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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.248〜P.252)

第三十八話(一九九三年四月十七日 仙台支部)

 わたしが九年前、東京の渋谷のマンションの一室からオウム真理教を始めて、その空間の広がりは約千六百倍になっていると。この千六百倍というのは、まあだいたい約一万六千坪ぐらいのサマナおよび信徒の空間が、今あると。で、これは間もなく、六月・七月あたりには二万坪を超す予定でいると。で、これは、わかりやすく表現するならば、約、後楽園球場が六個分の畳の空間、道場が、この九年間にでき上がったことになる。
 この動きというものは、まさにカルマとしかいいようかない。なぜならば、オウム真理教は、マスコミをはじめとして国家権力等に多く叩かれたが、それでもこれだけの力をまだ有していたということになると。これは明らかに、布施・奉仕等を弟子たちが行なう結果として、その果報が現象化しているにすぎない。
 実は、今、AHI(オウム真理教附属医院)にY君というガンの患者がいると。このガンの患者に対して、クリシュナナンダ師は徹底的に慈愛をもって接し、そして一生懸命彼を治そうとしていると。それはもうまさに慈愛というか、情というか、ものすごく強い思念で彼を治そうとすると。しかし、いかなる方法をとっても、彼のガンはどんどん進行していると。ここで間題なのは−−もちろん彼は、普通だったら数カ月で亡くなった命が、もう一年以上は延命しているということは見逃すことはできない。しかし、彼の痛み等の苦しみはどんどん増大していくと。では、なぜ増大するのかと。
 それについての結論は、彼が大変なる昆虫採集家であると。そして、北海道出身の彼は、その昆虫殺生のために沖縄までも飛んで昆虫を集めるぐらいの、多くの昆虫を殺生していると。当然、それらの昆虫の苦しみというものの総和は、膨大なものであったと考えることができる。そこでアドバイスをしたと。
「まず、彼が寂静の状態に至るためには、そのザンゲを行なう必要かあるんだ」。もちろん、彼は、今までザンゲの瞑想や供養の瞑想を行なったことは間違いないが、そのザンゲの瞑想が、全く心が込もっていなかったものではないかとわたしは考えている。現に、その昆虫に対する殺生のザンゲの瞑想、および、昆虫を殺した、その昆虫の苦しみを一つ一つ今経験して落としているんだということに対する、三宝に対する感謝を行ない出して、彼の心は少しずつ鎮まり、痛みから解放されていっているという実態がある。
 つまり、「わたしたちは、なしたこと以外、その果報を受けることはできないんだ」という原則があるのである。
 しかし彼は、温熱その他の、激しい、肉体的苦痛を伴うカルマを落とす修行を行なっていたはずである。であるにかかわらず、なぜカルマが落ちなかったのか。
 それは「心のカルマが身体のカルマを超越する」という教えがあるわけだが、まさにそのとおりだからである。つまり、心において小動物を殺生するという邪悪な心の働きがまだ残っている、ザンゲができていない状態では、いくら身体のカルマを落としたとしても、心の働きにより身体は変化し、そしてガンは進展し、苦しみは増大するんだという教えが存在するのである。
 この「心業」、つまり、「心の働きのカルマが最大である、最高である」ゆえんとして四無量心の教えが存在し、また、最高位の教えとしてヴァジラヤーナが存在するんだということになる。
 真に慈愛を持つ者が、真に厳しく子供や弟子に接し、そしてそのカルマを落とし、ステージを上げる場合、その落とした、落とすことをなした偉大な聖者は、その心の発達というものは異常なスピードで成長すると。しかし、そこには、当然”偉大な、心の成熟した者”という条件が備わっていることはいうまでもない。
 これゆえに、同じ人間の形をとりながら、ある者は聖者であり、ある者は動物であり、ある者は地獄であり、ある者は餓鬼なんだという教えが存在するのである。あるいは逆に、神々の世界にも、意識堕落天の世界にも存在すると。同じように動物の世界にも、人間と同等の心の成熟した魂が存在している可能性はあるんだということを認識する必要がある。つまり、わたしたちの今とっているこの肉体というものは、生成のバルド−−ただ生存し、死んでいく、数十年の、あるいはまあ、八十年、九十年の短きにわたる幻影にすぎないんだということをここで理解する必要があるのである。
 現代人を観察すると、現代人の構成しているものは何か。まず「嫌悪」であると。ただ自分だけ良ければいいと考える。次に「無智」、今さえ良ければいいと考える。次に「貪り」。自分だけ独占したいと考える。次に「性欲の興奮」、とにかく異性を見たらセックスの対象と思え、という修習をすると。そして「闘争」、とにかく権力を得るためには手段を選ばないでいいんだと考える。−−これらの、下位に結びつけられた五つのきずな、この五つのきずながまさに、現代の人々であると。
 しかし現代人は、なかなか死なない。なぜ死なないのか。それはできるだけ生かすように、例えば病院等の研究が進み、病気治療等の研究が進んでいるからである。しかし、いったん病気にかかると、それはまさに実験動物であると。レーザー等によって焼かれたり、あるいは薬漬け、いろんな新薬によってナーディーを詰まらせたり、無智にさせられたり等々、これはまさにこの現代人のカルマがいかに悪いかを意味している。もしカルマが良ければ、苦しみなくこの生を終え、また次の生へと転生するはずである。
