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 目次(タイトルページ)

 

 第1巻 目次

 第2巻 目次

 

 修正・追加情報

 原文(準備中)


 関連情報(準備中)  

 

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vol1 cover little picture   大黒天変相  仏教神話学・1  

 

  観音変容譚  仏教神話学・2  

vol2 cover little picture


Corrections and Additions 1

はじめに

 筆者の手元にある『大黒天変相』および『観音変容譚』のファイル(両巻を含む一個の Nisus Writer のファイル)には、いくつかのタイム・スタンプが記されている。曰く、「1997 年 6 月 19 日 10:04 PM (了)」、「2000 年 7 月 6 日 10:43 PM」、「 (7/21/00 5:08 PM)(fin de révision)」、「2002/01/19」、「二〇〇二年六月一一日午後5:00 了」……。これらの日付が何を意味するのか、今では自分でもはっきりとした記憶はない。最後の日付は、第2巻の最後の校正が終わった日時だが、それより前の日付は、それぞれに「記憶すべき日付」として記したものであっても、その記憶自体が消え失せている。しかし、はじめの「1997 年 6 月 19 日」は、第2巻の最後の文章にまで何とかたどりついた日時を意味していたことはたしかである。すなわち、第1稿を書き終えてから刊行にいたるまで、約5年の歳月が過ぎ去った、ということである。
 それから、「見直し」が終わる「2000年7月21日」までにどれだけの文章を書き足したか、また、最終的な整理がはじまった2001年12月からそれぞれの巻の刊行直前まで、どれだけの訂正や増補があったか、いまでは確かめる手だてもない。2002年の2、3月ころからは、ページが動かせない状態になり、大きな増補・訂正は不可能になったが、それでも最後の青焼きに赤字を入れ終えた瞬間まで、間違いはできるだけつぶし、可能なかぎり新しい情報も盛り込んだつもりである。
 しかし、書物を出版した経験がある人なら誰でも知っているように、どこまで努力しても誤字・誤植をすべて正すことは不可能だし、また内容自体の遺漏や誤謬をすべてなくすことはもちろんありえない。

 事実、すでに出版された第1巻にも、すでにいくつかの誤植が見つかっているし、また、それ以前に、内容的にも増補や訂正が必要な箇所、あるいは反省すべき点がいくつもある。それらは今後の筆者自身の学習や、新たな研究の発表などによって、続々と増えていくに違いない。
 このページでは、そうした訂正・増補を随時掲載して、読者に情報を提供していきたい。また、できることなら読者からのフィードバックに基づいて、さらに必要な訂正・増補や、新たな論点の展開などを提供していければ、これほど幸せなことはない。忌憚のない御叱正、御意見を切にお願いする次第である。

2002 年 6 月 30 日


現時点で判明している第1巻の誤植
箇所 誤植 訂正
p. 439, 最終行(IX-n. 43, line 3) 帥茂樹 師茂樹
p. 448, 図 85 キャプション クシャーナ王の象 クシャーナ王の像
p. 630, line 17(XII-n. 53, line 4) 于宝撰 干宝撰
p. iii-c, line 9(人名索引) 帥茂樹 師茂樹
p. xxi-b, line 2(参考文献索引) 于宝著 干宝著

その他、

  • p. 388-389 の「表4 大黒天神法 後半部分 典拠対照表」には、いくつかの間違いがある。
    第一に、「大正蔵・乙本・高山寺蔵本=B本」(右列)の欠落部分は、p. 388 左列[1]に当たる箇所から始まり、p. 389 左列[13]に当たる個所まで続く(後端に関しては、表は正しい)。
    次に、「大正蔵・甲本・高山寺蔵本=A本」(中央列)の欠落箇所は、p. 388[7]に当たる箇所から始まり(始端に関しては、表は正しい)p. 389[15]に当たる箇所(つまり最後)まで続く。
    また、p. 388 左列[1]355c12-16 の
    淳祐『石山七集』TZ. I 2924 ii.2 187c260188a1
    (このリファレンス自体が、「TZ. I 2924 ii. 2187c260188a1」と過って印刷されている)は、中央列の「大正蔵・甲本・高山寺蔵本=A本」では、この箇所ではなく、本儀軌の冒頭のタイトル『大黒天神法』の前に置かれている。——なお、これは三本ともに正確な引用ではない。
    次に、p. 389 左列[13]356c14-16 の引用文
    師云。「此最秘密也。不入室弟子不可伝授。千金莫伝、努力努力」

