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[サイケデリクス]

5MEO―DIPTのセクシュアリティ

O/H

 5MEO−DIPT、通称フォクシー(合法)は媚薬としてかなり優秀なものだ。フォクシーとは、女狐的なセクシャリティを指す言葉だが、なるほどこのケミカルは、事物すべてをフォクシーに見せると言える。

 7〜8mgを摂取。数十分で訪れる軽い吐き気さえ通りぬければ、すべての感覚の強度が増し、ハイになってくる。特に視覚と皮膚感覚、そして性感そのものが研ぎ澄まされてくるようだ。このあたり、2CB(1998年まで合法)の効果に似ていなくもない。

どうも視覚を敏感にするものは、同時に性感を高めるというのは、法則のようである。これは第三の目とも呼ばれるアジナ・チャクラ(額に位置する)の活性化と、性感の活性化が繋がっているからではないか。インドのチャクラ理論でも、アジナ・チャクラとスワディスターナ・チャクラ(臍の少し下に位置する)は密接な繋がりがあるとされている。スワディスターナ・チャクラは性中枢であり、この二つのチャクラが同時に活性化されているのではないだろうか。

 また脳の構造の上から視覚と皮膚感覚は密接に関係している。発生学的には、目は皮膚の一部と言ってもいいほどだ。皮膚が光への感受性を特別に高めたものが、いわゆる眼球である。とするなら視覚の強度が増すことと皮膚感覚の強度が増すことが同時的に起こるのも、故あることではないか。

 フォクシーにおける「感受性の強化」は、なんとなくデジタルである。きのこのように、うねうねと巻きあげられていくのではなく、ぴきっぴきっとメリハリを持って強度を増していく。

 世界がキラキラしてくる。生命あるものに波長があっていく感じではない。光りもの、たとえばネオン、パソコン画面、ミラーボール、宝石、ピアス、ラメなどに波長があっていくようだ。色でいうと、蛍光色のバイオレットなどに対して一番敏感になっているように思う。

 フォクシー7mgの影響下で紅葉を見に行ったが、あまり美しくなかった。むしろ、紅葉とは葉が老いて枯れていくことなのだと理解してしまった。赤く色づいた葉にみすぼらしさを覚えた。

 しかし、そのとき目に入ってきた青い空や太陽、行き交う女性などは、とても綺麗だった。特にテカテカ光るような化粧をしている女性が、やけにセクシーに見えた。アイシャドー、ラメ、ピアスなどに対しては、僕は今まであまり感心したことはなかったのだが、そういったものが、きらっきらっと体の芯を射るようにして、性感を刺激してきた。なぜ、なんのために人々がそういう装飾をするのかが、生まれて初めて本当に理解できた気がした。

 噂どおり、これは媚薬としての能力が高いと実感した。だだし、生き物同士のせつない欲望を掻き立てるというよりも、最高によくできた「性愛アンドロイド」と一緒に天まで昇りたいといった思いに駆られる。デジタルなハイ・テンションだ。

女性の肢体のラインそのもの、その曲線描写に脳髄が直接反応しているといった感覚がある。幾何学的にコーラの瓶のような曲線に反応するように、脳がデザインされているというわけなのだ。特定の生身の女性への具体的反応ではなく、性のメカニズムそのものが原理的に刺激されているといったところか。

 同時に睫、微笑み、唇、耳たぶ、胸、ふくらはぎなど、あらゆるパーツがまるで脳髄に差し込んでくるように性感を刺激する。ボディラインへの反応と、各細部への反応。両方とも高まっているようだ。

 それは「純粋な性欲」である。恋愛感情は関係ないようだ。

 性感の高まりは、フォクシー1mgでさえ感じた。特にパソコン画像などの光を孕んだ裸体像が美しいのに気がついた。1mgの場合でも、8mgの8分の1だとは感じない。ちょっとした性感UPには十分だ。また1〜3mg程度なら、日常生活をちょっとハイテンションで送るのにも好都合のようにも思える。そして、1mgから8mgの間のどの量でも、妻とのセックスの性感が、ぐっと増した。

