第2話:クロムハートの子守唄


 3rd_TRACK

 男は美女の背後に回ると、白いセーターに覆われたその胸を揉んだ。
 受け入れはしたものの、最初は嫌そうな顔していた美女だったが、もまれていくうちに表情が甘いものへと変化していく。
 男が軽く、美女の耳たぶをかむと美女は嬌声を上げた。
 その反応を確かめると男はセーターとその下にあるブラウスを剥がす。
 白いブラジャーに覆われたその巨大な乳房は岩のように硬くなっており、乳首がくっきりと浮き出ている。
 男は美女の耳元に二言三言囁くと、ロングスカートの中に手を突っ込んだ。

 その情景を少女は見ていた。
 視点だけの存在としてみていた。

 美女が嬌声を上げると、少女もまた嬌声を上げる。

 男が美女の秘所に慣れた手つきで刺激するたびに、リアルな場所で存在している少女の秘所も濡れてくる。
 刺激を受けて美女が悦楽の色をその顔に浮かべると、少女の顔も悦楽に染まるが悦楽に染まっているのは表情だけだった。

 少女自身が喜んでいたりとか怒っていたりとか悲しんでいたりとかしていない。
 単にそうしろと言われたら演技をしているだけ。

 演技だけで充分であり、それ以上の物は求められていない。

 求めることを周りの人間は忌避している。
 少女自身、求めてはいけないことに気づいている。
 なのに美女の表情がメモリーに記憶されて、消去命令を出しているにも関わらず消えてくれなかった。

 美女は完全に裸にされるとベッドに押し倒され、一物を挿入されてはそれがもたらす快楽に打ち震えている。

 しかし、少女にはそれ以外の感情が見えていた。

 悦びと一緒に本気に嫌がっているということが。

 断りきれなかったことが嫌だったのか、それとも嫌なのにも関わらず快感を感じているのか、それともそれ以外の要素があるのか少女には分からない。

 重要なのは美女が見せる感情が少女に影響を与えているということだった。

 取り繕うのはいいけれど感じてはいけないし、また感じる能力を備えていないにも関わらず美女の嫌悪感が少女に影響を与えている。
 
 何故、感じてしまうのか分からなかった。
 押し寄せてくるものの正体が少女には理解ができなかった。
 感じてはいけないのだから理解できる能力があるはずがない。
 
 必死になって理解しようとしても
 どうしても果たせず
 その間にそのナニがウィルスのように少女を浸食していく。

 それがナニをもたらすのか少女には分からない。

 ただ、美女に釣られて表面だけは性行為をしている悦楽に染まっていく中である名前をを思い出していた。

 美女が最近知り合ったばかりだという異性の名前を


     ・・・・・・・・

 「各数値とも異常なし、反応も良好。今のところ順調です」

 全身を覆えるぐらいに伸ばした銀色の髪と、小学生ぐらいの年齢にしては大きすぎる胸を持った裸の少女が、股間に手を当ててはよがっている姿をモニタ越しに2人の男が見ていた。
 白衣をお約束のように着こなしている姿が彼らの立場を雄弁に示していた。
 「そうか。順調か」
 男Bはモニタに視線をやった。
 少女の小枝のような指先は荒々しく股間をかき乱し、その股間からは透明の液が漏れていた。ピッチが上がるにつれて少女の顔を染める法悦の濃度が上がっていく。
 「これなら完璧ですね。後はどこまでコストダウンできるかでしょうね」
 「流石にいくら人間と変わらないとはいっても、一体につき億単位じゃ売れないからな。いや・・・・・・金持ち相手では構わないか」
 男Bは思案するように少女を見つめている。
 男Bよりいくらか若い男Aは少女と別のウィンドウで秒刻みで変動している数値を交互に見比べながら呟いた。
 「こういうのってなんだか空しくないですか?」
 語尾にスピーカーから聞こえる喘ぎ声が重なった。
 「彼女の表情も興奮も反応もその声もみんな作り物、嘘っぱち。喜んでいるように見えても実は入力に対して、そんな反応をするようにプログラミングされているだけ。本当に興奮できない女とやって何処が楽しいんでしょうかね」
 「確かにそれはキミの言う通りだ」
 その正直すぎる言葉に男Bは苦笑を浮かべた。どんなに可愛くあれ美しくあれ、あるいはテクニックが絶妙だといえど表情やよがり声が演技だと知ったら萎えてくる。人間は何も子供成すためにセックスをしているわけではないのだから。
 ただし、男Bは言った。
 「彼女は人間ではない。あくまでもツールでしかないのだから心というものは持ってはいけないのだよ。もってしまったらどうなるのか? キミだって零号機の事件を知らないわけではあるまい?」
 「・・・・・はぁ。その通りといえばその通りですが」
 「ならばよろしい」


