引用します。つまり「話し言葉」は「散文」ではないと。言葉とはもともと多義的なものなので、散文とはそれを暴力的な力によって一義的にさせられた文章だと定義するのです。
 散文においては「パンといえばパンであり、ワインといえばワインである」とパスはいいます。ここでパンとワインが例に出される理由は、キリスト教社会においてはパンはキリストの肉を、ワインは血を象徴するからでしょう。そのような言葉の象徴性、多義性を奪って、パンはパンでしかないとするのが「散文」であると。
 そして散文とは詩の後からくる形式であり、詩をもたない民族はいないが、散文をもたない民族はいる……といいます。そして「話し言葉」というのは、その言葉の多義性において「詩」に近いのだといいます。

 さて、ここへんまで読んだだけでも、ぼくにはずいぶん示唆されるところがありました。
 枡野浩一の短歌は詩ではない。けれども、おそらくここでいう「散文」でもないでしょう。彼はおそらく「話し言葉」で短歌を作ることを実践しているのだと思います。
 対して、ここでいう「散文」で短歌を作ろうとしたのは、正岡子規でしょう。
 ではなぜ正岡子規は「散文」で短歌を作ろうとしたのか。その理由はパスがここで書いているとおり、「帝国も国家も言葉によって作られている」からでしょう。
 実をいえばぼくは正岡子規という人は本人が書いたものというより、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の登場人物として知っている程度なのですが、あの時代の日本人は日本を近代国家にする必要があった、そして近代国家を作るためには、まず言葉をどうにかする必要があったのでしょう。つまり、良質の「散文」によって日本語を改革する必要があったのです。なぜなら、パスがいうところによると、良質の「散文」を生み出すことは、新しい言語を作り出すことと等しいからです。
 しかし、ぼくが思うに、子規が短歌や俳句の分野で「散文」を定着させようとしたのは、やっぱりどこか倒錯してるんじゃないでしょうか。「散文」と韻律、とくに短詩形という組み合わせは、やっぱりどこかヘンです。
 それともそこに何らかの必要性があったんでしょうか。
 実はいままで子規や、その流れをつぐアララギ派の短歌ってきちんと読んだことがなかったんですが(だって、なんだかつまらなそうだし、それに対する批判のほうばかり先に読んでしまったもんで……)、やっぱり読んでみたほうがいいかなと思いはじめているところです。

 ということで、その散文に対するパスの「詩」の定義へと進みます。


 
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 さて、パスは「散文」に対して、「詩」はどんなものだと書いているのでしょうか。
 散文は直線的なのに対して、詩とは円環的なものだと説明します。これだけだとわかりにくいですね。
 散文は歴史的なものであるのに対し、詩は歴史を否定するものであり、儀式的で魔術的なものだと書いています。少しわかってきました。確かに歴史を記述するのは散文であるほかなく、対して詩はどちらかというと神話的なものでしょう。
 詩というものはその意味内容によって一義的に理解される文章ではなく、言葉のもつリズムやイメージの多重性によって伝わっていくもののようです。
 そして、言葉が「詩」となる源泉を探っていくと、「神聖なるもの」に対峙したとき、人間は儀式的な行為によってそれを鎮めようとする。そのときの呪詛、あるいは祈りのとき、言葉は意味よりもリズムやイメージの多重性が重視され呪術性をおびる。それが詩であり、そのリズムが韻律だ……と、ぼくなりに要約させてもらうと、そんなふうなことを書いています。
 まあ、ある程度まではぼくも知っていたことです。韻律というのがもとは宗教的な意味あいをもっていたというのは。でも、正直いうとそういうのって万葉集の時代の話だと思っていたのですけど……。
 けれど、そこでパスがその「神聖なるもの」の説明にオットーの『聖なるもの』を持ち出してきたときに、ぼくはビリッと電気が走ったような思いがしました。パスはこの本ではあえてこの言葉は使っていませんが、有名な「ヌミノーゼ」ですね。
 なぜ電気が走ったような思いがしたかというと、ぼくが何となく感じていて、何が理由かわからなかった部分を、見事に射抜かれた気がしたからです。
 というのは、いままでここにも書いてきましたが、他人の書いたライトバース的な短歌を読んでいると、頭で判断すれば良く書けた短歌であるはずだと思うのに、読んでいて少しもいいと思わない、つまらない……と感じるものがすごく多かったのですが、その理由がいままでわからなかったのですが、それがこれを読んでいて思い当たったわけです。つまり、そのようなつまらない短歌は「ヌミノーゼ」がないわけです。
 一応説明しておくと、オットーの『聖なるもの』の理論というのはこういうものです。あらゆる宗教における「聖なるもの」というのを探っていくと、その原初的な部分に戦慄すべき恐ろしいものがある。どうも人間は、理性ではどうにも処理できない恐怖すべきもの、どうしても理解も共感も想像もできない絶対的他者の存在を感じると、その畏怖すべき存在に聖性をかんじるらしい。その聖性をおびた戦慄すべきもののことを「ヌミノーゼ」と名づけたわけです。
 どうも韻律というのは「ヌミノーゼ」と対峙したときの儀式的な心性から生まれるもののようです。呪詛的な儀式がリズムと結びついているというのは、おそらく人間にとってのプリミティヴな心性なのではないでしょうか。未開社会の儀式などみても、ドラムをドンゴドンゴ鳴らしながら呪詛の言葉を歌いあげるイメージはあります。現代におけるロックなどの音楽のビートというのも、源流を辿っていけばアメリカ大陸に奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人たちの儀礼的なリズムにいきつくのでしょう。そうして、そのような儀礼的な心性のなかで言葉がとるリズムが、つまり韻律です。
 どうも「ヌミノーゼ」から遠ざかると短歌は生命感を失うらしい……。と、これはこの本を読んでいて気づいたことであり、これまでも何となく肌で感じていたことです。
 つまり、おもしろい短歌というのはどこかで「ヌミノーゼ」「聖性」と接している気がするのです。それはべつに「恐怖」とか「ホラー」のようなものをテーマにすればいいということではまったくないのですが、優れた短歌というのはなんらかのかたちで、どこか、なんらかの「聖性」に接しているような気がするのです。
 逆に、あまりにも「ヌミノーゼ」「聖性」から遠ざかった人畜無害のわかりやすくて親しみやすいライトバースというのは、いくらわかりやすくてセンスがよくても、つまらなくかんじられるわけです。そういった短歌の韻律というのは単に以前からあった「短歌」という形式をかたちだけ踏襲したものであり、韻律の意味がないわけですね。

