在京疾風会・電子掲示板(2004年1月〜3月)

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在京白堊会幹事ごくろうさまです
投稿日 3月30日(火)21時33分 投稿者 佐藤(泰) 削除

イベントも盛りだくさんなようで楽しみにしております。「そしてハイライトは...」
何なんでしょう。これも楽しみです。

話かわって、盛岡の「な」さん、お花見飛び入りの勢いですナ。ヒョッコリ現れるのガナ。
「盛岡時間」(Moriokan time)でネガラな、きつげでケロ。


35周年記念在京白堊会総会のご案内です
投稿日 3月29日(月)18時08分 投稿者 藤井 則夫 削除

在京の方々、お待たせ致しました。
5月8日の開催について、URLに公式ページを掲げました。
返信はがきも届く頃とは思いますが、是非、早めにWebから申し込みいただきたいと思います。
よろしくお願いします。

http://www1.pbc.ne.jp/users/hakua/soukaiinfo.htm


オフラインミーティングは来週、浜松町か?
投稿日 3月27日(土)20時56分 投稿者 な@盛岡 削除

盛岡在住の私ですが、先週、先々週ともひとり上京し「桜花見偵察」をしておりました。
天気のよい週末は「横浜八景島」を遊び、
雨や雪が降った先週は、ゆきお君に言われて初めて靖国神社て何?という気になったものだから、遊就館を見学してまいりました。この時節、思うところ大でありました。
「角田屋事件の真相」を語るタイミングを今は逸していますが、「第二現場は湯島の天神!」ほかのストーリーを用意しています(予告)。


花見哲学
投稿日 3月27日(土)12時52分 投稿者 佐藤(泰) 削除

きょう(3/27)は暖かいけど、今週は寒い日が続いたので巷の週末満開予想は破綻、
4/3(土)が正解になったようです。>ゆきお殿

ここ数年の花見日程設定経験から「花見哲学」ができました。

「狙って当たるものではない、見たいときに見れば良い、宝くじ・競馬・人生また然り」

裕次郎、いかに? (古いか?)


花見予備調査
投稿日 3月24日(水)09時22分 投稿者 ゆきお 削除

1)今日は、学会で、慶応日吉校舎に行きます。明日は、委員会で、筑波(KEK)です。
  今日が電車、明日は車です。桜の状況、じっくり観察して来ます。しかし - - - -、
  千葉では咲き出しているぞ! タイキュー殿!

2)浜離宮から浅草のコース、先々週行ったばかりだよ。オレは、いつも、車を銀座に置
  いて行く。帰りが楽なんだね。ちなみに、千葉から銀座の駐車場まで25分(日曜日
  の場合)です。4/3は、野球と重なり、欠席です。先日の開幕試合は、6:3で勝ち。
  自分は、4打数2四球1安打(タイムリーで2打点)の成績でした。


雨々ふれふれ
投稿日 3月23日(火)21時04分 投稿者 佐藤(泰) 削除

お花見4/3と決めたら、できるだけ遅く咲いてほしいということで「雨々ふれふれ」
の気分です。

明日は東京は雨で最高気温9℃とのこと、ニンマリです。


お花見、確定版です
投稿日 3月21日(日)17時52分 投稿者 佐藤(泰) 削除

日時:4/3(土)、午後1時集合
場所:JR浜松町南口改札口集合 → 日の出桟橋 → 船で隅田川遡り → 浅草上陸
    → 隅田公園散策 → 浅草のどっかで食事

今年は3/27・28あたりが満開と言われていますが、4/3、散り急ぐ桜を
眺めるのもオツなものです。ご用とお急ぎでない方はいらしてください。

参加希望の方、掲示板上ないしはEメールで佐藤(泰)まで連絡願います。当日飛び
入り参加でもOKです。(船は下記URL参照)

http://www.suijobus.co.jp/event_cru/ohanami/index.html


今日が開幕
投稿日 3月21日(日)09時14分 投稿者 ゆきお 削除

1)今日の昼からは、千葉2部軟式野球リーグの開幕試合だ。20歳年下の監督から、6番セカンドで
  先発、の発表が既にあり緊張している。今シーズンは、グローブもスパイクも新品だあ。

2)一昨日、指導していた大学院生の送別会で、大酒をやっていまい、未だ頭痛が残っている(二日酔い)
  点が気掛かりだ。結果が出ないと、直ぐに、先発から外れる事になるので、不安だ。小学校4年から
  始めた野球(かれこれ45年)だけど、不安は常に有るね。


かれこれ40年
投稿日 3月16日(火)21時09分 投稿者 佐藤(泰) 削除

時効だね。「性的な匂い」というあたりは江戸川乱歩風だ。靴フェチ?

足駄や下駄を盗むというのは、欲しくて盗むというよりは騒ぎをおこして楽しむ
「愉快犯」だったのでは...

時あたかも60年安保と70年安保のはざま、生徒総会の議題としては等身大
すぎた感がありますね。


正解、この事件とは来客の女生徒の靴がなくなったことです。
投稿日 3月14日(日)13時50分 投稿者 削除

正面玄関からひとりの靴が消えたのです。当時は性的な匂いに気付かず、足駄と同じに考えた。もちろん取り違えじゃないから代わりの履物が残っていたはずもなく、中執の中里くんなど泣きそうになって走り回って探しましたよ。いや彼は泣いてたな。
私も勢いに圧されて天文台まで点検させられたし、、、。とうとう出てきませんでしたが。

皆が言う生徒総会が開かれたのは「42年1月 盗難事件おこる」(白堊110年史)であろう、しかし安積女子高校生が来たのは、おそらく41年3月だと思う。


生徒総会傍聴者
投稿日 3月13日(土)13時55分 投稿者 ヒデオ 削除

校長が全校生徒に向かって話をするのは年間十数回程度入学卒業対面始業終業のとき運動会白亜祭講演会での講師紹介
くらいだったと思う 生徒総会のときゲンショーはギャラリーにいなかったヤスポンがじっと聞いていたもう一人は数学石田だったかな
募金箱が盗まれた→総会→議論→下駄ドロ問題
下駄ドロについては小中高と下駄ドロに慣れっこになってる連中と高校で初めて経験した人でかなり感覚が違っていたと思う 慣れていても頭くるよな
戦前も下駄ドロはあったそうだ
どうして福女(現福島橘)安女(現安積黎明)がきたんだろうな 共学計画受験シフトの強化が進んでいたのかな


依然としてナゾ
投稿日 3月13日(土)07時02分 投稿者 佐藤(泰) 削除

なさんの話では、遠来の福島女子高生ゲストと「ゲンショー先生激怒」は関係があると推測されるのだが、
ヒデオちゃんの説では関係ないことになるので、ちと違うのでは、、、

天文部室見せネガったがらゴシャイだ(怒った)ドモおもえネし、募金の依頼元が福島の女子高でそれが
が盗まれた? はたまた、女子高生の靴をカッパラッタやつが居た? ←コレ正解?

PS.今週は宇都宮滞留につき、足利見物などしてきます。オモシレごどあったら報告します。


Rutherford 散乱
投稿日 3月12日(金)08時33分 投稿者 ゆきお 削除

1)修士学生に式の導出を指導するため、1週間悪戦苦闘したよ。
2)有名なαの散乱では無く、入射 projectile から電子への
  momentum transfer の式に変換する過程(結局は同じ式
  なんだけど)。原子/分子系では、よく見る式なんだけど、
  核物理系では殆ど見ないんだね。
3)ポイントは、重心系では入射粒子の momentum の絶対値
  は反応後も変らない事(Δq = 2p sinθ/2)を応用する。
  (二等辺三角形の底辺の長さ)


んだ、「下駄ドロボー生徒総会」だ
投稿日 3月11日(木)23時06分 投稿者 佐藤(泰) 削除

こういうときは当たり前の意見は印象に残っていない。ここに登場する木村君ではないもう一人の木村君が
「盗まれるやつが悪い、こうして俺のように持ってれば絶対に盗まれない」とかなんとか言って足駄を見せ
びらかしたのが記憶に残ってる。

のんびりした時代だったね。角谷さんの「空に吸われし」流に言えば、「おおいなる準備」の時代か...
募金ドロは知らネゾ。


盗難多発
投稿日 3月11日(木)22時56分 投稿者 ヒデオ 削除

募金箱を昇降口においてそのままにしていたら盗まれた
警察に届けるか届けないかの議論でなかったかな
ヤスポンが君らの議論は不愉快きわまると評していた
下駄ドロは学校世の中に対する不満の発露と教職課程(大学)で教わった 盛中時代もあったらしい
でもほっとくわけにいかない困った問題でもありましたほっとくと学校が荒れる原因となります女生徒(上級生)でも被害にあった人がいました(外履き)
ゲンショー激怒は冬休み前終業式で勉強の態度の話の時付和雷同でエスエスやったから怒ったのでは
ナンセンスといって議論を吹っかければどうなったろう
今の助役は我々の一年下で中央執行委員でした、大Kわ君は弟も中執になりました
この件ジャカルタからコメントが欲しいのですが