    ・・・・・・・・


 あの日曜日から数日が過ぎた。

 「・・・・・うーむ」
 ディスプレイの前で真義は考え込んでしまった。
 6時限目、ITの授業ということで真義たちのクラスはコンピューター室で授業が行われていた。
 授業のおかげでネットサーフィンし放題なのだから、これ以上に便利な授業はない。
 ときおり監視に来る先生に注意しながら、真義は情報を集めていた。

 IT化が進んで何が便利になったかといえば情報を集めるのが便利になったということだった。
 昔はチュートン騎士団の騎士則を知るためには、わざわざ駅からかなり離れた市民の知識欲を高めるというよりも役人が公共事業で儲けるための目的で建てられたような図書館に通ったり、神保町の古書店詣でをしなければならなかったが、今はネットの空間を漂えば現実に存在している身体を動かすことよりも効率的に情報を集めることが出来る。

 講釈したくてうずうずしている奴。
 自分達のことを知ってもらいたい連中が世界にはいっぱいいて
 インターネットが普及する前は情報を発信するためには最低でも同人誌を作らざるおえなかったが、IT化によってそんなめんどくさい手間が省けたからだ。
 
 そういうわけでクローン病についての情報を真義はかなり手に入れることが出来た。

 クローン病。
 消化器系統に炎症や潰瘍が発生する病気で、未だに治療手段がない病気で国から難病指定されている。主に北米系の人間が罹患していることから肉ばかり食いまくっているとかかりやすいと推察されてはいるものの、罹患する原因は明らかになっていない。
 難病とはいってもガンや白血病とは違って死ぬことはないものの、簡単にいってしまえば食べ物を食べると食道や胃や腸などが刺激されて痛みを発する病気なのでまともな食生活を営むことができなくなる。
 そのため、患者は主にアメリカ軍のコンバットレーションが5つ星レストランの料理に思えてくるぐらいにまずい栄養剤で生活することになる。

 ただここで疑問が浮かぶ。

 完治の方法が見つかってはいないとはいえ、ちゃんと治療を受ければ緩解という状態になり、その状態になれば普通に食事を摂ることができる。
 何でもというわけではないが、それでも食べられるということの意味は計りしれないほどに大きい。
 もうひとつの意味は、人は食物を摂ることによって生きていくための栄養を摂取しているということである。
 栄養剤でも一応は生きる事はできるのだが、栄養剤だけでは得ることができな栄養素というのがあるわけで結果、栄養のバランスが偏ってしまい通常の生活に支障を来してしまう。
 たとえば馬力の出せない身体になってしまうので肉体労働に支障を来すとか。
 食事を摂ることができないのはいうまでもないが就労が制限されることや周りの無理解も問題になっている。

 翻って瞳の場合はどうなのだろう。

 真義は瞳が食事を摂るところをみたことがない。
 24時間顔を合わせているわけではないから、真義の見ていない場所で食事を摂っているのかも知れないがそれでも不自然なことには違いなかった。
 緩解期が来ていないだけなのかもしれないがそれも違うだろう。

 なぜなら瞳はまったくの健康体にしか見えないたからだ。

 ほんとはしんどいの隠しているだけなのかも知れないが、肯定する根拠も否定する根拠もないわけで、そのことは瞳の健康説にもいえた。

 瞳は本当にクローン病なのだろうか?

