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●ヴァジラヤーナコース● 教学システム教本(P.154〜P.159)

第二十二話(一九九二年九月十九日 名古屋支部)

 いかなる真理勝者においても、必ず達成へ至るための蓄積、オウム真理教の言葉を借りるならば、経験の集積、経験の構成といったようなものを積み上げていかなければならない。これは『真理』に出ている、毎月の北伝、タントラ・ヴァジラヤーナ解説の中でも、その項目がいよいよ始まってきたということができます。
 わたしたちは、わたしたちのなしたカルマの報いを受けなければならない。そして、そのカルマの報いは善しにしろ悪しにしろ、必ず現象化する。例えば例を挙げるならば、一九八九年、オウムバッシングが始まって、その先陣を切った『サンデー毎日』の編集長・牧太郎氏は、去年の十二月、高血圧とそして糖尿病で倒れたと。
 そのときの状態がまさに無智−−つまり自分自身を言葉によって表現することができなくなり、半身が麻痺したと。これは教義どおりであると。つまり真理に対して誹謗した者は、必ずその報いを受けなければならないと。それは、真理に対する誹謗は、信徒であるならばわかると思うが、当然、疑念・無智というスヴァディスターナ・チァクラとの関係により、現象としても思考が弱まるとか、あるいは知能が低下するといったような現象が起きると。そして、彼の場合も同じように大脳に大きなダメージを受け、そのような現象が起きたと。
 これは、国土法違反の関係で、オウム真理教を弾圧した検事数名も同しように心臓の病にかかったり、あるいは、先程述べた脳の病にかかったりしていると。これから見てもわかるとおり、悪業は必ず悪果として現象化すると。逆にわたしたちの積む善業は必ず善果として現象化すると。したがって、わたしたちは善業を積み続けるべきであるというのが仏教の理論である。
 もともと、わたしたちが天界へ至るためには、風の制御により、あるいは経験の構成を強めることにより至ることができる。オウム真理教の救済もいよいよ意識堕落天、そしてナーガ、ガンダッバ、クンバンダ、ヤッカといった、第一天界の要素に対して一つ一つ救済計画は進んでいると。
 まず第一番目の意識堕落天の要素としては、経典の整理、および正しい経典の出版と。これは意識堕落天が論理・科学といったものを、基本としているところから見ても、この救済計画は進行していることは間違いないと。
 第二番目の例えばナーガについては、これは皆さんもご存じのとおり、長きにわたり巨大な護摩檀を組み、そして天界の神々を供養し、それによって気候が変動するまでになったと。これはナーガの供養法の儀式が一通り成功したことを表わしていると。
 ガンダッバの供養法については、これは神々の音楽をできるだけ多くの人に聴かせると。例えばモスクワから放送されている電波のエリアといったら、ね、皆さんも知ってのとおり、モスクワからこの日本、あるいは全世界への英語放送と。そしていよいよ九月から、まず旧ソ連邦二億二千万人に対して、毎日五十五分の放送がスタートしていると。これはすべてガンダッバのカルマであると。
 で、次にクンバンダ、成長天はどうかと。これについては生命を維持させる働きがあるわけで、十月の中旬以降、まず第一回目のアフリカ救済ツアーを考えています。このアフリカ救済ツアーは、もちろん一般の信徒の方々の参加ではなく、出家したわたしの弟子の医師の一部と、そして在家のドクターの方々、あるいは看護婦の方々を連れてアフリカの飢饉と、そして、難病というか、死の病で苦しんでいらっしやる方々に対して救済の手を差し伸べたいというのが狙いであると。
 ではヤッカ、人食い鬼神はどうかというと。これは皆さんも知ってのとおり、今年の二月にスタートしたロシア救済−−まロシアそのものはまさに低級霊域であるから、これを救済することは人食い鬼神として必要なことであったと。
 つまり、この第一天界の要素、これを完壁に達成した後、有能神の座へ座ることになると。
 ではなぜ、有能神の座へ座る必要があるのかという問題があると。それはこの地上が救世主によって完全に煩悩から解放され、そして地上楽園の時代が来ると予言されているからであると。そしてそれをなすのが有能神の座に座った者ということになる。
 皆さんの中で、毎週毎週「ノストラダムス秘密の大予言」を聴いている人がいるならばわかるかもしれないが、一つ一つ予言詩は解読され、そして、次の週で放送される内容は、救世主は登場すると、しかし教団は初め大きくならないと予言されている。そして長い時を経て後、すべての魂は解放されると、これは要約だね。で、なぜそれが必要なのかというと、それはその間に救世主はいろいろな要素、これを完全に具足すると。つまり、具足するまでは大きくならないんだというのが予言詩の内容なんだよ。
 つまり、単純に教団が大きくなり発展するのではなく、救世主と、それから救世主のもとに集う者たちがしっかりと真理の実践を行ない、自分たちの善行・徳行・法則の実践・寂静の実践といったものをしっかりと行ない、そして、それによりステージを上げて初めて解放されると。もちろんそれはそうであると。なぜならば、いくら素晴らしい法則があったとしても、それがもし、たた単に論理しかなく、それを体現した人たちがいないとするならば、その世界を地上楽園といえるだろうかという疑問がある。
 では、地上楽園はどのような形で形成されるのかという問題がある。これは今の経済的な困窮状態、ま、皆さんも知ってのとおり完壁な不況の状態であるわけだが、これはおそらく世界のモラルが変化するまで続くと見るべきである。つまり日本の場合、九七年から二○○○年、これぐらいに逆転現象が起きるはずである。そして、その時代に生き残った人たちは、いいですか、大変豊かな経済的な土台が確立するはずである。
 しかし、この大変豊かな経済的土台というのは何を意味するのかというと、それは他の衆生に対して利すだけの、つまり利益を与えるだけのゆとりが与えられると見るべきである。つまり、豊かな者は貧しい者に対して恵みを垂れるという原則的な実践が行なわれてこそ、本当の意味での地上楽園は成立すると。
