ALTERED DIMENSIN
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2008.03.31
 

孔雀青と孔雀色

(写真1)孔雀青。雄の羽冠が扇のような形をしているのがインドクジャクの特徴

(写真2)アシュラムのヤシ畑で餌を探している

(写真3)アシュラムから見えるアルナーチャラ。左が食堂の建物

(写真4)孔雀に乗ったラマナ・マハリシ

(写真5)南インドの田舎のお祭りで、孔雀の羽と羽で作った団扇を売っていたおじさん

 南インドのタミル・ナードゥ州にアルナーチャラという小さな山がある。麓にラマナ・マハリシのアシュラムがある。アシュラムとは、道場、修業所といったらいいのか、聖者の庵のような所のこと。すでに半世紀以上前にラマナ・マハリシは亡くなっているが、グルを慕う人々によってアシュラムが運営されている。
 アシュラムではラマナ・マハリシの教えに共感し、やってきた欧米からの宿泊者が目につく。アジアからは日本や韓国から訪れる人が多いようだ。インド人の家族連れが訪れたりもしているが、インドの上流階層なのだろうか、上品そうで一様に行儀がいい。
 アシュラムには、宿泊施設、瞑想ルーム、礼拝堂、食堂、庭園がある。ラマナ・マハリシが生涯を終えた部屋はニルヴァーナルームと呼ばれ、シュラムの中心に保存されている。敷地は緑豊かで、門の外のインドの田舎町とは別天地のような所だった。
 ここ泊まっていると三食出してもらえる南インド料理はとてもおいしいし、特に何か参加しなければいけない行事のようなものもなく、居心地は申し分ないのだが、自分は町の中心にあるアルナーチャレーシュワラ寺院の塔門の前にたむろしている物売りや、物もらい、サドゥー、ただそこにいる人たちの中でゴロゴロしている方が性にあっているようで、日がな一日そこにいた。
 寺院の塔門の門前は、石作りのアーケードがあり、日陰になっているので人々が床に寝転がっている。寝ころんでいるとアルナーチャラの岩肌がよく見える。地図を見ると、山塊に一番近い場所に寺院が建てられている。しかし顔にハエがたかって気になる。周りはゴミだらけでハエがものすごくいる。じっとしていると手にもとまられる。1、2、3と数えると片手に18匹はとまっている。ハエが皮膚の上を動くとき、チクチクした二つの点がすごく接近した感触で、これは日本の生活ではなくなった感覚だなと新鮮な気持ちになった。
 
 アシュラムならではの体験としては孔雀を近くからじっくり見てきた。正直に言えば、ひたすら孔雀の色を感じ、内に取り込んできた。シュラムには孔雀が何羽もいて昼間は中庭を歩いている。インドクジャクは同じ所に住む習性があり、放し飼いができる。ヤシの木の下の植え込みを歩きながら地面の虫をついばんだりしている。白い孔雀もいた。
 ここにいる孔雀はあまり人を恐れないので近くから眺めることができた。どうも孔雀からすると、安全圏の距離があるようで、1.5メートルぐらいか、それ以内に近づこうとすると、早足で逃げていったり、枝に舞い上がったりする。
 少し横道に逸れるが、アシュラムの中庭では、サルと犬と孔雀の三者が目につく。人間を入れると四者になるが、サルは女性や子供を威喝したり、孔雀にちょっかいを出したりと傍若無人に振る舞っている。そんなとき孔雀は木の枝に飛び上がり難を逃れる。しかしサルも犬には手を出さない。一方、犬は人や孔雀には無関心のようだがサルは気に障るようで追いかける。サルの方はサッと木に登って逃げる。犬猿の仲という言葉は、こういうことかと納得した。
 
 孔雀は首から胴にかけては、光沢のあるコバルト系の濃青をしている。孔雀青という。これはインドクジャクの特徴で、東南アジアにいるマクジャクの方はそこが翡翠のような緑色をしている。江戸時代、日本に舶来していたのはマクジャクで花鳥画に描かれているのはこちらの方だという。江戸時代にはよく見世物になっていて、江戸後期の寛政年間にはお茶を飲みながら孔雀を見物する孔雀茶屋が浅草、両国、それに大阪、名古屋にあったといわれる。
 
 孔雀色は、羽が光や見る角度によって青系統にも緑系統にも見えることからまぎらわしい。舶来のピーコック・ブルー、ピーコック・グリーンに対応しているが、孔雀の羽の中にある緑色を指しているらしい。長い飾り羽が西日の光が当たった瞬間、鮮やかな緑系統の色に変わったのを想い出す。
 孔雀の羽、真珠、玉虫、トカゲ、蝶の羽、シャボン玉……光の干渉によって光沢のある不思議な色に見える。テレンス・マッケナは、なぜサイケデリックスに惹かれるのかインタビューで理由を尋ねられたときに、それが「不思議で美しいもの」だからだと答えていた。その例として、子供のころメタリックな虹色に光るふくろうや蝶をあげている。マッケナの言ってることを100%分かったと思った。なぜなら自分もまた子供のころ、神社の楠の幹にいた玉虫に見とれたり、空き地に巣を作っていたトカゲのメタリックな蜥蜴色(とかげいる)に魅せられていたからだ。(麻生結のひとりごと「平貝とテレンス・マッケナの言葉」2006.11.17)
 
 まず目につくのは、ビカビカと電光のような色と言ってはすこし大げさかもしれないが、首から胴にかけての孔雀青だった。その色を目に焼き付け、魂に取り込むように、たひたすら見続ける。飾り羽に目玉のような模様があって、青にも緑にも見える楕円が入っている。何か分かるとか、思いつくというのではなく、ひたすら自分の内側に染み込んでいくような、そんな時間を過ごした。
 動物園ではこんなに近くから、檻も柵もないところで見るのは難しいと思うので、今になって、自分にとってはこのシュラムで我流の瞑想をさせてもらったと感謝している。
 
 アシュラムでは朝、昼、晩の三食と午後のお茶が出る。その時間になると滞在している人たちはみんな食堂に集まってくる。食堂の入口は人の列ができる。中庭の通路から建物の階段を少し登って、食堂の広間に入るのだが、入口のところで順番を待っていたとき、壁の上に飾られているラマナ・マハリシの写真や絵を眺めていた。その中に孔雀の上に乗ったラマナ・マハリシの絵があった。最初に見たときは奇妙な感じがした。孔雀の足は細く、もし人が上に乗ったりしたら潰れてしまうのではないか? 
 少し調べてみたらヒンドゥー教の宗教画では、孔雀は、女神のサラスバティ(弁財天)、クマーラ(韋駄天)の乗り物になっている。そんな伝統から聖者の乗り物として描かれているようだ。
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