 委員長がいうように瞳のクローン病は極めて疑わしいとしかいいようがかった。
 瞳に人には決していえない秘密があるとするならば、そこに鍵があるように思えてならなかった。

 真義はgoogleに行くと「超遅野グループ」とワードをかけて検索をかけた。
 検索結果を伝って調べていくこと数分、ディスプレイには超遅野重工の各支店のアドレスがずらずらと表示される。
 その中に、それはあった。

 「超遅野重工光沢研究所・光沢市太白森789−3」

 「・・・・・・・まあ、わかんねえよなあ」
 委員長が言っていたように超遅野重工の研究所が光沢にあることはわかったけれど調べられたのはそこまでで光沢研究所が具体的に何の研究をやっているのかは分からず、糸はそこで断ち切られてしまった。
 最高の情報ソースはあるにはあるのだけれど借りを作ってもらうほど親しいというわけでもないし、借りを作るのは非常に怖いような気がした。

 委員長の言うように瞳はそこに行っているのだろうか?
 「・・・・・・うーむ」
 今日は水曜日
 火曜日の昨日は定休で理亜と蒼衣が休日を満喫する中で、瞳だけは月曜日の店を閉めた直後に何処かへと外出してしまい、戻ってきたのは火曜日の夜遅くだった。
 今までだったら、気になることもなくそのまま流してしまったわけではあるが、委員長の言葉を聞いてからというもの気にせずにはいられなかった。

 寂しかった。
 秘密が明かされないということは信用されていないということで、優しそうなその顔で嘘をつかれていると思ったらちょっとわびしかった。
 嘘をつかざるおえない事情があるとわかってはいても

 でも、何故こんなに瞳のことが気になってしまうのか。
 自分でもおかしかった。

 

