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“子ども発、子ども行き”の
学校事務職員制度改革と実践をみんなの手で



 全国制度研常任委員会は、2002年以来「制度構想検討委員会」を設置し、 学校事務職員制度のあるべき姿について検討を重ねてきました。 会誌「子どものための学校事務 84号」では、検討委員が分担して広くみなさんと 議論が必要と思われる柱について、検討委員個々の責任で提案してます。 その中より、竹山トシ江委員執筆の総論的な 「“子ども発、子ども行き”の学校事務職員制度改革と実践をみんなの手で」を紹介します。 御意見・御感想などメールや掲示板等ででお寄せ下さい。





“子ども発、子ども行き”の
  学校事務職員制度改革と実践をみんなの手で


文責:竹山 トシ江



 義務教育費国庫負担法適用除外、外部委託・派遣職員でも可とする動き、 各県での任用一本化策の具体化、そして地方公務員制度改革等々、 学校事務職員制度改廃の動きが日に日に強まっています。 こうした中で、「生き残る道は共同実施しかない」と声高に断定する論調が、 学校事務職員の全国団体をはじめとして流布され、さらに、 都知事による強権的な都立大学の解体・再編と河合塾の進出、 こうした教育の市場化の急速な動きは、学校と学校事務職員の行方になお一層の不安感を投げかけています。  以下、学校事務職員制度検討のため大切なことと、いま私が考えていることを挙げてみます。


1.公費無償教育の実現と学校事務職員制度

 憲法は、「すべての国民に等しく教育を受ける権利」と、「無償教育」を謳い、 憲法の理念を実現することを託された教育基本法は「教育の機会均等」や「授業料不徴収」など、 権利としての公教育原則を定めています。こうした戦後教育改革の下で、義務制学校事務職員制度は誕生しました。 教育勅語の下、教員に押しつけられていた無定量な学校教育労働を分化し、多様な職種による学校運営が誕生したのです。 このふたつのこと―公費無償教育と教育労働の分化―が学校事務職員制度発足の起点であること、 の検証が必要だと思います。
 公費無償教育原則、少なくとも授業料部分は公費でまかなうことの法規定が空洞化され、 「私費」「受益者負担」という名で保護者負担が当然とされていないでしょうか。 そして、学校が自治的に学校運営を進めていくために必要な財政権限や予算要求や配当は十分でしょうか。 予算は削減され、「特色」などの紐付き予算が増え、予算要求も形骸化しているのではないでしょうか。 学校財務担当者が公費を執行するに値する、その職責を全うできる研修や経験交流ができる状況を行政は用意しているでしょうか。 未納問題に大あわてはしても、保護者から集めたお金は、公費にふさわしい適正な取り扱いができているでしょうか 。このように学校財務事務が未確立のままに放置されてきたこと、学校事務職員の職務の未確立の状況は、 表裏一体的なことと考えられます。
 就学援助制度の例をとっても同じことが言えます。就学援助制度を保護者に知らせていない自治体がまだあったり、 申請書を配付してなかったり、認定基準を公開してなかったり、入学説明会などで保護者への説明をさせなかったり、 法の趣旨に逸脱した実態があります。こうした中で、学校事務職員が職として、 就学援助制度を権利の問題として拡充させていく役割は大きく、また学校事務職員がやらねば誰ができるか、 という課題だと思います。修学保障の分野で、学校の中で、学校事務職員が果たす役割が何か検討したいものです。 さらに、憲法の無償原則、当面は授業料に相当する費用は保護者負担としないという目標に照らして、 就学援助制度の拡充と公費増額=お金を集めない学校づくりにどうつなげていくか、 実践的な検証が求められています。学校事務職員が子ども・保護者に必要な職、 学校に不可欠な役割を持つ職であることを私たちの実践を通して、保護者、住民、行政に示すことも同時に進めたいものです。
 公費無償教育をないがしろにすることと、学校事務職員は短期雇用者、 外部委託でも可能とする学校事務職員認識はひとつのものです。 その学校事務職員認識の誤りを事実で示していく、とともに必要な制度改革―学校事務職員制度改革と 無償教育実現を一体的に考えていきたいものです。