 「聖性」なんてことを書くと、現代は神なき時代であり、たいがいの日本人は特定の宗教なんて信じていないことを言う人がいうかもしれませんが、ここでいう「聖性」「ヌミノーゼ」というのは従来の宗教などのことを言っているわけではないのです。
 どんな場所からも、人間が自己の理性ではどうすることもできない戦慄すべきものの存在をかんじると、それが聖性をおびてくるという現象をいっているわけです。それはめちゃくちゃ高い岩の山かもしれないし、巨大な生き物かもしれない。あるいは、インターネットのなかからも、都市の闇のなかからも、自己の理解を超えた戦慄すべきもの、壮大なもの、崇高なものがでてくると、それが聖性を帯びてくるという、人間の心性をいっているわけです。
 これは人間の感覚や世界の認識のしかたに関係するもので、人間が人間である限りは無くならないものだとおもいます。
 だいたい、エリアーデによれば、何もない広場に棒を一本突き立てただけでも「聖なる空間」は出現するんだそうで、人間の感覚というのはそのようにできてるんですね。
 ぼくがここでいっている「聖性」とはつまりそういったもので、直接的に宗教的なもののことではありません。


 
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 それにしても、これはおもしろい本です。  ページをめくると、この本は次のような文章で始まります。

「ポエジーとは認識、救済、力、放棄である。世界を変えうる作用としての詩的行為は、本質的に革命的なものであり、また、精神的運動なるが故に内的解放の一方法でもある。ポエジーはこの世界を啓示し、さらにもう一つの世界を創造する。……」

 と、こんな調子の文章が奔流のようにダーッと続いていきます。
 最初この文章を読むと、詩人である作者の詩的才能の噴出のような気がするんです。つまり誇張したり、抽象的な様々なイメージで書いていっている詩的表現のような気がするわけです。
 でも、この本を読み終わった後にもう一度この文章に戻ると、これは作者が論理的に考えた結論を具体的に書いている内容であることに気づいて驚くわけです。つまり、この最初の数ページの内容がなぜそうなのかが、本のなかで具体的に論理的に、つまり「散文」で「論述」されてるわけです。
 だから、この本に書いてある内容をダイジェストで見たい人は、この最初の数ページを読んでみればわかります。もっとも、この文章だけ読んで、これが「散文」による「論述」だと思う人は、まあ普通はいないでしょうね。どういうことなのか、どうしてそうなのか、読んでみたくなるとおもいます。
 「詩とは本質的に革命的なもの」と書いているのですが、このパスという人はメキシコ革命の闘士でもあった人なのですね。その後、トロツキーの暗殺を機に共産主義を捨てたそうです。日本の団塊の世代のオジサンが、若い頃デモに参加したていどのことをいつまでも懐かしがり、いまだに共産主義を捨てきれないでいるのとエラい違いですね。「革命的」という言葉にも説得力があります。


 いろいろ示唆されることが多くて、とても語りきれない本なのですが、このへんで最初の問いにもどって、この本を読んで思ったぼくなりの一応の結論を書いておきます。

問)短歌というのは「詩」なんでしょうか。それとも「詩でなくてもよいもの」なんでしょうか。

結論)短歌は「詩」です。「詩」でなければ意味がありません。

 つまり、詩でないものならば、短歌の韻律をまもる必要なんてないからです。詩でないなら、韻律なんか気にせずに書けばいいだけの話です。
 でも、気にしなくていいというなら、短歌の韻律で書いてもいいんじゃないかと言う人がいるかもしれません。でも、それは違います。
 以前、なんちゃってモノのシャネルのバックを持っている女性で、自分はなんちゃってモノだと知って買ったしブランド志向もない、デザインが気に入って買っただけなんだから、これでいいんだと言っていましたが、それは違います。たんにデザインというだけならシャネルの本物と見分けがつかないくらいにそっくりに作る必要はないし、そういうものを買う必要もありません。有名ブランドのなんちゃってモノを持つということは、どう言い訳しようが、有名ブランドへの歪んだコンプレックスがあるからであり、それ以外に理由はありません。
 同じように、詩でないなら短歌の韻律なんてまもる必要なんてないのであり、それを詩でもない「話し言葉」を短歌の韻律をまもって書くというのは、短歌(詩)にたいする歪んだコンプレックスの産物以外の何ものでもないのです。
 そんな歪んだコンプレックスなどもつ必要はありませんし、もってるようじゃいけません。詩でないものを書くなら、短歌の韻律など気にせずに、堂々と自由に書くべきなのです。……これがぼくの結論です。