「警察入れる入れないの議論までやった」のは覚えている
投稿日 3月11日(木)22時33分 投稿者 藤原@奈良 削除

何かの募金が盗まれたのではなかったかな・・


盗難多発で警察入れる入れないの議論までやったぞ!
投稿日 3月11日(木)22時06分 投稿者 山田武秋 削除

とり違えるどころか、新しい下駄をはいていくと必ず?「盗まれる」ってんで、警察をいれるか入れないか、全校の生徒総会まで開いて第一体育館で議論しました。疾風会3年のときで、執行部はK君ら。白熱ってほどじゃなかったけど、賛成、反対でやりあいました。全共闘登場前。今、思い出すと、のどかでしたね。んでもって、なぜ、そういう集会になったのかは、推測ですが、きっと、下級生の父兄が怒鳴りこみ、当時の執行部に先生から「オマエラでなんとかしろ」っていわれたんではなかったかと思います。


体育館とかで足駄(アシダ)を取り違えられたことありますか?
投稿日 3月11日(木)21時18分 投稿者 な@疾風会 削除

当事者かと思う人まで「知らない」となると、早とちりから誤解を大きくする方が現われそう。
ただ、少し時間を置いて真実に近づきたいところなので、表題の時、どうしたか?「ゲンショーは何に怒ったか」お考え下さい。
もちろん、福島県立安積女子高校(今では共学になってるはず)生徒会からの公式のお客様でした。
あの日、「な」は大Kわ君らに「天文台を案内したいから」「授業中なのでカギを貸してくれ」と持ちかけられ、部室を見せるのはいやだったし、ねたましい気持もあったから邪険に断ったんだ。


ナニ
投稿日 3月10日(水)23時57分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 校長4回、教頭、学年主任2回、担任3回、その他数知れず。そのうち公的処分(注意、訓告、停学)もあるが、叱られたのではなく、怒髪天をつく勢いで怒った(逆鱗に触れた)ことも多い。しかし意識的に暴力ふるったわけでなし、人を中傷したわけでもなし、不純異性交遊(当時は未成年の異性に対するある行為をこう言っていた)をやったわけでない。ナニが気に入らないのか今でもよく分からない。
 尊敬すべきの先輩のやるとおりに行動しただけ。この伝統は疾風会までは繋がっていた?


そうこうするうち花見の季節
投稿日 3月10日(水)19時36分 投稿者 佐藤(泰) 削除

3月13日(土)午後10:30、下記チャットで日時など相談するべ(在京メンバーへ)。

だんくらストレートって21人しか居なかったのか。俺もだよ。

http://cgi3.bekkoame.ne.jp/cgi-bin/user/b70146/C01/minichat.cgi


忘却とは忘れ去ることなり
投稿日 3月10日(水)12時39分 投稿者 藤原@奈良 削除

う〜〜ん、思い出せない。

福島の女子高校生どころか、一高の女子学生とも、在学中は、ほとんどお話ししたことがない
だんくらストレート21名「多分」の一員でした。


いま氷川きよしが「高校三年生」歌ってます
投稿日 3月9日(火)20時19分 投稿者 佐藤(泰) 削除

いいですねー。卒業式のシーズン、学生服のボタンがなつかしいと歌手たち(堀内孝雄、上条恒彦...)も
こもごも語っています。そのかみのバンカラ学生、いまはマジメに働きており。

それにつけても私の知らない逸話が次々と...。「あとで高橋ゲンショー校長が朝礼で怒ったものな!」
ともなるとただ事ではない。これも全然オベデネでば。(ナニシテダンダベナ)


忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を語る、
投稿日 3月9日(火)10時35分 投稿者 な@疾風会 削除

のであればこころ寂しい思いもしようが、知らない事件ならば忘れても怖くはなかろうに。
女子排球部K部長さんと紳士的に対峙してお引取り願ったのは、のちに通産省に入った高D敏O君です。文化祭を前に天文部に入部されたのは、鈴木Kこ、及川の・こ、佐藤の・この3女史です。2年生が少なかったのでうれしかったですよね。

では、福島の女子高校生徒会から4名が一高訪問に来たことは覚えていますか。
この応対は中執(中央執行委員)だったからハナブサ、O川、中さと、それと現在奈良におられるF原くんだったでしょうか? 
あとで高橋ゲンショー校長が朝礼で怒ったものな!。さて、いったいどんな事件が起こったのだったでしょうか、?


盛岡は3月の大雪
投稿日 3月7日(日)23時06分 投稿者 村野井 削除

 盛岡に1泊で行ってきました。
 常磐線は単線、上り列車との交換待ち合わせが多くて20分遅れ。予定した「はやて」に乗れず結局1時間遅れ。新幹線が1時間遅れたら払い戻しになるのではないか(するべき)、とちょっといやみを言った。(「乗継」でなくなったので無理は承知)
 着いた盛岡は3月としては記録的な大雪。視界80mくらいのところ車はのろのろ運転。実家に着いたらまずは「雪かき」。どれくらい降ったかはごらんあれ↓
 盛岡駅の地下(パルコ?)は改装工事中でお土産買うのと、飯を食うのに難儀しました。3月いっぱいかな?
 「サンデー毎日」は3月14日号だっけかな、と思っただけで手にとらなかった。「宮澤賢治」の本は売ってたな。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


「サンデー毎日」見ました
投稿日 3月6日(土)18時41分 投稿者 佐藤(泰) 削除

まんなかのカラーページ先頭、山田君のコメントが生きてる紹介ページで、なかなかに良
かった。我々「戦争を知らない子どもたち」の子どもたちはさらに戦争を知らないわけで、
語り継ぐことの大切さにはおおいに同感。

話かわって、女子バレー部が教室で合宿していたのは覚えてる。確か机を並べてその上に
布団敷いてたんではなかったかな。男子の運動部はだいたいが第1・第2体育館で寝泊り
していたので教室を使ってたのを見てオヤっと思った記憶が蘇ってきた。

しかし、「何か興奮した我ら天文部は、いつになく深夜屋上で応援歌など咆哮し続けた」
というくだりになると、ぜんぜん覚えていないな。ましてや「抗議行動」とやらは...
コワイ。


私が編集長をしている『森のクラス会』をぜひ定期購読して下さい
投稿日 3月5日(金)13時50分 投稿者 樹の森出版社 削除

 私が編集長をしている『森のクラス会』をぜひ定期購読して下さい。


 拝啓
 初めてお便りいたします。
 私は盛岡一校を昭和三十七度に卒業した阿部正恒と申します。現在は、東京で小さな出版社を経営しております。
 小学校四年生の時に盛岡に転校し、盛岡市立城南小学校、岩手大学付属中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業しました。明治大学卒業後、「山と溪谷社」で三十年にわたる編集者生活を送った後、独立して出版社を創設して八年になります。
 その間、多くの作家や著名人などとユニークで不思議な交遊がありましたが、ひょんなことから「岩手日報」の日曜版に《雑誌編集者の『人間漂流記』》というコラムを依頼されました。最初は半年ぐらいという約束でしたが、面白いといって下さる方が多く、昨年の十二月二十八日まで一年四カ月にわたって連載を続けてきました。
 ところで、今回この母校のホームページに投稿させていただいたのは、私が現在編集している雑誌『森のクラス会』をぜひ皆様に読んでいただきたいという切なる願いからです。
『森のクラス会』は一册が朝礼から始まる懐かしい学び舎になっています。国語、理科、社会、保健、体育、作文、給食などはもちろん、自由研究、野外実習、ホームルーム、特別授業などもあります。各季節ごと発行の年間四冊、ユニークで面白く、元気や勇気の出てくる楽しい雑誌です。
 これからは私たちシニア世代が中心となっていく時代です。いろいろな人の生き方、暮らし方、趣味などを楽しく学び直してもらえたらと思います。
[樹の森出版]は小さな出版社です。本や雑誌の流通は、取次業者を通じて全国の書店に配本されますが、私どものような小さな出版社はなかなか口座を開くことができません。ぜひ、[樹の森出版]へ直接定期購読をお申し込みいただけたら幸いです。楽しい誌面をつくっていきますので、よろしくお願いします。
 なお、「岩手日報」に連載した《雑誌編集者の『人間漂流記』》は、『森のクラス会』のホームページで読むことができます。

http://www.kinomori.co.jp/

株式会社[樹の森出版]代表 『森のクラス会』編集長・阿部正恒



http://www.kinomori.co.jp


女子運動部も校舎で夏期合宿してましたよ、そして・・・
投稿日 3月4日(木)21時52分 投稿者 な@疾風会 削除

試胆会の話で山田さんの剣道部夏期合宿の記が出たわけですが、表題の話も疾風会でならではと思います。
私は覚えています、葛西Kこさん率いる女子バレーボール部が教室に布団をもちこんで合宿訓練をなさったことを。
何か興奮した我ら天文部は、いつになく深夜屋上で応援歌など咆哮し続けた。
はい、しっかり思い出せます、あなたが「うるさいわよ」と抗議に来られたことも。(すみません)。