   ・・・・・・・・・



 学校がひけて、VDMへと帰る途中、一緒に歩いていた陸が口を開いた。
 「ねえねえ、しんちゃんしんちゃん」
 こういう呼び方をする時は大抵はロクでもないことばかりだから真義はやる気がなさそうな返事をする。
 「6時間目、何調べてた?」
 「色々」
 「色々ってどんな色々?」
 「かくかくしかじか」
 「ふ〜ん、かくかくしかじかというわけね・・・・・・ってわかるかーいっっ」
 「おっかしいなあ。それで通じると思ったんだけど」
 もちろん最初っから通じるとは真義も思ってはいない。
 「その様子だと心配するまでもないか」
 「なにがだよ」
 すると隣を歩いていた樹が自分のことのように胸を撫で下ろした。
 「よかったです。6時間目の真義さん、ちょっと怖かったですから」
 「怖かったって、オレが?」
 真義にはそんな自覚はなかった。いつもと変わらないはずだった。
 「はい。悩みを抱えているようにみえましたから」
 どうやら内心がいつのまにか表情にでていたようである。真義はちょっと恥ずかしくなった。
 「おにいちゃん、なにかあったの?」
 話を聞いていた瑠柁が心配そうに真義を覗き込む。
 「いや、だいじょうぶ。そんなに深刻になるほどのものではないから」
 そうやって頭を撫でてやると瑠柁は目を細めて嬉しがるのだから単純である。
 「だまされちゃだめだよ。そんなこといっちゃって、真義ってばエッチサイト見てたんたんだから」
 "いらんこというな"と声を張り上げそうになるが、それより早く瑠柁が真義の右腕を締めつけにかかった。
 「どういうこと? お・に・い・ち・ゃ・ん」
 瑠柁は本気になっていた。
 象にふまれてるように真義の右腕が締め上げられて、たまらず真義は悲鳴をあげるが瑠柁はきこうともしない。
 その横で樹がおろおろとするが、おろおろとするだけでなんの助けにもならないことはいうまでもない。
 「冗談だってば、瑠柁」
 結局、真義を救ったのも陸だった。
 「冗談なの?」
 「うちの学校のパソコンじゃ、アダルトは見られないでしょ?」
 「そうなの」
 いくら学校とはいえども授業時間中にアダルトサイトを見る奴がでるぐらいのことは想定しており見れないようにロックをかけている。
 「陸、頼むからそういう冗談を瑠柁の前でかますのはやめてくれ」
 ようやく瑠柁の圧迫から解放されはしたものの未だに痛みは続いている。普通に動かせるまでには少々の時間がかかりそうだった。瑠柁にはその手の冗談は通じないのだから一歩間違えれば死にかねない。
 「そうだよ。瑠柁、本気にしちゃったんだから」
 「ごめんごめん」
 謝る相手が違うだろと真義は思ったが黙っていた。これ以上、話をこじらせたくなかったからである。
 「それでしんちゃんは何を調べてたのかなー?」
 「瞳さんのことを調べてた」
 かなり癪だったのではあるが正直にいった。
 「クローン病についていろいろ」
 1人で考えたところで何の答えもでないのだから、無駄に考え続けるよりは話したほうがいい。それによって道を見つけられるかもしれなかったからだ。
 「ひょっとして真義は瞳ねえのこと、疑ってる?」
 「正直、クローン病というのは怪しいような気がする」
 「さては委員長にたきつけられたな」
 いきなり図星を突かれて、真義はおもいっきり狼狽した。
 「な、なぜそれを」
 「あたしらの正体にかんづいているのっていったら、うちのクラスでは委員長だけだもん」
 「委員長さんはいい人なんですが・・・・・・・どうして、あたしたちをあんな目で見るのでしょうか?」
 「あたしらの存在そのものが喧嘩売ってると思われてるんだろうな」
 「どういうこと?」
 陸と樹の内輪同士の話についていけなくて、溜まらず真義は割り込んだ。
 「日曜日の光沢大社に行けば一発でわかるから」
 「なんだよそれ」
 「そーいうことだよ」
 全然、要領を得ないのだけれど陸はそれ以上の説明をする気は無さそうだった。
 「実際のところ、どうなんだ?」
 「何が?」
 「陸も知ってるんだろ? 瞳さんの秘密」
 ほんとうはクローン病であるかどうかというのはどうでもよかった。
 一番重要なのは瞳の秘密だった。
 瞳がクローン病であるかどうかというのも、そこが秘密を知る手がかりになるのではないのかと思っただけでそれがメインというわけではない。
 「もち知ってるよ」
 「いくら出す?・・・といいたいところなんだけれど、いくらあたしでもこればっかは無理。約束を破るわけにはいかないから」
 真義は黙って肩をすくめた。
 結果として約束を破ることになるから聞き出すことはできないのは、理亜からいわれていたことだったから別にショックを受けるようなことではなかった。
 「もし、よろしければ・・・・・・」
 樹が小声でもうしでるが、陸がいぢめっこのような視線を樹に投げかける。
 「だったら樹の秘密をバラしちゃってもいいよねー」
 「それはダメです!!!」
 樹は泣きそうな悲鳴をあげるが、陸は執拗に突っ込んでくる。
 「樹が瞳ねえの秘密をバラすんだったら、樹の秘密をばらされてもしょーがないっていうことだよねー」
 「お願いですからばらさないでくださいっっっっ」
 「しんちゃんも樹の秘密。知りたいよねー」
 陸が悪魔の笑顔で迫ってくる。
 
 知りたくないといえば嘘になる。
 
 「お願いですから・・・・・・・ほんとにほんとにお願いですから、それだけはやめてください」
 「あのさ、冗談だから」
 「ふぇぇぇ〜ん」
 時既に遅く樹は号泣モードに入っていた。
 「陸、冗談は通じる奴に飛ばせ」
 真義の生暖かい目線を浴びて、陸は力なく頭を下げた。
 「今度からそうする」
 