(こういうことを書くといまの時流にさからうことになるんでしょうね。でも、時流にのる必要もないとおもうので……)


2006.7.1-3


 
■「かんたん短歌」をつまらなくかんじる理由


 枡野浩一の『かんたん短歌の作り方』という本があって、これをきっかけに短歌を作りはじめる人が多いそうです。ぼくはそうではないのですが、図書館にたまたまあったので読んだことがあります。そのときふしぎな印象を抱きました。
 というのは、枡野浩一が短歌について言っていることには、かなりうなずけることが多かったのです。一般的な短歌の世界の人が言っていることより、よほどうなずけたのです。しかし、その結果として書かれているマスノ短歌のほうは少しもおもしろくなく、むしろ嫌悪感さえ感じるものが多かったのです。
 なんで自分がそんな印象を受けるのか、それがわからなくてふしぎだったわけです。方法論が正しいのなら、その結果として出来上がった作品がそんなにつまらなく、嫌な印象さえ受けるとはおもえません。とすると、ぼくが一読して正しいかのように思えた方法論のほうに、ぼくが気づかなかった間違いがあるのでしょうか?

 このまえパスの『弓と竪琴』を読んでからこの問題について少し考えてみたところ、なんとなくわかってきた気がしました。そのことについて書いてみます。
 結果からいうと、これは枡野浩一氏が使っている「言葉」の問題に帰着するようです。マスノ短歌がどのような言葉で書かれているのか、まず引用してみます。どれもネットで検索して載っていたものなので、たぶんそれなりに有名なやつなんだろうと思います。

年齢を四捨五入で繰り上げて憂えるような馬鹿を死刑に        枡野浩一

今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ    枡野浩一

神様はいると思うよ 冗談が好きなモテないやつだろうけど      枡野浩一

野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない     枡野浩一

もう愛や夢を茶化して笑うほど弱くはないし子供でもない       枡野浩一

 さて、このような短歌は枡野浩一本人がいうように「詩」ではありません。といって、パスが言うような意味での「散文」でもありません。つまり、言葉が一義的な意味で使われていません。仮に一義的な意味でとろうとすると、かなり変な内容になります。やってみましょう。
 一首め、枡野氏はほんとうに「年齢を四捨五入で繰り上げて憂える」程度のことが極刑にあたいするような犯罪であると思っているのでしょうか?
 二首め、枡野氏はほんとうに「どしゃぶり」が俺の背中まで届くように屋根に穴を開けたいのでしょうか。そんなことせずとも外へ出ればそれですむことじゃないでしょうか?
 もう、やめときましょう。そんなことはないのです。枡野氏は「死刑」と書いても、本当に死刑にするために行動をおこす気はありません。三首めをみても、このようなことを書く人というのは、ほんとうのところ神の実在についてつきつめて考えたことがない人であることは明らかです。
 つまり、マスノ短歌で使われている「言葉」とは、仲間うちだけで場つなぎ的に無意味に消費される「話し言葉」であり、考えを論理的に組み立てていくタイプの「言葉」でも、公の場で不特定多数の人に訴えるタイプの「言葉」でもありません。
 一首めの「死刑」と似た「言葉」を探すとすれば、例えば仕事帰りの居酒屋で酔っぱらいが勢いにまかせて、そこにいない上司に「あんなやつ殺してやる」と言うときの言葉であり、おそらくもっとも近いのはインターネットの「2ちゃんねる」などの匿名の書き込みで芸能人などを罵倒して「死ね」と書く、あの言葉でしょう。どちらも本当に「殺す」気なんてないのです。そもそも自分から主体的に現状を変えていこうとする意志があればこんな言葉は使いません。
 もちろん内容という点でいえば、マスノ短歌の内容は「2ちゃんねる」の匿名書き込みより上だと言う人がいるかもしれません。作者が自分の名前を出して発表しているだけあって、「2ちゃんねる」の匿名書き込みに比べれば表現が過激でもありません。が、本名だろうが匿名だろうが内容に変わるわけではなく、過激であろうがなかろうが「言葉」の本質がかわるわけではありません。これらは「言葉」という点でいうと同類なのです。つまり、発話者の感情とのみむすびついている多義的な言葉であり、深く考えることもなしにただ感情の発露として発話される、ひらたくいえば「ウサばらし」のための言葉です。
 四首め、五首めも構造は一首めと同じで、直接的には「死刑に」とも「死ね」とも書いてありませんが、ようするに作者は野茂が世界のNOMOになったことを自分の手柄のように語ってる人が嫌いなのであり、愛や夢を茶化して笑ってる人が嫌いなのでしょう。嫌いなら嫌いでいい、それが社会的に重大な悪影響をおよぼす事だと考えるのならきちんと批判すればいいし、そうでなくて単に嫌いなだけなら放っておけばいいわけです。
 その点でいうと、これらの人々は特に社会的に害悪になるとはおもえません、だから放っておけばいいわけなんです。が、それでは満足できない。そこで嫌いな相手をとにかく罵倒したい。罵倒する言葉を書いたうえ、不特定多数が読むような場になんとしても発表したいとおもってこれを書いたのでしょう。これも構造的には有名人を「死ね」と罵倒している書き込みと変わらない、つまり、ムカつく相手を罵倒してウサばらしをしているだけの「言葉」です。
 一首めでは「死刑」という法律用語が使われているわけですが、このようなマスノ短歌の「言葉」では法律を作ることはできません。国家を作ることも、動かすこともできなければ、為政者をきちんと批判することもできません。マスノ短歌の「言葉」では政治家を感情的にヤジることはできても、その政治家がしたことを客観的に観察し分析し、問題点を洗い出し、どこが正しくどこが間違っているかを判断して批判することはできないのです。
 つまり、マスノ短歌の「言葉」は、社会に触れることができないのです。それは本質的に無責任な言葉であり、責任ある仕事は他人任せにして、その他人がしたことに対して無責任にヤジったりボヤいたり愚痴ったりすることしかできない言葉です。自己分析力ももちません。
 例えば、仕事帰りの居酒屋でマスノ短歌のような「言葉」で上司を毒づいていた酔っぱらいも、明日になって出勤すれば会社ではまったく違ったタイプの「言葉」を使うはずです。そしてそうすることによって彼は社員として活動でき、あるいは社会を動かせもするのです。マスノ短歌のような「言葉」ばかりを使っているかぎりは、彼は有効な社会活動などできないのです。

