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2011.01.28
[ひとりごと]

ワサビとトウガラシのスピリチュアリティ

 日本のワサビ、韓国のトウガラシ、ふたつのスパイスについて、考えてきたことを書いてみます。評論家の呉善花さんは、エッセイの中で、ワサビとトウガラシの嗜好から、それぞれの国民気質を分析していた。以前、そのエッセイを読んで、なるほどと納得するところがあって、以来、なんとなく気になっていた。
 
 ワサビは冷たい清流に生えて緑色をしている一方、トウガラシは、大地の畑で燃えるように赤々としている。スパイスの効果を比較すると、それぞれの国民的な嗜好が見えてくる。それは気質やスピリチュアリティともつながっているように思える。
 
 一口に「辛さ」といっても、ワサビの鼻に抜けるツーンとした辛さと、トウガラシのカーッとくる痛みのような辛さはかなり違う。 ワサビはシャープ、クールな辛さ、トウガラシはホットな辛さ、辛さと言っても、いわば対極的な関係にある。
 日本のサッカーのナショナルチームのユニホームは青、韓国は赤。色の心理的なイメージとしてよく言われていることですが、青色はクール・鎮静といったイメージ、赤色はホット、興奮といったイメージで、国民的な好みかと思うのですが、みごとにスパイスの好みと対応している。
 
 ワサビは、刺身や鮨、蕎麦の薬味として用いられている。誰もが知ってるように、日本の料理なんでもに使っているわけではない。ワサビを使う料理は限られている。一方、韓国料理では、実際、幅広くトウガラシが使われている。
 ワサビは日本原産のスパイスです。日本の他にワサビをスパイスとして使っている国はあるのだろうか? すぐには思い浮かばないが・・・。又聞きですが、トウガラシの辛さには慣れているタイ人の女性が、ワサビとカラシは苦手と言っていた、そんな話しを聞いたことがあります。
 一方、トウガラシは、世界中で最もたくさん作られているスパイスです。メキシコでも、アラブ料理、インド料理、タイ料理、中華料理とトウガラシをよく使っている。世界の人口の4分の1は、トウガラシを使っているとか。
 こう見ると、韓国のトウガラシは、世界では普通のスパイスで、一方、日本のワサビは、とてもレアーな、特異なスパイスのように思える。
 
 ワサビの辛味は、アリルイソチオシアネート(アリル芥子油)という成分による。この物質は、揮発性なので口にした瞬間、一気に鼻に抜ける辛味を感じる。 それがクールな清涼感として感じられる。 体が鎮まるというか、鎮静効果がある。
 そして、この辛味はすぐに消える。常々、感じていることですが、瞬間的にやってきて、後には何事もなかったように消えるこの感覚って妙なものだと思う。
 
 調べていくと、鼻の粘膜を揮発性の香りが刺激するので、素材の臭みを感じさせなくなるという。なるほど、匂い消しということか。ワサビの効能として、よく耳にするのは、殺菌効果があるので食中毒の予防になるといった話しだけど、昔の人は、そんな効能を求めてワサビを用いていたのだろうか? それなら悪くなった魚を生で食べなければいいだけのこと。
 昔、江戸時代から明治、大正、まだ冷蔵庫が普及する以前、家の中にハエがぶんぶんして、下水施設もなかった。そのころの人々は、水や食べ物について、現代人より遙かに抵抗力があったと思われる。少しぐらい痛んだ生魚でも平気で食べていたはずで、そんなとき臭みを消すために用いられていたのではないか。
 あのツーンとした、忘我状態のような10秒ぐらいに、異臭を発しているものでも喉を通ってしまったのではないか。想像するに、そんなツーンを何世代か繰り返しているうちに、その感覚に惹かれるようになっていた。最初からワサビの、あのツーンが好きという感覚があったとは思えない。
 要は、はじめは苦痛というか不快だった感覚でも、繰り返しているうちに心地よく感じられるようになる、人間の嗜好にはこんな仕組みがあるように思える。
 
 ワサビとトウガラシのスピリチュアリティ(!)・・・スパイスに精神性なんてあるのか? そういえば、テレンス・マッケナは、砂糖はドラッグ、スパイスもドラッグと言ってた。スパイスをドラッグのひとつとしてとらえた元祖は、アンドルー・ワイルだった。ワイルは「トウガラシ・ハイ」といった言葉も作っている。
 
 そのトウガラシ・ハイの話し。ワイルは、1970年代にアメリカのニューメキシコ州、トウガラシの産地ですが、 そこで毎年行われている「チリ祭り」のトウガラシ食い競争を紹介し、トウガラシでナチュラル・ハイになると書いた。イリーガルなドラッグを使わずにハイになれる、健康な、ナチュラル・ハイといったイメージがうけて、トウガラシ・ハイの信奉者は増えていった。
 ところで、もし(その頃の)ワイルが、ワサビの辛さと出会っていたら、ワサビ・ハイ、ワサビ・ハイと言い出していたかもしれない。
 要は、ハイ(快感)という体感は、体への強い刺激をハイとして感じれるように結びつける、つなげる心理的な回路をじぶんの内に作れるか、どうかってことなのだと思います。
 
