在京疾風会・電子掲示板(2006年10月〜12月)

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戦争の五行歌
投稿日 12月30日(土)00時59分 投稿者 山田 削除

 「サンデー毎日」を読んでいただき、どうもありがとうございます。
予想外に反響があります。みなさん、やはり、現在の状況に不安を感じておられる方が多いようです。


読んだ読んだ、「サンデー毎日」
投稿日 12月29日(金)06時10分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 戦争体験者が少なくなっている今日、実に有意義な企画であると思います。空襲を体験した年代は昭和
20年に物心ついていた我々より7〜8歳くらい上、まさに親交ある34会の皆さんから上くらいでしょ
う。さらに徴兵の経験となると80歳直前くらいの年代の方でしょうから、風化も進むわけです。

 我々は「戦争を知らない子供たち」ですが、シッカリと戦争経験者である親や先生から戦争を教わった
というか聞いた世代で、人一倍「反戦意識」は高かったように思います。しかし、人から聞いた話をさらに
下の世代に伝えるという点で、説得力は小さかったのかも知れません。その結果が今なのでしょう。

 実は私は絵心がゼロなのですが、藤田嗣治の絵を見に行ったことがあります(なぜその気になったか忘れ
てしまいましたが)。ある人から、藤田は戦争画を書いた戦争協力者だった、という話を聞いて驚いた。
私の見た藤田の絵は「反戦画」そのものだったからです。押し寄せる敵、兵士の屍、自決する兵士、、、
どうしてあれが戦争賛美なのか、おぞましい戦争を絵として残した「一級の反戦画」としか思えない、
これが私の感想でした。

 要は事実としての迫力、直接見たものを描いた迫力、なんですね。今回の山田君の企画もそういうところ
があるのではないかと思っており、戦争体験者の五行歌は迫力あるものになると思います。一言で申せば
「団塊の世代の面目躍如たる企画」かな。企画の成功を祈っております。

PS.それで思いついたのですが、この在京疾風会HPにも「自己PRコーナー」を設けたら、などと。
   ご意見ください−−>皆様

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/PR/0612sakura.jpg


「花くれないに」の若杉医院は、三浦医院(日影門外小路)だ!?
投稿日 12月28日(木)20時16分 投稿者 な@疾風会 削除

 白百合学園のあったところ、現在は盛岡中央郵便局であり道路事情も相当違うが、「な」は多少土地鑑がある。
飯塚洋服店、ライト写真館、アンゴラコーヒー、朝日新聞岩手支局、・・・小田島旅館、佐藤写真館、白百合学校、帝国興信所、洋裁の授産所、四ツ家教会。
 昭和32年には村里医院はなかった。翁菓子本舗はあったかもしれない。となりに三浦医院(元は藩の御典医とのこと、当時の院長は市医師会副会長などを務められた三浦武夫先生だ)、現在のKoh Ladies Clinic。
 これこそが邪馬台国、いや「若杉醫院」の実体だった。「居酒屋山小舎」(岩手公園花鳥園)からリヤカーで院長を連れ帰るのにふさわしい距離ではある。(了)

・・・・来年も懐かしの思い出ネタにチカラを入れたいです。その時は読者も少なかったとしても、後日検索にかかって笑っていただく方が出る、こは愉快なり。
 


ご訪問熱烈歓迎
投稿日 12月26日(火)21時37分 投稿者 佐藤(泰)@管理人 削除

 ジュンペイ先輩いらっしゃいませ。白堊41会(よい会)でございますね。

 特に決めてはいないのですが、当在京疾風会掲示板は昔話が多い掲示板のように思います。
要するにそういう話が大好きな私・管理人と同じく大好きな諸先輩・同期が集まってくる傾向
が顕著にありますね。

 たしかにアチャコの「神経衰弱脳膜炎」は話題にしたことがあるように思います。そのほか
にも三戸町の「水戸肛門科」だとか、ワタナベのジュースの素とか、岩手公園のヘビ使いとか、
その手の話題は枚挙とにいとまがありません。

 しかし、かの名高いGoogleで「ア〜ア神経衰弱脳膜炎」が我が疾風会掲示板のみとは実に痛快
ではありませんか(??)。先輩、またいらしてくださいませ。


神経衰弱脳膜炎 アチャコ
投稿日 12月26日(火)10時02分 投稿者 ジュンペイ 削除

ただいま親爺の介護が予想以上に長引き神経衰弱脳膜炎の一年先輩のジュンペイです。

ツイツイ苦し紛れに出た歌が「ア〜ア神経衰弱脳膜炎・・・♪」
まさかと載って居まいと思いながらGoogleで題名で検索書けたら唯一検索されたのが疾風会の掲示板。

思わず笑っちまいましたハハハ・・、岩手県だけではやった歌ですかね?

小学2・3年の頃 海辺の寒村で鼻水垂らしながら歌ってた頃が懐かしいです。


サンデー毎日新春号で「人を殺せとおしへしや」(桜出版)発刊の主旨を語りました
投稿日 12月25日(月)21時41分 投稿者 山田武秋 削除

 私事で恐縮ですが、明日(12月26日火曜)発売(盛岡は27日発売かな)のサンデー毎日新春特別号(1.7-14合併号・篠原涼子さんの写っている赤い表紙です)に、小社の戦争五行歌集「人を殺せとおしへしや」の募集告知とその主旨を掲載していただきました(112-113活版頁に載っています)。タイトルは、与謝野晶子の有名な詩「君死にたまふこと勿れ」の中からとらせていただきました。ご笑覧下さいますよう、お願い申しあげます。
 五行歌ばかりでなく「昭和の群像」というテーマでも募集していますので、興味がありましたならぜひ、チャレンジして見て下さい。
 なお、同じ告知が、来月1月16日発売(1月28日号)にも再掲していただけることになりました。


「若杉醫院」ロケ地をめぐって驚くべき研究が発表された。
投稿日 12月24日(日)20時33分 投稿者 な@疾風会 削除

「絶対、日影門なのよ。」「『学校の向かいで撮影していた』と白百合学園高校から帰宅した家人が50年前のその日、話したのを覚えているから。」(by フナ@疾風会さん)

邪馬台国ならぬ「若杉醫院」は、松尾町か、はたして日影門外小路にあったのか?
(続く。しつこいようですが、まだついてきてくれますか?)


いくらなんでも小3、ストーリーはワガラネよな
投稿日 12月24日(日)08時06分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 それにしても上田校舎敷地内に住んでいた疾風会員が居たとは驚き。「花くれないに」の小使いさん、
盛岡弁がマズマズだった、腰に手ぬぐいと振るまいはなんか懐かしいものがあった。我々の時代は用務員
さんと言ってイサオさんオッカネがったな。他の主役級は標準語だったなー。

 我々の時代のファイヤーストームは女人禁制だったからね、「は」さんは遠くから見るしかなかったんで
ないの。小さい頃のほうがズーっと近寄れたハズ。

PS.イルミネーション、最近はLEDが主流で温かみが少なくなったという声を会社で聞いた。
   色がブルー系が多いからかなとも思うが...黄色系があると温かみが出るかな。請ご期待。


驚くに値せず、他にも「花くれないに」鑑賞者から話を聞いてるさ。
投稿日 12月22日(金)15時53分 投稿者 な@疾風会 削除

 K要三@疾風会さんは「昭和33年の正月にその映画は観た」と語った。「親に連れられて入ったが、満員で前の右端っこから見上げていた記憶がある。だけど、ストーリーは知らないよ全然。」「サカミズさんの家?、だから知らないってば。うん、盛岡一高の門のところは覚えてる、岩手公園と、小岩井とか・・・」

 表紙写真を提供される「は@疾風会」さんは、一高の寄宿舎に住んでいたんだと(!)。
白亜応援団30(本館資料室または2号館)↓に詳しいが、昭和30年代の自疆(じきょう)寮は教員住宅を兼ねていた。
 それで、映画にでてくる小使いさんのふるまいや、宿直教師の校舎見回りシーンなどが非常に懐かしい、と語った。間近に見たファイヤーストームの話しは、運動会の時のことか、映画ロケの場面のことか聞きそびれたが、いずれ私らの中ではもっともよく一高生を観察したおひとりに違いない。

http://www.age.jp/~hakuaoen/0gk/ezum.htm


業務連絡:掲示板アドレス変更、こちらが新アドレスの掲示板です
投稿日 12月22日(金)06時27分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。


えー!
投稿日 12月21日(木)21時59分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 W辺S朗君はあのころ松竹映画を見てた? 子供らしからぬ....

