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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.213〜P.219)

第三十二話(一九九三年三月二十七日 京都支部)

 「さくら銀行」の人員削減案、および、大きな企業の連続的な倒産、そして、わたしが予言したとおり、今年の三月、株価は上昇し出していると。いったいこれは、何を意味するのか。紛れもなく、ハルマゲドンに向かっての突入を意味しているにほかならない。
 ノストラダムス、五の五十三。太陽の法と金星の法が争うと。そして、この両者はお互いに予言を研究すると。そして相容れないと。そして、太陽の法は、メサイア、つまり救世主によって保持される。−−これは、「メサイアによって保持される」というのは四行目、つまり、まだメサイアは登場してないときの予言詩である。ではなぜ、登場してないのか。五三年とは、一九五三年を表わすからである。
 君たちも知ってのとおり、この「金星の法」「太陽の法」という言葉にはいろいろな解釈がつけられてきた。しかし、ノストラダムスの研究がほとんど終了に近づいているわたしにとって、この金星の法が何を意味し、また太陽の法が何を意味するか、痛いほどよくわかる。ではいったいそれは何か。
 まず、「太陽の法」とは、サキャ神賢そのものが言ってのとおり、彼自体、「太陽の末商」と表現している。つまり、真理である。そしてこの真理とは、別の言い方をするならば、絶対揺らぐことのないカルマの法則ということができる。では一方「金星の法」とは何か。金星−−金星とはヴィーナスで象徴されるとおり、欲望、快楽、そしてカネ、これを表わすと。ではなぜこの二つがぶつかり合うのかという問題について検討しなければならない。
 もともと、イエス・キリストの滅後、ヨーロッパでは、次にいつ救世主が登場するのかという待望の流れが存在した。そして、西暦一○○○年前後に登場するんだということで、キリストを待ち望み、多くの魂がザンゲしたと。しかしキリストは登場しなかった。千二百年経っても登場せず、千四百年経っても登場せず、千六百年経っても登場せず、千八百年経っても登場しなかった。
 ところで、一七○○年代に、大きな一つの勢力が登場した。それは、今、フリーメーソンの母胎、中心的な指令機構となっている「イルミナティ」である。彼らはこう考えた。
 もともとフリーメーソンというものは、キリスト待望の集団、つまりキリストが登場したら、そのキリストに奉仕するために形成されている秘密結社であると考えてくれ。このフリーメーソンは、いろいろ検討し、そして、どのようにしたらイエス・キリストは登場するのか、いや、イエス・キリストでなくてもいいから、とにかくキリストが登場するのかを考えたと。しかし、登場しなかった。そこで彼らはこう考えた。
「いや、もともと、カルマの法則も存在せず、キリストも登場しないんだ」と。「では、この人類にとって何が弊害であり、何が有益なのか」と。「それは、個々が自由に生きること、これこそが最も必要なことであり、そして、平等に生きること、これこそが最も大切である」と。「そして、これらを達成するためには、友愛、つまりお互いがお互いに対しての優しさが必要なんだ」と考えたのである。
 なぜ彼らはそう考えたのかというと、仏教がそうであったように、当然大乗仏教的思想の大きな影響を受けていることは、ヨーロッパ宗教史を調べてみればよく理解できることである。ところが、次の点について彼らは見落としている。それはこの宇宙が創造され、そして破壊されるまでの間、あるいはこの地球が、成立し、そして破壊されるまでの間の期間を検討した場合、この千年や二千年というのは、いかに短い期間であるか、そして救世主が登場するのは、そんなに生やさしいことではないんだということである。しかし彼らは、それを待つことはできなかった。
 そして彼らはこう考えた。「わたしたちが欲望を満足することを妨げているもの、それは国家機構である」と。あるいは経済機構である」と。これらすべてを撤廃してしまい、原始共産主義のように自由で、そして、あまり働かなくても済む世界をつくろうではないか」と考えた。そしてそれに対して、着々と五十年、百年、そして二百年と計画が進められたと。そのためには、宗教を打破する必要があると。なぜならば、宗教というものは、ある特定の価値を設け、そしてその価値によって人を支配する、つまり、もし宗教がなければ、個々は自分の欲望によって生きることができるんだと。
 しかし彼らは、自分たちが唱える自由・平等・博愛の三つに対して、それぞれ大きな矛盾があることを知っていた。それは、もし自由であるとするならば、例えばある人が自由にカネを稼ぐと。そうすると、お金の量が一定だとするならば、ある人は必ず貧しくなると。例えば、ある人が自由だということで相手を殺すならば、ある人は生きるという平等の権利を失うことになる。しかし、自由にしろ平等にしろ、それはわたしたちのもともと真我の特性であるから、すべての魂が待ち望んでいる言葉であったということはいうまでもない。そして、この自由運動、あるいは平等運動が進んだと。