    師云。「此最秘密也。不入室弟子不可伝授。千金莫伝、努努」
    の誤り。「対照表の[13]と同文」とあるが、正確には一致しない(「努努」ではなく「努力」)。なお、「「対照表の[13]」とは、p. 386 左列2行目から3行目を指す。
    p. 389 左列[13]と[14]の間にゴチック体でで「大黒天神儀軌」とあるが、この「大黒天神」は不要なのでトル。
    最後に、p. 389 左列[15] 357b20-c4 について、
    梵語の諸天讚(同じ諸天讚はたとえば寛助の『別行』Tttt. LXVIII 2476 vii 185b9-13 や頼瑜の『秘抄問答』Tttt. LXXIX 2536 x 466c26-467a4 などにも見える)
    としたが、新たに調査したところ、同じ呪文は、一行撰『北斗七星護摩法(複熾盛光法)』Ttt. XXI 1310 458b3-8 にも見える。しかしこれも事実一行によるものか、あるいは日本の偽経であるかどうか、明確ではないので(奥書最古の年号は「康安二〔一三六一〕年三月二十七日。果寶(五十七)」)、『大黒天神法』の年代について有意義な資料にはなりそうもない。 その他、大正蔵のリファレンスがいくつか読みにくい形に印刷されている。
  • p. 487, 図 103 の地図に、インドにおけるシヴァ教信仰が行なわれていた場所の地名を何らかの方法で見やすくマークする心づもりだったが、印刷技術上不可能だった。今後、できれば改善したいと考えている。


このページを最初にアップロードしたのは、2002年6月30日だった。最近(2003年11月)『観音変容譚』を使う機会があり、いくつかの誤りがあるのに気づいた。そのうちの一つはとくに重大な誤りなので、はじめにそれについてとくにおわびして訂正したい。

『観音変容譚』p. 93-95 に、飛鉢法を使う日本の呪術僧についての説話に関連して、『信貴山縁起絵巻』に言及し、次のように述べた。

 さて、日本の説話文学では、この飛鉢法を操る呪術僧の伝説が多く見られる。鉢を飛ばせて望みのものを得る法術は、呪術僧の法験の高さを示すものとして、好んで用いられたモティーフの一つだった (17)。中でも有名なのは、国宝『信貴山縁起絵巻』(十二世紀後半の制作)の第一巻に伝えられた僧・命蓮(明練とも書く)の物語である〔図1718参照〕。田口栄一氏の要約によれば——、
 信貴山にこもって毘沙門天を祀り、修行に励んでいた命蓮は、鉄鉢を空に飛ばす不思議な術を心得ていた。この鉢は、山麓の長者のところに飛んで、布施の供物を入れて貰い、帰ってくるのをつねとしていた。ところがある時、長者が倉を開けて物を取り出しているところに、鉢が飛んできた。長者は、「なんと欲深な鉢よ」と思い、そのままに放置して、鉢が来たことを忘れたまま倉を閉めた。ところが、しばらくすると鉢は倉を中身ごと持ち上げて、命蓮が修行する山上まで運んでしまった。それを追いかけてきた長者の懇願を入れて命蓮がふたたび法力を使うと、倉の中の米俵は列をなして空を飛び、長者の屋敷に戻っていった…… (18)。
II, III-n. 18 [p. 111]
平凡社『世界宗教大事典』(一九九一年) p. 788c 〔田口栄一氏稿〕; 渡邊綱也・西尾光一校注『宇治拾遺物語』 p. 238-240 (「一〇一・<ルビ="しなののくにのひじりの">信濃国聖</ルビ>事」)参照。同じ物語はまた「古本説話集」六五にも見ることができる。
この記述では、上の引用文は明らかに田口栄一氏による『信貴山縁起絵巻』巻第一の要約であるように思われるが、引用された平凡社『世界宗教大事典』(一九九一年) p. 788c には、そのような記述はない。手を尽くして、どこからこの要約を引用したのか探してみたが、ついに見つからなかった。幸い、内容自体には間違いはない。参考のために、『国史大辞典』第六巻(吉川弘文館、一九八五年)p. 696a-c (項目「信貴山縁起絵巻」秋山光和氏稿)の全3巻の要約を引いておこう。
第一巻は「山崎長者の巻」あるいは「飛倉の巻」と呼ばれ、縦三一・七センチ、全長七六・三センチ。信貴山を離れぬ聖命蓮の遣わす鉢が毎日食を求めて飛来するのを疎んじた山麓の長者が、これを米倉の中に閉じ籠めると、怒った鉢は倉を乗せて飛び、信貴山上に運んだ。驚いて追い来たった長者の懇願を入れた命蓮は倉だけを山上にとどめ、米俵はすべて鉢の先導で長者の邸に飛び帰らせた。第二巻「延喜加持の巻」は縦三一・八センチ、全長一二八〇・六センチ。時の帝醍醐天皇が重病に悩み、命蓮の法力を聞いて勅使を派遣して加持のため参内を求める。しかし命蓮は山を動かず、剣の護法という毘沙門天の使者を現出させて帝の病を平癒させ、再度登山した勅使による恩賞の沙汰をも固辞した。第三巻「尼公(あまぎみ)の巻」は縦三一・七センチ、全長一四二四・五センチ。命蓮の故郷信濃に残された姉の尼公が、年老いて帰らぬ弟を尋ねながら旅を続け奈良に至る。しかし、すでに消息を知る人もなく、困惑して東大寺大仏に参籠祈願すると、その夜の夢に信貴山の方角を啓示され、早速に山上の庵で弟と邂逅し、ともに至福の生涯を終えた。この時姉が弟に贈った衲衣(たい)の残欠と飛倉の木片とはその後長く参詣者たちに護符として尊重されたという。