俺なんか東映のチャンバラ映画しか見なかったからなー。松竹映画って、
なんなのと思ってた。


テレビ放映ではなしに、以前上映されたことがある、という話。
投稿日 12月21日(木)11時38分 投稿者 な@疾風会 削除

「花くれないに」研究余禄

15年ほど前、開館まもなくの盛岡劇場で、「あさ開酒造が主催して、社長挨拶もあり、公開された」と語り、やおら ♪は〜な〜くれないに〜♪ と唄い出した紫波町のご婦人に会った。
 
 この主題歌を口ずさむパターンはW史朗@疾風会さんも同じだった。
彼はそれで思い出したのだろう、「おお、高橋ていじィ、、、交通事故で死んだんだよぉ」を繰り返した。
 (続く)


迷惑投稿対策を実行します
投稿日 12月21日(木)05時10分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 また迷惑投稿が増えてきましたので近日中に掲示板のアドレス変更を実行します。

 皆様におかれましては、掲示板直接リンク(直リン)は避けて、トップページから
掲示板入ってくる癖をつけられますよう、お願いいたします。


盛岡は雨です
投稿日 12月17日(日)13時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

けっこう強い雨です。 ↓リアルタイム

中の橋の下、工事中ですね。何の工事でしょうか、ユンボが見えます。

http://sakura-sys.jp/nakanohashi.php


世は復刻版のブーム
投稿日 12月15日(金)20時32分 投稿者 佐藤(泰)@新幹線 削除

会社でジュースを飲んだらこれが「復刻版パインジュース」、なんと、
あの「渡辺のジュースの素」の味なんですよ。エノケンの!
何十年も忘れてた
あの味。

そしていま、キオスクで缶ビールをかったら、これが、
キリン「復刻ラガー(大正)」、渋味がたまらなく美味しい。私は
「一番絞り」ファンだが、これは上をいくねー。

「花くれないに」をふくめ、復刻版バンザイ!


「花くれないに」ロケ地の研究考察: 若杉醫院はどこだ?
投稿日 12月14日(木)10時41分 投稿者 な@疾風会 削除

茶畑の盛岡バイパスから建設業研修会館(十六羅漢の近く)へ歩いて行く途中にそれはあった。
行き交う人はほとんどない。考えていた映像との一致点はわからなかった。
医院の看板は見えたが、昨年だったか院長先生が亡くなっておられるので、閉鎖中であった。県医師会長も務められた三浦新也先生のことである。

「阿さ開の隣りの三浦医院だったじぇ」のかすかな情報からの実地検分だったが、もうひとりくらい、そんだぞ!と教えてくれないかなと期待している。

 今では直営レストラン・ステラモンテが大人気の「あさ開酒造本社」は五本松PTA会長の家に使われた。その五本松と、対立する若杉院長(笠智衆)とは幼なじみという設定だから、家が近所なのは自然だ。大慈寺も近い。馬検場(現、盛岡劇場)しかり。


ん?
投稿日 12月12日(火)18時28分 投稿者 佐藤(泰) 削除

馬検場の近くかな?

盛岡劇場も近い。踏査たのんまっせ。


耳寄り情報があるので、「ウラ」をとってくるサ。
投稿日 12月12日(火)11時41分 投稿者 な@疾風会 削除

 ↓疾風会の件は、近々ちょこっと探りをいれてきますから。(ま、正式発表まではまだかも)

それより例の「花くれないに」の若杉医院が判明しそうです。
ちょうどこれからその近辺に講演仕事ででかけるので、現地踏査をしようと思います。
・・・松尾町だか?!


ところで、、、
投稿日 12月8日(金)06時58分 投稿者 佐藤(泰) 削除

卒業後40周年本部疾風会総会の企画は決まったのかな?

つなぎ温泉一泊とか箱根一泊とか噂があったが、、、


Oh!花鳥園!
投稿日 12月4日(月)21時26分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 もう50年近くも忘れていた処だ。人の記憶というのはdeleteされてもどこかに格納されている
ものからし。

 私の記憶は碁会所としての「花鳥園」(かちょうえん)で、大人になったら一度は行って見たいと
思ってて一度も行けなかった場所。「大人の世界」というのがイメージ。そしてその記憶に連なる
のが隣のオヤジさん。

 立派な碁盤を持っていて客や同業者とよく碁を打っていた。無言のまま楽しそうな顔もせずパシ、
パシっと打つ姿は大人の世界。こどもの私は「何オモシェくてやってるのかサッパリワガラネなー」
と思ってました。そのオヤジさんの愛読書が「宮本武蔵」、これもブスっとして読んでいる。そして
このオジサン、花鳥園にときおり行っていたのです。

 「ちょっと花鳥園サ行ってくるがらな」

 「花鳥園がー、どったなどごだべなー」、タイQ少年は大人になったらイグゾー、と思ったわけ
です。子供は面白いことは笑いながらやるし、面白い漫画は笑いながら読むわけで、大人というのは
どうして面白いこともブスっとしてやるのか理解不能でしたなー。今はわかりますが...


「花くれないに」の居酒屋「山小舎」は、花鳥園だったって?
投稿日 12月4日(月)17時08分 投稿者 な@疾風会 削除

亀ヶ池の坂に花見時に賑わう小料理屋「花鳥園」があった。(武徳殿のすぐ上です)
 囲碁と将棋の会所にもなっていたから、小学生の「な」も父の大会参加にかこつけて同席した記憶がある。
 もっとも、小学生とはいえすでに有段のいきにあった疾風会の村井(Kユキの方、オトボケ氏とも呼ばれる)現5段氏などは、何度も出入りしていたそうだ。

 


もう一つ明らかなこと
投稿日 12月1日(金)23時02分 投稿者 村野井(1960) 削除

 街の有力者の競輪場誘致の演説を聴いている孫をおんぶしてねんねこを着て
筵に正座しているおじいさん:三戸町の我が家のとなりの豊○さん、でした。
おんぶされている子供もオッチャンになってますが、今回やはり見たそうです。
 ロケ見物に行って引っ張りこまれたらしい。一瞬しか写らないけれど正面の
アップです。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


「花くれないに」の記憶話は豊富にあり、こんなことがわかった
投稿日 12月1日(金)11時48分 投稿者 な@疾風会 削除

撮影期日は、昭和32年10月18日の盛岡入りから天候に振り回されつつ3週間で完了し、その年末には公開されてSY内丸座が超満員になっている。
毎日のロケ予定が岩手日報に書かれたので野次馬がどこもいっぱいになり、駅舎などではガラスが割れる騒ぎだったらしい。駅前で代議士(盛岡出身の南部耕作)を迎えるシーンには、ロケ見物の群集に「歓迎プラカード」をもたせてこれを利用し、出迎えの名士役は南部さんの同級生らが協力したという。
 10月27日(日)が晴天で、例の中ノ橋デモシーンに高校生300人動員、それ以上の群集で交通マヒの混乱が報じられている。その日の夕刻に一高校庭のストーム場面を撮った。
 八幡宮の祭典はニセモノということだ。(全員動員された市民ということ)
 タヌキ教頭の子供だが仮名で「はれ山Kこ、せきAこ、Oやま田章こ、うえ田やすお、なかむらKる」の1男4女(!)。長女の「お父ちゃん、早くお祭りに連れてって」が唯一のせりふだった。


盛岡の街の魅力
投稿日 12月1日(金)06時08分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 「花くれないに」で盛岡の街ファンが多いことが再確認されましたが、盛岡の街を
発信するHP・ブログはちょっと数えただけでも、、、

イワテライフ日記:http://iwatelife.blog7.fc2.com/  ←老舗です
愛LOVEもりおか:http://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi
盛岡心情3:http://shinjyo3.exblog.jp/
もりおかのアルバム:http://www.nihonkai.com/morioka/index.html
rocoの岩手・盛岡フォトギャラリー:http://moon.ap.teacup.com/photogallery/
garaのガラガラポン:http://www.rnac.ne.jp/~gara/
395の落書き帳:http://blog.goo.ne.jp/ken395
タクシードライバーの休憩室:http://cab-morioka.cocolog-nifty.com/blog/
盛岡のタクシードライバー:http://shimo00031.blog.ocn.ne.jp/morioka/