 もちろん、これは東京の説法でも述べたとおり、友愛、あるいは博愛というものが、もし一番初めに来、そして個々の理性が向上し、知性が向上し、そしてカルマによって平等であるという原則が成立するならば、この博愛・平等・自由という三つは当然成立したはずである。しかし、それは失敗に終わったと。
 ではこの、自由と平等の両陣営とは何であったかと。まず自由とは、君たちも知ってのとおり、自由主義である。そしてここでは、まず一定の枠内、国家における憲法の枠内において自由にカネを稼ぎ、そして自由に生活をすることはできると。
 一方反対に、平等に対しての典型的なパターンは何かと。これは共産主義であると。ここにおいては、自由は一定限制約されると。しかし、個々が、安い賃金で、そして安いモノを、いいモノを安く提供されるという仕組みをつくったと。例えば、今のロシアなどでは、ものすごく素晴らしい地下鉄が、しかも核に対する防御ができるような、そういう空間でも非常に安い金額で乗ることができると。これはまさに、共産主義の、つまり平等という旗頭の象徴なるがゆえにできる国家運営であるということができる。
 つまり、自由と平等とを両方つくり、どちらが勝つかやってみたと。そして自由は当然、人の欲望によって働き、カネを集めるという特徴があるから、自由の方に当然カネが集まり、平等という下に魂は堕落をし、そして結果的には自由主義が勝ったかのように見えている。しかし、この自由という中には、当然、大きな国家的な制約があるから、あるいは平等の中には、当然、平等という定義の前に、まず国家という、つまり共産主義という教えの枠組みがあるから、この自由にしろ平等にしろ制約を受けたことは間違いない。
 彼らのこのテストが終了したがゆえに、一方の旗頭であるロシアを閉じたと。そして彼らは、次は平和、つまり友愛の実践に入ったと。実践に入ったというのは正しくなく、いよいよ最後のテストに入ったわけである。つまり、PKO法案がそうだし、あるいはPKFがそうであると。これらはすべて、友愛に対する試行であるということができる。つまり、プライドを有する者たちが、権力とカネにまかせ、そして、弱い者たちを力によって支配し平和を与えると。そして、これらはすべて金星の法、つまり、欲望を満足させ、おカネ経済を土台とした国家運営のもとに実験されてきている内容である。これが「自由・平等・博愛」の真の意味である。
 ノストラダムスはこれに対してこう言っている。「太陽の法は救世主によって保たれる」と。救世主によって保たれるとは何かと。救世主以外は、この、太陽の法、つまり真理を説き明かすことはできないと彼は言っているのである。ではなぜできないのか。
 もともとノストラダムスの予言詩は、四行目というものは必ず未来を表わす。ということは、一九五三年に登場していない救世主がしっかりと世界の宗教を検討し、そしてサキャ神賢の教えを土台とし、いや、正確な言い方をするならば、シヴァ大神の系統であるすべての真理勝者方の教えをこの世の中に明かすとノストラダムスは述べているのである。
 ところで、なぜ今までわたしかこのような法則を君たちに説かなかったのかということについて説かなければならない。それはこの九三年から九七年までの四年間ないし五年間、この四年間ないし五年間が山場であるといえるからである。なぜならば、九七年はハルマゲドンであることは間違いない。この「九七年ハルマゲドン」説については異論があるかもしれないが、わたしの検討したところによると、この九七年、ハルマゲドンが勃発することは間違いない。勃発するとは、即終わるのではなく、数年間激しい争いが起きる。そして、この地球の人口も、ものすごく激減すると予言にはなっていると。そして、わたしが、あるいは君たちが生きれるかどうかについては、その保証の限りではない。
 この、今の日本の経済恐慌は、一九二九年の経済恐慌と非常に似ていると。しかし、一つだけ違いがあることを君たちは気づかなければならない。もともと第二次世界大戦までは、日本は農業国、つまり、食べ物についてある程度自給自足の体制がとられていたと。それからその他の製品についても、豊かさはなかったが、わたしたちが生きるという上においてはある程度の自給自足の体制がとられていたことを、君たちは知っているはずである。
 しかし、今はどうかと。今はわたしたちのエネルギーにしろそうだし、食料にしろそうだし、そして衣服・電気製品にしろ、すべてが外国からの輸入になってきていると。そして今回のバブルの崩壊によって、三千六百兆円という日本経済の約三分の一である千二百兆円が消えたと。もともと全体の国家の三分の一の経済が消えるわけだから、当然銀行にもカネはないと。ということは、銀行も貸したくてもカネが貸せないと。そして今までバブル思考で経営をしていた者たちは、それによってバタバタと倒れていっていると。
 そしてこの、三月の株価の高騰は、これも同じでまた貪りの強い者たちが投機をすると。そして投機をすることによって、もう一度小さなバブルを崩壊させると。それによって日本経済を完全に沈下してしまうと。これが今回の三月の株価高騰の狙いである。