だけど、翌月ですよね、後輩(43会)の現姓都留Kこさんら3名の女子バレー部が天文部に入部されたのは。


それでは早速見てみましょう
投稿日 3月3日(水)06時22分 投稿者 佐藤(泰) 削除

「サンデー毎日」、なかなかコンビニには置いていないので、駅ビルまで
行ってみよ。350Pというと大作だ、本チャンも期待。

こういう同期生の出版物や仕事の宣伝コーナーも設けたいね。


無差別爆撃?
投稿日 3月2日(火)20時45分 投稿者 ゆきお 削除

あれは、「一般住民”のみ”を狙った殺戮」というべきでは?
戦争行為とは明確に区別すべき事では?。この種の情報は、靖国
の資料館で詳しく見れます。おりしも、日露戦争100年ですね。
あの大祖国戦争、坂の上の雲、白人に唯一対抗できる日本、感慨
深いですね! 東京大空襲は、白人が「有色人種は人間では無い」
と思っていた証拠の一つです。西部開拓(日本は西部の延長?)
なんですね。もちろん、目標は支那市場でしたでしょうけど。


試胆会にゲスト参加
投稿日 3月2日(火)20時09分 投稿者 石川 削除

卒業後ですが、故金丸三郎君と剣道部の試胆会にゲスト参加したことがあります。夏の蒸し暑い夜でした。雨上がりで月の光もなく、真の暗闇とはこういうものかと思いました。Gパンの上から薮蚊にさされながらも暗闇に目をこらしているとすぐに慣れたのですが、試されるほうは大変だったと思います。声を掛けただけで、真っ暗闇の墓石の間を超スピードで走り抜けていくのですから、たまったものではありません。墓石にぶつかって怪我をしなければよいなどと心配でした。無事だったことを聞くとほっとしたものでした。ギャーという悲鳴とともに墓石をくぐって走り抜けるなどという蝙蝠みたいな超能力が人間には備わっているのかもしれないと感心しきり。


今日発売サンデー毎日(3月14日号)センターカラーに紹介されました。
投稿日 3月2日(火)10時03分 投稿者 山田武秋 削除

『戦争の記憶』という、私が企画した本の紹介と私のコメントが、センターカラーのトップページに乗っています。3月10日の東京大空襲を皮切りに、日本の主要都市が次々に無差別爆撃にあったんですね。そんな戦争の経験を忘れてはならないと企画したのですが、200Pの予定が350Pぐらいになります。今月末刊行予定で、今、しっちゃかめっちゃかです。


よ、よんじゅうねん
投稿日 2月29日(日)11時13分 投稿者 佐藤(泰) 削除

そんな昔には思えないが、指折り数えて四捨五入するとそうなるね。

「な」さんのいう「怪談」は、あのときのが一番怖かった。心臓が飛び出る思いというのは
まさにあのこと。小さいころ聞いた話も、その後聞いた話も、あれに比べればかなわない。
話し手はタカノハシさんだったかな。触沢さんではないな。「見たな〜!」ではなくて
「お前だー!」じゃなかったっけ(ここでも記憶の齟齬)

あまりにローカルなので皆さんにわかるように説明しますと、当時天文部は土曜は家で食事を
済ますと夜の7時〜9時ころ戻ってきて観測をして深夜2時ころにはシュラフに包まって寝る
というパターンの生活をしていました。寝るときにダベリながら寝るわけですが、先輩が怪談
をやったときがあった。

前述のように途切れた記憶をたどっているので不正確ですが、どっか山奥に老婆が居て、私は
誰かに殺された、というような話が延々と続いたあと

   「だれに殺されたんですか?」

   「それは.....お前だ!!」

それまで静かに話をして、「山奥の老婆」のイメージを抱いているところに、「お前だ!!」
のところでほとんど応援委員並の声になるので心臓が飛び出そうになるわけです。それで駒木
は「ヒェー!!」となるし中島はもの投げつけるし大騒ぎ。あれは心臓の悪い人にはやっちゃ
いけないよ。

この怪談と「試胆会」の話は別物で、高松近くのお墓に物を取りに行くとか真っ暗闇で足を
ムンズと掴まれたとかいう記憶は、全て先輩の話を聞いて自分が体験したように思ってたと
いうことになるが、、、フントかな。


肝試しはやったことないなあ
投稿日 2月28日(土)13時13分 投稿者 コッペ@疾風会 削除

なさん泰Q記憶いろいろ。まあ無理も無い もう40年近くも昔のことだもんね。
私の記憶では改めての試胆会は天文部ではしなかったな。天文部は夜中の買出しがそもそも試胆会だった。何がおっかねえって夜中のがらんどうの学校ほどおっかねえものは無い。足音を忍ばせて真っ暗な階段を降りて廊下を歩いていくとそこここの教室にぶら下がっているちぎれかけたカーテンが首吊りした人間に見える。忍ばせたはずの足音がながーい廊下に反響して追いかけてくる。おっかねがったな。 おまけに阿部さんちゅうこれまたおっかねえ小使いさんが場合によっちゃ「こらあーっ」とか言って追って来る。ホウホウの態で逃げ帰ったりしていたね。駒木くんなんざ震えて寝袋からよう出んかったね。


ナヌ、和太鼓禁止だと!
投稿日 2月27日(金)22時32分 投稿者 佐藤(泰) 削除

とんでもねぇ話だ。防災上好ましくないなどとはさらに笑止。んだば、洋太鼓は
いいっていうんだべが。

わが母校ならば、M旗だけで勝負かな。M旗が禁止されたらドラ声だけだが、この
調子では歌もエールも禁止されかねない。

兄中天地さんに応えて、応援委員会室↓でおおいに議論しましょう

http://8625.teacup.com/isoh/bbs


怖い話をしたあと(見栄も名誉も・・・)真実は、
投稿日 2月27日(金)20時03分 投稿者 な@疾風会 削除

「ピチャッ、ピチャッ・・・ヒャーッ」駒木勉(昭42.5.13逝去)は手で耳をふさいで寝袋にもぐりこむ。
「見たなーっ」と響くと、やおら定規のでかいのが投げつけられる音、(中JまJ、だ)
「見タナ〜ッ!」ともう一度。「な」は天文台に出ていわゆる「寮雨」。
佐藤(泰)さん、こんな天文部が高松の池まで深夜に「試胆会」を出れたと思う?
剣道部にかなうわけもないだろが、コッペに証言してもらおうか?

(一関一高和太鼓ネタは私も先週大勢から聞いた。結果↓)

http://www.iwate-np.co.jp/news/y2004/m02/d27/NippoNews_13.html


12歳以下トハ若サデハナイノデス
投稿日 2月25日(水)21時37分 投稿者 大天地 削除

 『雪渡ハ(春ノ日差シニヨル)サンクラフトノ上ヲ歩クノデス。大人ノ体重デハ表面ガ割レテ足ガズブズブトモグッテシマヒ厄介ナコトニナリマス。スルト「マンツ テヘンダデァ、キズネッコ(狐)サ騙サレダ!!」ト騒ギ立テ、私達森ノ動物ノ平和ガ壊サレルノデス。デスカラ小学生ダケシカ招待シナイノデス』と紺三郎が言ってました。実は白状しますが、これは私の実家のあった狼の森(小岩井農場の北西)のあたりで幻灯会に招待されたとき直接聞いた話ですから間違いありません。


キック,キック,トントン
投稿日 2月25日(水)19時33分 投稿者 た@疾風会 削除

そっかあ! あの足跡は狐の紺三郎のものだったんですね! 足跡ついてけば,狐の幻灯会会場に行けたんですね. 
今度見つけたら,ついて行ってみます.幻灯会の写真撮らせてくれるかな? 黍団子もらえるかな? 
キック,キック,トントン.

それには,若作りしていかないと...12才以上の来賓は、入場をお断り申し候...
ちょっとムリ? ナンボナンデモ,ムリ?

