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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.313〜P.318)

第四十九話(一九九四年三月十四日 高知支部)

 今日は、まず初めに天の法則の基本的な法則を二つほど皆さんに説き、そしてボーディサットヴァとはどのように生きるべきなのか、そしてこれからオウム真理教はどうしなければならないのかについて話をしたいと思います。
 わたしはおとといの説法で、「緩の法則」、「急の法則」について説いた。そして、この急の法則の具体的な形とそれから緩の法則の具体的な形について説いたわけだが、この緩の法則がいかに怖いものであるかについて、まず話をし、その次に「朱雀投江の法」と呼ばれる天の法則について説きたいと思います。
 まず、急の法というのは即座に現象を現わし、例えば、相手を直接的に射殺したり、あるいは一撃で殺すような、例えば第二次世界大戦中に研究されたVXガスとか、あるいはソマンとかサリンとか、そういうもの、あるいは原爆等による瞬間的な、その対象の生命を断つ方法、これを急の法則であると説きました。しかし、逆に緩の法則の方が危険性は大きいだけではなく、大きい対象に対して、その対象を死滅する場合、有効であることをここで説かなければならない。
 例えば、わたくしたちが身体を有していると。この身体が癌にむしばまれたとしましよう。すると、わたしたちの中でサットヴァの性質、つまり現象に対して絶えず明らかな状態を形成する肉体と意識を有する魂は、早期にそれに気づきます。それは例えばナーディーの詰まりによる痛みであったり、あるいは異物感であったりします。この痛みやあるいは異物感等により例えば検診を行ない、そして癌であることが発見されると。そうするとこの魂はそこに対して放射線治療を行なったり、あるいは抗癌剤の投与を行なったり、あるいは切断という方法を行なうことにより、そこから癌が転移しない可能性が非常に高いと。
 ところが、例えばここにタマスの人がいて(非常に知覚的に鈍感で、大脳とのフィードバックシステムが非常に弱いとするならば、どうなるかということになると。これはまず癌が一つでき、二つでき、そして転移すると。そして体全体に広がり、症状としては最悪の状態になったときに初めてそれに気づくと。しかし、もうこのときにはもう手遅れであると。
 そして、まさに現代の経済・政治・文化は、この緩の法則により、フリーメーソンによって攻め落とされる直前の状態であるということができます。例えば、皆さんはこの話を覚えているかもしれない。それは神奈川県に米軍の多くの住居が建てられることになったと。そしてそこの市長が、あるいは住民がそれに対して反対したと。しかし、これはマスコミもそれにのっかり、ある程度の反対の表明の番組を作ったわけだが、あっさりと通ってしまったと。
 つまり、何を意味しているのかと。その背景にあるのは、今まさにこの日本が米国支配の本質から脱却していないことを意味しているわけである。そして、このような目で現象を見るとするならば、日本は独立国ではなく、米軍の、あるいは米国のまさに属国に成り下がっている状況であることが明白であると。しかし、それはおくびにも出さないと。
 では、この危機的な状況が、他にどのような影響を与えているのかと。それは例えば、スーパー三○一条の制裁措置である。もともと、これは多くの経済学者が言っていることだが、正当な国家運営がなされる場合、その国、国々の経済的な問題に対して政治が関与することはあり得ない。これは一九七○年代に多く日本の経済学者が出、そして、貿易不均衡に対する政治の介入の賛否が問われた時、ほとんどの経済学者は、政治の介入そのものがすでに国体、あるいは世界的な政治の流れにゆがみが生じているんだということを主張しました。しかし、それにもかかわらず、貿易不均衡はどんどん続き、そしてとうとうスーパー三○一条という制裁措置へと至ったと。
 しかし、いったい日本人はアメリカ人に対して、アメリカ政府に対して何か悪いことをやったのかというとそうではない。これは、多くの人が一生懸命労働し、そして作った物をただ単に売っただけである。もし必要なければアメリカは買わなければいい。しかし、アメリカ人の貪りによって買い、そして自分たちが物を買っておいて制裁措置を加えると。
