在京疾風会・電子掲示板(2010年1月〜6月)

このページは書き込みできません。

峻険の道三陸浜街道 浄土の山田
投稿日 6月6日(日)17時33分 投稿者 ヒデオ 削除

三陸浜街道楽しみにしてます
なかなか豊間根に出ないようですが浄土の入り江、山田荷留まってるようですが
船越半島重茂半島探索中でしょうか
船越から船で半島をまわって山田の入り江に入ると極楽浄土に入ったような気がします
入江は巾着のような形で中の島があり南の折笠川北の関口川が流れ込みます
宇治平等院鳳凰堂も南北両脇に宇治川に注ぐ呂と律の川を置き建ってます
六原の山菜便りも待ってます

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=59411705


お言葉に甘えまして
投稿日 5月24日(月)09時39分 投稿者 佐藤(泰) 削除

村野井先輩撮影の写真使わせていただきました。

疾風会の集合写真に写っていなかった佐々木(英)君や佐藤(克)君が入った写真を借用いたしました。
ありがとうございます。

白堊関連HPの総会報告では、写真では白堊35会、総会の式次第報告では白堊25会、が他を圧して
おりました。皆さんもぜひ見てください。


ああ そうです 御厚意うれしく また楽しく
投稿日 5月21日(金)19時07分 投稿者 な@疾風会 削除

村野井さまの写真に 遠方より御礼申し上げます。

     「三陸浜街道探訪」には誰か 何か 感想無いかな..


在京白堊会の写真
投稿日 5月20日(木)21時42分 投稿者 村野井(1960) 削除

 下のリンクをクリックしてみてください。佐々木(英)君や、泰久・船越さんのツーショットなどの写真もありますよ。宜しかったら使ってください。

http://www.net1.jway.ne.jp/morioka-daiichi_zaikyou35/photo-album/photo-album/2010hakua-general-assembly-02.html


残念
投稿日 5月17日(月)18時05分 投稿者 佐藤(泰) 削除

厚志君、スタミナと呼ばれてましたが、堂々たる体躯でしたね。ご冥福をお祈りします


ちょっと古い訃報
投稿日 5月16日(日)17時41分 投稿者 石川雅邦 削除

今年の2月20日(土)に佐藤厚志君が、急性心不全のため亡くなりました。享年61歳です。すでに四十九日法要も終っていたのですが、本日三浦司君と2人で仏前にお線香をたててきました。合掌。


5/8在京白堊会の様子
投稿日 5月13日(木)12時53分 投稿者 佐藤(泰) 削除

トップページに写真を載せましたが、ことしの在京白堊会は疾風会メンバーの参加が多く、近くの年代では
一番多かったみたいです。写真に写っているのが9名、写りそこねたのが2名、計11名ですね。現役、
退役、入り混じって2次会まで近況を語り合いました。

やっぱり「土人踊り」のパワーは凄いですね。青春時代の刷り込み効果なのか、ノナマニサパヤン、、、
のリズムとともに皆盛り上がっていました。


「白堊スポーツ」から速報バッチリ
投稿日 5月6日(木)10時41分 投稿者 佐藤(泰) 削除

盛岡っ子さん情報ありがとうございます。

私は、「白堊スポーツ」↓の速報にかじりついていました。一打席ごとの速報で、
球場の雰囲気も伝わってきました。今年も強い!バッチリ応援します。

http://www.geocities.jp/taira_d_1048/


硬式野球部
投稿日 5月5日(水)08時28分 投稿者 盛岡っ子 削除

春季大会2連勝し、県大会への出場権をいただきました。
及川(3年)、小野寺(2年)の投手陣を始め、切磋琢磨し
頑張っております。
応援よろしくお願いします。


多々、誤字など修正いたしました
投稿日 5月1日(土)12時24分 投稿者 山田武秋 削除

下記、「林中書」の書き込みで、誤字や間違いがありましたので、修正して再アップいたしました。
面目ありませんでした。歳のせいか、おおざっぱな性格なのか、集中力が続かなくてすみません。