た@疾風会


素晴らしいスライドショー
投稿日 2月25日(水)07時56分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 いやーよがんすなー
 まもなく冬の終わりを告げる日差しが感じられる故郷の雪の風景がリアルタイムに伝わります。そのうちキックキックと雪渡りの時期になりやんすな。
 月明かりのもと、雑木林や雪原を歩くとほんとうに狐が幻灯会をやってるかもしれないというような気がした。昭和20-30年代の小岩井農場の奥の開拓地の風景。
 2週間周期ですか?
 
 


え、なんだって
投稿日 2月25日(水)00時02分 投稿者 佐藤(泰) 削除

試胆会は活字とタカノハシさんのお話の世界? そんなはずは...たしかにお墓の脇を歩いた
記憶が... でも、「な」さんにそう言われると、バクさん指揮の「深夜下河原商店襲撃」や
夜食「光楽園のチャーハン」が鮮明な記憶なのになぜ「試胆会」だけがオボロゲな記憶なのか、
自信が無くなってきた。

いやはや、長く生きたものだ。


田沢湖スキー場も悪天候だった
投稿日 2月24日(火)16時13分 投稿者 な@疾風会 削除

そうそう実はうちの家族が田沢湖スキー場に行ってたのです。
昨日は早々に盛岡に引き上げてきました。日曜には阿仁スキー場に回ったそうです。
ゆきおさんグループに出会ったら「シップウカイ?」と暗号を言ってみるよう話しておいたでしたが、、、。


田沢湖行って来ました
投稿日 2月24日(火)14時46分 投稿者 ゆきお 削除

2泊3日のツアーから、昨晩戻りました。昨日は、強風(吹雪)でリフトが運転停止となり、
午前中はヒマで(帰りの電車は夕方4時)、温泉に2回も入ってしまいました。その前の
土日は天気は良かったけど、かなり暖かく、ゲレンデでの食事中はシャツ1枚の服装でした。


試胆会、本当に怖いのは「チンピラ風」上級生にからまれること
投稿日 2月24日(火)11時57分 投稿者 な@疾風会 削除

 天文部が毎週泊って活動したのは、昭和48年に学校宿直が廃止されるまでのことだ。
観測があるので、試胆会を行うということはなかった。怖い話ならば寝ながら聞いた。
なお自彊寮は昭和36年に緑ヶ丘に移転し、最高時(昭和42年)40名の寮生がいたという。
「な」や佐藤(泰)らの知識は、自彊寮雑誌「寮彩」など活字から得たものと、故鷹觜守彦先輩らが数人で、旧桜山の墓地付近で「君たちこんな時間に何してるの?」と声をかけてしつこく因縁つける役の体験談からのものだと思う。あの年はとうとう上田交番(高松交差点にあった)に駆け込んだ生徒がいて、パトカーが出動してきた話もタカノハシさんから翌週に聞かされたのだった。

 角田屋事件が怪談に使われるのは、盛岡中学新入生角田義昭くんが殺されてあの墓地に埋められた実話(後述)によるもので、墓の前のロウソクに火をつけて、それが消えるまで正座していることが指令だったらしい。


甲子園和太鼓禁止の内規と憲法改正論議
投稿日 2月22日(日)10時54分 投稿者 疾風会の兄中天地・外野席OB副応援団長 削除

21世紀推薦枠の模範校・一関一高の和太鼓応援に日本高野連は困惑している。雷のごとく底腹に響き審判を狂わすという理由で「笛・太鼓・釣鐘・ドラ等ノ鳴リ物ヲ禁ズ」という中等学校全国野球選手権大会の禁止規定がある。当時はブラスバンドもチアリーダもバトンガールも古老の規定には想定されていなかったのでドラム・洋太鼓は許可されている。「詭弁である」
昭和43年のベスト8では深紅の応援旗と和太鼓応援で球場を震撼させたが、昭和53年には校歌斉唱の途中でストップ。直ちに船山OB団長は猛烈な直談判・上京直訴攻勢し「和太鼓は出場校の事情を考慮し個別討議する」との返書を得ている。翌1980年と1985年の福岡高校は可となり「岩手の和太鼓バンカラ応援は高校生の模範」と賞賛されて今日に至る。しかし応援条項も見直すときが来たのかもしれない・・・疾風会の皆さんのご意見を。
  「自衛隊派兵が憲法違反でない」という「詭弁」も和太鼓問題に似ている。「イラク石油利権・禿鷹ファンド国アメリカ・ブッシュのポチ」小泉政権でさえも平和憲法を見直そうとしている時代だから・・・


面白がる話ではありません
投稿日 2月21日(土)22時07分 投稿者 村野井 削除

 戦後間もないころの幼児誘拐殺人事件です。母親に、「知らない人に誘われてもついていくんじゃない」と言われたものです。これ以上のことは書くのを遠慮します。

 試胆会も伝聞の域を出ませんが、もう一つの伝聞は新入寮生を真夜中に目隠しをして貸切バスで40キロくらい離れたところに連れて行って放り出してくる、というのがあったようです。金も持たず何とかかんとか帰ってきたらしい。高校の寮ですから、地方出身者のみ。西も東もわからない状態で放り出されるのだからたまったものではない。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


剣道部は夏合宿の最後の夜に試胆会をやってました
投稿日 2月21日(土)21時41分 投稿者 山田武秋 削除

試胆会、肝ダメシ、剣道部は毎年、夏の合宿で最後の夜にやっていました。合宿は、合宿所がなかったから教室の机を並べてベッドにし、寝起きしていました。試胆会は合宿の最後の夜、確か学校を出て、桜山ですか、あの中を通って高松の池のほうに抜けるというコース。お墓があったりでかなりうっそうとしていて、勇気のいるコースでした。でも、バイパスができて、いまではどのあたりを通ったのか見当もつきません(ついでに、剣道部は毎週土曜日、学校を出て高松の池を一周して帰るコースのランニングをしていて、三年間、一度もだれにも負けなかったのですが、数年前に何十年振りで高松の池畔に行ったところ、当時と全く変わっていて、3年間走ったコースがどこだったか全く分かりませんでした)。
試胆会の小道具は糸こんにゃくとかいろいろありましたが、いちばん腰を抜かしたのはブタの頭でした。オカシラで、いまならおいしそうだと思えなくもないですが、当時は豚足もミミもシッポも食べたことすらなかったですから・・・一体どこから仕入れてきたんでしょうね。出掛ける前に、あのあたりの松の枝でだれかが首をくくったとか、恐い話をたっぷり聞かされて、深夜に出発。とある祠おかれたものを、確かに行ったという証にとってこなければいけない。途中手がでる、足がでる、糸コンニャクが首のあたりに飛んでくる。でも、それは先輩がいるという証拠でもあるわけだから、恐いけどまだよかった(ブタ首には参ったけど)。誰もいない時に、行けといわれたら、いやですね。
2年のときは脅す側。脅すほうは1人ではなく2、3人でいるから恐くはないけど、知らない人が通りかかったら、完全に怪しい人間ですよね(もっとも、深夜人が通るような道ではなかった)。
3年の夏は、部活も引退。だから、なにもなし。でも、試胆会は運動部ばかりではなかったんですね。


試胆会、角田屋事件
投稿日 2月21日(土)07時49分 投稿者 佐藤(泰) 削除

一高にはオモシェ伝統がいくつもあったわけだけど、試胆会もそのひとつ。でも記憶
が薄れているなー。天文部は夜泊っていたから、その一夜にやったのだと思うが、
高松の池あたりを一周してきてオッカネガった記憶が戻ってきた。突然暗闇からヌっ
と手が伸びてきて足をムンズと掴まれたときはビックラしたね。

でも仕掛けるほうに回った記憶は無いので1年生だけだったのでは...あ、主催元が
自彊寮だったのかな。「角田屋事件」そう言われてみると、名前は思い出してきた。
まさに「緋い記憶」、だが話の内容は出てこない。誰か再現してチョ。

星さんがスキーインストラクターやってられるのは知っていましたが、一族すごいです
ね。

きょうは暖かくなりそうです。また梅見てこよ。それと、「た」さんから最新写真が届
いたので週初めにはトップページリフレッシュです。「た」さんサンキュー。


血筋
投稿日 2月20日(金)01時20分 投稿者 大天地続き 削除

 半三郎の息子憲道は次男デス(白堊大正4年卒)孫燿子(白梅高女昭和20年卒)は後に上京スキーインストラクターになった。大天地も同準指。さらにひ孫は現在1級と血筋は争えない、脈々と続くのであろう。憲道の三男道也はスケートリンクキーパーとして昔の県営陸上グランド(NHKそば)をスケートリンクに仕立て上げ、高松之池と2会場で冬季国体を行った。
 寄宿舎(自彊寮)の試胆会も旧桜山から高松にかけて行った。あらかじめ角田屋事件など現地の怪談をたっぷり聞かされてひとりずつ出かける。当時全く明かりはなく臨場感あふれる舞台だった。南部さんのお墓の辺りが特に要注意、必ず上級生の仕掛けが… 今思うに3年生は暗闇の中で長ーい間待つのでその方がスリルがあったのでは?
 お城の下の図書館は昔はちょっとしたデートコース。疾風会世代が「おしりを冷やして」遊んでいた頃。試験勉強と称し「胸を熱くして」下級生のMちゃんと図書館でよく会っていたなあ。
 今は昔の物語…