 7〜8mgの分量を用いれば、座っているだけで全身に光の小波が走りぬけるような快感がある。目を閉じれば、身体がネガポジ反転して光っている。体全体が光になったようだ。皮膚がまるごと眼球になって光を感じているようでもあり、眼球が皮膚になって光の触感を「圧」として感じているようでもある。つまりどこまでが皮膚でどこまでが眼球なのかわからなくなってしまい、とにかく光と快感を同時に感じているといった具合だ。

妻の手や唇にどこかを触られると、そこに光の小波が走る。僕は鼻先にキスされ、唇につつまれたり、舌で舐められるのが好きなのだが、そうされると腰のあたりから、全身にシュワシュワと光が泡立つようだ。

 射精能力そのものも異常に増すことがわかった。まるで10代の頃のように一晩に三回射精することもできた。僕はセックス・マシーンになったのか。

 エモーショナルな変化は殆どない。ふだん抑圧されていた感情が浮上するとか、音楽にいつもよりも感動してしまうとか、そういった変化は僕の場合なかった。ただ、ひとつ心に変化があるとすれば、性欲に対してあっけらかんと無条件で肯定するような心持ちになったことだろうか。ふだんは、性欲と観念が幾分か葛藤を起こしていることが多いように思う。だが、フォクシーの影響下では、欲望に忠実に動くことは、まったく正しいことのように思えてくる。もちろん、状況を見てセーブする程度のゆとりはある。が、状況が許せば、100パーセント全身全霊、相手にぶつかっていくことができる。(言うまでもないことだが、互いの意志を尊重することは重要だ。悪用等によって弾圧を招くことのないよう、切に願いたい。)

 言い換えると、半分子どもに戻っているような無邪気さがある。無邪気さと性欲がうまく統合している感じがする。まるで母の乳房に吸い付くような無邪気さで、しかも大人の性欲が満開になっている状態だとでも言おうか。あたりは何もかも、キラキラしている。木漏れ日などはとても綺麗だ。

 5MEO−DIPTは、アジナ・チャクラとスワディスターナ・チャクラを特異的に活性化し、ハートのアナハタ・チャクラは無視する。無視することによって、そこに生じる軽さがある。内省的になったり、深層心理に巻き込まれたりといったことは、あまり生じないように思う。少なくとも僕の場合は生じなかった。自分の内側を見るというよりも、自分自身が眼球の表面と皮膚だけになってしまい、世界との接点すべてが「光の快感」に変わってしまったようである。いわばこのサイケデリクス(精神展開薬)は、内面を展開するというよりも、内面をくるりと裏返して空っぽにしてしまい、境界面の快感だけに感覚を集中させてしまうと言えるかもしれない。

 恋愛感情、いとおしさ、せつなさみたいなものは、UPしなかった。むしろハートが、すこんと抜け落ちてしまったようでもあった。性とハートは切り離されて、「ややこしいこと」ぬきにとにかく原理的にHな自分がそこにいた。

 MDMA(1990年まで合法)は、媚薬だと誤解されていたが、実際にはハートを開くサイケデリクスだった。結果として人との親近性が増すことはあったが、それは飽くまでもハートから始まっている出来事だった。ハートと皮膚がひとつながりだった。いとおしさがあふれ、そこから触れ合いたいという思いが生じた。その先に性交したいと思うかどうかは別問題だった。むしろ殆どの場合、狭義のセックスをしたいとは感じなかった。ハグしあっていれば、十分だった。

 だが、5MEO−DIPTは、逆にハートをすこんと落としてしまう感がある。ハートだけではなくもっと全面的な「内面消失」と言ってもいいかもしれない。明るく軽くハイに気持ちよくなる。そして単純にHになる。

 内面では殆どワークが生じないので、思想的に新しい地平に出るとか、人格の再編成をするとかいう力は、弱いように思った。だが、量をもっと増やせば、ただすべてに気づいている「瞑想的な観照性」がもっとはっきりしてくる可能性もある。摂取した日の夜、眠っていてもずっと意識が持続しているような感じが、すこし伴っていた。

 「抜け」は、わりとスムーズで「だるさ」は、引きずらない。がたんと終わってその後疲れるのではなく、すーっと軟着陸していく。4時間ほどでほぼ通常感覚にまで落ち着くが、その後もいつもより明るく元気な感じがまる一日ぐらい、時にはもっと続く。MAO阻害効果があるので、抗鬱剤的に長時間効いているのだとも言う。

[サイケデリクス]