侍・支倉常長


 今をさかのぼること385年の昔,慶長18年9月15日(1613年10月28日)宮城県牡鹿半島の月の浦を出帆した侍がいた。
支倉六右衛門常長である。(仙台・青葉城址・炭櫓前の銅像)常長一行は,太平洋を大きく横断してメキシコを経て,イタリアのローマに向かおうというのである。船の名は,サン・ファン・バウティスタ号。日本人の手で初めて作られた500トンの洋船である。
仙台藩主,伊達政宗(青葉城址の騎馬像)の命を受け,メキシコ,スペイン,イタリア,そしてバチカンと旅した遣欧使節の最後は,惨憺たるものであった。スペインで洗礼を受け,キリスト者となるが,出帆から7年後に日本に戻った時は,折しも厳しい禁教令下であった。そのため,常長の帰国後,彼がどこに住み,どのような日々を送っていたのか全く謎なのである。しかし,彼の死後,一家から多くのキリスト者が現れている。

スペインでの経路
西欧上陸の地コリア・デル・リオとハポンさん
キリスト者となる(マドリッド)
常長の墓の謎