孫引きの話

MashudaBBS2003.03.09


孫引きの話 番外 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)18時17分09秒

お決まりの番外であるが、ちょうどよいところに米ちゃんHPが更新された。オマヌケ大学教授の登場である。まあ世間知らずの教授としか見られないのでヤケクソに種であろう。芽がでても胡散臭い。将棋をギャンブル化するには戦略が必要である。当然パチンコや麻雀とセットになるために国会筋の政治家が介入しないとただのママゴトとなる。国際政治家が外国のカジノ法を持ちこめば一番手取り早い。政治家が知りたいのは文化論ではなく戦略の方なのである。すでに我々が本家に数回にわたりUPしたことである。
さて米ちゃんは前立腺検査で女医さんにあたって大喜びである。もし本当に前立腺肥大ならば、肛門に指を入れられただけで悲鳴をあげるはずである。その指の感触を味わうどころではないのである。もし病院で女性にそのような卑猥な快楽を求めるならば、インドに行った時に赤痢でももらってくればよかったであろう。水でも飲めばすぐに赤痢菌に感染したはずである。赤痢は法定伝染病なので感染者は二週間ほど隔離病棟に強制的に入れられる。赤痢は大した病気ではないが感染する為にこのような措置をとるのである。その換りに医療費は全額無料となる。しかも隔離病棟には若い看護婦さんが大勢居て、連日肛門を検査してくれる。こちらの方がヨネちゃんの卑猥な期待に応えてくれること受け合いであった。


孫引きの話4 見ていないフリ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)17時35分27秒


そんなに立派な棋士なら、ドブネズミのようなこの36歩を咎めてみろよというのがNHK杯戦で先崎が谷川に昔見せた初手36歩であった。今日もまた同じ36歩である。解説の阿部は悪い手ではないと言う。良い手ではないということである。これが形式美に基づく判定となる。元奨励会員の谷本誠一氏の下記の論考によるとこの36歩は先崎と林葉が指している。
http://www.af.wakwak.com/~mtmt/shogi/essay/essay070.htm
まあ別にここに書いていなくとも誰もが知っている有名な話である。つまりこのようなクソみたいな手は先崎と林葉にピッタンコと世間は認知しているということである。なぜクソかというと本人がどのような意味か知らないでハッタリだけで指しているからである。クソから花が咲くかどうかは知らない。この論考では藤井システムの原型も林葉が公式戦で指した手順であると述べている。居玉で右銀を繰り出し飛車が右辺に戻るという発想である。では総本山である藤井自身が、藤井システムの発想は林葉から盗みましたと言ったらどうなるであろうか?これは大変なことである。天皇陛下がワタシの父は実は隣の亀さんでしたというぐらいのショックであろう。ところが公式戦の棋譜というものは別に遺伝子を調べなくても目に見えるものである。それを見たか見なかったかというだけの違いとなる。棋士という職業は他人の研究を盗むのが日課である。それをいかに自分の研究のように見せかけるかと腐心する棋士もいる。このような棋士は必ず、自分は勉強嫌いですという。つまり実際は見ているのに、見ていないフリをするということである。屋敷や先崎が典型である。先崎は森下に角換りで負けた時にそのように文春で嘯いたのであった。或いは見てはいるがそのエロ本は立読みでしたということもある。羽生に負けた山崎の言い訳がソレである。