盛岡スキーエリア風土記、村井正衛著、1989年、熊谷印刷出版
投稿日 2月18日(水)11時28分 投稿者 な 削除

 「大天地」姓の半三郎さんがレルヒ少佐直伝のスキーを盛岡に広めた、という話が伝あり、その詳細は表題の文献に述べられていました。御長男憲道氏は岩手・八戸のスケート界先駆者で知られ、孫の燿子さまはスケートのほか、名門盛岡山岳会最初の女性会員で冬期奥羽山脈のスキー踏破もされたそうです。
WEB図書館↓でも調べられるでしょう。

 盛岡市立図書館といえば昔はお城下にあり、公園でソリ遊びしたあと大きなストーブを目当てにあったまりに入ったものです。
 高松の池畔には神庭山のほか旧桜山、そして対岸に配水池のある毛無森(けなしもり)という丘がある。さらに北には高松神社の八幡森、ここは「師範の丘」と呼んだそうな。
いずれもが試胆会の舞台だったが、、、。
(肝試しの怖い話は誰かしゃべってけで)

http://www2.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/tosyo/tosyo/index.html


師範の坂?
投稿日 2月17日(火)23時04分 投稿者 村野井 削除

 師範の坂というのかどうか知りませんでしたが、上田中学では冬の体育の時間を2時間ぶっ続けにして、神庭山でスキーを計画しました。あいにく雪の少ない年で取りやめになってしまいました。

 ひげのせい、私もそう思います>佐藤(泰)さん

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


はじまりましたナ
投稿日 2月17日(火)21時54分 投稿者 佐藤(泰) 削除

横川省三は「白堊の先人155人」のトップバッター、明治13年、第1回入学生
の超大先輩だ。今後の展開が楽しみ>「な」さん

スターリンに似てるのはヒゲのせいもありますね>村野井さん

サーカスは確かに昔より完成度がはるかに高くて華麗な感じでした。昔は
テントからして泥臭かった。スライドショーは各写真を小サイズにして
皆さんが見られるようにしてみましたが...>星館長

きょうベースボールマガジンのセンバツ一関一高の紹介を見たら、なんと
昨年10月26日、練習試合ながら我が盛岡一高は4対3で一関一高を破って
いる記録がありました。東北ベスト4に勝つとは、ますます夏が楽しみ。
まずは関高、センバツ頑張ってほしい。


師範の坂
投稿日 2月17日(火)09時24分 投稿者 大天地 削除

 岩手にスキーをもたらしたのはうちの爺さんだったそうだ。東京高師体育科のとき新潟は高田で「レルヒ少佐」から伝達講習を受け(軍人に混じって教員の卵も居たらしい)岩手師範に赴任したということだ。そのせいかうちの一族は4代にわたって雪と坂を見ると興奮する(下記URL参照)。性格も体育会系だー。
 後には岩山にスキー場がつくられたが、例の師範の坂でもスキーをしているのを目撃したことがある(トニーザイラーの黒い稲妻がヒットした頃)。なかなか快適な様子だった今は宅地ですか?
 日露戦争といえば「中屋」一族も切っても切れない縁があるようですな。

http://www.age.jp/~hakuaoen/manabi07/happo.htm


スターリン
投稿日 2月16日(月)22時34分 投稿者 村野井 削除

 どこかに書いたことがあるけれど、報恩寺の横川省三の銅像は、はじめて見たときは「スターリンに似てるなぁ」という感慨をもったものです。ロシアに溶け込んでいたのでしょうな。日本人と見破られたのは朝の洗顔のときの仕草がタオルを動かすか、顔を動かすかの違いだった、とか。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp


憂国烈士・殉国志士 横川省三、処刑からちょうど100年。
投稿日 2月16日(月)15時20分 投稿者 な@疾風会 削除

横川省三、盛岡市下米内に生れ、東和町東晴山の横川家の養子となった。日露戦争前夜にシベリヤ鉄道爆破の密命を受けて潜入、捕えられた。
ある書では「露探」という職業で紹介され、盛岡先人記念館のリストでは「自由民権運動家・朝日新聞記者」とある。

 銅像の原型が報恩寺五百羅漢の羅漢堂にある↓。作者は堀江赳。
この銅像が立っていた台座は高松の池畔、市立図書館から散策路をたどった丘の上に記念碑とともに存在、ここは不来方城から北に位置するので「神庭山」と名付けられた。

 神庭山は岩手師範学校当時から、スキー授業に用いられた山であるところから「師範の坂」と呼び習わされていた。

「な」は小学の冬遠足の時、朱い大きな月が神庭山の端へかかる光景に感動した覚えがある。
その翌週だったか、同級生のT藤さんが「教室で号泣し」「帰還船で北鮮へ移住」した。


なつかしいなあ
投稿日 2月16日(月)09時03分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 サーカスは、岩手公園か八幡の馬検場出よく公演していた。画像のような美技・華麗ではなくもっと泥臭かったような気がする。それでも離れ業に目を見張ったものだ。相前後して移動動物園やオートバイ曲芸や見世物も来ていた。
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●動画はどうしても重くなる。軽くすると解像度が… スライドショーではなくアニメで画像切り替えすれば軽くなるかも。でなければいよいよflashってが!?
 


キグレサーカス!
投稿日 2月14日(土)10時36分 投稿者 佐藤(泰) 削除

祝日にとうとう行って来た、宇都宮駅前テント公演のキグレサーカス。エンターテイメントとして
空中曲芸、ゾウの調教など実に完成度が高い! 45年ぶりの感動でした。下記URL参照

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/etc/circus1.JPG

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/etc/circus2.JPG


動く画像の件
投稿日 2月13日(金)22時54分 投稿者 佐藤(泰) 削除

ADSLないしはそれに近い環境でないと「x」のままのようですナ。私もモバイルパソコンからPHS
で試してみてわかりました。それと、Netscapeもダメみたい。先に行こうとするとなかなか不具合が
出てくるものです。

というわけで暫しユックリと歩みます>星館長

たのんまっせ>「な」さん


これまでのあらすじ、ならぬ これからの・・・
投稿日 2月13日(金)20時58分 投稿者 削除

画像が動くのを見ている私も、会社でここを開くと「×」が出るだけですよ。

ここの掲示板は、多くの人の共感を得る内容で、充実と人気のトップを勝ち得たい。
「な」の思い出話の提供は、このあと「烈士横川省三」「試肝会 神庭山」「角田屋事件」と続きます。
一人合点のストーリーになることを危惧して、「これからのあらすじ」を暴露します。


いよいよ動かした。
投稿日 2月11日(水)22時03分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 ついに老舗の「疾風会」も動かし始めた。次は動画か?
 今年の盛岡は雪が多いと聞きましたが、3月の裸参りは久々に雪の上を行進か? 期待するるところです。バブル崩壊、新幹線の延長で盛岡を訪れる観光客が減少しているようですが、一方では北東北の拠点を盛岡にする企業が増えているとか、我々在京の者にとっては落ち着いた盛岡がよろしい。
 
 


冬の遊び
投稿日 2月11日(水)20時00分 投稿者 ゆきお 削除

1)油町と旧下小路中との間の田んぼをリンクに整備してのアイスホッケー(小学校時代)、
2)三石神社の坂を凍らせて行うボブスレー(当時は、そうは呼ばなかったが----)、やはり小学校時代、
3)スキーは、学校の体育以外は殆どやらなかったね、リンクは有ったけどゲレンデ(愛宕山)は無かった、
4)就職してからは、千葉県内のインドアでのスケート(子供達より遥かに速いので自信を持った?!)
5)47歳から、船橋のザウスでのスノーボード(毎週通った!)、レース(キリンカップ)にも出た、
6)来週の2/21から3日間、田沢湖に居ます(駒ヶ岳観光ホテル)、今年は新幹線です、
7)2/29は、今年の開幕練習試合(野球)です、今年もレギュラー(サードかセカンド)だ。


氷雪のふるさとですが子供は外へでていきます。
投稿日 2月11日(水)10時27分 投稿者 な@疾風会 削除

このところ連日、盛岡市内の小学生は雫石・安比の両スキー場に送りこまれています。(↓報道参照)

校庭の築山での授業も盛んですが、小学校でボードは教えない?>ゆきおさん
 昔は岩山か区界、竜ヶ森だったでしょう。岩山といっても現在のゴルフ場でなく、城東中学の植林地になった展望台からの斜面か、配水池上部の畑だったりしました。
黒石野の先にある市営小鹿(おが)牧場の斜面を滑った、という方もおりますか?