と枚挙にいとまがありません。他の街はよく知りませんがこんなにあるかどうか。
すごいです。


細かいところは?です。
投稿日 11月30日(木)00時34分 投稿者 隣ののりちゃん 削除

中学生の頃の事でしたが、学校でも結構、ロケを見たと云う
ことは話題になりました。教頭の娘役になった方は小学校時
代の先生のお嬢さんで・・当時は大きな話題になったことも
あって、名前を覚えて居られる方も多いのではと思います。

星先輩も親の名前を聞けば多分、ご存知だと思います。ただ
当掲示板で個人名を出すのは差し控えたいと思います。役で
は長女役でした。年齢的には疾風会の方々と同じ位ではない
でしょうか・・定かではありませんが。こんな程度の記憶で
す。

画面で蘇った昭和三十年代の街並みは懐かしさが一杯で、親
兄弟が元気でいた頃の事でもあり、スターの背景に映る景色
に見入った映画は今回、上映されたリバイバルの「花くれな
いに」だけかもしれません。


Oh, No!
投稿日 11月29日(水)23時04分 投稿者 村野井(1960) 削除

 私ゃ1年生なので文化委員長ではないし、「オール・ロケ?」とか「教員室や教室シーンは東京でとったんだろうな、と当時は思いました。」という真意は、「オール・ロケのはずはない」ということでして、「当時は思いました」というのは誤解を招くフレーズでした。「当時、そう思った」し、「今もそう思っている」し、「オール・ロケのはずはない」という順番です。特に教室のシーンは。
 ついでに、昔の盛岡駅は改札口と出口は離れていたのですが、教頭&家族がホームに入るシーンは出口ではないですかね。改札口はもっと広かった。いや、ひょっとするとホームは盛岡駅だけど、改札シーンは上盛岡駅みたいに狭かったですね。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


タヌキ教頭は主役を食っている
投稿日 11月29日(水)21時07分 投稿者 佐藤(泰) 削除

感じに見えました。なかなかの役者ぶり。エリート校長を向こうに回してたたき上げの迫力がありました。
戦い敗れ家族で盛岡を去る姿はさびしいものがありましたが、あの盛岡駅のシーンにO山田アキコさんが
出てるわけね。岩鷲さんが言ってた人かな。それと、タヌキ教頭、確かに東野英二郎に声が似てましたな。

 オールロケということは教室は全部一高・二高の教室ですか。文化祭の入門ゲートは村野井さん(文化
委員長?)たちが作ったものに映画会社が看板をつけて使ったようですね。なかなか目立ってました。
五本松PTA会長の家は「木津屋」ロケかなと思ってたけど、「阿さ開酒造本社」かな。「居酒屋山
小舎」「若杉醫院」はどこか、、、まだまだ奥は深いですな。


だからオールロケ(2ヶ月間)だったんですと。
投稿日 11月29日(水)13時27分 投稿者 な@疾風会 削除

上の橋のたもととくると、県立中央病院向いには2軒の果物屋さんがあった。そこの子、O山田アキコさんが、タヌキ教頭の娘役で登場しているんだ。
 みちのくミステリー映画祭の小暮実行委員長(Y総合病院理事長でもある)は、小学3年の時、小田島旅館で主役のおふたりにお会いできたと言う。日影門あたりの料亭三楽がロケに使われたということらしい。阿さ開酒造本社が使われたのははっきりしているが、あとは「居酒屋山小舎」と笠智衆の「若杉醫院」がどこだったのかわかりそうなものですが、、、。


いろいろ
投稿日 11月27日(月)00時01分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 まず岩手山の角度ですが、ロケ地一覧に種畜牧場が書いてありましたので間違いないのでしょうね。
でも同じシーンで2つの角度の岩手山が出てきたわけで、さすがのりちゃん=岩鷲さん、ハンドルネー
ムどおりの岩手山通です。(私は言われて気がつきました)

 ヒデオちゃんの中の橋の件、じつは私も腑に落ちなかったシーン。デモのシーンは画面いっぱいに
生徒が居て橋は見えていない。が、PTA会長の街宣車がデモ隊に道を阻まれるシーンは橋の欄干が
写っており間違いなく中の橋。問題はそのあと橋から街方面を写し出すシーン。もう私の頭のなかは
岩手銀行方面を写すという「固定観念」が占めており、そう思って見てたものだから、「...岩手
銀行の形が違って見えました。カメラの角度のせいなのか実際変わっているのか...」と書いた
わけです。(前回メッセージ)

 つまり、橋から街方面を写し出すシーンは上の橋から撮ったものを使ったのではないか、だから
「岩手銀行の形が違って見えました。」という勘違いになるのでは...。

貫一郎帰盛時の右手岩手山と五本松武富上京時の右手姫神山は星さん、ヒデオちゃん、ともに
推理に無理があるのでは...映画だからそれくらいはあるよというのが落ち着く先かな?

 まだまだあるのですが、本日はここまで。


文化祭
投稿日 11月26日(日)22時07分 投稿者 村野井(1960) 削除

 我等の文化祭は11月3日の文化の日あたりの二日間か三日間だったので、その当日に
撮った物です。我等の作った杉の葉っぱのゲートも利用されたのかもしれませんが、太さ
7−8センチの丸太を紅白の布で巻いたものを2本、地面と三角に立て、「文化祭」の看板を
途中に懸けたのでは? 我等のゲートは丸太を4本地面に垂直に差し、炭俵を巻いてそこに
生の杉の葉を差し込んだ。それを正門の両脇に二組つくり、同じように横桁もつくって、
看板をはめ込みました。
 ロケの賛否を問う生徒総会で誰かが文化祭の人集めに利用できると発言して、ブーイングを
浴びました。「真面目な文化祭」だったのです。模擬店など全く無かったし、考えもしなかった。
皆、プライドも高かった。

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オールロケ?
投稿日 11月26日(日)21時29分 投稿者 村野井(1960) 削除

 教員室や教室シーンは東京でとったんだろうな、と当時は思いました。
あんな「きれいな」教室、一高は勿論、二高にもなかった(と思う)。

 ファイアストームは全体と大写しは別のときだったかもしれません。
つまり、PTA会長の息子らを大写しにしたときはいっぱいいたの
だけど(そのとき私は対面にいました=カメラの反対側)、その後、寮生など
小人数で「全体像」を写したのかも・・・。編集は全体像の後に大写し
でしたがね。一旦、私らその他大勢を帰して小人数の円陣を俯瞰した?
 というわけで、私は絶対写らない位置にいました。大写しの
“息子”と腕を組んだか、その隣りがマンボズボンのO先輩(パフを
たたかれた)。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


勘違いしたポイント
投稿日 11月26日(日)17時16分 投稿者 ヒデオ 削除

デモシーンは中の橋でしたか上の橋だと思ってた(昔TVで再会した)
デモの後の家にホーロー看板に見覚えあり
勧銀の建物が右側、デモが橋の溜りで渦を巻いてたような気がしました
上の橋のたもとは陣地や検問所を作るため溜りを作っています

壬生義士伝のラストシーンは明治33年より前なら世話になった越後の家に挨拶して海路土崎か深浦に着き
奥羽北線東北本線利用とすれば成り立ちます
「花くれないに」は盛岡駅1番線で撮ってますから映画と現実は合いません
岩手山を右に見てフィクションであると主張したのかな


印象に残ったポイント
投稿日 11月26日(日)13時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

●岩手公園のシーンが多かった。本丸での不良連中とのケンカのシ−ン、太鼓橋付近、そこここの
 石垣、二の丸での東高、南高そろって車座で討論のシーン...いまと大きく 変わっていたのが
 広場−動物園のシーン(一瞬)。昔は動物園のサル、熊、鹿、みみずく(?)が居た。なかでも
 サルは近くの葉っぱを取ってきてやると奪い取るように取ってたべてたので日がな相手にして遊ん
 でいたものです。オスはモリ男(盛岡のモリ?)、メスはタイ子(台湾のタイ?)、だったかな。

●中ノ橋のデモシーンでは、中ノ橋から岩手銀行がわを写してましたが、岩手銀行の形が違って見え
 ました。カメラの角度のせいなのか実際変わっているのか...シーンが変わるのが早すぎて
 よくわからなかった。まわりの風景はだいぶ変わっていたような...。