啄木の「林中書」について
投稿日 5月1日(土)12時17分 投稿者 山田武秋 削除

「常磐津林中」という南部藩出身の名人がいたんですね。知りませんでした。
遊座先生が今回、岩手日報文化賞受賞記念講演で行った「“林中”から“一握の砂”」
の「林中」は、啄木が渋民で代用教員をしていたときに書いて母校校友会誌第9号に寄
せた評論「林中書」のことで、明治40(1907)年3月に発刊されています。
禅宗寺院では寺のことを「叢林(そうりん)」と言ったりしますから、「林中書」とは
寺の中で認めた手紙、といった意味になるでしょうか。
続いて同年9月、函館から評論「一握の砂」を同じく校友会誌第10号に書きました。
「年若き旅人よ、何故にさはうつむきて辿り給ふや。目をあげ給へ、常に高きを見給え。
かの蒼穹(あおぞら)にまして大いなるもの、何処にあるべしや。‥‥」という書き出
しで始まるもので、これが遊座先生の『北天の詩想』のモチーフとなった評論です。
そして、啄木にこの二つの原稿を依頼したのが、校友会誌の編集長を担当していた小野
清一郎でした。
翌明治41年6月13日、本郷菊坂の赤心館に小野が啄木を訪ね、このとき小野と金田一
と啄木が語り明かした翌日の6月14日から啄木の「歌稿ノート」がスタート。これが明
治43年発刊の歌集『一握の砂』に結実していきました。
この『一握の砂』というタイトルの初出が小野が依頼した校友会誌で、啄木にとって
「一握の砂」というタイトルは深層に染みこんで消えることのなかったキーワード中の
キーワードであったというご講演でした。
「常磐津林中」が亡くなったのが1906(明治39)年ですから、啄木との関係はどうで
しょうか。父、一禎なら「常磐津林中」の名くらいは知っていたとおもいますが‥‥。


は?「林中」、そうなんですか!
投稿日 4月29日(木)21時16分 投稿者 な@疾風会 削除

どうもありがとうございます。
 要するに、わからん者が知らん者に知ったか振りして『林中は常磐津の名人で』とか説いていたわけだ。


岩手県高校校歌(3)
投稿日 4月27日(火)12時44分 投稿者 佐藤(泰) 削除

我々が入学する数年前に転出された千田玄先生(国語)は3校も
作詞されている。まずは昨年春夏甲子園で幾度となく流れた花巻東
高校校歌

花巻東高校   千田玄

みちのくの国原広く
見はるかす 高き城跡
天傳う陽の出で立ちに
鳴り響く暁の鐘

千田先生は自らも盛中野球部に所属、昭和14年の奥羽大会決勝で
甲子園を目前にして青森中学に敗れている

(つづく)


「な」は門外漢なので正確に伝えることはできませんが
投稿日 4月24日(土)14時30分 投稿者 な@疾風会 削除

「常磐津林中」とは、かつて岩手日報で連載された鈴木彦次郎小説で知っている程度です。
盛岡藩の子で浄瑠璃の師範になり、八幡街芸者を指導した人です。

ところが、近しい方で「彦次郎の描く林中はウソだらけだ」と事あるごとに話される(20歳以上年かさの)先生もおられます。

鈴木彦次郎といえば、寮で貧乏無口チビの川端康成と同室になり、無頼漢(ニセ学生)今東光という怪人の誘いに乗り、恩になった菊池寛の文芸春秋をコケにしたエピソードで知られています。

http://www.town.yamada.iwate.jp/kujirakan/


遊座先生講演 「林中」とは
投稿日 4月24日(土)05時07分 投稿者 ヒデオ 削除

林中は戊辰戦争のころ盛岡八幡町に江戸から避難して来た常磐津の名人林中です
彼が盛岡にもたらした文化と啄木の関係興味あります
野村胡堂は三味線が嫌いでした 
嫌いになった過程などわかるかもしれません

南部藩士苗字と地名
投稿日 4月24日(土)04時57分 投稿者 ヒデオ 削除

一高に入学、盛岡に戻って気が付くのは南部藩士の苗字に地名の多いこと、地名そのままの多い事でした
山屋、佐羽内、田代、一戸、四戸、七戸、九戸豊間根、戸草etc.
山田豊間根間には山谷(やまたに)が
山屋は県内あちこちにあり、山屋山谷いずれも狭いけど見張りにいい場所、峡谷で関所にいいところでいずれも畑地が確保出来る所です
軽井沢なんぞ花巻と七時雨山の辺りにもあります 冬は寒いそうです
興味ある方「な」さんの連載を読みながら国土地理院のうぉっ地図ヤフーグーグルの地図をご覧ください

http://watchizu.gsi.go.jp/


そう言えば「クジラ君の歌」というのを知ってる
投稿日 4月23日(金)19時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

NHKの子供向けラジオ放送ドラマじゃなかったかな。

「♪クックークジーラ鯨君♪、♪クロんぼ大将鯨君♪」というテーマソングで、耳に残っています。
「ヤンボーニンボートンボー」とか「一丁目一番地」と同じころかな?