 もっと古い話では、岩手公園・お城下坂でのソリ遊びを前に話題にしましたが、「な」の小学校では高松の池まで歩いて行ってソリかスケートを選んだ冬遠足がありました。荷物の大きなスキー道具を持っている子が少なかったですから。スケートはもちろん高松の池氷上で、それ以外は「師範の坂」と呼ばれた斜面に放たれたのでした。(この項「師範の坂」は次回に続く)

http://mytown.asahi.com/iwate/news01.asp?c=5&kiji=1178


表紙のスライドショー
投稿日 2月10日(火)06時09分 投稿者 佐藤(泰) 削除

ヒデオちゃんはうまく見えたようだけど、通信環境によっては
うまく見れない人もあるカモ。コメントください>All


HPの写真
投稿日 2月10日(火)04時47分 投稿者 ヒデオ 削除

黒沢尻矢沢八重畑雪古館から天候回復仙北町過ぎると晴れ
いつもこのパターンだったステーションデパート出ると土砂降りという記憶がありません
黒沢尻→北上矢沢→新花巻古館→紫波中央に駅名が変わりました
3枚の写真懐かしく拝見しました
帰りの頃には八重畑あたりの田んぼではキックキックトントンて雪渡りができるのでしょうか
・・・・・・・・・・・・・・・
山田さんメールは届いてますどうも


タイQさん、キャノン イオス キッス デジタルの評判いいよ
投稿日 2月8日(日)11時43分 投稿者 山田武秋 削除

SONYの世界初4色CCDデジタルカメラDSC-F828が前評判倒れでコケて(期待が大きかった分裏切られたという気持ちが強いのでしょう=実は私も発売を待って購入しようと決めていたが、止めたクチです)、キャノン イオス キッス デジタルの評判がますます上がっています。もっと性能のよい高級一眼デジカメはありますが、写真を職業としない人が手軽に買える価格帯でもっともよいグレードを求めるなら、キャノン イオス キッス デジタルで決まり、という状況です。ただ、手軽に持ち運べるカメラではないので、小さくて軽くて画質もそこそこでもっと安くて、ということになると選択枝はグンと広がります。でも、2〜3年で、デジカメは性能も価格も本当によくなりましたね。改善の余地もたくさんありますから、まだまだよくなるんでしょうね。


そうですか−写真の件
投稿日 2月7日(土)07時21分 投稿者 佐藤(泰) 削除

(-)_(-)ETさんではなく岐山さんですか。一眼デジカメほしいけど年に数度の使用頻度
ではちょっと...

表紙の写真、「しばれヤンスナ」、ブルブル。場所はどごらへんダベ>「た」さん


ヒデオさんへ
投稿日 2月6日(金)06時50分 投稿者 山田武秋 削除

すみません。ヒデオさんへの返信メールがどういうわけか配信されないので、私用に使わせていただきます。
35周年記念誌、お声をかけていただいたIさん(平成5),Nさんから私の手許にはまだ原稿は届いていません。事務局(産報出版)に届いている可能性はありますが・・・。海外や卒外生は、年次幹事のご判断(原則、本部会員で在京登録のない方は、一応対象外。両方に在籍の方もおり、これは問題なくOK、転勤などで過去在籍し、今は在籍していない方もOKということでしょうか)ということになりますが、そんなに厳密なものではないですから、書きたいということであれば、よろしいんじゃないでしょうか。若い方は特に。


ちょっと違います
投稿日 2月4日(水)22時57分 投稿者 村野井(1960) 削除

 (-)_(-)ETさんの写真は、どなたかからいただいたものだと思います。あまりに殺風景だったので「置いていきます」とのこと。
 一眼レフのディジカメで花を撮っているのは「岐山」さんです。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp


ホメられるど、オショスなはん
投稿日 2月2日(月)21時05分 投稿者 佐藤(泰) 削除

表紙の写真は十数枚撮ってようやく載せられるものが撮れたという感じです。これは望遠側
でグっと近づいて(引き付けて)撮ったものです。これ以外のワイド側で撮影したものはイ
マイチでした。梅は写っているのですが、背景の枝が騒がしくて、「梅の花!」が浮き立
ってこないのです。

表紙の写真も、まだ背景がちょっと騒がしいですね。ここがちょっと未練です。でもこれ
以上は一眼レフじゃないと...バックをきれいなボケにすることはできません。一眼デジ
カメはまだ十ン万円、ちょっと手がでません。

村野井さんのサイトの常連さんには一眼デジカメの使い手がおられましたよね。逆光を生か
して花を撮るなど素人ワザではありません。(-)_(-)ETさんでしたっけ。


PS.別館は写真保管庫のつもりで確保したのですが、コロっと忘れてました。見てみます。


白梅−お見事
投稿日 2月1日(日)21時37分 投稿者 村野井(1960) 削除

 女学校のことではありません。
 表紙の写真、お見事です。
 パソコンを再インストールする際に、「お気に入り」のデータを退避しなかったので失いました。というわけで、検索して復元していますが、「在京疾風会」を検索すると「こちら」ではなく「別館」(?)の方がひっかかるようです。

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/


たまげたもんだ盛岡天文同好会
投稿日 1月31日(土)12時11分 投稿者 ヒデオ 削除

光映舎水冷CCDのカタログを見ましたきれいに写るんですね 熱ノイズカットシャッターもクリーンルームになってる
おどろいた
感動するのは盛岡天文同好会連星の最新号
中の橋のたもとでの観望会をしていることです皆に望遠鏡で星を見せてあげるそうです
いい街だな盛岡は
他にはWEBCameraの研究レポがのってました
バックナンバーには空気望遠鏡作成レポートが
「な」さんは盛天のファウンダーメンバーの一人です
盛天のHPの作者さん岩手県でオーロラを撮影したそうです(昨年11月)
天文ガイド編集部は盛岡に時々取材に来るようです

http://www.h4.dion.ne.jp/~tom2507/index.html


現像液・定着液も調合
投稿日 1月31日(土)10時33分 投稿者 村野井(1960) 削除

 私も一部のシト。
 調合済みの現像・定着剤ではなく、ハイドロキノンとかいろんな薬剤を集めて調合したものです。D76とかD72だったかな。ミニコピーの解像度は160本/mm位でしたかね。
 これは成人して修業時代のこと。中学のころはもっと一部のシトがリバーサルフィルムの現像にトライしてた。曲がりなりにも発色してた。


一関一高、センバツ出場!!
投稿日 1月30日(金)20時09分 投稿者 佐藤(泰) 削除

関高は高体連開会式では必ずエールを交わした兄弟校というかライバル校というか、
半世紀ぶりの甲子園出場はお見事! ピッチャーの木村君というのがすごいらしい。

昨年夏の福岡高校の準優勝といい、岩手は古豪復活がトレンド。こういう雰囲気と
いうのは以心伝心、我が母校もグァンバってほしい。今年は7月応援しに行くゾー!

PS.「天ガ」か懐かしいね、天体写真に水素現像という方法があると「天ガ」に書いて
   あって感心した記憶があるけど、最近じゃCCDセンサーを冷やすのがトレンド
   とか。「トライX」「ミニコピー」(一部のシト以外意味不明につき失礼)、
   嗚呼時代は変わる...


誠文堂新光社は30もの月刊誌を出していたらしい。
投稿日 1月28日(水)09時53分 投稿者 な@疾風会 削除

「月刊天文ガイド」が満40周年を迎えた。
中学3年の時、それまでの「天文と気象」(地人書館といったか)にかえ天文ガイド創刊号を買ったのを覚えている。

誠文堂新光社といえば「子供の科学」が有名だ。これはもう70年以上続いているという。
ほかに、「無線と実験」「農耕と園藝(芸)」「圍(囲)碁」「愛犬の友」「水墨画塾(今号で廃刊)」と毒のない多彩な趣味に対応してきた貴重な出版社だと思う。


おお、今回はジャカルタですか
投稿日 1月25日(日)08時22分 投稿者 佐藤(泰) 削除

遠くふるさとを離れ、祖国を離れると、覗いてみたくなるのが同窓会HPの良いところ、
かな。

「原爆マグロ」の歌は私の記憶と一字一句違いません。当時はラジオで流れていたわけでも
なく少年雑誌に載っていたわけでもなく、だれが一字一句の違いもなく伝えたのか? 今で
いうクチコミなんでしょうね。盛岡市内だけの戯歌ではないと思いますが...