●雫石川鉄橋のSLが走ってるシーン、その真下でよく泳いだんで、オモシェがった思い出とキャッ
 パリしかかって命からがらの思い出と、重なってきました。岩鷲さんに連れてってもらったりして
 泳げるようになったのも雫石川、キャッパリも雫石川、先生に何度注意されても溺れるやつがよく出
 る場所でした。

●二代目白堊城は立派に写っていましたね。時計台は主人公の朝田教諭が赴任したときと文化祭との
 2回登場。岩鷲さんの話では当時塗り替えて真っ白だったのこと。教室のシーンや窓などもセット
 ではなくてホンモノなんでしょうね。ファイアストームのシーンはもっと大人数をイメージしていた
 のですが、20〜30人くらいの円陣で伴奏付きの唄だったのでやや違和感がありました。旗もM旗
 ではなくて(あたりまえか)、大漁旗みたいなものでした。星さん、村野井さんが、写っていたか
 どうか、確認できず、です。二高旧校舎はほとんど昔の記憶がありませんので、こんなもんかと思
 うのですが、二高OGにはたまらなかったでしょうね。そういえば映画館には1番に並んだのですが、
 2番目の人は二高OGだといってました。

「花くれないに」のシーンと現在とを写真で全部比較すると面白い。一大研究だ。


岩手山の見える角度?
投稿日 11月26日(日)07時48分 投稿者 隣ののりちゃん 削除

岩山からの眺望画像・・見ましたよ!しっかりとした視点で
故郷を捉えているのが伝わって来ます。僕等は画像で飯を食
べて居る訳ではないので・・何事にも自由があって気楽です
ね!半世紀前の故郷の姿を【花くれないに】で見るためにだ
け帰省する思いには熱いものを感じました。なんちゃって!

岩山で撮影した岩手山の画像を見て再確認しましたが、映画
の最後の方で牧草地で語り合う二人の後方に見えていた岩手
山、小岩井方向からの画像ではないみたいですね!不動平と
山頂の鞍部は岩山と山頂を結ぶ線より北側からの撮影だと思
います。種畜牧場辺りかも知れません。何かの折にご検討下
さい。


故郷の山
投稿日 11月24日(金)00時40分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 壬生義士伝は吉村貫一郎夫人が雫石出身で二代目貫一郎が母の実家へ帰るとき,もしくは吉村貫一郎が上田組町住んでいて,そこに行くなら奥州街道から不来方城に立ち寄り,本町から南部家の墓を経て上田行けば右手に岩手山でがんす。
 花くれないにの東京へ転校シーンも,家が好摩なら姫神が左岩手山が右と解釈できないこともないが無理だべが。
 まあともかく,古き良き盛岡の情景が映像で残っているのはありがだがんす。


見だ見だ見だ
投稿日 11月23日(木)21時38分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 顛末はとりあえず「白堊応援団30」掲示板へ。

いや〜、お忍び帰省のつもりが「隣ののりちゃん」や「な」さんに全部読まれてしまうところが未熟だ
(あたりまえか?)

 取り急ぎ本日は寝ます。

http://6505.teacup.com/hakua/bbs


南部○○は
投稿日 11月22日(水)23時02分 投稿者 佐藤(泰) 削除

野菜畑だった菜園を宅地に開発した会社じゃないですか。
菜園は昔は魚市場がありましたね。さらに昔は競馬場や盛農もあった
そうですが、、、


病院も経営?
投稿日 11月22日(水)22時00分 投稿者 村野井(1960) 削除

 確かに、あまりにも要望が多くて再延長するそうです。名前も聞いたのだけど、○○病院も経営
しているのだか、経営者が同族なのだか、とにかく関係あるようです。わざわざ見に行ったものだ
から、兄夫婦も行ったら社長挨拶があったということで、10:40終了が10:50だったとか。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


なんと、再延長ですか!
投稿日 11月22日(水)21時33分 投稿者 佐藤(泰) 削除

すごい人気だ。リピーターもけっこう居そうですね。のりちゃん、
いつもホット情報ありがとうございます。

向かいのやっちゃんこそ、47年=約半世紀会っていません。
下中柔道部の晴れ姿を覚えてますよ。会いたいですねー。

しかし、南部興行なかなかやりますね。


未確認情報ですが・・12月15日まで上映!
投稿日 11月22日(水)12時19分 投稿者 隣ののりちゃん 削除

今朝、隣のヤッコちゃんではなく、向かえのヤッちゃんが
「花くれないに」を見た帰りに事務所に寄ってくれました。
公園の喧嘩のシーン、鉄道に飛び込もうとしたシーンはロケ
現場に行って見ていたそうで・・「おもしれかった!」と
ガキ仲間の頃に戻って話をしてくれました。

ヤッちゃんの話しでは、南部興行の社長の挨拶があり、好評
に付き、更に12月15日まで上映を延長とのこと・・理屈なし
にスクリーンに登場する当時の盛岡の街と思い出が重なって
見入ってしまったとちょっとだけ昔のヤッちゃんに戻って興
奮気味でした。どんとはれ!


似た話
投稿日 11月22日(水)07時11分 投稿者 佐藤(泰) 削除

壬生義士伝TV版で二代目貫一郎がお国入りする際に、岩手山が
列車右手に見えるシーンがありましたね。そんなはずはないわけでして。
しかし、もしかして在来線ならそういう個所もあるかも知れない、
というんで
掲示板で呼び掛けて探したりしました。結果は無しでした。
やっぱし盛岡に向かったら岩手山は左ですよね。


もう一つだけ
投稿日 11月21日(火)20時57分 投稿者 村野井(1960) 削除

 PTA会長の息子が東京の高校に転校させられるシーン、SLの向っているのは姫神山を右に見ているので、どうしても北向きですな。こりゃ、北極・南極まわりで東京に行ったのでしょう。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


ありゃりゃ、先を越されましたね
投稿日 11月21日(火)20時52分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 そうですか、村野井さんは「花くれないに」がメインの帰省だったのですね。それはよござんした。
ルミエール1ですね。小劇場は宇都宮でも流行です。

 太鼓橋の下が通学路というのはちょっと遠まわりですね。私は菜園からお城下の坂を上って、本丸
(南部中将銅像跡のあるところ)を左上に見てグルっと左旋回して(そこらへん「腰曲輪」言うらしい
です)、梅林を経て毘沙門橋を渡って杜陵小学校へ行くというコースでした。そのうち坂を避けて旧市立
図書館の脇(岩女寮わき?)を通るようになりましたが。

 いや〜楽しみ楽しみと思っていたら「な」さんから電話あり、完璧に日にちまで読まれていまして、
一宿一飯の恩義ににあづかることになりアンした。真夜中の行動です。

 昭和30年代の盛岡へ、いざ。


ルミエール1
投稿日 11月20日(月)22時57分 投稿者 村野井(1960) 削除

 「ルミエール」って2つあるんですね。「花くれないに」は1の方でやっています。席数150と書いてあったのは両方合わせてなんでしょうかね。「花くれないに」の方は約80席(8行×10列)でした。そのような小劇場でもスクリーンの大きさはフルサイズ。ワイドでなくても迫力がありますね。
 8時半に行ったら、隅から隅までどこの席でも選べました。雨の月曜日の朝では、元・主婦が多かった。今日は4分か5分の入りかな?
 高橋貞二・小山明子・夏川シヅエ&娘・笠智衆はすぐわかる。PTA会長役の年配俳優の名前は思い出せない。PTA会長にゴマをする教頭は東野英二郎だったのかな?
 岩手公園の太鼓橋の下が通学路・通勤路。公園での喧嘩の逃げてゆくところは大慈寺の山門というのは半世紀も経つと違和感はなくなってますね。
 これ以上書くと、泰Qさんあたりの楽しみが半減してはいけないのでやめときましょう。ただし、朝9時の上映のトンボ帰りとは、前日の夜遅くでかけて、10時45分の「終」を確認してすぐ帰ってくるということですかね。開演前に流れていた曲はYou are my destiny・・・など、アノ頃のものかなぁ。というわけで、「母の顔を見る」を口実に行って来たのス。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


そうです
投稿日 11月20日(月)06時38分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 中、高、同窓・同期です。会ったのはずいぶん前ですが、横浜で元気にしている
と思います。