 しかしわたしたちは、それすら許されない。つまり、苦しみながら苦しみながら、来世というものを見ることも、聞くことも、経験することもできず死んでいかなきゃならない。その恐怖はものすごいし、また、その前に生じる肉体的苦痛、あるいは貪り−−例えば食べたくて食べられない等のね−−といったような苦しみというものも当然増大すると。
 そして、このカルマの構成の集積が何かというと、戦争である。よって、戦争における新兵器はどんどんどんどん開発され、例えば、原爆・水爆等が、光ることによって肉体がただれ、そして内臓が焼け、乾きと飢えによって苦しまなきやならない。あるいは完全に焦がされるといったような現象が生じる。あるいは化学兵器。この化学兵器は、その毒ガスを吸うと。これはね、まさにわたしたちが殺虫剤によって虫を殺しているのと同じカルマが、そのまま投影されるという形になると。ね。そしてロケット、あるいは戦車の砲弾の威力もどんどん増大し、わたしたちの手が飛んだり、頭が飛んだり、足が飛んだりといったような状態になると。
 そして、それは周期的に行なわれると。なぜ、周期的に行なわれるのか。それは、「カルマの集積の度合いがある点を超すと、必ずそれ以上、この人間の世界に存在することはできないんだよ」というカルマの法則が存在するからである。そして、そのカルマの法則によって、間もなく大いなる戦い、つまりハルマゲドンが生じるのである。
 このハルマゲドンは、どのようなかたちで行なわれるのかと。
 これはまず、一般的に考えられることは、超秘密兵器と呼ばれるものが二つ存在すると。一つは「反射恒星砲」である。これは三キロとも、あるいは三キロ以上の大きな鏡を宇宙空間に打ち上げ、太陽の光をそのままこの地上に照射すると。これによって地上の、それに当たったすべてのものか焼き尽くされるという、大変すごい秘密兵器である。これはもちろんロシアが開発している秘密兵器である。
 もう一つは、これはアメリカが開発しているプラズマ、正確に言うと「マイクロ・プラズマ反射衛星砲」である。この「マイクロ・プラズマ反射衛星砲」とは何かというと、巨大な出力の発電所を用意し、そこからマイクロ波を照射すると。マイクロ波とは何かというと電子レンジのようなものだと考えてもらったらわかる。これを宇宙空間にある宇宙船でいったん反射し、あるいは逆に宇宙船に、太陽エネルギーを使った蓄電機、つまり太陽電池を用意し、そこで発電し、そしてマイクロ波を照射すると。これはまさに、ポイント攻撃における炎の渦を作ることができると。そして実際、湾岸戦争においてイラクに対してアメリカは実験し、大いなる戦果を上げている。あるデータによると、十万人の戦死者の中の九万二千人はこれによって完全に焼却され、影も形もなくなったそうである。
 しかし、まだ、戦いは始まったわけではない。戦いが始まったわけではないとは、何を意味しているのかと。これは、この二つの兵器だけが登場するのではなく、これ以上の“超兵器”が登場する可能性があることを示している。わたしは、最終的には超大型のレーザー兵器ではないかと考えている。このレーザー兵器は、パワーか強くなるために、その中間状態の空間すべてをプラズマ化すると。それによって完全に白い一本の帯、つまり剣として見ることができると。これはまさに、「ヨハネの黙示録」に説かれている“つるぎ”である。この“つるぎ”によって、完全に、ほとんどの衆生は消滅してしまうと。
 しかしわたしたちは幸いである。なぜ幸いなのか。それは、「死」というものにアプローチするためのいろいろなテクニックを知っているからである。例えば、それは小乗のツァンダリーである。例えば、それはグルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーションであると。例えば、それは大乗のツァングリーであると。例えば、それはグルヨーガであると。このような瞑想体系、この土台をなす「五根五カセミナー」、あるいは五大エレメントのエンパワーメント等を受け、それをしっかりと修習し、そして徹底的な六つの極限を行なうことにより、五つのわたしたちの構成要素の浄化に努めるとするならば、いったい「わたしたち」と呼ばれるものは何であり、わたしたちの来世は何であり、どのような方法を採れば、わたしたちが本当に幸福な死を迎え、次の新しい生を迎えることができるのかについて、霊的なインスピレーション、および体験を与えてくれるはずである。
 これだけの教えはすでにわたしは君たちに説いた。あとは君たちがこれを実践するかどうかで決まる。
 いくら至宝があったとしても、最高の宝物があったとしても、それを活用しなければ、−−あるいはいくら至法があったとしても、最高の法則があったとしても、それを実践しなければ救済されないのである。そして君たちは、救済され得る可能性を秘めた魂であることはいうまでもない。いずれにしろ、九三年から九九年にかけて、大いなる変化が生じるであろう。わたしたちはその変化に対して正念し、いっさい何が起きようとも心を動かさず、そして、自己の救済、自己と縁の深い魂の救済に全力を尽くすべきである。いいね!
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ、死は避けられない。これは何を意味するか。これはハルマゲドンで死のうと、あるいは、天命が終わり死のうと、死は死であると。よって、死の準備を早く行なっでおくことは、何よりも腎い、智慧ある昔の態度であることを認識すべきである。いいね!


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