孫引きの話3 泥棒徒弟 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)17時10分03秒

将棋村では泥棒徒弟として米長-林葉-先崎の三大詐欺師が世間で名を馳せた。先崎は羽生や康光にタカリ、林葉は自分で中原を誘惑しておいて最後はタカリまくった。その師匠の米長は林葉失踪事件で中原が自殺まで考えていた年に名人を中原から奪取した。この程度のことは世間で知られた事実であり幾らでも公表された資料があるので検証に大学教授はいらない。それをどのように評価するかというだけの違いである。泥棒国家が泥棒を賛美して何が悪いと開き直るか、神聖国家において懺悔を強いるかという極端な場合と、まあいいじゃないかと笑う場合がある。笑いはもともと健全な自己修復機能の発現である。ところが、米長の場合はその笑いがなぜ厭世的な響きをもつようになったかわかるであろうか?米長が笑いを常に信者に強要するのは自己弁護であるからである。自己弁護であるから、彼の笑いは校正係がいないと自虐的となり、ネットでは逆に嘲笑されてしまうのである。なんとか谷川の人気にあやかろうと、今度は米長自身が谷川応援HPに営業しに行き、頭を下げるふりして自分への応援を乞う。そして決まり文句は「エライ人は腰が低い」となる。こうして人から嫌われないようにチンポも低くして、いざと言う時に100の力を発揮してのしかかり「低い腰」を舐めさせるというのが三大詐欺師の特徴である。盲信した者以外は誰もがその手口を知っているから、米長の笑顔には残酷な響きが必ず巣くう。先崎も林葉も決して健全な笑いを人々に与えることはできない。だから先崎は羽生-康光-郷田-森下という天然族を媒体として自分を浄化しようとするのである。それは諷刺として以外世間は評価しない。そして諷刺としての評価を得ることを先崎は期待する。林葉も手法は同じである。天然族の中原とのオマンコ話で怨念を晴らすのである。そう。根底は怨念である。羽生がいなければ俺は天才だった。中原がいなければ俺は頂点に立てた。このような怨念は、パレスチナ紛争と同じである。それを人間臭いと呼んで商品化するのが将棋村の商人たちである。


孫引きの話2 泥棒国家 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)16時34分45秒

国家も泥棒とあまり違わない。自分達が最初にここに住んでいたと主張して戦争をしたりするのである。日本のような島国でもさんざんそんなことを繰り返してきたのであるから、大陸の方は想像を絶する怨念がこびりついている。その闘争だけの為に生まれては死んで行くような歴史である。泥棒が泥棒を生んで他人を泥棒呼ばわりしては殺戮を繰り返す歴史である。これを泥棒家族という。生まれながらにして泥棒の家系であるから、盗むことが正義だと思っている。


孫引きの話1 学会のタコ 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)16時29分35秒

孫引きしたものを自分達の意見として述べる者は泥棒である。このような泥棒を監視するためにアカデミーの権威がある。大学の教授がその審査官である。ところが日本ではこの大学の教授が平然と孫引きをして自分の考えとして世間にアピールしている。彼らは外国の文献からそれを盗むのでわからないということである。中には自分でさんざん孫引きをやっておいて、その努力を盗まれ放題だと怒り散らしている大家もいる。彼らが怒るときは盗まれたことがハッキリわかるからである。つまり自分で世界で最初に言ったと言う自負があるわけである。ところがそんなモノに限って何十年も前に原書のドイツ語やフランス語に書かれていたりする。それさえもラテン語やギリシャ語原典にすでに書かれていたなどということもある。よく考えてみればその大家の語学能力はそれをまともに読む力がなかっただけだということなど学会ではしょっちゅうである。


本日のNHK杯戦36歩 ペーパームーン 投稿者:マシュダ一家  投稿日: 3月 9日(日)16時15分09秒

先崎が谷川にNHK杯戦で勝ったというのに師匠の米長掲示板はなぜかお祭りとならない。MashudaBBSで機嫌を伺ってからということらしい。換りにsaku-sakuという泥棒徒弟が先崎の初手37歩がどうのこうの言っている。先崎の初手は我々のテレビでは36歩であった。この36歩の質感に関してはすでに下記に述べたことなので今さら書くこともない。一言で言い直せば、先崎は36歩の末娘を売り飛ばすフリして逆にペーパームーンのテータム・オニールとしてしまったということである。谷川は序盤でコケたということになる。素直に穴熊に組ませれば36歩の弱点が浮上するという中村の感覚の方が上手であった。谷川はしかし果敢である。これほど活きが良いと例外的な棋士でよい。だから光速ノート23が我々にも感動を与えるのである。谷川でさえ序盤からすべてやり直すと言っているのである。涙なくして読めない。
谷川は決して人まねをしたがらない。そして人に勝手にマネをされることを極端に嫌う。自分の言ったことが記者に勝手に盗まれると谷川とて不愉快であろう。しかしそのような不愉快な人間はどこにでもいる。ネズミのような人間がほとんどだと思えばよい。有名人の言葉をそのままおだてあげ、あとは孫引きばかりする者が仲よく暮らしているのが日本という国なのである。将棋などまだ日本だけの話なのでマシな方であろう。
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