 以上のようなマスノ短歌の「言葉」を正岡子規の短歌の「言葉」と比べてみましょう。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり   正岡子規

 これは社会に触れることができる言葉です。もちろん内容的には何ら社会的、政治的な内容を含みません。しかし、このように対象を観察し客観的に記述していく「言葉」をもったとき、はじめて人は法を作り、国家を運営し、分析し、批判することもできるのです。
 そして実際に子規は近代国家としての日本の黎明期の人間であり、近代国家を作り上げていくのにふさわしい「言葉」を創出するために文学活動を行った人です。
 もちろん文学で社会を変えられるのかといえば、実際に社会を変えていくいは権力や財力が必要でしょう。しかし、そこにきちんとした社会を作れる「言葉」がなければ、果てしなく続く権力闘争の戦乱しか生みません。
 広い意味での「もの書き」の仕事というのは、世界を変えられる、あるいは創造できるだけの「言葉」を生みだすことにあるのではないでしょうか。それは自己を分析して批判できる「言葉」です。結局のところ、どんな複雑な対象であっても、それをきちんと捉えられるかどうかは、観察者自身の自己分析・自己批判にかかっているのです。そのときに求められるのは、そうすることができる「言葉」をもっているかどうかにかかっているでしょう。
 しかし、マスノ短歌の「言葉」はあまりにもそういった地点から遠いのです。それは責任をすべて他人任せにして、仲間うちだけで言いたいことを言い合うだけの「言葉」です。それはつまり、「村」のなかだけで言い合っている「言葉」、どんなに言いたいことを言い合っても「村」の平和が保証されていると思うからこそ言い合える「言葉」、つまり、自分が依って立っている地面を疑ってみることなく、そこを批判し何かを作り変えようとも生み出そうともしない「言葉」です。
 もちろん、「仲間うちだけ」といっても、それは狭い範囲にしか通じないという意味ではありません。そんな無責任な仲間というのは、かなり多数いるとみるべきでしょう。インターネットの「2ちゃんねる」などに書き込み、読んでいる人の数は膨大な数だろうし、そのような内容のものが本として出版され、かなり売れたりもするのは誰しもご存知のとおりでしょう。
 しかし、どんなに多くの人が読もうが、売れようが、それはけっきょく無責任に仲間うちだけで、誰かに平和にしてもらっている「村」のなかだけで、言いたいことを言い合っているだけの「言葉」に過ぎない……ということを言っているわけです。

 本音でいえば「2ちゃんねる」などの書き込みで有名人が罵倒されているのを読むのが楽しいという人はけっこう多いのではないでしょうか。そういう人は、その罵倒に共感し、ウサばらしができる人なんでしょう。でも、そんな言葉に共感できない人、無意味さを感じる人、嫌悪感をかんじる人もいると思うのです。
 マスノ短歌の「言葉」はひたすら一方的に感情にたいする共感のみを求めてきます。そんな「言葉」にまったく共感する気なんてなく、むしろ嫌悪感を感じる者がでてくるのも、それはそれでしぜんなことだとおもうのです。そして、ぼくがマスノ短歌にかんじる嫌悪感というのもおそらくそこにあるとおもうわけです。