クジラは学生時代の渾名でした
投稿日 4月23日(金)14時30分 投稿者 山田武秋 削除

船越半島があって、そこが山田町なんですよね。
いつかクルマで通ったとき、笑ってしまいました。
ついでにいうと、「鯨山」は知らなかったですが
クジラは東京に出てきて、学生時代につけられた私の渾名でした。
理由は、色が黒くて大きかったから、です。
こんど、「鯨科学館」行ってみようと思います。


山田さんは山田町の鯨山をご存知ですか。そういえば「船越」の駅もある。
投稿日 4月22日(木)14時52分 投稿者 な@疾風会 削除

小鯨山に対し、さらに北隣には鯨山(標高610.2m)がある。
これらは対の山ではあるが、双耳峰とは呼ばれない。
「大尺山、小大尺山」(盛岡市岩洞湖周辺)、「高倉山、小高倉山」(雫石スキー場)、「東根山、西東根山」(紫波町)、「物見山、小物見山」(遠野市)などなど同類がたくさんある。
「男岳、女岳」(駒ヶ岳)、「男助山、女助山」(雫石町)、「男火山、女火山」(住田町)、「男和佐羅比山、女和佐羅比山」(久慈市)などと男女の対の山もあって山名由来に興味は尽きない。

鯨山の方は、太平洋航路といっては大袈裟かも知れないが、沿岸漁業の船には有名な目印の陸地地形で、大漁祈願の鯨神社が奉られている。山田町立鯨科学館に寄ってみれば、捕鯨漁の歴史が紹介されている。
そして県立青少年の家が登山口として好都合なため、ハイキング愛好者にも非常に良く知られた名山である。「な」は、このコースで夏冬、かつ表参道と称する浪板海岸からの旧登山路も登ったことがある。


4.25遊座昭吾先生「講演」開催迫る
投稿日 4月19日(月)21時12分 投稿者 山田武秋 削除

遊座昭吾先生の第62回岩手日報文化賞記念特別講演が4月25日、次の日曜日に迫りました。
ご講演のタイトルは「“林中”から“一握の砂”」。今年は『一握の砂』発刊100年の年ですが、
『一握の砂』というタイトルの初出は盛岡中学交友会誌への寄稿であったという内容です。
遊座先生の講演を東京で聞ける最後のチャンスになると思います。多くのご聴講をお待ちしております。
場所は、御茶ノ水の明治大学駿河台校舎リバティタワー1階1011番教室。
遊座先生の講演時間は、15時45分から16時45分です。
(13時45分から研究発表をやっており、こちらも自由に聴講できます)
当日は啄木学会会員以外の福高、盛岡一高OBは、受付にて1000円の聴講料をお願いいたしますので
ご協力をよろしくお願いいたします。


岩手県高校校歌(2)
投稿日 4月17日(土)10時02分 投稿者 佐藤(泰) 削除

それでは錯綜しつつ連載していきましょう。

次は高橋力先生は盛岡南高校。国語の先生ですね、私は現国だったか漢文だったか、
教わりました

盛岡南高校校歌   高橋力

遙か巌鷲(がんじゅ)の屹(そび)え立ち
慈愛(なさけ)ゆかしき北上や
南昌 東根(あずまね) 美麗(うるわ)しく
菖蒲(しょうぶ)の園に玉甍(いらか)
久遠の真理(まこと)探究(もと)めんと

(つづく)


いろいろ連載が錯綜するけれど、それでも浜街道を歩く
投稿日 4月16日(金)15時39分 投稿者 な@疾風会 削除

 JR大槌駅から大槌川沿いに約2q、辺津ヶ沢という所を目指す。

前々回に大鎚川と書いたのは間違いで、小鎚川は金ヘンだが、大槌川は木ヘンでよかった。
ただし、大槌川上流に「金沢」があり、「長者森」に源流を突き止められることは誤りでない。

 歩いて探すからわかるというもので、車に乗って行けばまず通過してしまう辺津ヶ沢の旧街道入口であった。老人保健施設の看板が目印である。
 この山道には、ほどなく「辺地ヶ沢一里塚」が見られる。地名の「津」の字と異なるのが訛り発音を冷やかしているようで何か気分が悪い。
 比較的新しい木製標識で「くじら坂」とあるが、往時は鯨峠を越えて山田へ繋がるたいへんな登山路である。「今の自分には体力気力的に無理だろう」と思った。時間的には可能かも知れないが、峠の陰に悪い奴が待ち伏せしていたらとか、気味の悪い大蛇が、、、などと想像してしまうのだった。


岩手県高校校歌
投稿日 4月15日(木)16時03分 投稿者 佐藤(泰) 削除

ひょんなことから岩手県全高校の校歌1番の歌詞と作詞・作曲者の名前が手に入り
ました。恩師・先輩の名前がけっこうありましたので紹介します。


まず大島英介先生。我々の時代の教頭先生ですね。胆沢高校の校歌の作詞者です。

胆沢高校  大島英介

黎明(あかつき) 田面(たのも)に満ち
胆沢野に漂う 白き芳香(かおり)
はぐくめ若人 ちかわん
清純のいのち
わがまなびや 胆沢

(つづく)


