ALTERED DIMENSIN
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[サイケデリクス]

キノコ体験から、こちら側に持って返ってきた言葉
「みんなおる。ここにおる」

(ape)

 先日、親しい友人と2人、初めて野外でキノコを体験した。場所はポプラ並木のある広々とした野原でありながらその向こう側にはいたって現代的なビル群が立ち並ぶという一風変わった所であった。
 時間は午後の9時頃からシロシベ・クベンシスの乾燥物を、友人が約2g、僕は約5gをそれぞれウーロン茶、グレープフルーツ・ジュースで流し込んだ。
 しばらく地面に腰を下ろしぼんやりとしていると、徐々に効果が現われはじめ、気づいた時には僕と友人は時間の流れ、空間、自意識、そういったものをはるかに超越した場所にいた(無論、これは僕(その時にはそもそもその「僕」という意識さえなかったのであるが)の中だけでの個人的体験であり、一緒にいた友人がどのような世界を見ていたのかは僕には知る由もないのだが)。

 その場所では凄まじいまでの自然との一体感があり木や草花それ自体、その存在そのものの持つ力に気づかされ圧倒されるばかりであった。友人(この時点で僕は彼が一体誰であるのかという事をまったく思い出せず、むしろそれはどうでも良い事に思われひたすら「この場所の存在を先に気づいていたおっさん」として捉えていた)との共感覚も物凄く、まるでテレパシーのように相手が考えていること、これから言おうとしていることが分かるような気がした。
 それを確かめるために「せーのっ!」で二人で声を合わせ発言が一致する事を確認して楽しんだ(後に冷静な頭で振り返ってみると、二人気づかぬうちに同じ様な内容の会話の無限ループに陥っていた可能性も否定できない)。

 途中、打楽器のようなカエルの鳴き声が雨を呼び、僕ら二人は雨に打たれたのだが、雨がなぜ「恵みの雨」と呼ばれるのかその由縁を全身で身をもって実感した。その時の雨に冷たさはまったくなくむしろ、暖かさが感じられた。
 雨の一粒、一粒が僕の体の細胞を揺り動かし、呼び覚ましてくれているかのようで、本当に至福の一時であった。けれど、外から見たらずぶ濡れでえへらえへら笑っている二人組…かなり危ない絵である。

 しまいには本物のキツネまで出てくる始末で(北海道という土地柄、キツネはよく出没するのだがまさかこんなシチュエーションで出会えるとはと驚きであった)大自然メニューテンコモリな充実した体験となった。

 ただ、時間がたつに連れて意識のある次元と、自分の身体感覚がある次元とがあまりに乖離しすぎていることに気づき、そのリンクが途切れてしまうのではないかと考え出した途端、恐怖心からBADに陥りかけ、帰り道のポプラ並木が延々出口が近づいてこない地獄のような帰り道と化してしまった。
 既に効果が薄れてきていた友人の介抱により、何とか無事に家までたどり着くことができたが、僕の時間感覚の喪失は大変なもので、キノコを摂取してから、まだそんなに時間が経っていないということを理解するのに、そこからさらに半日ほどかかってしまった。

 あの場所で感じたことを、僕の表現力で言葉に置き変えるのは本当に難しいのだが、僕と友人が涙を流しながら、忘れないようにと繰り返し繰り返し唱えこちら側に持って返ってきた言葉がある。

「みんなおる。ここにおる」

 まさに6月のAD研究会のサイトでもふれていた人類我、ユングのいう集合的無意識そのもののような体験であった。

 人間の脳の中には、超越的なモノ、存在、次元などを知覚、もしくは認識する機能が元から備わっているのではないのだろうか? 普段は閉ざされているその機能を、キノコのケミカルな作用+αが解放してくれているのではないだろうか? 最近、よくそんなことを考えている。

[サイケデリクス]