 では、なぜぼくはそれでも『かんたん短歌の作り方』に書かれた意見の多くにうなずくんでしょうか?
 枡野氏はもともとフリーライターだったそうで、そこが重要だとおもいます。
 一般的に、人が仕事に就くことの重要な点は、単にカネを稼ぐことだけでなく、その仕事をとおして世間を知り、社会を知ることにあります。
 例えば接客業できちんとした店で仕事をした経験のある人は、客に対する対応を叩き込まれるでしょう。客に対してどのようにお辞儀をしたらいいか、どのような言葉を使ったらいいか……などということです。
 枡野浩一という人はライターとして仕事をすることで、もの書きが仕事をしていくうえでは読者に対してどのようにふるまうべきか、現場で鍛えられて知っているのだと思います。たいていプロの世界というのは厳しいものなので、思い上がった書き手の子供じみたエゴなど通用しません。そこではどうやって読者にとって読みやすく理解しやすい文章を書くかが叩きこまれるわけです。
 対して、たぶん多くの歌人はプロのもの書きとして世間に出たことがないのだとおもいます。つまり短歌というのは商業的なものではなく、歌集も自費出版されて同じ結社など仲間のあいだでのみ読まれることが主なので、不特定多数の読者に対してどのようにふるまえばいいのかわからないまま、世間知らずのままやっている人が多いと思うのです。つまり、客への対応のしかたを教わっていない店員みたいなものです。
 この点において枡野浩一という人はたいていの歌人より圧倒的な優位に立っているのだと思います。
 例えば歌人の作品なかには一般的な原稿の書き方のルールさえ守られてない場合が多いです。ほんの一例をあげれば、文中に「?」や「!」を使う場合、その後は一字開けるのが一般的なルールで、手もとにある本をどれでも見ればそうなっていると思います。こういったことは、ふつう守れていなければ校正係に赤ペンで直される程度のルールです。が、短歌を読むと一字開けてない場合が多いのです。こういった例は多いです。
 さらには文語や旧かなづかいなど、読者が読みにくい文章をわざと書くのも多いです。そのほうが書きやすいのかも、自作が立派に感じられてよいのかもしれません。が、作者のこだわりがどうであれ、一般的な原稿の書き方のルールを守らず、文語や旧かなづかいなど一般的でない書き方をしていけば、そのぶん読者にとって読みにくいものになるのは自明です。
 一般的には、こういうことはプロの世界では通用しません。プロのライターであれば自分のこだわりより読者にとっての読みやすさ、理解しやすさを第一に考えなければなりません。そうでなければカネにはならないのです。
 ふつうは読者よりも自分のこだわりを優先できるのは、著名な大先生だけでしょう。短歌以外の分野では故石川淳が旧かなななどを使っていたと思いましたが、それでも文庫化の際には新かなに直されていました。いかにアマチュアリズムだといっても、たいして名も知られていない作者が、自分だけ大先生気取りの態度をとるのは、やはりどこか変なのです。
 実際には一般的なプロは、まず読者が何を読みたいかを第一に考え、自分が何を書きたいかよりも読者が読みたいものを書くことを優先させるものでしょう。作者が自分の書きたいことを、読者に読みやすく理解しやすいように書く……というだけでも、かなり作者中心の考え方なんです。
 まして、作者が一般的な原稿用紙の表記法さえ把握せずに、自分勝手なこだわりからわざわざ読者が読みにくいような文章を書くというのは、これは接客業を例にとれば、客に対してきちんとお辞儀さえできない店員と同じです。
 きちんとした客への対応ができてない店が客を減るのは当然のことで、新しく短歌を読みはじめる読者からすれば、きちんとした読者への対応ができているマスノ短歌のほうに近づいていく人が多いのも、大いにうなづける話です。
 もちろん読者にとってわかりやすく読みやすい、おもしろい文章が、イコール「優れた文章」というわけではないということも自明だと思います。ベストセラーとなった本のなかには、内容は空疎なものも多いのが事実だし、行きすぎた商業主義というのは、それ自体批判されるべき面があります。そして商業主義と無縁のアマチュアリズムにはアマチュアであるがゆえに良い点もあるといえます。
 しかし、いかにアマチュアであっても、書いたものを他人に読んでもらおうとするなら、最低限守るべき礼儀というのもあると思うのです。
 「自分が書いたものは優れた内容だから、読みやすくなくてもいいんだ」などと思っている作者が書いたものは、優れてもいなくて読みにくいだけ……というのが圧倒的に多いのが現実でしょう。
 そこへいくと少なくともきちんと読者を考えているマスノ短歌は、やはり一歩先へすすんでいるともいえるのです。



2006.7.9



 
■斎藤茂吉を読んでみる


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 いままで近代短歌というのをまともに読んでこなかったんですが、『弓と竪琴』を読みながら、やっぱりどんなものか読んでみなきゃいけないかなと思い立ち、少し読んでみることにしました。
 とすると、最初は斎藤茂吉かな、と思って、とりあえず『赤光』を読みはじめてみました。ついでに図書館にあったので西郷信綱の『斎藤茂吉』と塚本邦雄の『茂吉秀歌「赤光」百首』も借りてきて、ちょこちょこ見ながら読みました。
 と、これがけっこう驚きで、みょうに新鮮な印象を受けました。斎藤茂吉は学校で「死にたまふ母」のなかのいくつかを読まされたおぼえがあるんですが、ちゃんと読んでみると印象が変わりました。