日本はジャカルタよりは寒いでしょうが、この2〜3日は寒いが、暖冬気味ではないかな。
あ、もう着いてるか。


お久しぶりです
投稿日 1月24日(土)15時47分 投稿者 豊間根 削除

いやぁ、泰久さん始め皆さん、元気でやってるようですね。御同慶の至りです。今ジャカルタでこれを覗いています。本当に久しぶりです。

こうして前の記事を読んでみると、やはりというべきか、昔話が一番多いし、読んで面白いのですね。「アチャコせんせに・・・」の話がちょこっとありましたが、私が歌っていたのは

おーてーてんぷら食べ過ぎて
アチャコせんせに診てもらた
あーあ、もうだめだ、神経衰弱、脳膜炎
あーとののこりは原爆マグロ

でした。いやぁ、懐かしい。それにしても我々は遊びながらよくこんな唄を歌っていたものですが、今どきの子供たちはあんまり歌うことがない。うちの三人の子どもをみていても(中学生一人と小学生二人)誰もこんな唄を歌っていたことがない。時は変わるものです。

今夜の便で帰ります。日本は寒そうですね。今の私は当然半袖で、扇風機かけてオフィスにいます(土曜日で空調が止まっているため)。では。


インターハイスケート
投稿日 1月24日(土)13時28分 投稿者 ヒデオ 削除

岩手県でインターハイスケートが行われています
今日はホッケー準々決勝盛岡中央vs駒大苫小牧です盛岡中央を応援お願いします
岩手日報にはこの試合では兄弟が対戦という記事が載ってます
我々の時代一高岩高キャプテン同士兄弟ということがありました
今年はスター選手が3人も出場国際大会出場選手が国内大会に出てくれるのが貴重な今日この頃うれしいことです
トピックスとしては熊本の済々黌からAクラス(全日本出場資格保持者)に出場していることです

http://www.iwate-np.co.jp/04inta/inhigh.htm


なるほど内科的な考察もしっかりあるのだ…
投稿日 1月21日(水)18時20分 投稿者 元コールタール愛好者 削除

 様々な調査と観察によって高濃度食塩含有食品(早い話がしょっぺーおごごなど)の摂取と酒・タバコなどが重なるととんでもなく癌に近づくということだ。内科医の癌対策や治療が遅れているなどというのは勘違いということもわかったが、我が国ではいざというときどれぐらいの情報をもらえるかは、かかったドクター次第だという気がする。
 コールタールガム愛好とともに 鉛筆サックロケッターとして活動した身にとって、ベンジンはオススメできない。発火が早すぎて本人も危険。マッチ棒の頭の部分をたんねんに削り3〜4本分を起爆剤として入れる。セルロイドの下敷きは鉛筆削りようナイフで細く削ったものと四角いのを混ぜて先に詰める。最後にマッチ。サックの開口部をつぶし2回ほど巻く、さら平らにして両端は少し折る。これを授業の始まる前にストーブの上(弁当暖め器の下)に置いておく。授業が佳境に入った頃、突如発射(密かに秒読み:ふくれてくるので分かる)教室中を飛び回った後、首謀者は立たされる。運が悪ければセンセイに殴り倒される。古き良き時代のF小学校でした。休み時間に何度も実験して火薬の量や折り曲げ方を調整したっけ。鉛筆サックロケットを疾風会世代も知っているとは…


アルミの鉛筆サックに燃料つめてロケット飛ばし。
投稿日 1月21日(水)10時14分 投稿者 な@疾風会 削除

燃料はセルロイド下敷き片とベンジン浸した綿。噴射口をつぼめて点火する。
 私は真似しようと材料を集めだしたら、母にとがめられ厳重な禁止を言い渡された。

当時ロケット開発は、糸川英夫のペンシルロケットに始まり、カッパロケット、後にラムダ、ミュー、ニューと大型化し、H-1、H-2の今日に至っている。
いつも成功しているわけでないのでやきもきさせられる。

 そして私の周囲にもいるが、今ではアマチュア愛好家が手製ロケットを打ち上げている。
「金属で本体を作らない(ミサイルになるから)」規則でライセンス必要だそうな。↓

http://www.ja-r.net/index1.html


癌といえばコールタールこそとんでもなく悪いが。
投稿日 1月19日(月)12時05分 投稿者 な@疾風会 削除

 がんは異常な細胞が増殖する病変の総称ですから、臓器の差だけでなく非常に多くの種類があります。当然、すべてのがんに適用する治療標準はありませんが、わが国の内科療法研究が遅れているとか専門家がいないなどは間違いです。
 身近な方の病気では真面目なレスにならざるを得ませんが、

人類初の職業癌で、かつ初めて人工発癌に成功したコールタールを、指につけ口に含んだという話はなぜか楽しい。(前者は1775年ロンドンの外科医ポット、後者は1915年東京帝大 山際勝三郎の業績です。参照は下記URL 佐々木直亮元弘前大衛生学教授)

http://www.med.hirosaki-u.ac.jp/~sasakin/nao-h/salt20igan3-7-3.html


重粒子射出装置
投稿日 1月18日(日)22時45分 投稿者 ヒデオ 削除

ドーンと大砲のようにぶっ放すから放射の単位は門なのでしょうか
超精密な射出装置ですね
ゆきおさんGreat


手術か免疫療法か放射線療法か?
投稿日 1月17日(土)21時29分 投稿者 大天地 削除

 先日TBSラジオで、青森出身で東北大卒の医師(名前を思い出せない)が癌の免疫療法について言ってました。放射線やオペに頼らず食物を中心にした免疫療法で治癒でき留等言う趣旨でした。ところが、その数週間後テレビで免疫療法を口実にアガリスクなど高価な健康食品(といわれるもの)を大量に売りつけられ、病は悪化するはお金はなくなるはで訴訟沙汰のようでした。前述の医師かどうかは分かりません(同一人物ではないような気がします)が世の中には目端を利かせて人をだますヤツが絶えないえないようです。我が国にはそもそも内科医の癌専門医が居ないうえ、癌疾患に関する行政の治療指針もないのも原因の一つのようです。米国では患者がNCCNのWEBから治療や薬物の情報が引き出せるのに。
 重粒子医科学センターのホームページを見ましたが重粒子線による医療について、珍しくも一般人にもなかなか分かりやすい解説がありました。一つだけ細胞殺傷能力が強いと言うことはガンの近辺の正常な細胞も影響を受けるのではないかという素人考えが浮かびました、当該細胞の容積などに合わせて放射量をコントロールするのだろうか。
 仕事仲間の友人が急にdouble cancer になったらしいので「ゆきお」氏の投稿が目にとまりました。
 さらに同好の士(雪上のスポーツ:私は2本の方ですが(下記URL))とお見受けしましたので…

http://www.age.jp/~hakuaoen/manabi05/sirakaba2.htm


高度先進医療
投稿日 1月15日(木)09時27分 投稿者 ゆきお 削除

1)年末年始には、2回ゲレンデに行きました。ショートターンにリズムが出て来て、今年も好調です。野球
  の練習も始めました。今は「遠投」が主です。まだ 80m 行くぞ(硬式なら 85m に相当?)。

2)手前どもの放医研では、昨年秋より、重粒子線を用いた「高度先進医療」が始まっています。300万円/人
  ですが、一般の保健の対象ですから個人ベースで加入すれば負担は軽くなります。治療は短く、肺では1日 
  (1回照射の4門、30分くらいかな)で終わります。対象部位も、骨肉腫や膵臓を含む殆どの臓器(除
  食道)ですし、10cmを超える大きな腫瘍でも OKです。何か相談したい方は、043-251-2111
  (内-7109-の医療相談係)か、放医研のHPから情報が得られます。


最近甘いものが好きになってきた
投稿日 1月14日(水)20時55分 投稿者 佐藤(泰) 削除

フト気がつくと甘醤油ダンゴやチョコレート買っているということが多くなりました。
ついこのあいだまで酒のサカナになるショッパイものしか食べなかったのに...
男の更年期か?

