2002.3.4&5 王将戦第五局

羽生善治VS佐藤康光 相掛り15歩戦法

棋界仕掛けの神 狂った時計

2002.3.6マシュダ談 2002.3.7up


羽生の初手26歩は主導権を握る意欲の表れ。

7手目の16歩の意味?

王将奪取するならこの手を的確に咎めろと言ってみただけ。次の8手目72銀に康光46分も費やしたのが実戦心理ということ。こんな手が今後研究テーマになるはずない。ここは受ける端歩。

で、康光は端を受けずに強気に棒銀。

15手目で羽生は端歩を突き、これで先後入れ替わり羽生は主導権を康光に譲渡。

ワシなら羽生にこう言いたい。こんな姑息な手で王将を死守するつもりかと。二日間でこの端歩を巡る新定跡ができるワケないと。

ところがワシのバカ息子はこの端歩を絶賛しとるワケ。これで先手確実にポイントあげたはずとね。バカ息子はこれを玉の広さに換算しとるらしい。手の殺しあいが続けば入玉するときに役立つと。ワシに言わせればそれが有効と確認された時、単に端歩を突きあえあば昔の定石にまた戻るだけという無駄な努力。一回かぎりのポンビキ歩。

羽生は縦歩取りから得意のひねり飛車へ。この戦法は羽生には特別な思い入れがある。飛車角切って中原とのNHK杯決勝で快勝した熱い青春の駒組。酷評すれば昔のプログラムを脳裏に再生して新定跡を創るという安易な方法。古い酒と新しい酒を混ぜるようなヒマツブシじゃね。商業世界でそんなことすればゴマカシ。 康光はそれを確実に咎めた。古い酒を入れた皮袋は破れたらツギハギしてもだめ。で、羽生は左から右へ戦場を転換。

66手目の局面。康光の飛車は力強く泳ぎ回る海のマグロ。羽生の飛車は排卵を終えたシャケ。康光の角は地下に眠る宝石。羽生の角は次の客を探してウロウロするポンビキ。これが王将の指す将棋か? 暇ジジイの考える内容とかわらん。

ところがワシのバカ息子はまだここでも羽生の端歩を絶賛しとるワケ。これで後手が先日手を狙えば、先手は今度は時計と逆回りに勢力を回転できるはずとね。感覚が囲碁の陣地取り。15歩が地を広げた名手だと言っとるワケ。

ワシ、ここでふと思ったね。 羽生を越えるコン助が登場した時に、この局面でコン助同士で時間無制限にやらせたらどうなるもんかと。ワシのバカ息子は、それが未来の将棋の楽しみ方と言う。ピアノの自動演奏機でヤマハが起死回生したように、家庭で過去のタイトル戦を使って堪能し直すのだとね。

果たしてあの時の15歩は生きる展開があったのか? コン助同士でやらせて、果たして盤面の玉の重心は55地点を時計の軸にしてグニャリと回転するのか? 康光の指し方は正に時計の逆回り。81手目で羽生は今度はその回転を右回りに転換。ここで回転方向がぶつかり合うことになった。それが本局。

102手め、康光の55桂打という時計軸にねじり込んだ犠牲は皮肉じゃね。それで時計は壊れたしもうた。こんな破滅的な桂打みたことない。森内森下のA級順位戦の戦いと同じように歩と桂馬の交換だけで勝負がついておったというのも皮肉。

羽生が飲んでおった抹茶に大きな泡が中央に三つ。桂馬を三枚使った羽生の寄せ? あんな大技が成立すること自体、破壊の後の狂言。商業将棋は二人で指すもんなんじゃね。康光は遠慮したらそりゃ負ける。羽生は老獪。

序中盤の羽生は隠居準備しとるような指し方。未来の楽しみをひとつ遺産にしてもろうたかもしれん。


2002.3.7談