名人戦第3局&棋聖位挑戦者決定戦前夜

MashudaBBS2003.05.05-07


棋聖位挑戦者決定戦まで 愛護の同一化現象 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 7日(水)03時29分36秒

郷田はどんな顔をして対局場に来るのであろう?日経の写真UPにまた期待してしまうのである。本日の棋聖位挑戦者決定戦までまだ時間がある。緊張で眠れない時は「やまとちゃんのダイアリー」を読むことを郷田に勧めたい。きっと心が和むであろう。彼女は春に結婚すると宣言したがまだ犬の方がかわいいようである。コカコーラボトラーズの清涼飲料水はQooである。大人がビールを飲むとブハーと言う。ハブーでもよい。この擬音をかわいらしく言うとQooとなる。そこで彼女の愛犬はクーと呼ばれる。そのクーが産まれて初めて吠えた感動を彼女は記す。外で友達を探したいと吠えたのであった。そのようなことに感動する彼女に我々は感動してしまう。これを愛護の同一化現象と呼ぶ。郷田ならば愛すべき高橋和がビニール袋を片手に愛犬を散歩に連れ出すか、愛犬のウップンを家でもう少し楽しむか興味が沸くことであろう。そこでデリラはサムソンの巻き毛を切ってしまうというのが聖書のオチである。


アーティスト達の揮毫 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 7日(水)02時54分45秒

丸山の揮毫は「撥雲」である。撥とは弦を鳴らすバチのこと。雲を奏でると言うのが彼の真意である。雲をまき散らすと解釈すると将棋村の英国式お茶会となる。世紀末の英国ではディンドンディンドンと欧州の流行を歌った後に「暗い雲を吹き飛ばせ」というのが彼らの常套句であったからである。
森内の名人奪取後の揮毫は「一実」であった。わかりやすい。一家に似ている。
羽生が今年名人挑戦を賭けて選択した文字は「克」。この文字が逆立ちしたヘルメスであることはすでに述べた。
島は英知と認識という言葉をいともたやすく羅列するが、あれはヘルメスではなくエルメスのジーンズであった。


なぜ猫の轢死体か 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 7日(水)02時36分16秒

一カ月はいたままのパンツでもいいのであるが、島が余りに挑発的なのでそのままメタファーにすると猫の轢死体となる。英国式諧謔文化に将棋を貶めると自虐にしかならないと当BBSで警告した通り。
それでもごまかすならハッキリ書こう。羽生が55飛泡踊りをまたやると思っているのであろうか?丸山が44歩反地獄門定跡で62角引きをまたやると思っているのであろうか?
A級棋士ならば絶対にやらない。だから34銀も34金も85桂も26香もすべて洗濯直前のパンツなのである。それでは康光に余りにリアルなので猫の轢死体ぐらいがちょうどよかろうということになる。


将棋世界6月号 名人戦第1局まで 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 7日(水)02時14分13秒

島の名人戦第1局の観戦記はひょうたんつぎである。島のファッションセンスで言えばつぎはぎだらけのジーンズであった。蓮實重彦もここまでクドクない。
森内34歩の長考の中身は23歩の叩きとの選択であったというが信憑性がない。谷川の23歩は王位戦の時絶賛された直接手だが森内の考えに我々は賛同する。31銀でむずかしい。本局の場合31銀が68銀のトリプル手に呼応してしまう為である。森内と羽生は54龍の前後に無言を決め込んだがこれは68銀という当たり前の手が派生した大局観を語ることになるから当然であろう。この部分はプロ棋士の命の中枢となる。これを大胆に書くのが観戦記の醍醐味である。島はこの核心に落とす伏線を洗濯直前の靴下にしてしまった。A級棋士に観戦記を書かせること自体が無理というものであろう。島脚色の感想戦変化は猫の轢死体である。
佐藤康光の名人挑戦者決定戦の自戦記は楽天的自虐感想である。我々がここで読むことは絶望のタコ銀や角出が先という感想戦結論ではない。彼が序盤に問題があると感じていることである。それをどこに感じたかを読む。それは加藤一二三の疑問と同じである。これを感じられることが康光の真の才能であろう。島も森内が序盤の30手前後までの研究から派生する大局観の根底にうまく繋げることができれば良かったのであるが、A級棋士には職種上それができないかもしれない。
それは丸山も同じであろう。丸山の棋王戦のひとくち自戦記はわかりやすい。85桂が敗着と言い張っているのも頼もしい。羽生の26香に飾りつけするのも社交人らしい。しかし全ての核心は避けられた。彼らの思考はやはり彼らには言葉に出来ないのではないかと思う。