ご帰省、お気をつけて。


盛岡に移動中
投稿日 11月19日(日)22時26分 投稿者 村野井(1960) 削除

 泰Qさん>
 陣ヶ○さんて、中学の同級生でしたか? 白亜ではなかったですね。アノ酒店、なくなったようです。
かとう整形外科医院となっています。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


投票したよ
投稿日 11月19日(日)16時48分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 野球好きの私としては野球の話題中心でした。千葉遠征はスンナリ選びましたが...公式試合は負けが
多くて選びながらも十大ニュース??と首を捻りながらの投票でした。

 来年はガンガン勝ってもらいましょう。


2006年白堊スポーツ十大ニュース
投稿日 11月18日(土)12時50分 投稿者 S50・平舘 削除

皆様、お久し振りです。白堊スポーツ・平舘です。
当HPで、今年の十大ニュースの投票を始めました(実はネタ不足・・笑)。
ぜひ、投票を、お願いいたします!
なにか、スポーツネタ、ありませんか!?

http://www.geocities.jp/taira_d_1048/


1週間延びればなんとかなりソ
投稿日 11月18日(土)00時21分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 お忍びでトンボ帰りも可。それにしてもフィーバーですね。ルミエールのスケジュール
を見ると通常興行が11:00からで、その前に2時間やるわけだ。興行的にも大成功で
しょう。

 昭和32年当時のフィーバーぶりもすごかったようです。小説「空に吸われし」(角谷政弘作)
にはこう描かれてます。

  「町は沸きあがっていた。
   『紅の花うけて』のロケ隊の行く先々はてんやわんやという。
   南部日日新報にその日のロケ地が載っていたからだ。擬宝珠の橋、啄木の歌碑、
   望楼のある旧番屋、白壁と貼り瓦のある街並みなどがロケ先だった。物見高い
   見物客はこのロケ地に朝早くから茣蓙をしいて陣取っているという.... 」

 さらに、のりちゃん情報だと、【どんとはれ】に三喜会マドンナが出るんですか。これは
またすごい。来年は盛岡フィーバーまちがい無し、「花くれないに」は序曲ですね。


おー、延長ですか!
投稿日 11月17日(金)19時49分 投稿者 佐藤(泰) 削除

これはチャンス到来、のりちゃんホットニュースどうもです。

たたいま湘南新宿ラインで一杯やってます。また後ほど。


好評につき・・24日まで上映延長!
投稿日 11月17日(金)10時47分 投稿者 隣ののりちゃん 削除

一日の観客動員数・・8000人!って本当だべか?
と驚いていたところ、今朝の地元新聞に【盛岡ロケ
の「花くれないに」好評、24日まで上映延長と報
じられていました。南部映画人は粋でやんすな〜

記事中に8000人の数字を見つけて二度ビックリ!
評判の映画を立見席でと云うことがあった当時を懐
かしく思い出しあんした。

因みに、明日18日からの上映時間は午前9:00
からの一回となっています。料金は1000円と日
報では報じています。

来年のNHK連続朝ドラ【どんとはれ】、盛岡ロケ
も始まったみたいです。盛岡を代表する紺屋町の街
並みに欠かせない【茣蓙九】、オカミさん役で三喜
会のマドンナが出演、これまた、お楽しみに!


盛岡の映画観客数 不滅の最多記録が「花くれないに」だそうだ。
投稿日 11月16日(木)12時28分 投稿者 な@疾風会 削除

「花くれないに」は1日8,000人が見たという。今だったら何日、何か月かかるだろう。
2時間の上映時間だが、2本立てだったろうしニュースや予告編もあって、1日3回転だろうな。時々フィルムが切れるとか、停電することもありましたね。
 そういえば、映画は途中から見て、同じ所まで来たときに「ああ、そうだったのか」とおもむろに退出するようなことだっけ。
 そんな満員の映画館では頭痛や吐き気をきたす子が多かった。
「炭酸ガス中毒だ」と言われたものだが、ミュンヘン大学衛生学ペッテンコーフェルによれば「呼気で炭酸ガスが増えた程度で病気は起こらない。蒸し暑さ・匂い・ほこり・暗さ・その他の不快要素による『群集中毒』である」のだそうだ。


これはこれは
投稿日 11月15日(水)06時29分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 エキストラのみなさんの奮闘ぶりが目に浮かぶようですね。村野井さん、貴重な体験談
ありがとうございます。50〜60mというと中の橋全体にデモ隊が居る感じですね。何
度もNGがでたわけですか。たしか写真だけ見たことがあるような...。ファイアスト
ームシーンもあるんですね。一高校舎といい、監督が一高にこだわった理由がわかります
ね。

 美人女優は大島渚の奥さんですね。似たストーリーの「青い山脈」を見ても現代のリア
ルな演技から見ると役者がやや大根に感じられますから、当時の演技の仕方かな..。


花くれないに
投稿日 11月14日(火)15時02分 投稿者 村野井(1960) 削除

 中の橋際のデモシーンは歩道で見物してました。デモ隊の行列は50mか60mあったと思いますが、多分、写っているのは先頭の主役連中だけで、何度もテストでそのたびに隊列を戻されて後ろの連中など監督の声が聞こえるわけでもなく行ったり来たりさせられて疲れた顔してましたねぇ。わたしゃ、校庭(グランドとは言わなかった)でのストームのシーンでカメラと反対側にいました。これもただの見物のつもりで行ったら、「出演中」の同級生に「来い!」と声をかけられて、本番だけスクラムの中に入りました。主役とスクラムを組んだ先輩はパフをたたかれて3倍か5倍の賃料をもらったらしいけれど、仕上がったシーンでは「アノ彼だ」と分かる人にはわかるだけで、ボカされてました。それと、主題歌の後に続く「やはらかに 柳青める北上の・・・」が鼻濁音の「きたがみの―」と歌うのはどうもねぇ、未だにあの主題歌のメロディーのあとでは「そのように」歌ってしまう。
 映画自体は(例えば)大慈寺(だったかどうかは定かではないけれど)あたりの小路を歩いていたと思ったら、急に小岩井農場に抜ける、というような、盛岡に住んでいるものには地理的には随分違和感のある映画でした。先生役の美人女優「小○明○」も大根役者という感じでしたねぇ。
 原作となったラジオドラマは古川ロッパが出てたんではないかなぁ。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


それは、いがったですねー
投稿日 11月14日(火)06時09分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 私らは天文ドームのある「新校舎」の世代ですが、時計台の旧校舎は残っていて県庁が
使ってました。正門を入って右手に旧校舎を見ながら新校舎に通学しました。。2年生の
ころに取り壊されましたが、取り壊し寸前の旧校舎にはよく夜中に忍び込んで探検したも
のです。なつかしい。

 ほかにも盛岡市内のシーンかなりあるんですねー。学生デモシーンはきっと一高生エキ
ストラがたくさん入っていたのでしょう(村野井さんも?)。街の実力者や芸者が登場する
あたりはまさに「青い山脈」と同じで当時の流行だったようですね。

 報告ありがとうございました、見た気分になりアンした。


花くれないに・・懐かしい町並みが
投稿日 11月13日(月)11時13分 投稿者 隣ののりちゃん 削除

「花くれないに」・・おもしろござんした。物語はイ
マイチですが昭和30年代の盛岡はことのほか懐かし
いものでした。時計台がシンボルの母校・木造校舎、
教室、廊下、窓枠に至るまで懐かしさが一杯。イマイ
チ南高なる白梅校舎、当時の多くのマドンナが学んで
いた教室、授業風景は「あんたなものだったんだべか
?」と憧れの君?の姿を重ねてしまいました。


上映開始10分前のルミエール前、デパート前のスク
ランブル交差点、上映館方向へは良き青春時代の盛岡
を楽しみに訪れたと思われる中高年の方達の姿が・・
映画館に吸い込まれて行き、開始時間にはパイプ椅子
の補助席も満席となっていました。

画面が変わるごとに懐かしい景色や建物が・・小岩井、
盛岡城址、高松ノ池、浄土ケ浜、上の橋、多分、中ノ
橋(学生デモシーン、青い鉄製欄干)、町並み・・別
れのシーンの駅は旧盛岡駅舎だったのでしょうか?物
語の流れて場面が不自然に変わるのに、記憶が着いて
いけないもどかしさを感じてしまいました。でも・・
おもせかった!