 『赤光』には初版と改選版と二種類の編集があるんですね。ちなみに岩波文庫から出てる『赤光』は、この両方とも収録されてます。
 作者自身は改選版を定本としているようですが、西郷信綱の『斎藤茂吉』も塚本邦雄の『茂吉秀歌「赤光」百首』も初版のほうを支持し、初版の編集で話をすすめています。ということでぼくも初版で読んでみました。
 と、感じたことはまず、みょうに新しいということでした。なんだか新鮮なんです。このまえ俵万智の『サラダ記念日』を読んだときはあまりに古くて驚いたんですが、斎藤茂吉の『赤光』は新しいんで驚いたわけです。
 さらに、おもしろいんです。つまり、エンターテイメントとしておもしろいように書かれていると思うわけです。
 というのは、どういうことか、例をあげて説明していきます。
 まず初版『赤光』はこのように始まります。冒頭の三首を引用してみます。

ひた走るわが道暗ししんしんと堪へかねたるわが道くらし     斎藤茂吉

ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし     斎藤茂吉

すべなきか蛍をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし    斎藤茂吉

 まず歌集がはじまると、一首め、夜に走っているわけです。なんで走っているかわからない、とにかく走ってるわけです。しかも一首のなかで「暗い」という言葉が二度くり返されていて、どうも主人公の心情も暗い状況のようです。
 そして、二首め、走りながら飛んできた蛍を殺します。蛍を殺すというのは、なんとも不気味ですね。
 だいたい蛍は周囲の目のとどく範囲に外灯など人工の光があると生きていけないものなので、この主人公が走っている道というのは、文字どおりの真っ暗闇でしょう。その真っ暗闇のなかで貴重な光である蛍を握り潰して殺してしまう。そして蛍の光も消えて、さらに「暗」くなったとくり返されます。三度目のくり返しですね。
 三首めでは蛍を殺した手を見て反省します。しかたがなかったのか? しかし、しかたがなかったんだ、という結論を出します。いきなり蛍を殺しておいてです。
 ……さて、みればわかるとおりこれは同じスチュエーションの連作で、それはこの連作の最後まで続きます。つまり一首々々に独立性がそれほどなくて、一連のストーリーテリングがあるわけです。もちろん現在でもストーリー性のある連作というのはあるわけですが、こんなふうに映画の1カット1カットみたいに連続していくのは、むしろ現在でもめずらしいような気がします。こういう手法って茂吉以前からあったものなんでしょうか。それとも茂吉がはじめたものなんでしょうか。
 こういうのって、いがらしみきおの『ぼのぼの』とか、ああいった4コマまんがが連作として長編的なストーリー作りがされているのとかを連想させます。
 しかも、このオープニングのスチュエーションというのが、主人公が夜闇のなかをひたすら走っているというシーンです。何で走っているのかさえわかりません。
 このように説明もなしにいきなり動的でサスペンス溢れる状況に読者を放り込んでいくのは、サスペンス系の映画やドラマ・小説などでよく使われる手法です。いきなり読者を主人公の危機的状況へと感情移入させて読者を掴むわけですね。といっても、これは少しあざとい手でもあるんで、現在はそれほど多用はされていないと思いますが。
 こういう、あざとい手だろうが何だろうが、いきなり読者を掴む……ということを、ちゃんと考えている歌集って案外少ないんじゃないでしょうか。
 というか『赤光』が出たのは1913年なんで、まだ映画もグリフィスが出てきたあたりで、すでにこういう映画的といいたくなる手法をやっていたというのもすごいですね。さらにいえば、歌集のタイトルが『赤光』ですから、読みはじめるといきなり真っ暗だと落差があるわけです。
 さて、『赤光』ではこの後、主人公は氷屋が氷室から氷を出して切っている、その煙草の火の明かりを見つけたりしながら走っていき、島木赤彦の家に着いて一泊する様子などが描かれていきます。
 そして連作の最後にようやく状況説明が書かれています。これは、茂吉の師である伊藤左千夫の訃報をきいて走って駆けつける場面なわけですね。
 ここでまず最初の連作が終了です。

 初版の『赤光』は逆編年体で、つまり新しく書いたものからの順になっているんですが、そう機械的に逆編年体にはなっていません。順でいくと、この後伊藤左千夫の墓前で詠んだ歌があるんですが、それはずっと後に編集されていて、この暗闇のなかを走る場面から始められています。その他にも必ずしも逆編年体でないところはあって、けっこう意図的に作為的に編集されてるんだとおもいます。
 さて、この次の連作は「屋上の石」というもので、山の風景を背景にした恋愛が描かれています。ちゃんと調べたわけではありませんが、おそらくこの時代って、登山が最新のプレイ・スポットだった頃だと思います。ヨーロッパで登山が観光化したのはロマン派の時代で、それが明治時代に日本に入ってきたんで、登山が西欧文化の香りがした頃だとおもいます。この「山+恋愛」というのは、当時としてはかなりおシャレな印象だったんじゃないでしょうか。
 その他「麦奴」という監獄を舞台にした連作など、かなり毛色の違った読者が興味をもちそうな小さな連作がいくつか続いて、例の「死にたまふ母」の全59首の連作になります。いわば母子ものの泣かせの部分で、ストーリー性のある連続したスチュエーションの連作という手法が駆使される長編といったおもむきです。
 学校などではこのうちの有名な何首かを読まされたわけですが、全59首を流れで読むと、ストーリーで読まされる部分もおおきくなるわけで、一首だけ独立して読むのとは違った効果があるわけです。
 それに続いては「おひろ」という全44首の悲恋ものの大連作となります。
 この後もまだまだ続きますが、このへんだけ見ても、まずサスペンス溢れる冒頭からはじめて、おシャレな恋愛や、監獄という異世界、そして母子もので泣かせ、悲恋もので酔わせる……といった構成は、とにかく読者をツカンで読ませてやろう、酔わせてやろうというなみなみならぬ迫力を感じます。あざといくらいです。
 とにくストーリー性というのを強くかんじます。小説を読んでいるような気にもさせるのです。
 こういう手法って、この後、受け継がれてきてるんでしょうかね。この『赤光』自体も改選版で読むとそのようなパワーは失われてしまうわけですが。