http://www.shogi.or.jp/syuppan/index.html


羽生が 投稿者:凡夫  投稿日: 5月 6日(火)11時17分34秒

 A級に上がってくるまで、分が悪いとはいえ谷川×羽生は好勝負であった。羽生が一年目に谷川とのプレーオフを制し名人位に就いて更に7冠王に君臨した後、総じて羽生とのタイトル戦において勝ち負けはともかく、いい将棋が少なくなった。羽生ファンである小生はその頃までは谷川の切れ味に常に恐怖心を持ちながら勝負の成り行きを見守ったものである。
 この頃の出来事としてよく語られる話題に着座の一件がある。A級順位戦で羽生が先に上座に座っていた、というもので、それが故意であったかうっかりであったかはどちらでもよいのだが、「私の座る場所がない」と言った等と大袈裟に伝えられる谷川の反応は、しかし余裕を欠いたものではあったろうと想像される。余裕を欠いていたばかりでなく、僅かでも周囲に同情・共感を求めるような素振りがあったのではないか、それがあって、この件は面白おかしく伝えられることになったのではないかと思われるのである。釈迦に説法であることを充分に承知して言っている。勝負師たる者決して同情を求めてはならないし、弁解をしてもいけない。これだけは間違いがない。何故なら、棋界ならぬ我々の生きる一般社会でも事情は全く同じだからである。小生の杞憂かもしれない。谷川に限ってそんな基本を知らぬ筈はないとも思う。ただ、将来の名人として関西棋界のみならず、関東のうるさ方からも可愛がられた谷川が、羽生の急伸を目の当たりにしていささか焦りが生じていた時期ではあったろうし、だとすれば多少の感情が湧出しても不思議ではない訳である。又、対局以外では二人が口を利かぬとも伝えられた。それ自体問題ないが、本来円満な性格の谷川の採るべき手法ではなかろう。そういうライバル心の燃やし方は彼にとっては苦痛だった筈である。今だから明かすが、盤上以外にそのような要素が入ってきたことを小生は歓迎した。羽生は鈍で人の悪いところもあり、妙な心理戦は谷川に不利に働くだろうと思われたからである。純粋な棋才では僅かに谷川が上かと見えていたので余計にそう感じられた。
 その後、竜王・名人を羽生から連取した。さすがだと思った。二人の死闘はこれからが本番かとも思われたが、いつの間にか羽生世代の康光・森内・藤井・丸山等が、おそらくは谷川の予想以上に手強くなっていて、二度目の焦燥感を抱く展開となった。この連中を相手にするには貯金ではやれないことに気付く。
 「全ての戦法の序盤作戦について練り直さなければいけない」というのはそういう経緯が背景にある訳だろう。より厄介な状態になったが、敢えて立ち向かおうという決意である。野球で言えばワンスリーではなく、ツーエンドツーの状態を作ろうというものであろう。次が勝負球という訳だ。是非やって欲しい。関係ないが小生のモヤモヤも晴れる。やるなら三段等もどしどし含めて関西の叡智を結集したら良いと思う。
 谷川には初心に戻ることによって、妙な意識を全て払拭して欲しい。純粋な棋理の勝負となった時、最も先鋭的な棋譜を残せる才能を持つ者は谷川であろう。棋才で誰に負ける筈もない。「本筋では勝てない」という屈折した結論からの出発ではなく、「本筋とは最短の勝ち手順である」という谷川が天下に知らしめた真理の正しさを今一度再認識させてくれるような、深みと斬新さのある将棋の追求を続けて欲しいと思う。それを最も怖れ、待望しているのが羽生であろう。
 
 


康光棋聖は待っている 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 6日(火)08時33分11秒

しかし怒ってはいけない。ましてやマシュダ一家対策でMacでは見られないようにしているなどと妄想を抱いてはいけない。産経新聞も怒ってはいけない。毎日とて砂を噛むような思いでここまできたのであろう。きたので思いだしたが将棋連盟会長は北野武がよい。彼ならば同日決戦の裏工作など米国の侵略戦争に比べれば子供の喧嘩と思うであろう。
棋聖戦は久保森内戦が凄まじかった。産経では特選譜としてサイトで公開している。久保がからむと藤井システムがリバースするのはなんでだろう?玉が泡踊りをするのである。森内の藤井システム破りは破天荒であった。一瞬佐藤康光の棋譜ではないかと目を疑うがこれは棋聖戦予選である。タイトルホルダーの康光は待っている方であった。
久保は挑発に進んで立ち向かう。イキな男ナンバーワンであろう。森内はなんと急戦模様から飛車を4筋に展開する。羽生はこれがあるから玉を先にふたつ動かすのである。久保は急戦模様でも突っ張る。玉を停滞させるのである。玉自らの相停滞手は藤井でも躊躇するであろう。森内はこの玉を見て穴熊で久保を煽るのであるが、切れた久保は自陣整備を放棄し桂跳ねを繰り出すのであった。藤井システムの桂跳ねをまともに喰らって金桂交換もさせて名人は指せると思っている所が凄い。千葉涼子。穴熊はウンザリするなどと言っている場合ではない。名人でも羽生でもやる。久保は作戦勝ちと思ったであろう。優勢になるとイキな男は気がゆるむ。久保はポカで負けにした。
なぜ挑戦者決定戦はまたしても丸山と郷田なのか?郷田にとっては悪夢の再来である。またしても丸山に子供のようにあしらわれるのかと思うと震えがとまらないであろう。しかし同日に名人戦があれば勇気も沸く。昨年名人だった男と戦うのであるからこれはウラ名人戦である。それどころか丸山は羽生不敗伝説を破ったばかりのピカピカの新棋王であった。郷田はたとえB級に陥落しようとも自分は前名人と棋王に挑戦していると思えば良い。生涯最高の将棋を見せようと全身全霊で明日を迎えるであろう。
しかし郷田には申し訳ないが我々が今年見たいのは康光VS丸山の5番勝負である。