でも小さいころは甘いもの大好きで、1番はバナナ、2番は栗マンジュウ、3番はソフ
トクリーム(東大通で食べた)、かな。キミ(トウモロコシ)、キンカ、クリ、もウメ
がったナ(これは長町の夜店がよかった)。

フジワラアイスクリームも名前は覚えているから食べたハズだが、味は覚えていないなー。


ハチミツを食せば頭がよくなる、と教わった
投稿日 1月13日(火)12時11分 投稿者 な@疾風会 削除

 フジワラアイスクリームは角状のアイスモナカで、ハチミツ入りだからとても甘い。
上ノ橋町の藤原パーラーは、フィギュアスケートの練習をする子がおったりして、先頃のNHKテレビ「てるてる家族」に映されていた雰囲気だった。私は同所でローラースケートを体験している。

 本物の甘いものといえば、現在はホテル東日本にあたる場所(大通三丁目)に川徳食品部があり、食パンにピーナツクリームを塗って売っていた。5円足すとベトーッと増やしてくれた。
ドミニカン修道院製のベルギーワッフルは今は固焼きになっているが、当時は食パンのかわりに学校に持っていった。
厚い不整形チョコレートには、ひとつひとつに値段シールが貼られ、慎重に選んで買ったものだ。


猿を追っかけてばかりいたわけではねのす
投稿日 1月10日(土)20時57分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 GHQは盛岡ではほんの数年居ただけなようです。軍事的価値はないし、ひとっこはいいし、駐留不要だった? 学校の黒板以外のものには広く目を配って居やんした。大宝律令の制定年は記憶になくとも銀幕のきれいどころの名前は覚でいやんす。もちろん白堊の姫君達も同様でがんす。
 サボイアをはじめ当時沢山あった喫茶店の中で今でも残っているのは肴町のほうの「車門」ですなあ。外見も全く昔のままで…
 フジワラアイスクリームはその昔「藤原パーラー」といって、上の橋から二高に向かい最初の十字路の右角(肴町より)です。今でもあります、一時夏はプール冬はスケート場をやっていましたな。もともとは蜂蜜屋です。跡継ぎは白堊会でねがな。
 キグレサーカスは岩手公園や八幡さんの隣の馬検場にもよく来ていた。一緒に小屋を張っていたのが「蛇女と蟹男」の見世物だった。蟹男は手足が蟹のはさみ状になった奇形(偽もの?)で、なぜか仙北町生まれと口上が言っていた。懐かしい30年代のひとこま。


コールタール噛んでだってスカ
投稿日 1月10日(土)20時13分 投稿者 佐藤(泰) 削除

サスガにそれはやらなかったですね。松ヤニは言われてみるとコールタールの隣に黄色い塊があったような
記憶が蘇ってきました。コールタールに松ヤニを入れると硬さが増すんですよね。それから約10年後、コ
ールタールに松ヤニ入れて天体望遠鏡主鏡磨き用の「ピッチ皿」を作ったんで身にしみて覚えてます。コー
ルタール、松ヤニをガムにするとは...、疾風会世代はGHQを目撃しておりません。

東映裏の「サボイア」も懐かしいですね。私のまわりでは在学中に入り浸っていたという話は聞きませんで
した。私は兄貴に連れられて在学中に1度だけ行きました。大学に入って帰省したときは何度か使った記憶
があります。1階天井が吹き抜けなので開放感があってシャレてたような..。喫茶店もねー、今では少な
くなっているのでは。

桜町弘子、丘さとみ...!? お姫様役でしたねー。しかし星館長よく覚えてますね、女優のほうから
スイスイ名前が出てくるところを見るとそこらへんのところは私より上級者とお見受けします。

PS.「フジワラアイスクリーム」って本社は加賀野サあったんでねがったっけ(紅い記憶)>「な」さん
PS.2 宇都宮の駅前広場に「キグレサーカス」が来てあんした。テント張って1ケ月半の公演なそうで
     なんとか行きたいと思っています(前売り¥2000)


コールタールは戦後の象徴
投稿日 1月10日(土)08時21分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

 コールタールによる舗装は駐留軍とともに盛岡にやってきた。加賀野の地主宅も将校用に接収され、その前の道路はすぐさま簡易舗装工事。ドラム缶に一杯のコールタールの冷えたところを米軍の隙を見て親指の先ほどつまみ口に入れる。唾液を絡ませながら浅噛みしていくとガムのようになる。若干甘みも感じられる。ほかに、松ヤニも同様で硫黄そっくりの固まりをうまーく噛むとガムになる。疾風会より一世代上のワラシャンドは今のイラク、アフガン状態でしたな。 
 最後にできた東映はそれまでとは全く違う感覚のチャンバラ時代劇(時代考証なんのその)で、華麗な立ち回りで観客を引きつけた。美空ひばり、桜町弘子、丘さとみ、千原しのぶ(時代劇にはマッチしないとんでもないハスキーボイス)、高千穂ひずるなどの豪華な女優陣に、中村錦之助、東千代ノ介、大川橋蔵、山城新吾たち男優陣がからみ豪華絢爛、いつも満員でした。観終わったら横の通り奥のしゃれた喫茶店「サボイア」で当時は珍しかったドリップコーヒーを飲んで帰る。というのがチョットした贅沢でしたな。
 壊すも建てるも自由だけれど、長い年月維持できるものをお願いしたもんでやんす。

http://www10.ocn.ne.jp/~hakuaoen/


サヨナラ 盛岡東映
投稿日 1月9日(金)23時23分 投稿者 佐藤(泰) 削除

ゆく川の流れは絶えずして...

幼い頃のイベントでは、盛岡東映のチャンバラ、軍政部のサーカス、市営球場の高校野球、が
強烈に印象に残っています。とくに東映での、「笛吹童子」「紅孔雀」「オテナの塔」など、
中村錦之助、東千代ノ介のチャンバラ映画にはハマったものでした。開館当時は50円、駄菓
子屋(食道園の向かい)に10円握り締めて通ってたので50円は大金でした。それと1人では
行かせてくれないので兄貴連中を篭絡しないと行けません。兄貴たちも弟をダシにお袋から
小遣いをせびってたようでしたが。

盛岡東映前道路の舗装工事のときは、道路はワラシャドの格好の遊び場でした。昔は道路舗装工事
では、トロッコを使ってコールタールとかジャリを運んでました。このトロッコが夜には放って
おかれているので、ワラシャドは好き放題乗り回すわけです。けっこうスピードが出るので危険、
手はコールタールだらけ。こびりついたコールタールはベンジンで拭くと、アラ不思議、きれい
になるんですよ。

それにしても寂しい限りです。跡地は7階建てビルが立ち、うまくいけば映画館を誘致できる
という話ですが(岩手日報)、うまくいくといいですね。


ぼくらの昔話はこちらの掲示板が断然おもしろい
投稿日 1月8日(木)11時27分 投稿者 な@疾風会 削除

わたしも「もりおかのアルバム」「愛 love もりおか」のサイトは情報入手に重宝しています。
たとえば「1月9日で盛岡東映は閉館」なそうです。
東映開館の頃(昭和34年)毎週行列したことや、館内でしつこくフジワラアイスクリーム(50円、高い!)を売りに来た、という話は、昔すぎて浮いてしまうようだ。

(今年も企画を練っています。よろしく)


賀正
投稿日 1月4日(日)10時24分 投稿者 ヒデオ 削除

今年もよろしく本年の在京白亜会は5月8日土曜とか 最終締め切りまで近況報告を書かねばコレで日常モードに戻すぞ
ところで「な」さんバストリップはいったん打ち切りですか
盛岡歴史の記憶探求館にまるとさんのHPを引き継ぐようなサイトがリンクされていました
「もりおかのアルバム」です↓

http://http://www.nihonkai.com/morioka/


謹賀新年
投稿日 1月2日(金)14時51分 投稿者 村野井(1960) 削除

 プリントごっこ作成の年賀状を皆様のお手元にお届けします。
 今年も宜しくお願いします。今年は、オフラインも
「正しい年賀状の出し方」に従わざるを得ず元旦に投函しました。

 元はお年玉付ですがウェブ上では控えさせていただきます。
 ↓↓

http://muraichiban.web.infoseek.co.jp/extra/new_year_card.html


新年おめでとうございます
投稿日 1月2日(金)12時05分 投稿者 佐藤(泰)@管理人 削除

昨年は、山田線−宇都宮ギョウザ−お花見−在京白堊会−盛岡バス停シリーズ−
高校野球−亀ケ池、鶴ケ池−リュウゼツラン−ダンゴ石−烏帽子岩−盛岡僕らの
時代展−一年生の七週間−桜城小−仁王幼稚園−水戸医院−ラグビーと話題尽き
なく楽しゅうございました。

今年も楽しい話題期待いたしております。投稿歓迎!


今年もよろしくお願いいたします
投稿日 1月1日(木)14時13分 投稿者 山田武秋 削除

昨年11月、妻の母が亡くなり新年のごあいさつは失礼させていたがいております。
すがすがしいお正月を迎えられたところで、宿題(250字近況)のほうもよろしくお願いいたします。


謹賀新年
投稿日 1月1日(木)12時26分 投稿者 白堊博物館長 星 削除

明げまして、おめでたがんす。

今年も宜しぐお願いしやんす。
「ヘイタイサン アリガトウ」なんて世の中に戻りたくながんすなっす。
また電子白堊会でお目にかかりましょう。

「白堊應援團30」 星 邦彦

http://www10.ocn.ne.jp/~hakuaoen/



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