他にも、『観音変容譚』に二つの誤記を見つけた。

  • 同じ『観音変容譚』p. 95 に、「播磨の方道仙人」について述べたが、これは「法道仙人」の誤りである。「方道仙人」については、同ページ2箇所、p. 103 に1箇所、p. 111, n. 17 に1箇所、および「神格名索引」p. li-b に1箇所、全部で5箇所の記述がある。すべて訂正しなければならない。
  • 『観音変容譚』p. 76, n. 19 の
    (19) 『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』Ttt. L 2053 x 276b27-c18
    のレファレンスは、「Ttt. L 2053 x 277b27-c18」の間違いだった。誤りを指摘してくださった師茂樹氏に感謝し、訂正したい。
(以上、2003 年 11 月 11 日・記)


訂正・増補

  • 第1巻刊行前に気付き、何とかリファレンスをすべり込ませることはできたが、2巻全体にわたってより強調し、明確にしたかったのは、R・A・スタン教授の二つの論文
    “Bouddhisme et mythologie. Le Probleme”

    “Porte (Gardien de la) : un exemple de mythologie bouddhique, de l’Inde au Japon”
    や、その他マドレーヌ・ビアルドー氏の重要な論文などが収録された
    Yves Bonnefoy, dir., Dictionnaire des Mythologies et des Religions des sociétés tradiotionnelles et du monde antique, Paris, Flammarion, 2 vol., 1981(『神話宗教事典』)
    が2001年に日本語に翻訳されていたことである。リファレンスは、第1巻 p. 23(「プロローグ」n. 10)に記したように、
    イヴ・ボンヌフォワ編、金光仁三郎主幹『世界神話大事典』大修館書店、二〇〇一年
      p. 1007a-1009b「仏教と神話の問題」
    および
      p. 1009b-1026b「仏教神話の守門者——インドから日本へ」
    なお、第2巻 p. 29, I-n. 1(「仏教神話の守門者」)および第2巻 p. 226, V-n. 60(「仏教と神話の問題」)も参照されたい。