 興味がないといっても嘘になるけれど
 強姦にあったような樹の号泣ぶりを見ると余りにも可哀想すぎて「知りたい」なんていえなかった。
 あまりもかわいそうすぎる。
 「あのさ、陸」
 「なに?」
 「いや、なんでもない」
 言葉はあったのだけれど真義は引っ込めた。
 陸もわかっていたようで、何もいわずにただ肩をすくめた。
 「じゃあ、瑠柁が教えてあげよっか」
 罪の意識も欠片もない笑顔で瑠柁はいった。
 「瑠柁の秘密はおにいちゃんも知ってるからあ」
 瑠柁の秘密は真義も知っている。
 それは苦くもあり、2人の結びつきを強めた懐かしい思い出でもあるからだ。
 しかし、その秘密を瑠柁がぜんぜん理解できていないことも真義は知っている。
 「いや、いい」
 「どうして?」
 「このことが瞳さんの耳にはいって、瞳さんか瑠柁と一生、口聞いてくれなくなったらどうする」
 「瑠柁、おにいちゃんがいるからへいきだもーん」
 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
 「ふっふっふ、甘いな。瑠柁」
 「何が甘いの?」
 「瞳ねえを敵に回してそれで済むと思ったら大間違い。瞳ねえを敵に回して生きていた人間なんて1人もいないんだから」
 おいおい。
 「ほんとなの?」
 どうやら瑠柁は間に受けてしまったらしい。
 「瑠柁だってVDMで叱られてるから瞳ねえが怖いのはわかってるでしょ。あれで殺意が加わったら恐ろしいどころじゃないよ。ほんとに」
 「ふえぇぇ〜ん、おにいちゃ〜ん」
 瑠柁は陸にすっかり乗せられると泣きべそを浮かべながら真義に抱きついた。真義としては瞳の殺意よりも瑠柁のバカ力のほうが脅威なのだけれど、何もいわず頭を撫でるだけに留めた。
 
 瞳のみならず樹の秘密も知りたくないといえば嘘になる。
 しかし、「秘密を教えてくれないということは信用してくれてないんだ」と言おうものなら間違いなく樹は首を吊りかねないだろう。
 秘密を知るということは彼女たちが負った傷口に触れるということに等しいということに真義は気づいた。
 思い出したくもない痛みを思い出させてまで知る意味があることだろうか?
 他人を傷つけてまで知るほどのものなのだろうか?
 「もうぉ、樹ってば・・・・・」
 「だってだって、私のことが真義さんに知られてしまったら私は生きていけまん・・・・・」
 「言わないって」
 「ほ、ほんとですか?」
 「ほんとだって」
 そう言われると興味が沸くことは沸くのだけれど、本気で泣いている樹を前にしてはそんなことはいえたものじゃなかった。
 
 真実を知ることで、家族が傷つくのなら知らないほうがいいのかもしれない。
 でも、それで納得できるのかというと自分でもわからない。
 どうしたらいいんだろう。
 傷つけないために妥協したほうがいいのだろうか?
 それとも、双方が傷ついてもなお真実を求めたほうがいいのだろうか。

 「なんで瞳おねーちゃんのことが気になるわけ」
 かすかに怒気の篭った声が、背後からナイフを突き刺すようにして真義を一気に現実へと立ち返らせた。
 瑠柁は真義に密着している。
 おもいっきり可愛い女の子に腕を絡ませられちゃって傍目から見ればウハウハなのだが、ハエ捕り草の中にいるように実は非常に危険な態勢に陥っているわけなのだが、この場合も既に手遅れだったりする。
 「こんなに可愛い子が側にいるっていうのに・・・・・・・」
 言ってる側から羆のようなパワーで締め上げてきた。
 「きぶきぶ・・・・・・」
 真義はたまらずキブアッブをコールするが瑠柁はちっとも聞いてはいない。
 「おにいちゃんのばかぁぁっっっーっ」
 真義の断末魔の叫びがこだました。

 