吉里吉里王国が評判になった往時を懐かしく思います
投稿日 4月13日(火)11時52分 投稿者 な@疾風会 削除

 井上ひさし氏が亡くなられた。「ひょっこりひょうたん島」には自分自身強い影響を受けていますし、岩手県大槌町に人気が集まった往時を懐かしく思います。

 さて、三陸浜街道を歩く第5回は「大槌から鯨峠へ」、△小鯨山(458m)登山である。

 大槌から山田への街道は二通りあった。ひとつは鯨山の西側を越える難儀な山道、他方は海岸沿い、現在の国道に近いルートである。
後者は表題の吉里吉里(有名になってからは誰でもがきりきりと読める)を通り、浪板(なみいた)海岸から四十八坂海岸をたどって陸中山田へ達する。
山々が海岸に迫っているせいで上り下りを激しく繰り返す、というので「四十八坂」となる。
さすがに今の国道でそれを実体験はできないが、やはり鞭牛さんがコツコツとノミとツチで開鑿したと聞くと頭を垂れる思いになる。


材木町よ市
投稿日 4月13日(火)02時20分 投稿者 ヒデオ 削除

ゑいもせず宵闇は待てない、よ市
ペアレン、銀河、ドイツパン福田パン頬張り星を待つ
夕顔瀬橋、旭橋から南天は見えたっけ南東になるから人工衛星は無理か
「な」さんメールくださいWebMailでかまわないから


星まつりイベント、今日は 材木町よ市
投稿日 4月10日(土)13時22分 投稿者 な@疾風会 削除

もりおか星空キャラバンは 4月10日夕刻〜 材木町よ市にて開催します。
暗くなるまでは待てないが 金星(宵の明星)なら見えるかな。

  そう、偉峰くんは白亜平成15年卒です。


星まつり、 昨夜は「国際宇宙ステーション」を肉眼観測できた。
投稿日 4月8日(木)14時16分 投稿者 な@疾風会 削除

盛岡星まつりですが、「天体観測ゲリラ」とか言って 毎日どこに出没するか予告なしに
望遠鏡をならべる企画。もう始まっているが、どこに出たか私も承知していない。

 主宰人 吉田偉峰君らの「天文部OB会」というのは、平成の新校舎世代によるもの。
 40年以上昔のOBを誘ってくれたのはうれしいが、実働勢力にはなりきれていません。


南部の殿様戦死の地「大槌(おおつち)古廟坂(こびょうざか)」
投稿日 4月7日(水)12時08分 投稿者 な@疾風会 削除

釜石からJR山田線15分で、3つ目の駅は大槌。長いトンネルを通過したあとに着く。
今回、大槌の城山跡に寄って実感できたのだが、ここは湾からの海運が主要交易路になっている。背面はぐるりと険しい山に囲まれているからである。
川は大鎚川と小鎚川の2本。これらは木へんでなく金へんのツチであって「上流の隠し金山」(遠野物語にも繋がる)の存在を匂わせている。
大槌が重要な海産物供給地だったことは想像がつくが、実は天然要塞の地の利で仙台藩からも、南部藩からも一時期独立したような存在であったそうだ。両藩境界が定められて以降は、一応南部藩の代官所がおかれたが、2年交替で盛岡からお代官さまが着任するものの、土地の士族だけで政務を仕切ったという。

史実によれば、戦国時代に南部守行が遠野から山越えして見晴らしの利く高みに立った折に、大槌孫三郎軍の流れ矢に討たれて斃れたと伝えられている。
これが古廟坂(御廟坂ともいう)の由来であった。国道は古廟坂トンネルで通過してしまうが、鞭牛和尚69歳、最後の開鑿(かいさく)事業(↓)が浜街道古廟坂である。

http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/nenpyo2.html


「三陸浜街道ばなし」お続け下さい
投稿日 4月5日(月)11時31分 投稿者 佐藤(泰) 削除

一高野球部千葉遠征練習試合の報告は「在京白堊会掲示板」↓のほうで
完了しております。

「三陸浜街道ばなし」、遠慮なくお続け下さい

PS.天文部OB会ってあるんだね。だいぶ元気そうなリーダーで頼もしい

http://9209.teacup.com/hakuatokyo/bbs


お、ヒデオさん ありがとう 「第3回盛岡星まつり」
投稿日 4月4日(日)21時09分 投稿者 な@疾風会 削除

英夫ちゃんに紹介していただいたけれど、同じくこのURL↓がPRの新情報です。
 吉田偉峰くん、MIAC 天文部OB会(Morioka Ichikou Astoronomical Club)代表
のすごい元気に、応援しています。(岩手県地球温暖化防止推進センター)
 
本日、アイーナ5階に特設テントを設置し、プラネタリウムのように星の上映講演を催しました。
次回は、4月18日午後1時半から、同アイーナ(盛岡駅西口)環境学習交流センターで行います。
 
 一高野球部千葉遠征練習試合の報告も求められてるのか?と思いつつ、
でも、「三陸浜街道ばなし」、さらに情報が膨らんできています。続けていいかな?

