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NEW041 苗氏往来 (みょうじおうらい)
[年代等] 江戸後期書。
[サイズ] 折本1帖。
[内容等] 「疇昔(ちゅうせき)者玉章(たまずさ)拝見仕候。左候得者、諸家の御苗氏之事認進候様任命、思ひつゝけし有増つたなき筆の十がへりにたとへ色そへし常盤木に永きいく千代
松平、月日保科の影添て…」のように全文一通の手紙文の形式で、また、語呂の良い七五調美文体で当代の苗字を列挙した往来。本書と似た語彙科往来に『〈新撰〉諸家名字往来』があるが、全くの別内容である。
●このように写本の往来物には今まで知られていなかったものがしばしばあり、刊本にない魅力がある。丹念に探せば、「村名尽」などは勿論のこと、地域性豊かな地誌型往来や、戯作風の往来などもまだまだいくらでも発見できるだろう。


NEW042 池上詣 (いけがみもうで *仮称)
[年代等] 江戸後期書。
[サイズ] 折本1帖。
[内容等] 「此程風与(ふと)おもひ立、池上へ参詣いたし候。まだ夜をこめて、やど(宿)を出、あけわたる横雲に入たる月の心細く気疎き秋の野を分行つゝ、四時(よつどき=午前10時頃)に参着、森々たる山寺に宵は不断の香をたき、月は常住のともし火をかゝりとも云べし…」のように早朝に出発するところから書き始めて、日蓮宗の総本山である池上本門寺の結構や風景を始め、碑文谷、品川の海岸風景、鈴が森、東海寺など「品川八景」の様子を、全文一通の女文形式で略述した往来。
●かつて石川謙が作成した目録によれば、文政年間成立の「池上詣」が存在したらしいが、本書と同じものであろうか。いずれにしても新発見の地誌型往来である。


NEW043 清輔座右之銘 (きよすけざゆうのめい)
[年代等] 清輔(有信堂)作・書。寛政13年(1800)春作・刊。[下野か]著者蔵板。
[サイズ] 半紙本1冊。
[内容等] 作者・某清輔が自らの心得として綴った五言一句の『実語教』形式の教訓。末尾を「願随我児輩、必可慎随馴」と結ぶため、清輔は寺子屋師匠であろう。よって子弟教育の一環として自費出版された田舎板の往来物と考えられる。内容は、「父母如日月、慎孝養両親。敬兄而愛弟、睦郷里近隣。斉家重世法、寝子起乎寅(=夜中12時に寝て午前4時に起床せよ)…」で始まる82句からなる文章で、日常生活の心得や人倫一般を諭す。
●裏表紙に「下野国安蘇郡野上長谷場村、山口春良主」の署名があるため、この付近で刊行された田舎板であろう。作者署名には「飛駒山」と所在地を記す。実語教型往来としても従来知られていなかったものである。


NEW044 楠正成金剛山居間之壁書 (くすのきまさしげこんごうさんきょかんのへきしょ)
[年代等] 名殿村住人・亦右衛門ほか書。正徳3年(1713)8月書。
[サイズ] 大本1冊。
[内容等] 本書の内容は割愛するが、本往来は表紙に「延享2年(1745)丑ノ正月/色々人名村等」と大書し、裏表紙には「宝永二乙酉十月十二日/名殿村、又拾郎」と明記した写本で、書写年代の異なる複数の写本を合本したものである。
 (1)楠壁書(写真)……正徳3年書。21カ条。
 (2)万覚書……元禄9年書。「亀山順内諸村之覚(村名)」「万名字之覚」「高砂」
●一見、何の変哲もない往来物に見えるが、本書は現存する『楠壁書』では最古本である。刊本では、宝暦7年(1757)刊『万宝古状揃大全』(京都板)の頭書に見えるものが早いが、本写本はその刊本をはるかに遡る。


NEW045 女童子訓(教女子法) (おんなどうじくん)
[年代等] 稲垣孤遊書。元治元年(1864)頃書。明治44年(1911)序。
[サイズ] 半紙本1冊。
[内容等] 本書は厳密には新発見とはいえないが、貝原益軒の所謂『和俗童子訓』巻五「教女子法」を抜き書きしたものである。「女大学」が普及していた時代にあえて益軒の『和俗童子訓』から抜き書きした点が興味深いが、書写年代と序文にかなりの年代差があるのは、次のような事情からである。本書はもともと内田千万子が7歳からの筆道の手ほどきを受けた師匠・稲垣孤遊から書き与えられたもので、15歳の時に中島家に嫁いだ折に本書を持参し、生涯、丸暗記するほどに本書を繰り返し読んだ。彼女が55歳ほどに達していた明治44年に、本書の経緯を序文に明記したというわけである。
●師匠から書き与えられた1冊の写本は、彼女の生涯の座右の書となった。一つの教えを生涯かけて守り、体得するという姿勢に言葉を失ってしまう。