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2000.10.27
[ひとりごと]

全盲者S君のマジック・マッシュルーム体験

 ごく最近、友人で全盲のS君がコペランディア・シアネセンスを初めて体験した。そのときの体験談が印象的だったのでここで紹介してみたい。


(1)S君の体験談

 マジック・マッシュルームの体験はこれが2回目。前日にシアネセンスを0.5グラム(乾燥)体験したのが最初で、2回目は1グラムを食べた。
 午後2時ぐらいに自宅2階の自分の部屋でキノコを食べた。布団を敷いて効果が表れるのを待っていたら、15分ぐらいでそれがやってきた。無理矢理、空気みたいな、風みたいなものに引っ張られて上に持っていかれた。それはジェット・コースターみたいな感じだ。
 「ウワー、ヤバイ」たくさん飲み過ぎたのかもしれないと思ったことを覚えている。
 続いて過去の記憶が甦ってきたが、それがいつの間にか、自分がヒッピーみたいな人たちと一緒に国家権力と闘っているドラマになっていった。それは実際に自分の現実になっている。完全にその世界になっている。
 途中で1階に下りてトイレに入ろうとしたときのこと。国家権力にデモをして緊迫した状況になって、機動隊みたいな人間にブルトーザーでトイレを壊されてしまった。するとヒッピーみたいな人たちが沖縄民謡を歌いながら丸太小屋を作っている。これは、後から振り返ると現実ではないのだけど、そのときは完全に現実であって、パンツを降ろしたまま5分ぐらい我を忘れて立っていた。
 次に台所に行って水を飲もうとしたが、そのとき国家権力が水源地にダイオキシンを運んで撒く寸前だったというドラマが展開しだした。ヒッピーみたいな人たちがジンベ太鼓を叩きながら、神聖な水を返せと大きな声で叫んでいる。そのとき自分も一緒になって実物の台所の水道の蛇口を太鼓のように叩いていた。
 いま大量に水を飲んでおいて、これからは飲むなとヒッピーみたいな人たちがスピーカーで言っていた。自分は気づいたら5回ぐらい水道の水を本当にガブガブと飲んでいた。
 ピッピーたちは、みんなここは権力にやられてしまったから、わたしたちが持っている別の空間にいきましょう、みんなで野菜を作って幸せに暮らしましょうと言っていた。
 2階の自室に戻ろうと階段を昇っているとき、後ろから権力が追いかけてくるような気がして駆け上がった。部屋に入ったらみんなが畑を耕し、レゲェーがかかってお祭りのような場にいる。ボブ・マレーをイヤホーンで聴きはじめたらカリブ海やジャマイカの海が現れた。自分も自然に海に浮いてボブ・マレーと手をつないで歌っていた。
 こういった世界が映画を「見ている」というようりも、もっとありありと自分が一緒にやっているように夜まで続いた。すごい冒険旅行だった。


(2)体験談を聞いて

 彼の話を聞いて印象的だったことが幾つかあるので簡単にふれておきたい。
 S君はまだ20歳だが、人生の最初から全盲だったという。物の形も、色も見えない世界で生きてきた人だ。いまはレゲェーやピッピー・カルチャーに惹かれている。
 一般的にキノコ体験でいろいろな想念の世界に引き込まれることはよく起きる。それを「前世体験」だったと語る人もいれば、夢を見ていたようだったと語る人もいる。ただし目の見える人間の場合は、どのような想念の世界に没入していても目を開ければ、その場の現実世界の情景が見える。換言すれば「この世」にひき戻らされる。
 ところがS君のキノコ体験では想念の世界(ピッピーの楽園と邪悪な国家権力の闘いの世界)がほとんど「この世」(自分の部屋にいること、トイレに行くこと、水を飲むこと)と等価で出現している。
 ここでオウム真理教の教祖、麻原のことが思い浮かぶ。麻原も視覚障害者だったが、宗教活動をしていた末期に度々、自家製のLSDを体験していたといわれる。視覚障害の世界に生きていた人間がサイケデリックスを体験するとき共通して現れるリアリティがここにあるように思われる。
 二つ目は、やはり麻原の世界との共通性になるが、自己(自我)と非自己(世界)が非和解的に対立したドラマが展開されていることだ。この場合、世界というのは、周りの人たち全て、さらに日本人、人類全て、地球、宇宙全て、つまり存在している全てのことを意味している。視界のない世界に於ける「認識」では、3メートル先の壁も、千キロ先にあるリンゴも、火星の石も同じだろう。
 目の見えるわれわれが、世界というとき、まず地球のことを想定することが多いと思う。それは現代の科学水準で、人間が具体的に歩き回り、見て回れる最大の空間領域が地球に限られているからだろう。S君にとっては、それは一律に身体の外ということになる。
 S君は10代のころずっと暴力的なイジメに遭っていたという。話を聞いていると、彼のいた施設では全盲者の彼を殴る蹴るの理不尽な暴力が日常的に行われていたという。ここからは推測だが、視界のない世界に生きる自己(自我)にとって、仮に特定の個人から加えられた迫害であろうと、場合によりそれは非自己(世界)からの迫害として自覚されるのではないか。そうだとするならば、自己は世界に対して闘う以外の選択肢はなくなるところに追いつめられる。それが極限化した状況では、自己が滅びるか、世界を滅ぼすかの二者択一になる。恐らく麻原はそういった世界に生きていたのではないだろうか。
 最後に、このように書いたからといってS君が世界に対して復讐しようとしているのではないことを言っておきたい。一時期、人にネガティブな気持ちを懐いた時期もあったというが、いまは同世代の多くの青年よりもオープンな心を持った、何にでも好奇心を持った明るい若者だ。 

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