 では、なぜこのようなことが言い切れるのかという問題について移らなきやならない。もともと、太陽の法と金星の法は予言を検討するのである。それぞれが予言に従い、動くのである。そして「太陽の法は救世主によって保持される」となっている。ここは非常に重要な問題である。つまり「太陽の法」、真理を説き明かすメシアは、しっかりと予言を明かすと。もちろん、逆に金星の法の者たちも、しっかりと予言を明かすと。そして、この二つの予言は相容れないということになっている。ということは、「予言」という言葉があるとおり、未来において成就する、ある現象についてそれぞれが明かすわけである。例えばわたしの明かした予言でまだ現象化していないのは、「一ドル一○○円」、これだけである。しかしこれも成就するだろう。
 これらの内容に対して、君たちは次の不審を持つかもしれない。「しかし、それだけのメシアが現われたならば、それだけのキリストが現われたならば、なせ教えを聴く者は多くならないのか」と。それについてはノストラダムスの予言詩にこのような内容がある。「偉大な教祖は、教団を拡大させようと思念すると。しかし、大きくならない」と。これは何を意味しているのか。ある段階が来るまで、つまり、爆発的に教団が大きくなるまでは、大きくならないということである。しかし、爆発的に教団が大きくなるとき、おそらくこの教団は、千倍、あるいは一万倍といったスケールの教団の大きさになるはずである。それは、なぜならば、一方の陣営の中心を担うからである。
 そして、この日本の果たさなければならない役割というものは、非常に大きい。ではなぜ大きいんだと。それは先程述べた、人間が、完全に金星の法によって欲望の獣と化し、そして三悪趣へ落ちると。その魂に対してストップをかけ、そして高い世界へ至らせる、つまり太陽の法に従わせるために、この日本は存在しているからである。
 では、その法則がまだピンとこないわたしたちはどうしたらいいのかという問題について説かなければならない。それは、できるだけ多くの煩悩を捨断し、そして、いつでも死んでもいい状態をつくることである。なぜならば、たとえ九七年にわたしの予言が外れ、ハルマゲドンがなかったとしても、わたしたちは死ぬのである。ということは、その現象が三十年後に起きようが、あるいは三年後に起きようが、いつ来てもいいと。わたしはいつ死んでもいいんだと。もうすでにバルドを経験し、そして来世を知っているんだ、ということを確信を持って初めて、わたしたちは堂々と死ぬことができるのである。
 それはちょうど、全く地図を持たず、そして道案内人のない旅に出るのと、それから、しっかりとした地図を持ち、何度か経験したシミュレーションによって経験した道筋を歩くのとの違いである。
 したがって、二段階に分かれることとなる。第一段階の魂は、今持っているすべてのエネルギーを救済に傾けると。そして自己の解脱に傾けると。第二段階の魂は、少なくとも死の準備を万全にすると。そして、これこそが正しい生き方であることは間違いない。偉大なる聖者である、そして真理勝者であられたサキャ神賢も、次のように説いてらっしやる。「死の大軍に打ち勝つこと、これこそが最高の人生の目的である」と。
 君たちは、君たちの中にまだピンとこない現象に対して、しっかり一つ一つの煩悩を落とし、その煩悩を落とした後に、現象に対して厳しい目でチェックを入れると。それによって、今、この日本で、世界で、何が行なわれようとしているのか、そしてそのとき、わたしたちがどうなるのかを検討すべきである。
 例えば日本は、アジアにおいての軍事大国であるといわれている。しかし、これはデタラメである。例えば中国が一発核をぶち込んだだけで、もう日本は終わってしまう。つまり何を言いたいのか。日本の軍備というものは、格好だけはいいが実際は全く力がない。そして、そのさらし者にあうのは、自衛隊であり、日本国民であることを認識すべきである。もし、本当に平和を保持するために、この国をしっかりとつくらなければならないとするならば、それは、本当の意味での軍事力が必要である。
 そして、そのときが、わたしは来ているように思われる。
 この言葉が、例えばね、この中にも存在しているであろう公安の人たちによって政府に上げられ、そして日本が真の意味での軍事を有することをわたしは期待したいと思う。
 理想は理想、現実は現実。例えばサキャ神賢の時代、サキャ神賢の教えを実践したビンビサーラ王にしろ、あるいはアジャータサットウ王にしろ、あるいは、パセーナディ王にしろ、彼らは強大な軍事力を誇ったと。それはなぜかというと、その時代のその法則に従ったものの考え方を確定させる、これこそが真理だからだ。つまり、空想と現実とは違うと。そして現実を踏まえて生きることこそ真の智慧者であり、真の勇者であるとわたしは考えます。
 これは、一九八九年の選挙のときもわたしは同じことを言っているけど、もし、自衛隊を保持するんだったら、強力な自衛隊にすべきである。あるいは強力な軍隊にすべきである。そうでなければ、逆に持たない方がいい。わかるよね、言っていることは。
 その真の意味について考えてくれ、みんなも。



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