センポ・スギハラ・メモリアル
                               2019.8.27 更新
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 杉原千畝氏は第五中学校の第6回卒業生です
2018年、愛知県によって、瑞陵高校正門西に杉原千畝氏(五中6回卒)を顕彰する屋外施設、センポ・スギハラ・メモリアルがつくられました。


杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル)

大村知事の肝いりで、「杉原氏の示した人間の可能性や力に思いを致すことのできる施設」として2018年10月に建設された。広場の中心には2139のビザリストを背景に、ビザを渡す杉原氏の銅像が据えられ、それを取り囲む「決断と希望」「運命のビザ」「杉原千畝の生涯」「歴史と伝承」の四つのコーナーから構成されている。
 
左] 正門のすぐ左側に作られた杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル)。オープンスペースでいつでも見学できる。
[右] 楢原北悠作の杉原千畝像。

経緯
 
 日本人のみならず外国からも見学者が訪れるこの施設を、どのように生かすかが今後の瑞陵高校の課題である。建設までの経過は以下の通り。

2015 平成27年
   12月 県議会で大村知事が「杉原氏の顕彰施設建設」を答弁
2016 平成28年
    5月 杉原千畝顕彰施設(仮称)の整備検討調査業務開始
   11月 名古屋市「人道の道」銘板完成記念式典(感喜堂)
2017 平成29年
    3月 受託事業者説明会(感喜堂) 経費約4000万円 完成は平成29年秋年を予定
    4月 「杉原千畝ルート推進協議会総会」開催
     名古屋市の参加決定(八百津町、敦賀市、金沢市、高山市、白川村を結ぶ観光促進団体)
    9月 再度の受託事業者説明会(感喜堂)経費約1億円、規模拡大と展示物増強、
     平成30年秋完成予定に変更
   10月 五中−瑞陵創立110周年記念式典実施
       「杉原リスト」ユネスコ世界記憶遺産・不登録
   11月 事業者決定:電通名鉄コミュニケーションズ・サカタのタネ
2018平成30年
    5月 工事着工、
    6月 施設の名称公募(生徒への講話、瑞陵高校HP)
    9月 ブロンズ像設置
   10月 12日記念式典(記念講演とテープカット、記念式典等)瑞光館

 この建設にあたって資料の調査・収集、諸機関との連絡・調整に尽力された県教育委員会教育企画課 橋本礼子、稲垣宏恭、宮田直幸の三氏に敬意を表します。

センポ・スギハラ・メモリアル 完成記念講演会・式典

 
 杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル)は、平成30年10月初旬に完成し、10月10日に報道機関向け内覧会が行われ、翌11日には来日中のリトアニアのサウリウス・スクバリネリス首相らの訪日団の見学があった。さらに、10月12日に、記念講演会と式典が行われた。主催は愛知県であり、学校は県からの指示を受ける形であった。式典の実施日は、諸般の事情で二転三転し、当日の日程についても直前まで決まらない部分があるという状態であった。2学期の中間考査の最終日の午後に瑞光館で行われ、生徒全員が参加した。前半は生徒向けの記念講演会、後半は記念式典という二部構成で行われた。

(1)記念講演会

 13時から14時15分まで、瑞光館で生徒向けの記念講演会が行われた。司会は瑞陵卒業生の結城菜々子さん(定70回)が担当した。大村秀章知事の挨拶のあと4人の講演が続いて行われた。最初は、ポーランド・ワルシャワ大学教授エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ氏が、「タデウシュ・ロメル:杉原ビザで渡日したユダヤ人難民を救った駐日ポーランド大使」というタイトルで講演され、次に、イスラエル・ハイファ大学教授ロテム・コーネル氏による、「杉原ヴィザで日本に逃れてきたユダヤ教神学生たち」の講演があった。
引き続いて、千畝氏の孫(千畝氏の長男故弘樹氏の長男)杉原千弘氏(バンコク在住)の「祖父との思い出」と千畝氏の四男である杉原伸生氏(ベルギー在住)の「僕のオヤジ、チウネ」の講演があった。両氏とも千畝氏を直接知る存在で、興味深い内容であった。

    

   杉原千弘氏(左)と杉原伸生氏(右)


(2)オープニング・セレモニー(テープカット)

