西欧上陸の地コリア・デル・リオとハポンさん

1613年10月28日,月の浦を出帆した支倉常長一行は,約1年の長旅の後,1614年10月5日スペインのサンルーカルに到着する。ここからさらにグワダルキビル河をを溯ってコリア・デル・リオで船を下り,スペインに上陸する。
ここには,支倉常長の上陸を記念して,彼の銅像がグワダルキビル河を見下ろす形で立っている。コリア・デル・リオの河川敷公園の真ん中にちょんまげ姿の侍の姿は,一種異様であるが,私と同郷の先人が385年も前にこの地を訪れたことを思うと感慨で体が震えるた。
ここ,コリア・デル・リオは,小さな田舎町で特にこれといって見るものはない。目の前を,川幅200m程のグワダルキビル河がゆったりと流れているだけである。支倉常長もこのゆったりとした流れを見ていたに違いない。
しかし,この地に驚くべき事実がある。このコリア・デル・リオには,苗字がJAPON(スペイン語読みでは,ハポン)の住民が600名ほど暮らしている。「JAPON」これは,日本のことである。なぜ,この地に日本という苗字をもった人々が生活しているのだろうか。このハポンさんたちは,385年前に到着した支倉一行の末裔なのである。支倉一行の日本人の血が綿々と受け継がれて,今に至っているのである。全く驚くべき事実である。
私が,友人と1996年12月,コリア・デル・リオを訪れたときのことである。常長の銅像前で記念写真を撮っていると,若者が「私の苗字は,日本です。」と声を掛けてきた。そして,ポケットから身分証明書を取り出し,名前の所を指さす。すると,そこには,JAPONの文字。コリア・デル・リオに来たらぜひハポンさんに会ってみたいと考えていただけに,本当に驚いた。私も,この銅像の支倉と同じ故郷の出身であることを告げると笑みを満面に浮かべて握手をしてきたのである。この青年の体の中にも,私と同じ日本人の血が流れていると思うと感激で一杯であった。