 
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 さて、斎藤茂吉というとアララギ派の人ということになっています。アララギ派の人というより、アララギ派の代表といってもいいんでしょうか。
 アララギ派というと正岡子規の流れで、「写生」というのを手法としているはずです。
 けれど上に書いたとおり、『赤光』を読んでいると、むしろ作者のいろいろな作為が見えて、見たままを描くといった子規のいう「写生」という感じからはだいぶはみ出ているような気がするのです。
 では、はたしてほんとうに茂吉は子規の「写生」の手法を受け継いでいるといえるのでしょうか?

 個人的な結論を先に言わせてもらえば、ぼくは茂吉は子規のいう「写生」を受け継いでないと思います。
 アララギ派は事実ということにこだわっていたようですが、そもそも物事をありのままに記述するということは、事実であればいいというわけではありません。目の前にある事実のうち、どこを書き、どこを書かないのか、作者が意図的に取捨選択していけば、たとえ書いた内容はすべて事実であったとしても、ほんとうの姿にはほど遠いものになることもあるからです。
 茂吉の作品を読むと、たとえば有名な「死にたまふ母」でもいいのですが、きちんと記述しなければならないところが書かれていなく、書かなくてもいいところばかりが肥大した、客観的な観察力に欠けたものである気がします。
 例えば母危篤の情報を茂吉はどんな状況で知ったのか、故郷に到着したときの母の病状はどうだったのか、その病状がどのように変化して、どのように亡くなったのか、葬儀はどのように行われたのか、といった具体的な事実は59首を全部読んでもまったくわかりません。
 そのかわりに、添い寝していたらカエルが鳴いていたとか、梁にツバメがいたとか、そういう、いわばどうでもいい風景が描かれていく、そして有名な「我が母よ死にたまひゆくわが母よ……」のような慟哭があります。これはリアリズムというよりは、あきらかにロマンティズムの産物です。それが悪いというわけではまったくないのですが、あきらかに正岡子規が提唱した「写生」ではないわけです。
 いろいろなものを読むと、茂吉は子規のいった「写生」という言葉をかなり独自の解釈をしていたようです。よく引用されている「自然と一元化した生を写す」ことが「写生」だとかいう、あれです。
 言わせてもらえば、こんなことを言っている時点で、もうすでに茂吉は子規のいう「写生」なんて受け継いでないのだと思います。
 そもそも「解釈」というのはそれ自体に問題があって、本来なら言葉とはそのまま受け取るべきものであり、それぞれが独自に解釈なんてしてしまうと、本来いっていた意味が曖昧になり、ぐずぐずになって、どういうことを言っていたのかわからなくなるものです。できるかぎり「解釈」なんてすべきじゃないんです。
 子規がいった「写生」というのは、目の前にあるものをきちんと正確に観察にそのまま記述していくという方法であって、描写とか、そういった技術です。それは絵画における、見たままをデッサンする「写生」と同じ意味です。
 子規がなぜそんなことを言ったかといえば、日本にはそれまでそういった「写生」、描写といったものが根づいてなかったからです。
 たとえば日本には山水画など風景画と似たようなタイプの絵がありますが、実はあれは西洋の風景画とは違うものです。西洋の風景画とは目の前にある風景を描写したものですが、山水画の場合、べつにその風景を見て描いているわけではありません。山水画に描かれた山とは画家の内にある概念としての山を画家が形にしたものであり、木々も草花もそうです。
 子規がやったことは、そういった作者の内にある概念を形にすることではなく、作者がむしろ自己を無にして、対象をきちんと観察し正確に描写していくことから生まれてくる何かが大切なのではないかと考え、それを実践したことであって、「自然と一元化した生を写す」などと言い出してしまったら意味が違ってしまいます。
 もっとも、子規のいう「写生」というものを考えた場合、はたして韻律短詩形の短歌というのが適当な媒体なのかというと、そこに疑問もあります。韻律にも長さにもとらわれない、いわゆる「写生文」さらには小説のほうが適してるんじゃないかと思うのです。
 だとすると、短歌ではむしろ「写生」以外の可能性を探したほうが良いのではないかと考えることも、個人的にはしぜんなことだと思います。
 たぶん茂吉が子規より歌人として優れているとすれば、そんな「写生」にとらわれなかったからという理由が大きいんじゃないかと思います。
 とすれば、本来、「写生」という言葉を拡大解釈してやっていくのではなく、きちんと子規のいう「写生」という方法を批判して、自分なりの方法論を打ち立てていくべきだったんだと思います。
 たとえ先人がいかに人間的に立派で尊敬すべき人物だったとしても、彼の言ったこと行ったことに批判すべき点があれば、そこをきちんと批判して後につなげる事こそが重要であり、結果的にはそうすることによってこそ批判された先人の業績も生きるのです。