    ・・・・・・・



 家に帰っても真義の一日は終わらない。
 授業の大半を睡眠に使っている以上、むしろこっちのほうが本番だった。

 母屋にある自分の部屋でウェイターの制服に着替えるとレストランの方へと入っていった。店内はほどほどの混みようで空席もちらほらとあるが、嵐の前の静けさのような雰囲気を漂わせていた。
 「こんにちは、真義くん」
 レジの方に行くと瞳がにこやかな表情で挨拶をした。
 「こんちはっす、瞳さん」
 真義は挨拶をするが、表情が硬かった。
 瞳に不信感を持っていたことについて後ろめたさを覚えていたのもあるけれど、最大の原因は仕事に入ると瞳の態度が180度変わるからである。
 瞳は甘さのまったくない表情で言った。
 「今日から真義君にも接客をやっていただきます」
 「今日からですか??」
 真義のこれまでの役割には厨房に回っての皿洗いや理亜の補助など裏方が中心だった。
 「ええ、今日からです。こちらとしてもその方が助かりますから」
 裏方の仕事をしながら研修を受けていたのがそれまでの激務に繋がっていたわけで、瞳のその言葉は訓練の一通りの終了を意味していた。
 「ようやく通常シフトに入るんですね・・・・・・」
 VDMに来る前とはいかないまでも、今までよりは余裕がある生活が送れることを知って真義はホッとした。
 「けっけっけっけっ 油断しちゃいけねーぜ。若いの」
 そこへ嫌味な笑みを浮かべながら蒼衣がやってくる。
 「ここでマズったら研修生活に逆戻りなんだからな」
 「マジですか?」
 「ええ、マジです。そうならないためにも頑張ってくださいね」
 初めて瞳は笑ったが、真義にはその笑顔が痛かった。
 「蒼衣さん、言葉づかいは丁寧に。お客様が見ていますから」
 「瞳ねえってば硬いこと言わないの。これがボクの個性なんだから」
 「個性と礼儀は別です」
 蒼衣のざっくばらんな態度に瞳は苦言を呈すが、蒼衣は平然と受け流す。
 「わかっているとは思うんだけど逆戻りしないように。こっちだって辛いんだから」
 「わかってるって」
 特別シフトの影響は真義のみならず回りにも及んでいる。真義が使い者になるようみんなが協力していてくれているのだから頑張らなくてはいけない。
 ただ、真義には思うことがあった。
 「でも、オレだけキツくないですか?」
 この1週間ほど回りから厳しく仕込まれたわけなのだけれど、その仕込を受けたわりには樹はとろくさいし、瑠柁は親の家業を手伝っている域を抜けていないような気がする。
 蒼衣はとっても爽やかな笑顔を浮かべていった。
 「それは人徳だから」
 「人徳ですか・・・・・・」
 「そっ、人徳」
 その一言で納得できてしまうのが非常に物悲しかった。
 「これ以上余計なことは言わないほうがいいと思うよ〜 プログラムが増やされるから」
 「そうなん?」
 「そんなこと言ってると瞳軍曹にビシバシ鍛えられるよー」
 「マジすか?」
 「マジマジ」蒼衣は意地の悪い目をする。「瞳軍曹の本性は真義だって気づいき始めてるでしょー。あの人の本質は先任軍曹なんだから」
 納得できるところがあり、かといって認めてづらくて真義が曖昧な笑みを浮かべていると瞳が口を挟んできた。
 「陰口をはっきりといわない」
 「はっきり言ったほうがいいじゃん。悪口と陰口ははっきり言うのが高木家の家訓だから」
 「はっきり言うのって陰口っていわないんじゃ」
 真義が突っ込んだ直後、瞳が真面目な表情で言った。
 「真義くん。お客様が来るからお願いします」
 エントランスにはお客の姿は見えない。
 「オレが?」
 「ええ」
 瞳が人をほんわかとさせてしまう笑みを浮かべたと同時に若い男女2人のアベックが入ってきた。
 
 瞳が肩を押す。
 スイッチが入ったように真義はレジの脇に積まれているメニューを掴むと真義はそのアベックの前へと歩いていった。

 「いらっしゃいませ。お客様は二名様ですね」

  
   ・・・・・・・

 日が暮れるとVDMは戦場になる。
 夕食時ともなれば行列とはいかないまでも満席になるほどの盛況ぶりで、真義はウェイターとしての仕事に追われた。
 客を席まで案内し、オーダーを取り、オーダーを元に理亜が作った料理を客席まで運んで行く。
 今日のシフトは真義と瞳がメイン、蒼衣がサブという形で忙しさを嘆く間もなく光の速さで時間は流れていく。

