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帰国する留学生に

荻野誠人

 皆さん、ご卒業おめでとうございます。言葉や慣習が違い、物価も高いこの国での生活は大変だったことと思います。そういった悪条件を乗り越えての卒業は本当に価値のあるものです。
 さて、私はこれから他の方とは少し違ったことを申し上げたいと思います。冷水を浴びせるような、お祝いの場にはふさわしくない内容かもしれませんが、一人ぐらいこんなことを言う者がいてもいいのではないかと思うのです。
 皆さんは日本で学んだ技術や制度を祖国で生かそうと張り切っているとのことです。それは私にとっても、一人の日本人として、晴れがましいことです。でも、そのことでお願いがあるのです。それは、皆さんの国を日本に似たような国にはしないでほしいということなのです。
 皆さんが日本へ留学するきっかけになったことは何でしょうか。恐らく一番多いのは、日本が経済大国だということでしょう。日本が短期間にこれほど豊かにならなければ、皆さんも日本で学ぼうという気持ちにはならなかったかもしれません。
 なるほど日本は物が大変豊かです。飢えの心配は全くありません。つらい労働や家事も機械が代行してくれます。教育の水準は高く、娯楽にも事欠きませんし、平均寿命は世界一です。世論調査によると、日本人の七割、八割が自分は幸福だと感じています。これはこれで結構なことだと思います。
 日本のこのような豊かさを見聞きして、自分の国も経済大国にしようと考えるのは無理もないことでしょう。現在、世界各地で様々な問題が起こっていますが、その原因を突き詰めていくと、貧しさに行き当たることがかなり多いようです。問題を根本から解決するためには国を豊かにすることがどうしても必要という考えはよく分かります。しかし、日本のようなやり方で豊かになることが人々を本当に幸せにするのか、私は強い疑問をもっているのです。日本は経済大国になるために実に多くのものを犠牲にしてきました。自然を犠牲にし、伝統を犠牲にし、家庭を犠牲にしてきたのです。そこには経済が何よりも優先するのだという価値観が潜んでいたと思います。
 経済の発展のために自然が破壊されたことは、今や誰の目にもはっきりしています。山は削られ、海は埋められ、空気も水も土も汚されました。気候さえも変わってしまいました。そして数多くの生き物の命が奪われ、あるものは絶滅に追い込まれ、挙げ句の果てに公害で日本人自身が苦しんでいます。日本人は命よりもお金を大切にしたのです。
 数多くの貴重な伝統も消え失せてしまいました。その一つとして食生活があげられるでしょう。 戦後、日本人の食生活は大きく変わりました。食事の欧米化や画一化が進み、インスタント食品や有害な食品が氾濫しています。家庭では以前ほど料理に手をかけなくなりました。こんな短期間にこれほど食生活の変わった民族はいないと言う人さえいます。その結果、日本人は様々な成人病や体の不調に悩むようになってしまいました。皮肉なことに、そんな今、伝統的な日本食が健康食として世界から注目を浴びているのです。私自身は昔の日本食が理想だったというつもりはありません。良くない点もあったのでしょう。ですが、後世に伝える価値のあるものまで見捨てられてしまったと思うのです。
 食生活の変化の原因をすべて、経済大国化に求めるのは無理かもしれません。欧米文化の導入も一つの原因でしょう。しかし、儲け主義や効率主義といった経済成長を支えてきた考え方が、国民の健康を軽視させ、食品の安全性を低下させたことはまちがいありません。
 家庭も経済第一の風潮から逃れることはできませんでした。経済の発展は都市化をうながしました。人口が都市に集中するようになり、そこに続々と生まれたのは祖父母とは切り離された核家族でした。祖父母の経験や知識は次の世代には受け継がれなくなりました。伝統はここでも断ち切られたのです。核家族の中でも父親は長年仕事優先を強いられてきました。仕事のために家庭を犠牲にすることが美徳とされた時代が続いたのです。日本の経済至上主義はここに典型的に表れています。近年それが反省され出したものの、今度は母親が社会に進出するようになってきました。その傾向が悪いとは思いません。しかし、母親が社会進出するなら、その分父親が子供の教育を肩代わりする必要があるはずです。ところが、日本の社会はなかなかそういうことを許さないのです。その結果家族の絆は一層弱くなり、多くの人が指摘するように、子供に対する教育力は著しく低下してしまいました。ある世論調査で、かなりの割合の両親が学校の教師に「子供に善悪のけじめを教えてほしい」と望んでいることが分かりました。それを聞いた知人の外国人はあきれていました。
 もちろん家庭の変化には良い面もあるでしょう。家族全員が家長の命令に服従していた状態から、一人一人が自由に振る舞えるようになったことなどはその一例です。しかし、この変化はすでに限度を越えているという感じがするのです。家族同士のつながりが弱くなり、離婚が増え、もはや核家族さえも壊れつつあると思える現在、子供は一体どこで教育されたらいいのでしょうか。