 茂吉がここできちんと「写生」を批判しておかなかったために、「写生」という言葉がへんなふうに生き残ってしまい、以後のアララギ派を、さらには短歌界全体を縛ることになり、『現代短歌入門』での岡井隆の批判まで生きつづけてしまったのではないか。と、そんな気もしました。


 
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 どうも近代以前の短歌では、古語、雅語とか歌語とかいう、いわばいかにも短歌らしい味わいがあるとされている言葉があって、短歌とはそういう言葉を使って書くものとされていたようです。つまり、歌っぽくない言葉は使ってはいけないと。
 いうまでもないことですが、こういう束縛はジャンルの衰退を招きます。もともと生き物である言葉を、そういうふうに先人がこういう言葉を使えとガッチリと枠で固定してしまうと、言葉は生命力を失ってしまい、後から来た人は先人を超えられないのですね。
 そういった風潮を破ったのが正岡子規で、彼は短歌を書くのは古語でなくてまったくわまわないとし、現代語、さらには外国語を使って書くのも良いとしていったんだそうです。
 それに対して、斎藤茂吉は使われてなかった古語や枕詞などもまた使いはじめた人のようです。当時は茂吉の使う古語の表現に、どんな意味なのかわからないという批判もあったそうですが、それでも使っていったようです。
 といっても茂吉は古語を使うのが良いと考えたのではなく、万葉集の時代から現代に至るあらゆる時代の日本語をすべて使って書くということを理想としたようです。つまり現代では使われなくなった語彙でも、それがもっとも適当な言葉だとおもわれるなら積極的に使っていこうと。
 たしかにそういう考え方にも一理ある……と思う人もいるかもしれません。ボギャブラリーが増えれば、そのぶん表現力が増すように思えるからです。
 でも、一体それを誰が読むんだ……と考える人もいると思います。つまり、現代では使われなくなった語彙を、もしピッタリの表現だからといって使用したとしても、その言葉を読者が知らず、理解できなかったら、つまり何も伝わっていないことになり、むしろ表現できてないということになるのではないかと。

 思うに、このような茂吉の考え方って、モダニズムなんですね。
 モダニズムって読者不在でもいいものなんです。ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』なんていい例でしょう。あれは何カ国語もの言葉を混ぜ合わせた言葉で書かれているんで、その何カ国語かをすべて読めなければ読めないわけです。そんな読者なんて、滅多にいるもんじゃありません。
 でも、いなくてもいいと考えるのがモダニズムなんですね。つまり、ある方法論があって、それが見事な完成度で達成されていれば良いとする考え方で、それを読んでおもしろいかどころか、それを読める人がいるのかということも二の次に考えるようなところがあるのです。
 おそらく、何かが信じられた時代にはそれで良かったと思うのです。
 その「何か」とは何だと言われると、これはなかなか答えにくいものではあるんですが、ここでは一応「文学というものの権威のようなもの」といっておきます。
 以前は「文学」というのがある「権威」のようなものをもっていて、人々は教養を得るために文学全集などを家に揃えておいて読むのがカッコいい……みたいな時代があったようです。あるいは「文学」というものが、そうされるだけの社会的役割を担っていたということもいえるようですが。
 でも、いまはもうそういう時代ではないということは確実にいえるとおもいます。たぶん、「文学」というものが信じていられたという時代というのは、日本では遅くみつもっても70年代くらいまででしょう。
 『フィネガンズ・ウェイク』以後、あれを超えるような小説って出てないとおもいますが、それはたしかにジョイスが凄かったという理由もあるんでしょうが、それ以上に、もう誰もあのような小説を書こうとしなくなったという理由が大きいと思うのです。
 つまり、誰も読めないような「傑作」を書いても、ありがたがってもらえるような時代ではない、そういった信仰は去ったということです。
 といっても、それからも小説も詩も書かれているわけですが、それに対する読者の態度は変わっていると思うのです。つまり「文学」を神棚においておく時代は去り、それはあくまで読まれ、読者に伝わってはじめて意味のある、広い意味でのおもしろければ読まれる時代になったと思うのです。
 たぶん「文学者」というのは、それが信じられていた時代にはある種の教祖のような権威をもってたようにおもうのです。つまり難解で何だかよくわからないようなことを書いていると、かえって偉いと思われるような。
 でも信じられていた時代は去り、信者なんてもういないということに気づかずに、自分だけ権威ある者のようにふるまっている自称教祖というのは、はたでみていると滑稽なだけではないかとおもうのです。
 いまは、難解だからありがたがられる時代ではなく、実質によって計られる時代だとおもいます。
 もう茂吉のような、読者がわからないような古語をわざと使うような方法論って、時代遅れなんじゃないでしょうかね。茂吉の時代にはそれでよかったとは思うのですが。
 なんてことを書くのは、いまだに茂吉みたいなことをやっている人がいるんじゃないかとおもうからなんですが。


2006.7.14<-16




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