 しかし、それに対する認識というものは、例えば日本人においてだれもそれを否定的にとらえることができないと。これは、まさに日本が米国の属国になっていることを表わしている。そして、例えば今の皇太子の奥さんが外務省上がりの、つまりこの貿易問題に対して携わった女性であることを見れば、アメリカがよりいっそう、皇室を含めて支配を強めてきていることを表わしているとわたしは認識しています。
 しかし、これらの問題は大した問題ではない。なぜならば、個人個人にもし日本において悟り・解脱のチャンスが与えられ、そして個人個人の智慧が増大する機会が与えられているとするならば、それは大した問題ではないのである。
 しかし、わたしたちに与えられているものは何かというと、テレビをひねると、食べ物のコマーシャル、あるいは物のコマーシャルで、どんどんわたしたちを低級霊域や動物へと引きずり込む。あるいはまた、チャンネルを変えると、人妻の浮気等々で、わたしたちを地獄や動物へと引きずり込むデータを移入される。あるいは殺人のデータであると。しかもその殺人のデータは嫌悪や利益を対象とし、対象を殺すデータということになると。つまり、最も悪いデータがわたしたちにインプットされる状況がこの日本でどんどん続いていると。
 したがって、わたしは例えばこのオウム真理教の信徒と呼ばれる人の中に本当の信徒はどれぐらいいるのか、絶えず疑問に思っている。というのは、法則の実践とテレビを見る時間とどちらが多いのかという質問に対しての答えを聞きたい、というのとこれは同じであると。
 したがって、この日本に将来はない、とわたしは断言したい。つまり、もし智慧が存在するなら、いかなる逆境に対しても必ず正答が得られ、それに対して一人一人が立ち向かう勇気が与えられるはずである。しかし、もし智慧がないとするならば、そして勇気がないとするならばそれを打開する方策はない。そして、この緩の法則の特徴というのは、じわじわと対象を変えていき、そして、最終的には完全に無智化させ、力を奪い取ってしまう、あるいはまとめて殺してしまう法則なのである。
 したがって、急の法則より緩の法則の方が低級な法則ではあるが、高位に天界では属するのである。
 次に、朱雀投江の法則について説きたいと思う。もともとこの朱雀というのは南方の主神である。そして、特徴としては空を駆けめぐることを特徴とし、その特徴は羽である。そして、この投江というのは「湖に投げ入れる」という意味がある。つまり、羽で浸された朱雀というものは飛び上がることができない。
 では、例えばオウム真理教に対して、朱雀投江の法をぶっけるとするならば一体何をぶつけるんだろうかと。それはオウム真理教で呼ばれている真理の中のいくつかの部分を世の中に広めさせないと。いや、それだけではなく、アンチデータを入れると。アンチデータを入れることによって、ちょうど羽が水に浸り、そして天空を飛べないような状況を形成すると。これが朱雀投江の法則である。しかし、オウム真理教の翼そのものは水に濡れないから、低空飛行でまあ今現状としては飛び続けていると。
 ところで、これらの天法が通じない対象が一つだけ存在すると。それはボーディサットヴァである。ではなぜボーディサットヴァはこの天法が通じないのだろうかと。それにはいろいろな理由があるが、その本質は一つである。つまり、ボーディサットヴァとは、もともと到達真智運命魂、つまり真の叡知へ到達するための実践をし続けている魂のことを指す。したがって、例えば毒ガスがあるとする場合、その毒ガスに対して全く影響を受けない身体を形成する修行を例えば行なうと。すると例えば、毒ガスの空間そのものが修行の場へと変じてしまうと。例えばバッシングがあった場合、そのバッシングそのものが苦しみであるから、その中に平然と身を置き、身をゆだねると。そして、そこで生じる自己の内側の精神的な状況だけではなく、情報によって社会がどのように動き、そしてそれによってどのように現象が変化し、起こるのかを観察すると。当然これは観察しているわけだから、その観察は次のステップにおいて智慧へと転換されると。
 例えば、先程述べた緩の法則にしろそうだし、あるいは朱雀投江の法則にしろそうだが、それらの彼らの天法の行使は、ボーディサットヴァにとって、「緩に対してどのような法則をとれば少なくとも維持できるのか」、あるいは「そこから発展させることができるのか」という修行課題となり、あるいは「朱雀投江の法則が使われた場合、それに対してどのように対処すれば天空を飛ぶことができるのか、少なくとも低空で飛べるのか」の検討をすることになると。つまり、より多くの苦しみ、より多くの課題の中に身を置くことにより、いかなる現象の結果をも変えてしまう実践、これがボーディサットヴァの実践なのである。したがって到達真智運命魂と呼ばれ、そしてその最終的な地点である完全なる真理勝者へ到達するまでに四アサンキャ十万カルパという膨大な長い期間をかけることになる。