2.学校事務職員の専門性と学校づくり

 学校事務職員が、独自の採用試験で、学校の職員として採用され、学校内外での研修・研究の権利が保障されることは、 学校事務職員制度の基本です。ところが、この基本が揺らいでいます。学校固有の職として、 独自採用試験や独自の研修制度をはじめ、教職員としての経験を蓄えていくことが保障されねばならない職なのか、 職の専門性の内実が問われています。
 学校事務職員の専門性について考えるまず一歩は、学校の特殊性を考えることだと、 私は思います。学校の目的は、子どもたちの学習・発達保障です。 教職員の労働目的や労働規律の拠るところは、子どもの学習・発達保障にしかない、と言えます。 学校で働く職員、それぞれの専門的職務は違っていても、学校の目的に向かって協働の関係を結んで、 学校としての教育力を高めていくこと、学校教職員の集団性の発揮こそがその学校の子どもの学習・発達を保障できる、 その土壌づくりに、その土壌の上にそれぞれの職種の専門性が育つと思います。 鶴ヶ島の松崎教育長が、
「ピアノの教師という言い方はあるが、ピアノの教員とは言わない。教師でなく、なぜ教員というべきか。 この違いは大きい。」とお話になったことを思い出します。 学校の教職員は子どもに向かい合って協働の関係を取り結ぶ―集団主義が求められる教育機関の職員である、 このことが学校事務職員の職を規定する基本と考えたいと思います。
 検討委員会の席上で専門性について議論したとき、参加者から「『内的事項』と『外的事項』を結合させることが 学校事務職員の専門性ではないか」という提起がありました。 学校予算をどう組み立てるか、教材や行事用品をどう選ぶか。学校や学年単位、年次計画で購入する時もあれば、 あの子に合わせて物品を購入するときもあります。子どもも子ども集団も同じままではありません。 子どもたちの学び、育ちを話し合いながらの予算執行、環境整備です。
 子どもアンケートについて考えるとよくわかります。意見を聞くことは、いま行政でもしています。 しかし、子どもたちの要求や意見が、毎日の学校での学習や遊びや生活に生かされ、 学校づくりにつながっていく経験をすること、学ぶことが、学校での子どもアンケートの大事な点―自治能カの形成、 だと思います。「僕の学校では子どもアンケートというのがあって、ここ直して、こんな遊び道具欲しいな、って。 言える楽しい学校です。中学校に行っても子どもアンケートあるといいな。」という経験が、 大人への準備として大切なこと、そこに子どもの育ちと結合した学校財務実践があります。 学校にいてこそできる仕事です。
 誰もがお金の心配をしないで通える学校をつくること、誰もが安全で安心して学び、 生活できる学校環境をつくること、誰もが白分白身の関係することすべての決定に参加できる学校をつくること、 そのために必要な情報を共有できること、などなど、色々なところで、 学校事務職員の主たる専門的分野―学校財務と情報―と子どもたちの学び、 育ちを結合させる働き、役割が見えてきます。
 学校事務職員の育ちの場も学校です。学校事務職員としての力量は、学校の子どもたち、 保護者に学び、同僚との協働関係の中で形成されていきます。制度研修や地域の学校事務職員集団は、 その基礎的学習の場、応援団と言えるのではないでしょうか。


3.いま求められる学校と学校事務職員像

 “属人性”から、“属職性”へ、研修制度を考えるときに思うことです。学校事務職員をどう育てるか、 誰かひとりでも事務長という職名になれば、誰かひとりでも県教委に行けば、 保護者や住民の学校事務職員認識は深まるのでしょうか。 遠い道のりですが、学校での実践が勝負です。どこの学校でも、学校事務職員がいて欲しい、 いなければ困る、我が子のために、我が学校のために、我が地域のために、となるためには、 〇〇さんは素晴らしいという“属人的評価”だけではなく、 〇○さんをはじめとして学校事務職員は必要だと言ってもらえなければなりません。 どの学校にも、専門性をもった学校事務職員が必要だという社会的認識、評価が必要です。
 そのためには、学校事務職員制度の課題と、無償教育の実現や子ども・保護者参加の学校づくりの 課題を重ね合わせた改革要求をつくることが、いま求められています。学校事務職員内部の、 身内の間での学校事務職員制度論議ではなく、いまの学校をどう変えていくかに添った制度構想が大切になっています。
 今日の学校が求める学校事務職員像を明らかにし、 そこで学校事務職員が受け持つべき分野の課題を実現するために必要な専門性の確保 ―子ども発・子ども行きの学校事務実践の保障―のための制度構想づくりに向けて、 知恵と力を出し合っていきませんか。
 「教育労働の不可欠な一部」と学校事務労働のあり方が規定されて30年たちます。 もう少しで、制度発足から人材確保法=教職分断管理の時代を生きてきた世代から、 「学校事務労働の基本的な考え方」以降の世代へのバトンタッチが行われます。 歴史に学び、歴史の課題―権利としての教育と子ども・保護者・住民と共に生きる学校事務職員像の想像的確立―を 受け継いで欲しい。そこに今風の新しい風、新しい衣を用意して着せて欲しい、 とねがうのは私だけでしょうか。


(子どものための学校事務 84号より/一部改)