賢治の星の話題 | 賢治の星の年譜 | 賢治の星の風景 |
文学作品を扱う場合には、一般の検証と違い特に留意しなければならない 点があります。「古天文学」の方法論として事例をあげると、
例:【年月日から月齢を判定】賢治が1924(大正13)年5月19日に、教師として修学旅行の引率を担当し、 函館を訪れ、夜の港の風景を詠んだ詩「函館港春夜光景」の冒頭に 「地球照のある七日の月が、/海峡の西にかかって、」とあります。 天文計算によるとこの日は、月齢15.5(JST:20時)でほぼ満月であったこと、また月のかかる方角も西ではなく、方位角 (azm:300.7°)から、東南東と南東の中間あたりであったことなります。 賢治がこの日函館にいたことは別文献からも明らかですので、詩の内容における月の描写は創作の産物であることが判明します。
例:【年月日のはっきりした月の出からその時間を推定】賢治が1924(大正13)年6月21日(土)から22日(日)にかけ、 花巻農学校の生徒たちと、岩手山麓にでかけ詠んだ詩「林学生」 に、月の出のようすを描いた部分「赤く潰れたをかしなもの(=月)が昇てくるといふ」があります。 天文計算によると、この晩の岩手山麓における月の出は(21日)の22時20分(理論値)となり、 賢治たちはかなり遅い時間にも歩いていたこと、また賢治がこの詩に付した日付(1924年6月22日)の前日(21日)の様子が 描かれていたことがわかります。
「賢治の星の年譜」などで、「19**年**月**日『◯◯◯◯』の創作」という 言葉を便宜上用いていますが、ここでいう日付はシミュレーションした画面の日付 (創作のヒントを得たと思われる日付、または関連する日付)で、 必ずしも賢治が作品に付した日付、または実際に書き上げた日付を定義するものではありません。 詩に付された日付の解釈については「創作のヒント(または素材)を得た日」「実際に書きとめた日」 「後日修正した日」などさまざまな場合が想定されることを予め留意しておく必要があります。
シミュレーション画面の地上風景(シルエット)は、特に断わりのない限りイメージによるものです。
シミュレーション画面は、レイアウトの都合上若干縮小しています。画像上の文字が 読み取りにくい場合は、マウスを画像上に移動させ、windows95の場合:右クリックメニュー、macの場合クリックメニュー で「View This Image(この画像を表示する)」により拡大してご覧下さい。
解説に引用した本文は、筑摩書房「新校本宮澤賢治全集」及びちくま文庫「宮沢賢治全集」を用 いています。
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