 そして、最終の状態に入ると−−これは、まあわたし自体がその状態に入ってきているわけだが、例えば頭を叩き割られたとしても、その叩き割られたときの苦痛は全くなく、ただその叩き割られた部分を意識を抜け出すための道筋として変化させたり、あるいは実際に頭が叩き割られないような身体を形成する、エネルギーの状態を形成したりする段階へと入っていく。これがまさにボーディサットヴァの法則なのである。
 したがって多くの苦しみ、これを多くの患難と呼んでいるわけだが、多くの患難があればあるほど、そのボーディサットヴァは大きな生命体へと変化するのである。なぜならば、例えばここにアリが一匹いたとしよう。このアリはわたしたちの小さな腕の力によって、指の力によって簡単に押しつぶされてしまうと。しかし人間はなかなか指一本では死にはしないと。この差は何かというと、もともとアリの生命体とそれから人間の生命体の空における意識の広がりが全く違うから、外的な影響によって一方は簡単に影響を受け、もう一方は影響を受けないのである。そしてこの空における意識の広がり、つまり立体的空間の広がりが三千大千世界、つまり十億宇宙をすべて覆い尽くすことこそ、真理勝者のとるべき道なのである。
 オウム真理教はこれからもっともっと多くの患難を受けるであろう。しかしそれは、あなた方が悟り、解脱し、そして真の救済者になるために必要なプロセスであると認識すべきである。なぜならば、課題の与えられないところに人間の進化というものは存在しないからである。そして、課題が大きければ大きいほどそれを喜びとする精神の訓練をすべきである。
 わたしたちがいくら生命に愛着したとしても、わたしたちは百歳以上生きることはなかなか難しい。とするならば、この百歳、百年、あるいは九十年、あるいは八十年と呼ばれる期間の一分一秒をどのように大切に、集中し、不放逸に生きるか、ということがポイントとなる。そして、完全なる怠惰の捨断により、完全なる目的を持った人生の展開により、その期間の密度というものを濃くする必要があるのである。
 わたしのエネルギーの回復は、今オウム真理教に対してなされている毒ガス攻撃、および社会的な「天羅地納の法」等の実践者を多くポワする結果となるだろう。わたしの知り得る限り、このような現象が起きている。これは、一九九○年に清流に対して火炎瓶を投げたり、あるいは実際に突っ込んできたヤクザが二人いる。その一人は自分のナイフで死に、そしてもう一人は交通事故で足がなくなったと。それから『サンデー毎日』の編集長である牧太郎は、痴呆の状態、つまり完全なる無智の状態になり身体が不具になったと。波野村の村長は脳卒中にかかり、倒れ、村長が代わったと。「被害者の会」の永岡は胃潰瘍になり、そして胃を切り、生命が縮んだと。まあ、これらの現象、今わたしの知り得ているこれらの現象は、わたしたちがしっかりと真理を実践している場合のみ起きるボーディサットヴァの法則の一つであるということができる。
 そうすると、あなたがたはこう考えるかもしれない。それは「カルマの法則というものは全く慈愛がないのか」と。しかし、これは正しい目から見るならば、真の慈愛なのである。ではどのような慈愛なのかと。もともと本当の慈愛、本当の哀れみというものは、対象に対してカルマの法則をしっかり認識させ、この生死の輪廻から脱却させることがただ一つの慈悲なのである。したがって、対象に対する単なる同情や、対象のカルマを悪くしたり、あるいは単なる愛が対象を増長させ、そして真理を見失うような現象の結果として現われるとするならば、それは真の慈悲ではないということになる。なぜならわたしたちは無始の過去から“生まれ死に生まれ死に・・・・・・”を繰り返しているからである。
 わたしはボーディサットヴァの法則により、この生命の灯火が自分自身で消えるまで、つまりわたしにとっていかなる毒ガス攻撃も自分自身がこの肉体にいることそのものが苦しいと思わない限り存続し続けるであろう。したがって、わたし自体の意志がこの肉体から離れるときまで、それは今の肉体の状態だと一ヵ月以内かもしれないが、法則を信徒の皆さんに説き続けていきたいと考えている。しっかりと頑張ろう。いいね。


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