http://msf-net.hp.infoseek.co.jp/org.html


第3回盛岡星祭開催
投稿日 4月4日(日)09時09分 投稿者 ヒデオ 削除

盛岡星祭今年も開催
メインは4月24日25日だって
企画担当委員「な」さん詳細を教えてください

http://msf-net.hp.infoseek.co.jp/org.html


浜街道を歩く第4回「恋の峠、って何なの?」「大骨峠?」△御在所山登山
投稿日 4月3日(土)19時01分 投稿者 な@疾風会 削除

 両石から先は両石坂、恋ノ峠を経て鵜住居(うのすまい)まで、現45号線に一致する。
「恋の峠」には全国からいろんな願望や感傷や冷やかしやらを抱えた若者がワンサカと訪れている。
というのは嘘で、ライブ写真(下記URL)で観るとおり歩いて辿るスペースがない。景観とて、ものすごく悪い。

 恋ノ峠はトンネルで地下を通過させてもらい、鵜住居駅から歩いて△御在所山(462m)に登ることに挑んだ。
 鵜住居駅からはきれいな双耳峰(頂上に着いたかと思うと、向こうの方にまたちょっと高い山がそびえている、というピークが二つある山のこと)が見てとれる。
 
 どこが登山口か?、集落最後の民家は目下建設中の釜石山田道路の高架下にあった。3匹の犬に激しく吠えられ、「オマエらも山に付いて行きたいよな」と声かけてなだめるのが私流。
結局、他人にお勧めできないような(マツタケ採り入山禁止、という意味でも)危険なルート取りで斜面をよじのぼって稜線に出て、恋ノ峠とは反対方向に進み、少し汗をかいて山頂(北緯39度18分52.7秒、東経141度52分02.3秒)を踏破した。
 眺望は根浜海岸が見渡せて気持ち良かった。昨年、地元集落の住民登山があったらしく、電力鉄塔の巡視路を利用したコースが下からあり、危険箇所には補助ロープが大袈裟につけてあったし、登頂記念プレートまでも置かれていた。
 また、調査も何もしていないが「大骨峠」という変な名前の高みからの南西尾根があることも記しておこう。

http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/j73501/gazou/live_03.html


水海公園の近く、「釣りバカ日誌」ロケ地のホテルも閉鎖していた。
投稿日 4月2日(金)14時55分 投稿者 な@疾風会 削除

 浜街道鳥谷坂は釜石市浜町から両石町への山越え路である。
 改めて峠から先に進む。分岐の要所には「遊歩道」の標識板、樹木には「トチノキ」とか「ウリハダカエデ」の名前板がつけられているから、コースには全く不安を抱かずに降りた。
 ところが、充分に下界に近づいた頃に「岬⇔鏡」という初めての看板を見て、「あれっ両石は?」と声を出した。
 地図を照合すると、鏡集落に降りてしまったのでは東方に寄り過ぎになる。
「岬へ」の方向も少し登って偵察したが両石とは全然違う。どこかで間違えた、無念。引き返すか?遊歩道の起始部に出てみるのが確実か、とあきらめた。じきに自動車道に降り立って、そこが鏡海岸の野外自然観察園というところであることを知った。この林道をたどっていくしかない、4qあるか。
 シーズンオフで止むを得ないが、誰にも会わず、水海(みずうみ)総合公園(下記URL)の東屋で食事を摂った以外は、雨傘を差して黙って歩いた。
 
 45号線まで着いて大型パチンコ店の駐車場を何度も探したが「旧街道跡」を示す表示は見当たらなかった。
下から見れば崖に近い、たぶんこの沢筋に埋もれているのだろう。
 両石からの逆コースを選ばずに良かったと思った。誰も誘わないで来て良かったとも思った。

http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/8,346,46,244,html


大船渡駅前には「史跡壱里塚・浜街道より北一里」の碑があるのでご注目
投稿日 3月31日(水)11時13分 投稿者 な@疾風会 削除

ともさんですか、投稿ありがとうございます。
三陸トンネル、羅生トンネル、鍬台トンネル、熊の木トンネル、石塚トンネル等の開通は昭和45年以降でした。それまでの旧国道は未舗装でもあり、大船渡〜釜石間はバス・トラックが4時間かかったそうです。

三陸浜街道はだいたい旧国道と一致しますが、立根(たっこん)町細野の甘竹ブロイラー農場辺りから三陸町吉浜までは、夏虫山の麓を巻くように進んで釣漁(つりょう)峠を越えています。現在その道を歩けるかどうか、わかりませんが興味はあります。
今回歩いた唐丹から北の石塚峠、女坂、鳥谷坂は皆、旧国道と違う人馬道です。2月・3月で大槌までひとりで歩い田記録を稿にしていますが、いずれは唐丹以南の鍬台峠や羅生峠も探訪してみたいところです。閑話休題。


