江戸書肆・須原屋市兵衛直筆の領収書。実際に江戸後期後印と見られる貝原益軒著『家道訓』の中に挟まっていたもの。左下の墨判には「江戸室町/三町目/須原屋市兵衛」とある。

[全文]
    覚
一、二匁六分『家道訓』三冊、
 〆 此銭二百卅一文、
 右代、慥請取相済申候(たしかにうけとり、あいすみもうしそうろう)、以上
      須原屋市兵衛(墨判)
 九月九日


■原寸 縦161mm×横189mm


この領収書は、実際に江戸後期の後印本『家道訓』に挟まれていたものである。井上隆明著『近世書林板元総覧』(青裳堂)によれば、須原屋市兵衛が日本橋北室町三丁目で営業していたのは概ね安永四年以降であるから、この領収書の発行日はそれ以降に違いない。もっとも挟まっていた『家道訓』自体が江戸後期、文化以降のものであろうから、その当時と思われる。仮に金1両が現在の8万円程度とすれば、この『家道訓』は約4000円となり、当時の経済生活からすれば、書籍はまだまだ高価なものであった。

長友千代治著『江戸時代の書物と読書』(東京堂出版)にも、同様の「書物代金受取証」の例が数例載せてある。基本的に、「覚」と書き出し、次の行から一つ書きで、価格・書名・冊数を記載し、次に必要に応じて但し書きを付記し、「代金を確かに受け取った」旨を明記し、日付・書肆名とともに、墨判を押印するのが、基本的なスタイルだったようである。