 「はふ〜」
 一息できる時間がようやくできて真義は崩れ落ちそうになった。
 「おいおい。あと120分の辛抱だぞ」
 「2時間っていえよ」
 蒼衣の言葉に苦笑を浮かべながら返した。
 「感想はどう?」
 「大変っすよ、もう・・・・・・」
 接客というのは楽じゃない。
 やってきたお客に粗相のないように案内しつつ、オーダーは間違いなく正確に、それで速さが要求されるのだから大変だった。
 うまくやれているかどうか自信ない。
 特に失敗した時には瞳に厳しく睨まれるのがとっても痛い。
 「初めてしてはまずまずだから、再教育ということは無いと思うよ」
 「・・・・確定じゃないところが怪しいですね」
 「樹の最初の頃なんかひどかったから、それに比べれば全然」
 あまりの蒼衣の言い草であったが、そのしみじみとした一言に納得できてしまうのがとっても悲しかった。
 「ま、峠は過ぎたから」
 「峠を下ってもすぐに峠にぶつかるという可能性もありますけど」
 「素直じゃないねぇ」
 「誰かさんのおかげで何事も素直に受け取っちゃいけないって教えられましたからねぇ」
 「さあ、誰だろうね」
 真義はジト目で蒼衣を見るが、蒼衣は素知らぬ顔で受け流した。
 真義は肩をすくめるとレジのほうをちらりと見た。
 レジでは瞳が立っている。
 基本的に忙しい時間帯ではあるのだけれど、エアポケットのように空白の時間ができていて、そんな中で瞳は一息ついていた。
 ついつい瞳に目線が行ってしまう。

 仕事場での瞳は実に厳しかった。
 授業中での委員長のように接客のプロであることを要求され、ほんとうに気の抜けない時間を送らされた。
 プライベートの時とは違って、優しさの欠片もない。
 その厳しさに参ることもあるけれど、不思議と悪い気はしない。

 「惚れたんか」
 「おわわわわわーーーっっっ!!」
 
 背後からボソっと囁かれて真義はおもいっきり慌てた。
 振り向くと蒼衣が「してやったり」といった表情で立っている。

 「大声出さない。瞳ねえに怒られるよ?」
 「あのなぁ〜」
 「へぇ〜 しんちゃんってばおねーさま好みだったんだ」
 「勝手に納得してるんじゃねえ」
 「瞳ねえってば美人だしスタイルいいし胸もあるし、性格だって優しいしママみたいな包容力があるから、マザコンにはたまらないタイプかもねえ。仕事に厳しいのはたまに傷かもしんないけど、そうでなかったらつぶれているしねえ」
 「人の話聞け」
 抗議する真義であったが
 「しんちゃってば、授業中。瞳ねえのことを色々と調べまくったんだって?」
 その事を突っ込まれると真義の表情がわかりやすすぎるぐらいに変わった。
 「調べてるっていうことは気があるっていうことじゃん」
 「ま、まぁ・・・・・」
 