物語のように・・街の実力者などと芸者を上げて遊び
まわる太鼓持ち教師はいたんでしょうか?母校出身の
教師にはいながんすべなっ!わっはっはです。だば!


いいですねー
投稿日 11月12日(日)18時22分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 見てきましたか。昭和32年当時ですと私も東映のチャンバラ映画しか見てないですね。中村錦之助、
東千代之介、大友柳太郎、、、、、のりちゃんの年代は西部劇ですか。「花くれないに」は映画館で見
られる最後のチャンスかも知れないですね。会場の様子など教えてください。

 「とりぱん」は当会のヒデオちゃんから教えてもらって読んだら、なかなかディープなので私も単行本
買ってしまいました。公園に羊が登場するシリーズがありますが、あの後ろ向きで麦わら被ってる羊飼い
は疾風会員K君だという噂が盛岡方面から飛んできました。ローカルで楽しい漫画ですね。

 また三喜会にもお邪魔しますんで、よろしくお願いします。


11月12日11時・・見てきます。
投稿日 11月12日(日)09時36分 投稿者 隣ののりちゃん! 削除

ちょっと何処かがずれてしまいましたが・・疾風会HP
を訪問して上映時間を確認・・【花くれないに】を見に
行って来ます。西部劇がおもしろくて・・多分、当時は
見てないので・遅ればせながら、楽しんで来ます。

【とりぱん】も地元本屋で見つけました。お楽しみ情報
は、まだまだ若さを感じる疾風会情報がよござんすね!


「は」さんからの金沢の写真、いいですねー、金沢。
投稿日 11月11日(土)16時57分 投稿者 佐藤(泰) 削除

「は」さんからの金沢の写真、いいですねー、金沢。

 ところで「た」さん、「は」さんって誰? という声が聞こえてきまして、どこかで書いたので知っている
と思ったのですが、意外に知らないヒトが多いことがわかりました。ナイショで教えます。

「た」さん・・・田近さん
「は」さん・・・大上(旧姓熊谷)さん(「は」は名前に由来します)

です。いずれも名女性カメラマン、今後ともよろしくお願いします。


マンボズボンとペテン帽
投稿日 11月11日(土)13時13分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 「マンボズボン」、言葉は覚えているのですが、我々の時代は「ラッパズボン」が優勢になってきて
いて、イメージが両者混同していました。もちろん一高生は伝統あるバンカラスタイルでマンボズボン,
ラッパズボンははいていませんでした。

 昭和30年代も後期になると学生服を買えない家庭はほぼ無くなったのでしょう、全員学生服で統一
(男子)されていました。LB会提供の昭和20年代の写真を見るとバラバラですからね。

 ペテン帽ともなると言葉自体が無かったような...。我々の時代も帽子はやはりツバが真ん中から
折れているのが伝統的スタイル。話はだいぶ違いますが、十数年ほど前、高校野球の帽子のツバが横一
直線で違和感を感じてました。最近では野球帽のツバを深い山型に折ってファッション効果を出している
ようです(一高だけではなく全体の傾向)。


11月11日11時開映
投稿日 11月11日(土)09時15分 投稿者 ヒデオ 削除

「花くれないに」はルミエールにて本日11時からです
17日までの毎朝11時からの一回上映です
モーニングショウです (PGカテゴリーでもないけど)
レイトショーではありません

TVで見た時盛商の通りの用水路がきれいに撮れていたのでびっくりしました

ルミエールは映画のシステムをこしらえた兄弟の苗字です
PGは父兄同伴のこと ちなみにR-15は15歳以下はダメ(キルビルがこのカテゴリーでした)

http://www.eigaseikatu.com/title/s-16627


実際居たのです
投稿日 11月9日(木)22時47分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 当時は好摩分校,雫石分校が運動会に参加していましたが応援歌練習などは放課後なので不参加でなにも教わっていないあちらの生徒はバンカラもオカラも区別がつきません。当時はやっていた脚にぴったりの「マンボズボン」に上は学生服,帽子は盛商タイブのペテン帽。いやはやびっくりしました。そのことを言っているのでしょう。また,30年代前般は下は「色ズボンに革靴(大学生標準的スタイル)」,半ば過ぎには「ジーパン」一高生が居ました。今よりも自由なかたちでそれぞれ圧倒的多数のバンカラと同居していました。
 定時制はもちろん全日制にも成人(酒・タバコOK)が居ましたし先輩も大勢で入りしていて。大人の雰囲気が漂う学校でした。おもせがったなー…


情報ありがとうございます
投稿日 11月7日(火)06時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 日にちはつかんでいたのですが、時刻、場所がわかりませんでした。森さん、ありがとうございます。
川徳の向かいなんですね。といっても私は行ける見込みがありませんが...。きっと誰かこの掲示板に
いざなわれて行くことでしょう。

 星館長のお話ですと、「空に吸われし」が当時を再現しているということで、唯一ですね。生徒会誌にも
ドキュメントは無いでしょうから。”わが校の伝統はバンカラスタイルである。しかるに最近の股引(もも
ひき)のごときマンボスタイルは...”(生徒総会)というくだりには笑ってしまいました。


映画「花くれないに」アンコール上映
投稿日 11月6日(月)22時28分 投稿者 森義真(S47) 削除

先般の「みちのく国際ミステリー映画祭」で、ある層の方々に大フィーバーした映画「花くれないに」がアンコール上映されるとのことです。
見逃した方はどうぞ!

11月11日(土)〜17日(金) 午前11時からの毎日1回上映
盛岡ルミエール 1 (カワトク向かい)
千円均一


花くれないに
投稿日 11月5日(日)11時59分 投稿者 白堊應援團30 星 削除

 掲示板不快投稿の横行は目に余るものがありますすな。相互監視で対抗しましょう。
 花くれないに「撮影拒否」→「撮影協力」のいきさつは概ね小説どおりです。当事者としては。
強硬派として寄宿舎の先輩の弁舌,反対決議,説得の時の情景など実名と共に昨日のように脳裏
に浮かんできます。NHKラジオドラマ放送中は確か中学生1年ぐらいで一高の存在は遠いものでした。
まさか盛岡が舞台になるとは… 
 さて,当方もいつの間にか100,000アクセス突破。今後の行く末について考慮する時期かも
しれませんな。


掲示板のアドレス変更を行いました。こちらが新アドレス掲示板です。
投稿日 11月4日(土)00時46分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 イタズラ投稿防止のため掲示板のアドレス変更を行いました。

 HPトップページから掲示板にお入りください。


久しぶりに読み返した小説「空に吸われし」
投稿日 11月3日(金)07時18分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 これでした、「花くれないに」の監督が南部一高生徒会に乗り込んで、説得にあたるシーンがありました。
(S34卒角谷政弘作)

 いわく、この映画は「「坊ちゃん」と「青い山脈」をこね合わせて蒸した戦後版青春まんじゅうみたいだ」。
この小説では監督と主役の男女スターが南部一高生徒総会に来てバンカラ生徒たちを説得している。そして
監督の見事な話術が流れを変える。最後の殺し文句は「そして..すでに南部二高の生徒のみなさんは...
全面的に協力してくださるとのことでございます」だった。かくして、自律自治を重んじる一高生徒会は
議長提案をもって映画撮影協力を決議、一高生はエキストラにもなっていくのだった。

 小説ですのでどこまでが事実でどこまでがフィクションかはわかりませんが、薄明かりの講堂でのシーン
が目に浮かぶようです。小説「空に吸われし」は必読文献ですよ、皆さん。

 注文先は↓

http://6505.teacup.com/hakua/bbs


業務連絡:イタズラ投稿の増加
投稿日 11月2日(木)21時08分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 この1週間英文のイタズラ投稿が増えております。見つけしだい退治していますが、けっこう大量に
なってきました。おそらくはこのかんの履修不足関連で当掲示板が検索にひっかかり易くなったせいかと
思っています。

 数日様子を見て改善されない場合、掲示板のアドレス変更を行いますので、常連RAMならびに常連
ROMの皆様におかれましては「在京疾風会HP」トップページ↓から当掲示板にお入りになる癖をつけられ
ますようお願いいたします。クマったもんですね。