 私の目には、今の日本は、何もかも捨てて受験勉強に没頭し、やっと一流中学の入試に受かった十二歳の子供のように見えるのです。この子供は、顔色が悪く、太り気味で、家の手伝いも、運動も、遊びも、喧嘩もしたことがありません。勉強がよくできるので回りには一目置く人もいますが、親しい友だちはいません。果たしてこの子供は幸せでしょうか。将来人を愛し、人に愛される大人になれるのでしょうか。この子は元々一流中学に合格する実力などなかったのです。だからこそ合格するためには何もかも犠牲にしなければならなかったのです。この子は無理して一流中学など目指さずに、普通の子供として色々なことを経験した方がよかったのではないでしょうか。
 日本も同じです。国土も狭く資源もない日本には元々こんな短期間に経済大国になる実力などなかったのだという気がしてならないのです。無理して経済大国を目指したため、多くの貴重なものが犠牲になり、どこかゆがんだ国になってしまったのです。日本は経済など普通の国でよかったのではないでしょうか。あるいは、経済大国になるとしても、もっと時間をかけてなればよかったのではないでしょうか。
 さて、皆さんの祖国はどうでしょうか。中には日本と違い、自然や伝統などの大切なものを守りながら、余裕をもって経済大国になれる力を備えた国もあるのかもしれません。そういう国は経済大国を目指してもいいでしょう。しかし、もしそのような実力がなさそうだったら、無理をしないでください。日本に似た国がもう一つできるだけです。果たして経済には、国の貴重なものを犠牲にしてまで追求する価値があるのでしょうか。
 帰国した皆さんが第一にするべきことは、祖国の良さを尊重することではないかと思うのです。この言葉は意外かもしれませんが、これから国を変えていこうとする皆さんだからこそ忘れずにいてほしいのです。皆さんの国にはそれぞれ良いところがあるはずです。たとえ日本ほど豊かでなくても、その国なりの良さが必ずあります。それは美しい自然か、温かい人情か、伝統ある文化か、それとも日本人の私などには想像もできないものか分かりませんが、とにかくそれは決して日本の良さに劣るものではありません。その良さをさらに発展させるような形で日本の文化を取り入れていってほしいのです。その良さを無視し、台無しにし、首をすげかえるように日本の文化を植えつける、といったことだけは避けてほしいのです。
 そして、急がないでください。強引なことをしないでください。なるほど祖国には一日も早く解決しなければならない問題もあるかもしれません。たとえば、飢餓、病気、内戦、環境破壊などです。これを傍観することは皆さんの良心が許さないでしょう。
 ただ、もうご存じでしょうが、そういった問題も、根本的に解決するためには社会の構造から変えなければならない場合が多いのではないでしょうか。ところが社会というものは、良い点も悪い点も、何百年何千年ものその国独自の歴史の積み重ねの結果だと思うのです。社会の現状には、歴史の必然的な結果と呼べる部分があって、それはそう簡単には変えられないものでしょう。もちろん変化もしているでしょうが、その速度は国によってまちまちで、中には極めてゆっくりとしか変わらない国もあるでしょう。
 そういった国の社会を、日本の技術や制度によって一挙に変えようとすれば、新たなもっと大きな問題を生んでしまうかもしれないのです。日本の技術や制度は、日本の社会で生まれたものですから、皆さんの国に完全に合うことはないはずです。そういう異質なものを短期間に大々的に導入したらどういうことになるでしょうか。人間は新しい環境に順応することはできます。しかし、それにも限度があります。限度を越えた大きな変化や急な変化は多くの人々に苦痛をもたらすだけなのです。ですから、急ぐ気持ちは分かりますが、祖国の歴史や変化の速度などを十分に考慮した上で、日本の文化を導入していってほしいのです。
 さて、皆さんにばかりあれこれ注文をしてきました。皆さんの中には「偉そうなことを言うが、それではあなたは何をしているんだ」と思っている人もいるかもしれません。ですから自分のことも少し話しましょう。私は、あらゆる生き物の命を大切にするためにささやかな運動を続けていきたいと思っています。命を、それも人以外の命も大切にするというのは経済至上主義の中では軽視されてきた考え方です。しかし、それは良い国を作るための基礎となる考え方ではないかと思うのです。私はもう若くはありませんから、できることはたかがしれています。でも皆さんは若い。無限の可能性があるといっても大袈裟ではないでしょう。その可能性で、皆さんの祖国を、その素晴らしさをさらに発展させていってほしいと思うのです。
 それではこれで終わります。何年かたったらどこかでまた会いましょう。その時にはお互いの行動や思索や、その成果を話し合いましょう、日本語で。その機会を心から待っています。

(1995・4・27)


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