 君たちも知ってのとおり、わたしの予言−−九三年再軍備だといっている−−もうすでに軍備の前兆は始まっていると。例えばPKO法案の成立とそして軍艦マーチを奏でて広島から出艦する海上自衛隊と、これはもう過ぎ去ったことだよね。そして日本とアメリカの経済摩擦の悪化と、そして不景気と。そして選挙についていうならば、自民党の大勝大敗の繰り返しと。これはわたしが一九八○年代の後半に予言した内容だが、すべて成就している。そして次の日本のターニングポイントは一九九六年、七年、八年であると。ここで日本は大きな変化を遂げるはずである。この大きな変化は進化になるのか、あるいは逆に滅亡に至るのか、それはここにいる一人一人の皆さんがしっかりと修行し、そして神々の意識状態を形成するかどうかで決まるだろう。
 ま、そういう一見突飛と思われる話は別にして、わたしたちがなさなければならないこと、それは真理の実践である。いかに素晴らしい法則がそこに存在していたとしても、その法則をもし実践しなければ、わたしたちは何の恩恵も得ることができないのである。
 皆さんは、オウム真理教が世間から恐怖される理由を知っているかな、本当の意味の。それは光であるということができる。これは皆さん自体が瞑想体験を続けていけばよくわかることだが、光がまばゆく射した場合、それに対して恐怖すると。つまり、わたしたちの経験の構成、日々培っている徳とそれから善の量というのは、大したことはない。逆にわたしたちが日々培っている不善・不徳は多いと。そして光が強まるということは何を表わすのかというと、その不善・不徳が現象化するんだということを認識する必要がある。
 そして、この不徳・不善が現象化すると、当然わたしたちは苦しみを経験しなければならない。よって光が強まるということは、不徳・不善の者にとっては、苦しいことなのである。しかし逆に、もし善・徳の実践を行なっている人はどうだろうかと。これは光が強まることによって、徳・善の現象化がはっきりと現われるから、喜ばれなければならないことであると。したがって皆さんは真理の実践を、真理の法則の実践をしっかり行なうべきである。
 ところで、真理には二段階の真理がある。それは”タター”と呼ばれるものと、それから”サッチャ”と呼ばれるものである。タターとは何かというと、相対的な真理、例えばこの人間界における真理だとか、あるいは天界における真理だとかいわれるパートである。サッチャとは、そのようなものをすべて超越した絶対の真理を表わすと。
 では、タターを別の言い方をすれば何だと、これは方便であるといわれていると。そして方便を完全に成就すること、これこそがタターガタ、真理勝者になる道である。では、方便とは何だと。それは現象を正確に見つめ、そしてそれを理解する力。あるいはそれを表現する力ということができるだろう。そしてそれを体得した者、これが真理勝者なのである。
 例えば例を挙げよう。ある人がここにいて、その人が人間から解脱したいと考えたと。その場合、いろいろな経典を読みあさり、解脱という項目を徹底的にチェックし、そして修行に入ると。こういうブロセスが一つあると。逆に、人間の要素を一つ一つ分析し、そして最終的に人間に生まれ変わる理由というのは愛欲の興奮であるということに行き着くと。そして、その愛欲の興奮を捨断する瞑想に入ると。この前者と後者とでは結果が違ってくると。つまり前者は学者的なアプローチであり、後者は真理勝者のとるアプローチであると。
 この後者に行き着くためには、人間の要素を徹底的に分析すれば、つまり人間の欲求の要素を徹底的に分析すれば理解できるはずだし、また逆に、解脱という意味の深い意味を理解すれば理解できるはずである。解脱という意味は、一般社会においては、離れる脱するという否定的な考え方である。
 逆に今度は具足という点を考えてみようと。ある人がここにいて、わたしは天界に至るための条件を具足したいと考えたと。同じように経典を読みあさり、天界の要素といわれるものを記憶し実践すると。これも一つの道である。しかし逆に、人間より喜びの多い状況は何であろうと検討し、それを具足すると。例えば、争いのない世界であろうと考えると、ということはわたしはここから争いを捨てるならば天界に至る条件を身につけることができるはずであるといって実践すると。例えば、喜びの多い空間こそ天界であると考えると。だとするならば、すべてはカルマの法則により、喜びは与えたものしか返ってこないわけだから、わたしは大いに縁ある人たちに喜びを与えようといって、喜びを与える実践を行なうと。このような形で自分の考える天界、その要素をしっかりと記憶し、そして、その因を構成していくと。もちろん後者の方が賢いやり方であると。そして、これがタター、相対の真理なのである。
 では絶対の真理というのは何かと。それはいかに愛する対象があったとしても、その愛する対象とは死というものを境に別れなければならないと。あるいは憎むべき対象と一緒にいることはつらいと。あるいは感覚器官の発達は、喜びと同時に苦しみを増大させると。こういう要素からの完全なる捨断、あるいはそういう要素の全くない、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の状態へ至る道、これがサッチャ、絶対の真理ということになる。
 そして、まずタターの実践から最終的なサッチャの理解、そして実践へと移行するのである。したがって皆さんが真理をしっかり学び、そして実践することは、より多くの真理を知り、そしてより高い真理を実践できることとなるということができるだろう。
 人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。しかし、わたしたちはその死を超越する道を知っている。したがって日々の善・徳・寂静・法則の修行をしっかり頑張っていただきたいものである。



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