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/


I公園に不思議な木
投稿日 11月2日(木)05時57分 投稿者 ヒデオ 削除

本日発売のコミックのモーニングによると不思議な木が公園の中にあったそうです
どなたか見に行ってくれませんか

盛岡は今日初氷観測したそうですね
昨日から「学校へ行こう週間」が始まったようです


世界史免除なら飛び上がって喜んだ身ではあるが
投稿日 10月28日(土)17時42分 投稿者 白堊應援團30 星 削除

 我思う故に我あり:デカルト,最大多数の最大幸福:ベンサム(ベンタム)だのそのときはひとりで授業サボる理由やみんなでサボるとしてしか認識してなかったけど,長じて読み直してみれば,んだったのすか…と少しはわかるような気もするし,第一習ってなければ記憶もないから読み返さないね。
 当時は理系志望,文系志望それぞれ不得意分野を詰め込まれたけど,無駄ではなかったようだ。
 
 当事者の(被害者とも云える)生徒達は,まあさらっとでいいから規定授業時間を稼いで(内職という手もありやんす)無事卒業してももらいたい。教員側はその後で自らの取るべき道を潔く決めほしい。


世界史B(自由書房:貝塚茂樹/増田四郎/小竹文夫/笠信太郎)
投稿日 10月28日(土)07時58分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 星館長いらっしゃいませ。思いもよらない事態ですね。わが友たちは当事者になっていますので、
ちょっと複雑な気持ちです。

 私は今でも高校の世界史、日本史、倫理社会、の教科書は無くさずには手近に置いてあります。
物理・化学はどこかにいってしまった。私は理工系なのでそっちは大学以降の教科書があれば良い
のですが、文科系の常識は高校の教科書が頼りになるので手近に置いてあるわけです。

 一番強烈な記憶があるのが日本史ですね。教科書には野沢先生の似顔絵が書いてある。入学最初
のテストが16点とかで、いわゆる赤点、律令制度下における税金の計算をさせられたものだから
アウト。「ヲイヲイこれ数学のテストじゃねよな」とビックリして高校生活先が思いやられたもので
した。そしたら周りも皆赤点で、下駄ッコ、それも高い足駄はかされて無事単位取れました。「野沢
さん、アレで話ワガルじぇー」というのがもっぱら評判でしたが、それにしてもアノ試験問題は...。

 世界史のほうが好きだったなー(標題が教科書著者)。記憶に残っている一番が「耶律阿保機」、
「やりつあぼき!?ヒョンタな名前だなー」。今読み返すと「中国北方蒙古・ツングース系民族のリー
ダーで、蒙古の東に契丹国をたてる(10C初)、後に国号を遼と改める、云々」とあります。何の
ことはない、このユニークでヒョンタな名前なので記憶に残り続けているわけです。でも、その後40年、
読み返すと人類の歴史は戦争の歴史、同時に戦争を克服する歴史であることを教えているのだな、と
読めます。受験時よりも役にたちます。

 倫理社会は脱走者続出。沖館先生が担任の沢野先生に通報、全員査問にかけられました。イヤハヤ。
それでもソクラテス・プラトン・アリストテレスから始まって孔子・老子、親鸞・二宮尊徳は読み返す
と哲学した気になります(今でもよくわからないけど)

 皆大事な科目ですよ。教科書だから深くは書いていないけど、興味が出たら専門書に進めばいい。
補習でもサラっとでも勉強すべし。

追伸:そうか「空に吸われし」に書いてあったんだ。読み返してみます。


こちらもやってるな!
投稿日 10月27日(金)23時28分 投稿者 白堊應援團30 星 削除

 未履修問題こちらもにぎやかですな。当方掲示板も議論沸騰。お上が悪い,あっちのせいだこっちのせいだと言ってるが,被害者?の諸君の救済が第一。それが終焉してから責任をどうとるかだ。
 
 「花くれないに」の当事者は我々白堊應援團30。校舎撮影反対したり,撮影中俳優に無言の圧力かけたり,その割にはファイヤーストームのエキストラに教頭の頼みで出たり。角谷君の「空に吸われし」にも彼なりの表現で記されている。関東ミニミニ撮影会やらなくっちゃいけないかなあ?


おお、久しぶりのお二人さん
投稿日 10月26日(木)20時48分 投稿者 佐藤(泰) 削除

もっと顔出してけろ。

 県下の1/3、普通科高校30校が必修未履修では県教育委員会幹部の責任も重大。もちろん校長の責任
は重大。両方に我が疾風会メンバーがおり叱咤は免れないが、机を並べた友よ、これからの処理を誤らず
職務をまっとうしてくれ。かく思えるぞ、昔の友は。


佐藤幸夫君が亡くなった?!
投稿日 10月26日(木)17時54分 投稿者 豊間根 削除

久しぶりに疾風会の掲示板を覗いてみました。船越さんに佐藤幸夫君が亡くなったとさっき聞いたからです。つい1ヶ月前のことだったとは。知りませんでした。

そんなにつき合いはなかったけれども、同じ歳の仲間が一人また一人と抜けていくのは淋しいものです。御冥福を祈ります。


はじめました
投稿日 10月26日(木)16時19分 投稿者 志岐明 削除

久しぶりにHome Pageを見ました。
佐藤幸夫君が亡くなったこと知りました。
高2の時、席が近くなって授業中も良く話し掛けられた記憶があります。
ちょっとうるさくて元気が良かったのに残念。
履修科目の誤魔化しで母校がよくメディアに出ますね。世間に出で見ると一般教養ですごく大事ですよね。


驚愕、唖然、呆然、立腹、長嘆息
投稿日 10月26日(木)12時47分 投稿者 木村雅美 削除

次代のリーダー養成という課題を担う学校で、
手抜き、誤魔化しで受験を凌がせるという、
本末転倒のことをしていた…、それも母校でとは。
リーダー候補には、本来、全人教育が必要だ。
文武両道の幅広い知識、鍛錬が後々活きる。
厳しい訓練、試練を堂々と克服することが好い経験だ。
世界史の知識もなく、せこいやり方で受験を突破する
ような者にはリーダー候補の資格もない。
教員の側に人材育成の視点が弱く、
難関大学への入学実績にばかり目的を置くようでは、
リーダー育成校の資格喪失だ。
理想と現実の相克に妥協するとしても、
必修のルールだけは守らなくては!。


ビックリしましたねー
投稿日 10月26日(木)06時29分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 昨夜9時のNHKニュース以降、ニュースというニュースは我が母校の新校舎の映像から始まって、
見慣れた同窓、同期の人たちが登場...

 我々のころは世界史(清水)、日本史(野沢)、地理(熊谷)、倫理社会(沖舘)と何でもありま
したね。先生の名調子とともに記憶が蘇ってきます。少なくとも我々の時代はセーフ。週5日制が転機
ではないか、というのが一番説得力がありますが...

 もっと楽しい話題で世間を騒がしてくれー>我が母校


さらなる発見
投稿日 10月22日(日)12時59分 投稿者 佐藤(泰) 削除

花くれないに」のスチール写真、浄土が浜と高松の池のシーンが
ありますね。

もう落札されてますので、だめですが...

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n44084466


映画祭アンケートのぜひ観たい邦画の上位に来た「花くれないに」
投稿日 10月21日(土)09時30分 投稿者 な@疾風会 削除

 我々や義姉さんは小学生、畑中先輩が中学生、村野井先輩より上が在校生 という時代の伝説の映画。
前売券は売り切れ、当日券は開場前40分に並んでいた50名で締め切りだった。
「防災上の規制で立ち見は許可されない」との由。
どうしても入れてくれませんか?と懇願する老婦人を目撃した。きっと出演していた方だろうな。
前売券の人だって、開場前に教育会館をとりまくほどの大行列になっていた。

観られなかった、というこんなひとの声で急遽、下記のような商業上映が企画されたと聞いた。
高松の池の桜が、あああんなに細かったんだ、と「な」は感じ入った。櫻城小学校の当時の桜は切り株だけになってるもんな。


凱旋上映だって
投稿日 10月20日(金)23時05分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 義姉(あね)さん、どうもお久しぶりです。私もDVD無いものかと思って検索したら、ビックリ、
凱旋上映があるようですよ。11/11(土)〜17(金)、ルミエール(って何処だろう)うへー、、、
これは惹かれます、が...行けない。

 一高でのロケに同意しないバンカラ生徒たちを、「ここじゃなきゃだめなんだ」と田畠監督が説得に
乗り出した、という顛末をどこかで読んだ記憶があるのですが...「白堊応援団30」だったような、
Webじゃなかったような...