     その他、同じ Dictionnaire des Mythologies に収録された論文で引用したものは、

    • I, p. 135, I-n. 34: Madelaine Biardeau, “Terre. Les symboles de la Terre dans la religion de l’Inde”
    • I, p. 259, V-n. 50; II, p. 30, I-n. 17: Madelaine Biardeau, “Skanda. Un grand dieu souverain du sud de l’Inde”
    • I, p. 259, V-n. 55: Madelaine Biardeau, “Gange. Gaṅgā/Yamunā, la rivière du salut et celle des origines”
    • I, p. 260, V-n. 69; I, p. 295, VI-n. 31, n. 32: M. Biardeau, “Cosmogonie purāṇique”
    • I, p. 295, VI-n. 37: Jacques Scheuer, “Sacrifice. Rudra-Śiva et la destruction du sacrifice”
    • II, p. 30, I-n. 10; II, p. 31, I-n. 25: Madeleine Biardeau, “Gaṇapati”
    • II, p. 31, I-n. 20: Madeleine Biardeau, “Terre. Les symboles de la Terre dans la religion de l’Inde”
    • II, p. 541, XIII-n. 4: Madelaine Biardeau, “Matsya. Le Poisson et le Déluge. Le travail de l’imagination mythique”
    • II, p. 671, XIV-n. 19: Jean Varenne, “Mithra (ou: Mihr, Mihir, Méher)”
    がある。これらがすべて日本語で読めるわけである。
     なお、イーヴ・ボンヌフォア編『神話宗教事典』は英訳もされている。
    Yves Bonnefoy (Editor), Gerald Honigsblum (Translator), Wendy Doniger (Translator), Mythologies, University of Chicago Press, June 1991 (ISBN: 0226064530)
     さらに同書は、いくつかの分冊に分かれて出版されている(これらはペーパーバックで、比較的安価に求められる)。
    Yves Bonnefoy (Editor), Gerald Honigsblum (Translator), Wendy Doniger (Translator), Asian Mythologies, University of Chicago Press, May 1993 (ISBN: 0226064565)
    Yves Bonnefoy (Editor), Gerald Honigsblum (Translator), Wendy Doniger (Translator), Greek and Egyptian Mythologies, University of Chicago Press, November 1992 (ISBN: 0226064549)
    Yves Bonnefoy (Editor), Gerald Honigsblum (Translator), Wendy Doniger (Translator), Roman and European Mythologies, University of Chicago Press, November 1992 (ISBN: 0226064557)

     日本語訳は、とくに仏教にかんしては問題がないわけではない。たとえば「rituel(儀軌)」が「典礼定式書」と訳されたり、「韋駄天」が(一般にはあまり普及していない)「違陀」という音写にされたり、「十六羅漢」が「16人のアルハト(阿羅漢)」と訳されたりしている。これは、翻訳者がおもにフランス語の専門家であって、仏教(あるいはそれぞれの地域、分野)の専門家ではないために避けられないことだっただろう。しかし、この大著を全訳したのは驚くべき偉業であって、それだけで最大の賛辞が贈られるべきである。

     日本語訳の「帯」に「神話研究におけるフランス学派の精華を集大成」と記されているが、これはまさにそのとおりで、この大著があまり知られないままに埋まっているのは、日本の学界にとって大きな損失であると思う。編者のイーヴ・ボンヌフォアは、詩人であると同時にコレージュ・ド・フランスの「詩学」の教授で、宗教学や神話学の専門家ではないが、語のもっとも「高貴」な意味での20世紀後半フランスにおける最大の「教養人」の一人である。彼はまた、スタン教授や(一介の銀行員でありながらシュールレアリスムや東洋学、ヨーロッパ古典学、神秘主義などにかんして世界でも有数の書籍のコレクションを作り上げて90歳以上の天寿を全うした特異な人物)リュシアン・ビトン Lucien Biton 氏の友人としても知られている。ここに集められた論文は、巨大な編纂物であるゆえに、中には「玉石混交」の「石」に当たるようなものもあるかと思われるが、全体としては非常に水準が高く、とくにギリシア・ローマや古代オリエント、アメリカ原住民、アフリカ、あるいはヨーロッパの神話学にかんして、日本の他の書物ではほとんど提供されることがない情報を満載している。また、インドの神話をめぐるビアルドー教授を中心とした執筆陣によるすぐれた論文は、現在日本で読めるインド神話についてのもっとも内容が濃い概説と言うことができるだろう。

     仏教神話学という、いまだに成立していない学問にかんして、上記のスタン教授の2論文、および同教授による
    “Avalokiteśvara/Kouan-yin, un exemple de transformation d'un dieu en déesse”, Cahiers d’Extrême-Asie, II, 1986, p. 17-80
    を含めた三つの論文の決定的な重要性は、本書 I, p. 17, p. 31-32 および p. 23 (プロローグ n. 10)に述べたとおりだが、さらに個人的には、スタン教授にこれらの論文の抜き刷りを送っていただいたことが、筆者にとって仏教神話研究を意識的に進めていく最初のきっかけになったこと、また、それから本書を書き進めていた15年間、これらの凝縮された論文をおそらく何十回となく繰り返し読み、参照したことを付け加えておきたい。