 トウガラシの辛さは、カプサイシンという成分による。血行を良くし、発汗を促す働きがあるので、体が熱くなる。 トウガラシにしろカラシやワサビにしろ、辛さを感知するのは味覚細胞ではなく痛覚細胞のようです。つまり辛味は味覚ではなく痛症の一種らしい。この痛みを長い間、繰り返しているうちに、舌がほかほかし、引き締まる感じを辛味と感じるようになる。
 
 わたしは、どうもトウガラシ、あまり辛いのは苦手だ。辛さがきついと、一口で舌がヒリヒリして、痺れるような痛みを感じ、耐えられない。また、その辛さがワサビと違って、延々、後を引く。辛さが消えるまで、ひたすら耐えて我慢するしかないのは辛い・・・辛(から)い、と辛(つら)い、は同じ字なんですね、改めて、よく出来てるなと思う。
 そんなわけで、トウガラシ・ハイって言葉に惹かれても、実感としてはついてけない。高円寺にある蒙古タンタンメンの店に、偶然、入ってしまったときのことを思いだす。注文してから、辛いラーメンで有名な店だと知った。どうにもヒリヒリする辛さ、その上、大汗でまいった。頭皮から汗がたらたら流れてきて、顔が濡れてしまう。 
 その蒙古タンタンメンの店に詳しい人から聞いた話しですが、何日か一度、この店の辛い麺を食べないと我慢できなくなる、依存症になっている人たちもいるそうですね。そういえば、トウガラシ依存症のような話しは聞くことがあるが、ワサビについては聞いたことがない。
 
 ワサビが鎮静なのに対し、トウガラシは興奮と対照的です。いわば、スパイスのダウナー系とアッパー系といった関係になる。「マイルド」に効くところが向精神性のドラッグとの違いだろうか。
 精神安定剤や抗うつ薬、睡眠薬をはじめ向精神性ドラッグは、 アッパー系とかダウナー系とか、あるいはサイケデリックス系と分けられたりしているが、直に中枢神経系の脳、つまり心、精神に作用する。 一方、スパイスの方は、体(肉体)の感覚器官を介して、精神に働く。ここでスパイスの感覚(味覚、痛覚)をある方向の、特定の意識、精神に変換する学習、心理的な回路をじぶんの内に作れるか、どうかによって、効きは違ってくるのではないか。
 もうひとつ、スパイスが内臓系に効くことで、腹で考える、別の言い方をすれば気の心を変えている。メンタルな病に処方される漢方薬と同じような効果。ああ、話しがスパイス一般のことになっていますね。
 
 韓国には、巫堂(ムーダン)っていうシャーマンがいる。タイコや銅鑼(ドラ)を打ち鳴らした中、激しく踊ってトランス状態になります。そのとき神懸かりになる。別にトウガラシは使っていないですが、シャーマンのメンタルなもっていき方が、トウガラシと同じ方向、興奮系なのは興味深いと思います。
 それに対し、日本のワサビは鎮魂ということになるでしょうか。鎮魂と言っても、それだけではシャーマニズムとどうつながるか見えないけど、古神道の鎮魂法帰神術とか鎮魂帰神法という言葉にあるような、もともとはトランス=神懸かりになるための技法だったと思われる。
 調べていくと、鎮魂には、体から出でしまった、遊離してしまった魂(脱魂ですね)を体に戻す、あるいは魂が体から抜け出さないように鎮める、そんなメンタルな技法でもあったようです。
 
 鎮魂法が具体的にどういう内容だったか、残念ながらよく分からない。これがそうだ、と書いてある本はあるのだが、主に明治以降に発表された本であって、古式について確証があるかというとはっきりしないし、著者により諸説あって、はっきりしない。
 ただ、わたしの理解しているところで、大まかに言えるのは、魂を鎮めるようなメンタルなもっていき方をしていたはず。ムーダンのようなタイプの、派手な、動的な神懸かりの技ではなかった。
 魂が鎮まって、そこから神懸かるということでは、霊動法とかスブドとか、体が自然に、舞うようにゆっくりと動いてしまう、そんなタイプのものだったのではないか。
 
 以前、三重の椿神社で、巫女さんが鈴を鳴らしながら舞っていた光景を思い出します。ピーンと張りつめた空気の中、巫女さんは、スロー モーションのようにゆっくりした、そして粛々とした動きで舞っていた。手首をスッと曲げて鈴の音を鳴らす。このときは、神懸かりは起きなかったけど、こういうパターンの神懸かりもあるんだなって感じ、十分伝わってきました。
 ムーダンは踊る(動)のですが、巫女さんは舞う(静)です。トランス状態に入るための器具として使われている楽器を比べても、日本の石笛や鈴の音と、ムーダンのタイコや銅鑼の音の違いといった具合に、かなり異なっている。
 スーッと引いてくような、鎮まってく、そんなメンタルな持っていき方は、奇しくもワサビの効きに通じてるように思える。スポーツは肉体の動かし方をトレーニングするのですが、シャーマンの技は、メンタルな、心や意識を動かすもので、ある意味、ワサビやトウガラシの効きを感じる内的な作業(?)と通じているように思える。
 
 日本も朝鮮半島も、古(いにしえ)はトランス文化だったが、トランス(=変性意識)になる方法は、地域、氏族ごとに、いろいろあったはずで、ワサビとトウガラシへの嗜好をそれと重ね合わせて考えてみると面白いですね。