 ホントDVDほしいですね。

http://www.mystery-movie.com/cgi-bin/renew/view.cgi


「花くれないに」
投稿日 10月20日(金)16時50分 投稿者 義姉 削除

残念ながら今回は観にいけなったのですが、すごく以前にテレビで放映されたとき、録画しました。
盛岡の懐かしい風景が随所に出てきて、小岩井農場や岩手山もきれいでした。
今回、場面ごとに歓声が上がったとのこと、よく分かります。

「花くれないに」のこと、この掲示板で話題になったんですよね?
多分そのときに、先輩がエキストラで出演したというので、そのビデオを差し上げました。

今回の記念に、CDやDVDにして発売してくれないものでしょうか。



「街もりおか」で...
投稿日 10月17日(火)20時48分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 情報はキャッチしていたのだけど、日曜日だったか。見たかったなー。エキストラにはならないぞー
って言ってた人も言ってなかった人も、見にいったのでしょう。あのときの武勇伝はどこかにまとめて
書かれてあったが、どこだったっけ。

 イベントは北大路欣也、風間トオル、吉川ひなのらも出た様子。映画評論家では同窓の細越麟太郎さん
の名前もある。しかし、なんで「ミステリー映画祭」なのだろう。出し物とイベントタイトルの間に
齟齬が..「花くれないに」がミステリーとは思えないが??


「花くれないに(昭和32年なつかしの盛岡ロケ)」上映会は大盛況
投稿日 10月15日(日)13時41分 投稿者 な@疾風会 削除

みちのく国際ミステリー映画祭(第10回)は それなりに話題を呼んでいます。
「シネ街ック展(ああ、懐かしの映画館通り)」も昭和39年頃の大通りを再現してうれしいです。

表題の上映は、岩手教育会館(600席)を(シニア年代だけで)超満杯にして場面ごとに歓声があがった。
映像もたいへんきれいで、白亜旧校舎・二高校庭のほか盛岡の市街が随所に登場するからだけでなく、エキストラで登場した本人が会場にきているからならではの一体感。
同級生のあきこさんが「NHK子供劇団から選ばれて子役で出演したんだよ」と話していたので、「な」も「あっ、あれだ!?」なんて声をだしたりして。

http://www.odori.or.jp/sinemachiku_top.html


関高が2009年から関中に
投稿日 10月12日(木)21時24分 投稿者 ヒデオ 削除

岩手日報のサイトを見たら2009年から一関一高が中高一貫校となるそうです
1学年6学級の内3学級を中学入試で残り半分を高校入試でとのこと学区は全県区です
東京では都立○○中等教育学校という呼び名ですがそういう呼び方だと
一関中等教育学校、略称は関中まさか県立χ中
[問題:χを求めよ]なんていやなこった
中国の写真見ていろいろ考えてます
リンク先は日報でなく岩手日日です
一関のセブンイレブンでATMが稼動旧田村藩は田村藩として行動か

http://www.iwanichi.co.jp/


どうですかトップページは
投稿日 10月11日(水)20時24分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 只で中国行ってる気分になれますね。

「は」さんありがとうございます。


これは楽しい話題が続きますね
投稿日 10月10日(火)21時09分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 お父さん、おめでとうございます。

 さっそく「た」さんが「文学界11月号」の表紙写真を送って
くれました。↓です。辻仁成と並んで表紙を飾るとはすごい!

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/etc/0611bungakukai11gatugo.jpg


お読みいただければ幸い
投稿日 10月10日(火)17時33分 投稿者 木村雅美 削除

長女の木村紅美の第二作(「海行き」)が、
先日発売の「文学界11月号」に載っています。
小説の舞台は宮古です。
お目汚しで恐縮ですが、お読みいただければ幸甚。


「活躍人」は臨機応変に、です
投稿日 10月10日(火)06時08分 投稿者 山田武秋 削除

村野井先輩、佐藤(泰)さん、「活躍人コーナー」ですが、なくなったわけではありません。(HPから消えていましたか。気がつきませんでした。リニューアルしたときに忘れたのかな?)。活躍人はご推薦があれば随時取りあげます。最近はクラブ活動の紹介とか、白堊人の著書の紹介とか別の企画があって、1年ほど取りあげていませんが、早稲田の松田さんはNHK放送コンテスト準優勝の話題と合わせて、ぜひ、取りあげたい「活躍人」です。今週末(10月14日)発送する会報21号には間に合いませんでしたが、来年3月発行の会報22号では、ぜひ、取りあげたいと思いますので、佐藤(泰)さん、ご本人の連絡先など分かりましたら、よろしくお願いいたします(大学に直接交渉すればいいのか)


「活躍人コーナー」
投稿日 10月9日(月)08時44分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 村野井さん、情報ありがとうございます。

 たしかにHPには当該欄は無くなりましたね。でも会報にはときおり
載せていると思いました。手元に最近の会報が無いのでシカとはわかり
ませんが...。


残念ながら
投稿日 10月8日(日)22時53分 投稿者 村野井(1960) 削除

 「活躍人コーナー」は消滅したようですョ。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


なんたる偶然−楽しかった早稲田キャンパスツァー
投稿日 10月8日(日)09時10分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 きのう「早稲田キャンパスツァー」に行ってきました。実は息子が早稲田に
通ってまして、授業料の領収書の脇に「キャンパスツァー」のお誘いがあった
ので行ってきたわけです。

 なんたる偶然、そのツァーガイドさんが、3年前一高の放送部が「一年生の
7週間」でNHK放送コンテスト全国準優勝したときの部長、松田さんだった、
ということで、びっくり偶然。

 当然彼女は私を知らない。しかし私はあの作品「一年生の7週間」と特集
番組での彼女のインタビューをビデオにとって何回か見ていたので名前と顔
を覚えていたわけです。彼女が最初に自己紹介で、名前を言い、岩手県出身だ
という、のを聞いて「アレ、どこかで聞いた名前だが?」と思って顔を見ると、
大学生になって大人っぽくなっているけど、間違いないあの松田さんだ、と
いうわけです。

 ツァー時間90分中はそ知らぬフリをして付いてまわって(20人くらい
のグループ)最後に挨拶をして「えー、大先輩ですかー」というわけです。

 ガイドも上手で、なにより熱心。「熱」を感じる。アナウンサーを目指
しているそうで、ハタと思いついたのが...

「全国準優勝」「早稲田キャンパスツァーガイド」「アナウンサーをめざす」
(八重樫美耶子さんの再来?)となればさっそく山田幹事に連絡、在京白堊会
会報の「活躍人コーナー」に推薦しておきました。

 優秀な後輩がいてハナが高い、気分よく帰宅したしだいです。

PS.松田さん、読んでましたら、一言よろしく。


「とりぱん」ってそういう意味か
投稿日 10月7日(土)17時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 「鳥番」とカン違いしてた。「モーニング」を買ってきて読んだけど、う〜む、なかなか
濃い〜というか、まずペーネームからして「とりの なんこ」さん、キテますね。

 鳥が食べた餌の毒見をしている4コマ漫画でしたが、ネズミが食べたものだったら、
うー、という「結」、ここを感じとるセンスはもしかして我ら団塊の世代では厳しい
かもしれない、というとりあえずの感想です。引き続きウォッチングします。

 追伸:本日早稲田キャンパスツァーというのに行ってきました。楽しいことがありま
    したので後ほど書きます。オタノスミに。


とりぱん
投稿日 10月5日(木)12時40分 投稿者 ヒデオ 削除

とりぱん、お読みになりましたか
「とりばん」とはモーニング連載中のマンガの題名で鳥の餌にするパンの事です
四十四田ダム東岸に暮らす作者の日常野鳥との関わりが書かれてます
作者の趣味は鳥の餌やりばかりでなく餌の毒味も趣味でその報告が面白いです
家庭菜園もやってるようで「ユニクロを着たなんこ(作者)が種まきゃ雉が後からほじくる」人口2万の団地の海老騒動いやエピソードご覧ください


元気を出していきましょう
投稿日 10月2日(月)21時50分 投稿者 佐藤(泰) 削除

 シメっぽいのは幸夫も嫌いなはず。さわやかな季節、楽しい話題をよろしく。

ヒデオちゃん、「とりばん」の話題なんかどう?



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