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2009.08.12
[ひとりごと]

隠された日本

 最近、少し前までの日本には、こんなことがあった、と、びっくりするような話しをふたつ聞いた。話してくれたのは、共に50代の人で、小学生のころ体験した話しだった。
 今から40数年前ぐらいのことで、巨人の長嶋がデビューし、東京タワーが出来た(1958年)、民放テレビ局の開局してテレビが普及しだす(1959年)、安保騒動(1960年)、新幹線が開通し、東京オリンピックあった(1964年)といった時代である。こんなふうに並べると、どんどん発展しているような印象があるが、新しい変化の舞台は専ら都市部であって、地方には、まだ古い日本が残っていた。
 
(一)へへっこ
 Aさんは50代の後半、岩手県の北部で生まれた育った。岩手県の北部は、かって「日本のチベット」と呼ばれたりもしていた。いわば秘境の地といったイメージで、今なら観光の目玉になるが、当時は、偏見に満ちた蔑称だと問題になり、「日本のチベット」という言葉は、テレビの放送禁止用語に指定されている。
 東宝の怪獣映画「大怪獣バラン」(1958)は、岩手県の山奥、北上川上流の湖にバランが住んでいるという設定であった。ムササビに似た怪獣バラン、映画では、村人から代々、婆羅陀巍山神(ばらだぎさんじん)」、「ばらだきさま」として祀られていた(いかにも怪しげなネーミングだが、天台宗の異端として知られる摩多羅神、あるいは東北に伝わる謎めいた神、アラハバキ神(荒覇吐神)をまぜこぜにしたような印象)。
 1960年代に入るぐらいまでは、日本にも秘境と呼ばれる地があったのだ。
 
 A さんは、福祉関係の仕事をしている。子供の性教育について学校の先生たちと研究会を開いているのだが、雑談の中で、ふと、自分の子供のころの話しをしてくれた。小学生のころ、村の男の子の間で、通過儀礼のようなあることが行われていたという。
 恥ずかしがって、あまりはっきりとは言ってくれないのだが、「へへっこ」と呼ばれていて、どうも性的な行事らしい。年長の先輩に誘われて、小屋に行って、女の子の体に触ったり、交わったりするのだという。 村では年頃になると誰でも経験していたという。それが一種の性教育のような役割をしていたらしい。「へへっこ」という言葉は、普段は、口にしてはいけないようで、Aさんは、今でもその言葉を聞くと、興奮してしまうと言っていた。
 東京には、なかったですか? とAさんに尋ねられた。ないですよ、そんな話し、聞いたこともないです、とわたし。Aさんは、そうなんですか、今はもう地元でも廃れていると思いますが、日本のどこにでもあって、みんな黙ってるだけだと思ってましたと言っていた。
 「へへっこ」をネットで検索しても、それらしき情報は見つからない。民俗学や郷土史の研究には、この話し、記録されているのだろうか? 
  
(二)「ぼした祭り」
 熊本出身のBさんに郷土料理の話しを聞いていた。Bさんは、50代前半。1960年代の前半のころの話しだ。子供のころ馬刺をよく食べたという。お祭りの後、食べるのだという。その地方の習慣なんだろうな、とそんなに違和感なく聞いていた。
 実は、その馬は、お祭りのとき大人たちが、バットで殴ったりして殺してしまうのだとBさんが言った。まさか、信じられない、と思った。Bさんは、子供心に、やりすぎではないか、馬がかわいそうだと思ったと言っていた。馬が暴れて、後ろ足の蹄で跳ね飛ばされ、病院に担ぎ込まれる人もいたとか。ずいぶん荒々しい祭りだったようだ。
 Bさんによれば、年寄りは、このお祭りを「ずいびょう」と呼んでいたが、「ぼした、ぼした」とかけ声を上げることからぼした祭りとも言っていたとか。熊本城主の加藤清正は朝鮮の役に出兵しているが、それに因んで、敵を滅ぼしたの隠語らしい。近年、ぼした祭りでは、ネーミングに問題があるということで、篠崎宮秋季礼大祭という名称に変わっている。もちろん今は、馬を殺したりはしていない。
 you tuybeに最近のお祭りの映像がある。法被姿の男たちが鞍に飾りを乗せた馬を引き連れ市内の繁華街を歩いている。手に持った鞭で、馬の尻を叩くと、その度に馬が跳ねる。後ろには、太鼓を叩いたり、ラッパを吹いている人たち、蛇の目傘を手にして元気よく踊っている女性たちもいる。
 ネットには、この祭りについて、馬を興奮させて跳ねさせるといった解説があるが、かって殺していたなどとは一言も書かれていない。
 
 二つの話しは、特別な人だけしか知らない秘密ではなく、そのころ地元では、誰でも見知っていたことだ。しかし、今、2009年の日本の感覚からすると、とんでもないことのように感じられる。
 日本全国、いろんな祭があり、各県、観光客を集めるために積極的に広報活動をしている。伝統行事を紹介した本や雑誌も数多く出版されているが、どのお祭りや行事もわりときれいにまとめられている。
 当たり障りないというか、戦後民主主義の価値観というか、そんな祭りや行事に作り替えられているような気がしていた。あるいは、ロマンやスピリチュアリティあふれる言葉で飾られているように見える。そんな話しを聞いたり、本を読んだりしても、どうも自分の感じている霊的な世界や魂の世界のリアリティとは、結びつかないのはなぜだろうかと思ってきた。
 
 秘祭とか、特殊神事とか、そういうものではなくても、その土地では一般的で、土俗的で、奇怪な、荒々しかったり、性的な何かをしていた祭や行事が各地にあったのではないか。戦後の行動経済成長の前ぐらいまで、特に大都市圏からは遠い土地には、残っていたのではないか。そんな日本があったはずだ。
 でも、活字になっていないようなので、はっきりしていなかった。ネットで検索しても同じような感じで、画一的な情報しか出てこない。今の世の中、情報や知識が溢れているようでいて、結局、選択された、操作されたものしか目にふれないようになっているのだろうか。
 一方、まだ、元気な世代でも、そんな今の日本とは、異貌の日本を知っている人たちがいるようである。別に、ごく普通の生活人、市井の人の中にそんな人たちがおおぜいいるはずだ。