三陸浜街道しらなかった
投稿日 3月30日(火)21時37分 投稿者 とも 削除

私、生まれは大船渡、父の生まれは釜石。40年前、大船渡から釜石まではバスで海岸線を通った覚えがあります。4時間の行程、あれは、三陸浜街道だったのでしょうか。


旧街道は歴史探訪の観光資源として利用を図りたい
投稿日 3月30日(火)12時11分 投稿者 な@疾風会 削除

 鳥谷坂は、幅は狭いが境界杭に沿ってたどる尾根路と、急坂を縫うように登る旧街道との2本が何度も現われた。
 境界杭に沿って歩いた時、「あ、この道は頂上に向かわない」と感じて、途中から引き返したことが一度だけあったが、だいたいは迷う心配はない。地元学校の集団登山にも使われていると思われる。

 1時間で峠に着いた。祠がありカップ酒が供えてあった。そして、近年釜石市が整備した木製ベンチ数脚と、かつて浜街道と呼ばれた主要道路であることの表示板が備わっていた。
 
天気は良くないし寒いので、普通はここから帰るのかも知れないが、「な」は歴史探訪が目的ではない、いわば国土地理院三角点マニアなのだ。小休止の後、ここから先はケモノ道をたどり、時に腕力でよじ登りしながら最高地点をめざした。もちろん今のシーズンなればこそヤブこぎも容易なのである。
 それでも少々は遠回りも余儀なくされ、40分ほどで2等三角点に到達し、ひとり仕事成功とにんまりした。下山は一息に峠めがけて直降りしたので、ほんの10分だ。


三陸浜街道を歩く第3回「鳥谷坂(とやざか)越え」
投稿日 3月27日(土)12時12分 投稿者 な@疾風会 削除

釜石市浜町3丁目の北の端、坂の一番高いところに尾崎神社(下記URL)がある。
大津波の被害を受けて移築してきたとのことだ。旧街道はここから両石湾水海(みずうみ)集落へおよそ3kmの山道「鳥谷坂(とやざか)」である。

「な」は昭和50〜60年代に職場健診や研修会講師として毎年かまいしを訪れてきた。古い旅館や廃業したホテル跡は懐かしい。釜鉄近傍の鈴子町、大渡町は煙害がひどく、今日むかっている浜町や東前(ひがしまえ)町は漁家の多い「対照地区」で調査した所だった。

 小雨のため釜石駅から合羽を着、折りたたみ傘をさして街裏を歩いた。通常では平地を時速6kmで歩くが、この天気では汗もかきたくないので意識してぶらぶら歩きにした。
 前回わざわざ行って「史跡浜街道鳥谷坂登り口」の碑を見ておいたのは役立ったが、その先はどうなっているか情報がない。場合によっては途中から引き返さざるを得ないかも、と考えていた。
 地図によれば上り途中で120.7m、下りで182.2mの水準点を通過するのが目印になることがわかる。
最高鞍部は海抜270m付近、例によって三角点にも立ち寄りたいので、「点名・鳥谷坂、340.32m、2等三角点(北緯39度17分15.5秒、東経141度53分15秒)平成17年改測」のメモをGPS(全地球測位システム)に入れておくのが「な」のやり方である。

http://blogs.yahoo.co.jp/bcnks330/30550471.html


本当の浜街道跡は火葬場の先にあったのだが、
投稿日 3月26日(金)16時12分 投稿者 な@疾風会 削除

 国道45号線の歩道を旧街道への標識がないか、と登る。
 火葬場と三陸国道事務所入り口を過ぎ、次のホテル・シーガリアマリン入り口も「急坂だな」と立ち止まらずに歩いた。
大観音に近づくまで行ったが探しきれずに、「な」は引き返してマリンホテル駐車場から雪上に犬の散歩足跡の付いている斜面に取り着いた。
 それの先は市営墓地公園につながっており、最高地の東屋で地図を確認し、あとは大観音や釜石湾を背に尾根をまっすぐ進むだけで浜街道を横切る切り通しに到達した。この山は赤松が多く、マツタケの収穫が期待できると思った。

 下山は松原町高台の住宅地に出る。そして嬉石町に至ると一等水準点と「女坂登り口」の標識もあった。いつか誰かを案内をするような機会があれば、ここを出発点に、火葬場までを歩けばよいのかな。

 釜石駅までまだ2qはかかるが、帰りの列車まで2時間の余裕があるので、浜町まで遠回りして次回(鳥谷坂)の登り口を下見しておくことにした。


三陸浜街道を歩く第2回「女坂(めさか)越え」および「牧根森山登山」
投稿日 3月25日(木)12時03分 投稿者 な@疾風会 削除

 釜石で三陸鉄道南リアス線に乗り、最初のトンネルを出るとすぐ「いさり火大観音平田駅」で下車。
250円の乗車券を愛想よく車掌に渡して「ここから歩いて帰りますから〜」と、車内に残る鉄ちゃん(鉄道好き人種のこと)達の視線を意識して降りた。