  • 本書の第1巻が刊行された2002年4月以降に
    ベルナール・フランク著、仏蘭久淳子訳『日本仏教曼荼羅』藤原書店、2002年5月
    が刊行された。「訳者あとがき」(p. 399)によれば、これは、
    Bernard Frank, Amour, colère, couleur. Essais sur le bouddhisme japonais, [Bibliothèque de l’Institut des Hautes Etudes Japonaise], Paris, Collège de France, ISBN 2-913217-03-6
    に収録された論文を中心に編集・翻訳した論集
    であるという(各論文の初出の書誌が見られないのは残念である)。この本は、現在、日本語で読める仏教尊格・神格にかんする書物の中で、方法論的にも、参照する文献などの上でも、本書にもっとも近い書物であるに違いない(事実、同じ、またはほとんど同じ図版をいくつも見ることができる)。恩師フランク教授の業績の日本語訳と筆者の書物が、時期を前後して刊行されたことには、因縁めいたものも感じる。

     フランク教授のこの著書を参照すべきところは、『大黒天変相』、『観音変容譚』の両巻に無数にある。たとえば、第2章「日本仏教パンテオンの大立者『毘沙門天』」(p. 41-68)は、『大黒天変相』の「XI 兜跋毘沙門の神話と図像」で参照されるべきだったし、同じ第2章の p. 55-56 に述べられた鞍馬寺の創建にまつわる藤原伊勢人の説話は、『観音変容譚』p. 95-96 で参照されるべきだった(注 1 参照)。また、『大黒天変相』の第7章で「日光を遮る」マハーカーラ、「青黒雲」、「雷を含んだ雲」と関連づけられたマハーカーラにかかわって、ツィンマーの著書を引いてインドの象徴体系における「象と雲」の近親性について述べたが(p. 326-328 および p. 336, VII-n. 36-37)、これはフランク教授の著書の p. 26 および p. 337, n. 4 に述べられているのと同じ神話であり、同じ典拠である。これは、フランク教授がパリの高等研究院における講義で話された物語で、筆者は非常に印象深く覚えていたし、さらに、後年、東京でフランク教授とお目にかかったときに、「青黒雲色」のマハーカーラについてお話した会話の中で、ヒントとしてあらためて繰り返された物語だった。
     さらに、『大黒天変相』、「XII 三面一体の神々——異形の福神たち」では、三面大黒のヴァリエーションとして、群馬県、林昌寺の「中央の弁才天座像の右に毘沙門、左に大黒の立像」、パリのギメ博物館の「弁才天を本尊とする厨子では、波の装飾を付した宝楼閣の中央に弁才天が坐り、その両脇に大黒と毘沙門が脇侍として置かれている」例などを挙げたが(p. 609-610)、『日本仏教曼荼羅』第十一章「『お札』考」には、これらよりずっと身近に、同様の例があったことを示してくれる。すなわち、同章の図版1に載せられた上野、不忍池の弁天堂のお札は、『法宝義林』I, p. 64b の図版からとられたものだが、そこには、弁才天を中央に、左に毘沙門天、右に大黒天を置いた「三位一体」像が描かれている(注 2 参照)。
     このように数えだせば、筆者のフランク教授に対する学恩は、まさに限りなくあると言うべきである。

     同じフランク教授のフランス語のもう一つの遺著
    Bernard Frank, Dieux et Bouddhas au Japon, [Travaux du Collège de France] Paris, Edition Odile Jacob, 2000
    は、コレージュ・ド・フランスにおけるフランク教授の開講記念講義、および1979年から1995年までの15年間の教授の講義の要約を集成したもので、講義の要約という制約された形式の中に、教授の驚異的な学識と繊細な感受性が濃厚に凝縮された名著である。中でも、たとえば1986年〜1987年の講義「平安および鎌倉時代の図像集成」(p. 221-267)は『図像抄』、『別尊雑記』、『覚禅鈔』、『阿娑縛抄』などにかんする詳しい概説で、『大黒天変相』、「I 大黒天信仰の謎」p. 86-87 などでぜひ参照し、より詳細な記述をすべきだった。もちろん、それ以外にも、たとえば鬼子母神信仰にかんする記述(p. 60-67)など、参照し、学ばねばならない箇所は無数にある。


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