 14時30分から、杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル)で、オープニング・セレモニーが行われ、大村知事、河村たかし名古屋市長、イスラエル国在日大使ヤッファ・ペンアリ氏、杉原千弘氏、杉原伸生氏、新党大地代表・鈴木宗男氏らによって、テープカットが行われた。ファンファーレを演奏する吹奏楽部部員などを除く一般生徒は、瑞光館で、前年の「110周年」の記念イベントで上映された「先輩からのビデオレター」(金澤知子さん、野間美智子さんらの映像作品)を鑑賞した。
  

(3)記念式典
 
 15時から瑞光館で記念式典が行われた。大村知事のあいさつのあと、イスラエル国在日大使ヤッファ・ペンアリ氏、ポーランド大使館二等書記官マウゴジャータ・シュミット氏、外務省国際文化交流審議官・宮川学氏、ロサンゼルス市の代表的なユダヤ教会であるシナイ・テンプルの著名なラバイ(聖職者)ディルヴィット・J・ウォルペ氏の来賓あいさつが続いた。
 その後、施設名称提案者表彰(3年生の今井亮佑君)、以前に放送された千畝氏関係のテレビ番組の上映、吹奏楽部による、杉原千畝をテーマとした、「諸国民の中の 正義の人 『命のビザ』を作った男 Righteous among the nations −A man who made a“visa for life”−」の演奏(前年の110周年イベントの再演)、瑞陵高校生徒代表あいさつ(宣誓)が行われて、17時少し前に終了した。
 中間考査で疲れていた生徒諸君には、やや「長い」一日となったが、千畝氏の親近者やいろいろな方の話を聞く機会ができ、印象に残るであろうイベントになった。
 なお、式典の翌日10月13日から一般公開となり、13日(土)と14日(日)には、感喜堂で千畝関係の資料等が特別展示され、多くの卒業生や一般の方が訪れた。


杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル の名称について

   今井 亮佑 (瑞71回)
 杉原千畝氏の人道的・平和的精神と、それを貫く強い意志は、2015年にも映画「杉原千畝 スギハラチウネ」が公開されるなど、世間でも度々大きく取り上げられてきました。
そんな中、瑞陵高校でも、愛知県によって杉原千畝顕彰施設が設置されることとなり、2018年5月に施設の名称が募集されました。募集は瑞陵高校のホームページ上で行われ、在校生や卒業生、その家族などを対象としていました。高校にずっと残るものに名前をつけることは滅多にできないので、私は「せっかくの機会だから、応募してみよう。」と思い、広く国内外の人に訪れられ、 杉原千畝氏の功績と人道精神を伝える施設になってほしいという思いを込めて、「センポ・スギハラ・メモリアル」と応募しました。「センポ」としたのは、イスラエル政府から授与された「諸国民の中の正義の人賞」記念メダルに「SEMPO SUGIHARA」と書かれているように、海外では「センポ・スギハラ」としても呼ばれていたためです。
 募集後しばらくすると、学校を通じて僕の案が採用されたと知りました。期待はしていましたが、本当に採用され、嬉しかったです。
 完成記念式典では、名称提案者として知事から表彰を受けました。式典には駐日イスラエル大使を始め、外交関係者や海外の研究者の方々なども多く出席され、杉原千畝氏の功績が、80年近くたった現在においても、日本と諸国間の間に良い影響を与え続けているのだと感じました。
 式典におけるロサンゼルス・シナイテンプルのデイビッド・ウォルペ氏の「世界中がその人たちに背を向けた、そういった人たちに、皆さんの先輩の杉原千畝氏は救いの手を差し伸べました。その人たちを見捨てることができなかったからです。いつかあなたの懐に助けてくれと鳥(みなさんの友達や家族の誰か、または全く知らない誰かかもしれない)が飛び込んできたら、ぜひ腕を広げ、心を開いて受け止め、それを助けて愛を見せてください。」という言葉が、強く印象に残っています。杉原千畝氏の100年後の世界を生きる私たちも、杉原氏のように、人道精神と、それを貫く強い信念を持てるよう、努力を続けていくべきなのだと思います。



カウナス杉原記念館のシモナス館長来校
  
 杉原千畝広場(センポ・スギハラ・メモリアル)には、多くの人が訪れている。2019年5月22日には、リトアニア・カウナスの杉原記念館(千畝氏がビザを発給した旧領事館)のシモナス館長がセンポ・スギハラ・メモリアルを見学した。