めざすは釜石トンネルの上の、地図に点線(山道)で示された「女坂」。
最高地点は170m、入口で海抜25mなので標高差150mもない。
あぁ、それで女坂か(次回に歩く両石までの険しい坂を「男坂」と対比して呼ぶのだろう)。
 今日も寄り道して△牧根森山(317.3m)三角点を踏んでこよう。ワクワクする気持。

目標の山は△牧根森山(317.3m)。国土地理院「点の記」に従えば、山名は「まぐれもり」と呼称されたのではないか、と考えられる。


お、「な」さん新シリーズですね
投稿日 3月24日(水)12時54分 投稿者 佐藤(泰) 削除

三陸浜街道か、よろしくお願いします


三陸浜街道「唐丹町本郷から平田(へいた)へ石塚峠越え」
投稿日 3月24日(水)12時17分 投稿者 な@疾風会 削除

石塚峠は仙台藩と南部藩の藩境、珍しい印杭が保存されている(下記URL参照)。
山道は崩壊したり藪っぽい個所があるが、電柱が平行して設置してあるので迷うことはない。
一対の一里塚(仙台藩では七里塚ともいうらしい)もある。
麓からの標高差320mの峠付近だけは馬車が通行できるのか、と思わせるほどの急登ではある。いや昭和の初めまではメイン道路だったのだ。

「な」は、唐丹駅から意外に早く1時間ちょっとで到達。このまま平田(へいた)へ下るだけならば時間も力も余裕なので、西にずんずん歩を進め(やや本格的登山になる)30分後、500m先の山頂三角点、すなわち標高466.5m△申喰山(北緯39度13分21.6秒、東経141度53分0.6秒)を踏んだ。
昼食休憩後、石塚峠まで戻り、北側やや雪が残る道を慎重に下山。着いた先には道路閉鎖ゲートがあり、砂防ダム工事現場になっていた。
こちらを登り口にしていたら関係者に制されるか山に迷いこむかして結構難儀させられたことと思う。
事務所の監視人に挨拶すると、「シカ撃ちに入ったんでないの?」と聞かれた。
あとは運動公園を経て45号線の歩道を1kmばかりで、平田駅(無人)。終点釜石駅はわずかひとつ先である。

http://www.city.kamaishi.iwate.jp/kyoudo/column/column-kyoudo1.html


雪の少ない三陸浜街道を踏査した
投稿日 3月23日(火)12時10分 投稿者 な@疾風会 削除

第1回は三陸鉄道南リアス線唐丹駅から平田駅まで。
伊能忠敬を顕彰して江戸時代に建立された本邦唯一の碑が釜石にある。
唐丹(とうに)町本郷にある「測量之碑(1814年)」。足元の石は「星座石」、説明文と照らしてみれば黄道十二宮が彫られているのがかすかにわかる。高みからは太平洋が望める。
参考情報は下記URLで。

http://www.thr.mlit.go.jp/sanriku/10_iji/kamaishi/mametishiki/sokuryo/sokuryo.html


世界紀行インド!
投稿日 3月19日(金)09時36分 投稿者 佐藤(泰) 削除

「は」さんには世界各地の写真を送ってもらいまして楽しませてもらっておりますが、今回のインド編に
「は」さんがなにげなく写っているシーンがありますので、お見逃し無く。

盛岡っ子さん応援ありがとうございます。一高野球部関東遠征あと1週間後になりました。千葉ちょっと
遠いですが応援行ってまいります。


頑張れ!
投稿日 3月6日(土)11時15分 投稿者 盛岡っ子 削除

盛岡一高今年も頑張れ!!!。


電脳世界復活は一高野球部関東遠征から
投稿日 2月9日(火)19時37分 投稿者 佐藤(泰) 削除

「白堊スポーツ」平舘氏の情報にありますように、今年の一高野球も関東からスタートします。
昨夏のあの菊池雄星を向こうにまわしての互角の戦い、そしてむせぶ悲憤!から早半年、さらに
パワーアップされた一高野球がイの一番に見られるものと思います。在京組はしあわせです。

私も個人的事情から12月を底に沈んでいましたが、一高野球部関東遠征から元気を貰って浮上、
電脳世界に戻りたいと思います。

今年こそ甲子園!


盛岡一高野球部千葉遠征日程
投稿日 2月8日(月)10時19分 投稿者 白堊スポーツ:平舘 削除

千葉遠征の日程が野球部HPに載っていました!

