千葉機関区DD51撤退


平成13年10月。千葉で無煙化以来32年に渡って活躍を続けたDD51が遂に撤退した。
電化の延伸・業務省力化などをこえつつ本線の主力として21世紀を迎えることが出来たのは奇跡に近かった。
他の線区のように貨物の廃止による撤退ではなく、電気機関車化による交代劇が見られたというのも昨今には珍しい事かもしれない・・・


9月26日

千葉機関区新小岩派出にてA54/1455出区前の1804号機を前にしてDLさよなら出発式が行われた。
前日の25日、村田に53ダイヤで仕業検査に入った同機はその場でステーを取り付けて新小岩に帰着、当日に備えている。

HM取り付け初日の1094レ。
この日は上り方が丸形HMだった。

9月27〜30日

2日目以降のHMは毎日丸形と台形が前後するように取り付けられた。
A54・HM取付機は27日から874>1802>1803>1801号機の順番で、1031号機を除く千葉のDD51達は一通りHMを付けて走行したことになった。
また27日に鹿島スタジアムまでA55/1093~1456の前機で電気機関車が初入線している。初日を受け持ったのは茶色いロクゴー、56号機だった。電機のA55前機重連は4日間、指導運転士の乗務によって行われた。

台形HMを上り方に装着して快走する874号機、1094レ。


鹿島線の"鹿島線らしい"ポイント、北浦を行くEL+DL重連貨物、1456レ。
過去にどこかで見た、DL+SLの試運転列車の写真をふと思いだし、歴史は繰り返すものだ・・・と、しみじみ。


10月1〜6日

10月に入ると、鹿島スタジアム行きのDD51は暫定的に残ったA152/1099~1098のみになった。
ただし、2日に関しては鹿島スタジアムで電機の出発式が行われた関係でこのA152にEF65が充当、DD51はA155/1093~1456に回っている。
また、10月1日から本線乗務員の電機による指導が始まっている。
1日から最後の月の鹿島スタ運用は1802>1802>1801>1802>1802号機の順番で充当、最終列車は1801号機が酸化エチレン編成の運休となった1098レ・コキ5車を新小岩まで牽引、長きに渡った鹿島往復は電機にその任を譲った。

唯一残った1099レ。朝日に映えて・・・。


最後の日の朝、鹿島スタジアム駅にて。
鹿島臨海の車両達との出会いも今日が最後。


10月7〜13日

10月第二週は、新小岩で予備を繰り返すだけとなり、3日に一回発生する仕業検査のため蘇我との往復だけがDD51の動く運用となった。
ただし、日に1ハイのみの回送なので残存したスジはA153次4097〜A253次1092という列車の先頭には立たない運用だった。蘇我を往復したのは1801号機が8・11日で、最終日が13日、1802号機が9日・最終日が12日だった。
また、ここでは最後の波乱があり、10日は集中豪雨でおくれた4097レを1801号機は単パイで牽引、翌々日の12日には他の事故の影響で遅れていた4097レ(次機に1802)が千葉4番>蘇我上2番に着番変更をした。特に千葉4番にDD絡みの貨物が入るというのはかなりの珍事では無かろうか。
とにかくも、千葉で続いたDD51の運用は13日、1801号機のA153が本当の最後となった。
 
11日深夜、新小岩の機留線にて。
機留2番にポツンと1両で留置中の1801号機。後ろの光跡は長年連れ添ったDE10。工臨を牽いて通過していく・・・。