明日は棋聖挑戦者決定戦と名人戦第3局 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 6日(火)07時07分57秒

明日は棋聖挑戦者決定戦が午前10時から東京千駄ケ谷の将棋会館で行なわれる。丸山VS郷田というゴールデンカード。産経の中継もある。名人戦第3局は長崎で9時から。これはNHKの中継がある。同じ日に対局をするのはなんでだろう?
毎日も名人戦の有料中継を行なうが支払い方法が煩瑣である。まず面倒臭がりやと聾唖者には申し込みができない。すべて機械音声の指示で登録しなければならないからである。これをなんとかクリアーしてもパソコンによってはブラウザが表示されない。中原誠宅では見られないであろう。販売店で支払いができるようにしないのはなんでだろう?Macで見られないのはなんでだろう?とまあ渡辺明なら完全にブチギレであろう。


清水市代の将棋講座 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 6日(火)02時01分09秒

ようやく清水らしさが滲みでてきた。言うべきことをハッキリ言えば才女は全て吸収する。女王の貫禄を今後随所に散見できることであろう。清水はやはり貴重な才能である。
角筋が76-34と開いた形でも相掛りと清水は言う。およそプロ解説では横歩取りと決めてかかる所であろう。そのような風潮の中でこれも相掛りと位置付けることが女王の貫禄である。そして78金32金を手抜いた場合の全ての変化を言葉巧みに披露する芸は清水ならではであろう。初心者だけでなく上級者もナマイキな初心者を退治する時に覚えておかなければならない基本であるが、清水が全変化を朗々と語れば格調高い。序中盤の手筋とはこのような基本から派生することが多いのである。バレーのバーレッスンのような基本を清水のような流暢な日本語で語られることは良いことである。このように先入観を一掃して頂きたい。清水はそう言えばNHK杯戦でこの変化になった時先手で78金と上がらずに飛車先歩交換を行ったことがある。一瞬ドキリとさせる女王の芸であった。アマ戦法で先手から角交換し77角打で飛車を桂取りで成らせて飛車を切る「奇襲大全」収録の戦法があるからである。これも全変化を覚えていないと後手は負けることもある。プロがそのような変化を全て知っているわけではない。現に内藤が昨年NHK杯で阿部をひっかけた奇襲も全変化を知っていれば阿部必勝であった。阿部はそれを局後に思い出してしきりにぼやいていたことはNHKの感想戦で晒されたことである。基本を清水のように朗々と頭で反芻することこそ強さへの秘訣である。変化の枝分かれとはすべて基本から始まるからである。




喧嘩将棋 NHK杯タカミチVS有森戦 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 5月 6日(火)01時17分01秒

一昨日放映のNHK杯タカミチVS有森戦は喧嘩将棋となった。有森が見れただけで嬉しい。最近顔色までお化けになってしまったタカミチを挑発して見事な作戦勝ちである。さすがに三連勝で予選を勝ち上がってきた大戦略家であった。前田の先週の才気もこれで色あせてしまった。しかしタカミチ相手に勝ちきるのは容易ではない。15金打に解説の脇は呆れていたが碓井効果で最近の解説陣は言いたい放題である。しかし15金はいい手である。おかげで全ての駒が躍動し、と金で勝つという基本に回帰できた。この15金は喧嘩将棋の典型である。名人戦第2局で羽生が用意してきた25金とあまり大差ないといえばこれが勝負の炎に見えるであろうか?あれも喧嘩将棋だったのである。芸術将棋ではない。森内の場合は最後まで喧嘩に付き合えなかったということであった。


東京新聞もついにマシュダ一家門下に 投稿者:東京新聞購読者  投稿日: 5月 5日(月)15時35分46秒

本日の東京新聞朝刊記事「将棋連盟会長は将棋で決めろ」はマシュダ一家のコピーであった。

2月の下記投稿からのパクリ
将棋界の戦略 1 会長決定戦にせよ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 2月26日(水)02時45分42秒
http://www.bekkoame.ne.jp/i/yusai/030226bbs.html