3月26日 練習(千葉明徳高校G)
3月27日 練習(千葉明徳高校G)
3月28日 練習試合(明徳G) 午前:千葉明徳 午後:東京学館新潟
3月29日 練習試合(東海大浦安G) 午前:東海大浦安 午後:東海大浦安
3月30日 練習試合(千葉経大附G) 午前:千葉経大附 午後:未定

(注)29日午後、30日午後の対戦校は変更の可能性があります。

盛岡一高野球部HP
http://www.hakua-bb.com/

http://www.geocities.jp/taira_d_1048/


モーターグライダー
投稿日 1月17日(日)05時29分 投稿者 ヒデオ 削除

カッコいいーモーターグライダーですか
二機で飛ぶなんてうまいもんだ
滑走路とTaxingWayもある 滑走路の端航空母艦みたいになってるけど高台ですか
最後の写真には馬場みたいな曲輪があるけどいったいどこですか
コッペさんもやってみませんか

小学生の頃後藤野の滑走路は陸上自衛隊L-19が演習に使ってました
ジェットヘリが作られる前は単発の飛行機も使われ臨時発着場を野営して運用してました
滝沢に滑走路を作ってなかったからでしょう
ちなみに御殿場には海兵隊と空挺団の共用滑走路があります(飛行場じゃない離発着場)


大東亜戦争と盛岡のこどもたち
投稿日 1月15日(金)20時25分 投稿者 中天地・疾風会ファンの兄 削除

大東亜戦争時、盛岡市立櫻城國民學校生・菅原幸一少國民は「な」と「なの兄」の先輩で大沢川原仲間であったが記憶が蘇る。正確な語り部は人間国宝に相当する。
1945/3/10(紀元2605年陸軍記念日)と8/10には 原別邸前の岩手医専官舎(三田長屋)の瓦屋根を砕き、六畳間から玄関ガラスを貫通していた。わが教授宅に下宿していた岩手医専生徒からそのグラマン機銃掃射の弾丸を見せられた記憶がある(その頃は大釜の農家に疎開)。屋根瓦は、数年間壊れたままだった。
 B29が岩手上空を通過するたびに、私立盛岡幼稚園(内丸)の防空壕で泣いた日もあったが、仲間のワンパク少國民は「空襲警報発令、クウシュウケイホウカイジョー」とほがらかであった。そして県立盛岡中学生として軍事教練・学徒出兵していった。
敗戦後の紀元節は寒かったが、登校して「雲に聳る高千穂の・・」を謳い、久慈孫右衛門校長はMP進駐軍(アメリカ兵の占領軍)と対抗した。
汽車ポッポの4番「汽車汽車ポッポポッポ・・シュッポッポ、兵隊さんを載せて・・・バンサイバンザイバンバンザイ」
空襲で負けたけれど「チョコレート」「チューインガム」「コンビーフ」「コンデンスミルク」で育ち、「古橋・橋爪選手」に続いて、アメリカ打倒を生涯の目標とする子供達が、今もなおここに生きている。


8月10日花巻盛岡空襲
投稿日 1月12日(火)23時28分 投稿者 ヒデオ 削除

星先輩村野井先輩本年もよろしくお願いします
1945年8月10日花巻も空襲がありました
花巻駅から旧川口町(相生町末広町吹張町上町大町豊沢町大工町鍛冶町)を焼き払い似内駅停車中の列車も機銃掃射されました

そのせいか町内会の行事で汽車ポッポは歌われたことがありません
村野井先輩の在京白堊三五会・掲示板561以降もお読みください

http:///bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=zaikyou35&page=121


同じく、遅ればせながら新年の挨拶
投稿日 1月11日(月)23時21分 投稿者 村野井(1960) 削除

 このところ、自分のことだけで精一杯で他所を見る余裕がありませんでした。
泰Qさんは電脳世界から遠ざかっていたとか、“老舗”には頑張ってもらわ
なければ・・・。

http://www.net1.jway.ne.jp/morioka-daiichi_zaikyou35/moriokadaiichi.html


遅ればせながら新年の挨拶
投稿日 1月6日(水)23時38分 投稿者 白堊應援團30 星 削除

 管理人佐藤泰Q氏は電脳世界に復帰が待ち遠しいですがいかがでしょう?
今年も期待をもって共に母校の甲子園出場を応援しようではないか。

http://www10.ocn.ne.jp/~hakuaoen/


宮澤賢治記念館明日2日より開館
投稿日 1月1日(金)22時06分 投稿者 ヒデオ 削除

おめでとうございます
今年の宮澤賢治記念館は明日2日より開館です
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/sightseeing/kenjimm/nyu...
記念館のある胡四王山神社では蘇民祭が行われます
http://www7.ocn.ne.jp/~somin/

足を延ばして成島の毘沙門天初詣(3日まで)お薦めです
市が開いてれば川魚の燻製成島の和紙が手に入るかも知れません
http://www.iwatetabi.jp/spot/detail/03205/275.html

蘇民祭を見ないなら東和インターから毘沙門天、帰りに記念館
という道順がいいと思います


新年おめでとうございます
投稿日 1月1日(金)08時11分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 昨年後半は個人的な難題が生じ、なかなか電脳世界に出られませんでした。たいへん失礼
いたしました。まだ引きずっておりますが、みなさまの書き込みでこの掲示板を盛り上げて
くださいませ。

 なさん連載よろしく、ヒデオちゃん生活情報役に立ちます。

 では、ことしもよろしくお願い申し上げます。


過去LOG目次へ