 気がないといえば嘘になる。
 出会ってからまだ短いけれど瞳がこんなに近くにいてくれてよかったと思うし、カノジョにできればこれほどサイコーなことはない。

 好きといえば好きなのかも知れない。
 けれど、愛しているのかどうかは分からない。

 ただ、知りたいとは思っている。
 好きだからこそ
 好きになりたいからこそ、瞳のことをより深く知りたいのかも知れない。

 真義は小声で言った。
 「蒼衣は瞳さんの病気のこと、どう思う?」
 「病気って、しんちゃんは疑ってるんだ」
 「・・・・まあ、そうだ」
 ストレートな物の言い方に真義は後ろめたさを覚えながらもうなずいた。
 「ノーコメント」
 それは疑ってもいいということなのだろうか。
 「ボクの口からは何とも言えないし、たとえ知ってたとしても言えないね」
 「知りたかったら、自分で調べろっていうことか」
 「そういうこと」
 そして、蒼衣は獲物を追い詰めるドラ猫のような笑みを浮かべる。
 「ボクだって、しんちゃんの秘密を知らないんだけどね」
 「オレは普通の一般人ですから」
 真義はごまかそうとするけれど声が僅かばかり上ずっていた。
 「へぇ〜 普通の一般人ねえ」
 そこを聞き逃す蒼衣ではない。ますますいたぶる度合いが強くなってくる。
 「RRスレスレなことを言ってる奴に限ってぶっとんでるんだけど」
 「でも、バレたらやばい秘密はないとは思うんですけど」
 「実は那岐川に彼女がいましたーっていうことが瑠柁にバレたら、おもいっきしやばいんでないかい?」
 「そ、そんな怖いことをいわんでくださいっっ」
 実は見抜いているのか、それともそういうことだと読んでいるのか、あるいは偶然か。
 いずれにしても真実にかすっていて真義はおもいっきり慌てた。

 冗談になってない。
 あの少女のことを知ったら、瑠柁にぶっ殺される。
 その凶悪な握力で圧殺されるか絞殺されるか
 どっちにしても嫌なことには代わりない。

 「瞳ねえ好きになるのは勝手なんだけれど、瑠柁がいることを忘れちゃいけねーぜよ」
 「別にオレは瑠柁の・・・・・」
 「教室で「オレのオンナだっ!!」とほざいた御仁は何処とどなたでしたっけ?」
 それを言われると一言もない。
 「ま、しんちゃんは瑠柁は妹だと思っているかも知れないけど、瑠柁はそうじゃないんだからはっきりさせないと瑠柁がかわいそうだにょーん」
 「わかってるって」
 言っていることはもっともなんだけれど言葉づかいのおかげで茶化しているのか分からなくなっている蒼衣に真義は迷惑そうに返すと母屋に向かって歩き出した。そろそろ遅い夕飯を摂る時間だったからである。
 「あ、そうそう」
 去るタイミングを見計らって蒼衣が言葉をかけてきた。
 無視するわけにもいかなくて、真義は立ち止まる。
 「瞳ねえを知ろうとするのは勝手だけれど、首チョンパの映像を見ちまったような後味の悪さを体験するのを覚悟するように」
 その言葉は、心臓にぐさりというほどではなかったけれど、けっこう響いた。
 「わかってるって」
 「ボクが言いたいのはそれだけだから、んじゃ」
 蒼衣は手を揚げると真義と入れ替わりに店内へと出撃していく。その時、呟きが漏れた。
 「やっぱし、バイトが1人っていうのは辛いよねー」

 母屋に戻るまでの間、真義の頭の中を色々な想いが駆け巡っていた。
 
 ・・・・・・いったい何を気にしているとでもいうのだろうか。
 真義は自分の頭を平手でぐりぐりとさせる。
 委員長の言葉が頭から離れなくて、瞳のことを色々と検索しているのだけれどあまりの一人相撲ぶりに真義自身呆れずにはいられなかった。

 優しい表情の下に何が隠されているのか気にはなるけれど、真義を利用するとか騙す理由がないわけだから素直に信じてもいいわけで、そもそも真義にだって探られたくない腹があるのだから人のことはいえない。

 疑うべきは瞳ではなくて委員長だ。
 VDMの面々にあんまりいい感情は抱いてはいないように見える。

 真義はこれ以上突っ込むのはやめようと思った。
 陸の場合はバラされてもそんなには痛くない秘密ではあったが、誰でもそうではなく現に樹は陸の口から秘密をばらされそうになって泣いてしまった。

 知ることが決していいことではない。
 知ってしまったがために傷つくことだってある。
 
 このままでも問題ないのだから波風を立たせることはない。
 せっかくいい関係でいっていたのに、うっかり生首やミイラを見てしまったような後味の悪い体験をしたあげくに人間関係まで悪化させたくない。

 だから、知るのはやめよう。

 知るのを辞めることに痛みを感じても
 掘り返すリスクに比べれば耐えられないことではないから

 その時、今までの休み無しの労働にエネルギー不足になっていた体が、胃から音を発生させることによって警告を発する。鳴り響いた音に真義は苦笑した。

  
.......to be continue

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