奴婢訓1-9 バカから大バカへ

MashudaBBS2003.04.14


奴婢 番外 進歩という名の大バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)05時28分04秒

さて10はここに登場しない為に番外となる。
諸君はデジカメが好きかね?
ハイビジョンが好きかね?
我々はフィルムが好きである。
諸君はハブが好きかね?
森内が好きかね?
我々はアトムが好きである。
くどいようだが南同様アトムも正座ができる。


奴婢9 将棋が好きという大バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)05時19分55秒

恋人に好きと言うのは自然である。しかし将棋盤に恋を告白する者は異常である。将棋が好きと言う者はやはり異常なのである。将棋とは盤や駒のことではない。そのようなモノへの単なる愛着ならばまだ健全である。ところが「将棋が好き」などと大風呂敷を漠然と広げる者は将棋のナニが好きなのかわかっていないのである。


奴婢8 女房のせいにする大バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)05時10分29秒

レベル8は世間体を気にして必ず女房が登場する。彼らの名前はすでに自分だけのモノではないので女房のせいにして名前を保護する。傷だらけのチンポコのコンドームの役目が彼らの女房である。大聖堂をドームと言うのと根は同じとなる。教会は恰好の隠れミノなのであった。この隠れミノに包まれると誰でも透明人間になれる。


奴婢7 研究という言葉が好きな大バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)05時04分25秒

マニア=オタク=偏執狂と連鎖させる者は単なるバカである。それに研究という言葉がつくと大バカである。将棋などの本に「角換り腰掛け銀研究」などと言う標題をつける者は大バカということである。せいぜい中身は「角換り腰掛け銀攻略」なのである。将棋の本には研究などと呼べるモノはハッキリ言うが一冊もない。


奴婢6 マンガを読むのはバカだという大バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)04時55分17秒

さてレベル6以上になると大バカ者達となる。日本工業大学の図書館でマンガを置いたら学生の図書館利用が二割増えたそうだ。そこでマンガは教養への興奮剤などと考える者は大バカである。このような者達はもともとマンガさえ読まないからコミック誌が正当な教養への興奮剤などと考えるのである。このような者達はむずかしそうなものを有りがたがる大バカである。


奴婢5 戦後最低と言いたがるバカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)04時46分56秒

昨日の統一地方選は投票率が低い。3知事選と35道府議選で戦後最低であるとマスコミは言う。だからなんだと言うのであろう。戦後最低という言葉はバカ分析用語である。最初から結果がわかっている選挙に行く方がバカである。


奴婢4 学歴と年齢にこだわるバカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)04時41分37秒

学歴と年齢にこだわるバカに限って生涯教育などと言う。そして60歳定年からが本当の青春だなどと言う。果ては70歳で恋をしたいと豪語する。このような者は死ぬまで林住期を迎えない為に悟りもない。悟ったフリはできる。このような者達は酒宴となると必ず相手の最終学歴を真っ先に聞きたがる。


奴婢3 バイキングコースのバカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)04時26分13秒

先週のバグダッドのイラク国立博物館は略奪し放題であった。ケーキ食べ放題のバイキングコースである。そこら中食い散らかし、彫像の頭だけ破壊して持ち去ったり、装飾類を掠めたりしているのに楔型文字を刻んだ粘土板は誰も見向きもしなかったという略奪行為であった。


奴婢2 大坂か大阪か 漢字にこだわるバカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)04時17分57秒

阪神という言葉がある。坂神とは書かない。ところが大阪は大坂でも通用する。要するに漢字など最初から借り物なのでどうとでもなる。日本と書いてニッポンなのかニホンなのか読み方さえ統一していない国なのである。ましてや坂田三吉か阪田三吉かなどという表記はどっちでもよい。坂田三吉が本田小百合とは絶対に同一人物ではないとわかればよい。棋士の中には自分の名前さえサンチョなどと呼ぶ者もいる。外国人がその翻訳文を呼んだ場合これは日系人と思うであろう。王か玉かなどいまだに議論したがる者は大概、東京都の大田区に手紙を書くときに太田区などと書いてしまうバカである。それでも優しい郵便局員はちゃんと大田区に届けてくれる。


奴婢1 詩をオマンコ解釈したがる本音バカ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 4月14日(月)03時59分13秒

万葉集の言葉でオマンコを連想するのは勝手であるがそれを解釈として公言するものは奴婢である。
民衆がそれをやりたい場合ドドイツにでもすればよい。それでもオマンコの暗喩として連想したいものは梁塵秘抄でもまず読んだらいかがかと思う。
ゲーテのノバラは処女喪失話であると教えたがる先生はその程度のレベルなのである。その音韻構造を知らないで意味だけ詮索すると複合構造の楽しみさえオマンコの一言で済んでしまう。これが本音だと言える者はバカであろう。