[中四国近代建築スケッチブック 20]


 
日本はきもの博物館コーヒーハウス“サボ”
[1922年築 広島県福山市松永町4丁目]
【第9回近代建築史への旅スケッチ展 出品作】


ゲタ産業の隆盛を伝える大正ロマンの喫茶店

●精緻な左官仕上げの洋館

 江戸初期から塩田が広がっていた松永村(現・広島県福山市松永町)に1878(明治11)年、一軒の下駄屋が開業する。初代丸山茂助、後の丸山商店のオーナーである。

 彼は製塩用燃料として運ばれていたアブラギリという「雑木」に着目し、新たに開発した糸鋸機の導入によって大量の下駄生産に着手、高級品であった桐下駄に代わる廉価な大衆下駄を世に送りだした。大胆な機械化と、北海道・サハリン・台湾・朝鮮・南洋へと次々に材木供給地を探す進取の気性によって下駄産業は拡大、町内にも同業者を増やしていく。二代目を継いだ丸山松次郎は1922(大正11)年、6千坪の土地に工場を新築。その時、事務所として建てられたのが現在の「日本はきもの博物館コーヒーハウス」である。
 入り川(水路)沿いに建つほぼ正方形プランの総二階建。石造を思わせる外観だが、モルタル左官仕上のれっきとした木造建築である。

 まず目に付くのは、小柄な身体には立派すぎるような軒蛇腹とパラペットである。頂部には円に山を配した社章。その直下に並ぶ楕円形のメダリオン、それらすべてが目の細かい粒砂による精緻な洗い出し仕上げでできている。バルコニー下に玄関があり、このドアの上に1m近い白御影石の大きなプレートが埋込まれている。「丸山商店営業所」、ところどころ消えかかってる金箔文字は、大正時代のままであるという。
 自在扉を開けて中に入ってみよう。コーヒーの香りが漂う中、古い金庫が出迎える。ワイヤ式上げ下げ窓。回り階段の先になんとも不思議な応接間が広がっている。柱時計が立ち、天井からはシャンデリアが下がっているのに立派な和風の床の間がある。

 

●日本最大のゲタ産地の盛衰

 コーヒーハウスを所有する日本はきもの博物館の丸山万里子館長は、丸山商店に勤めていた職人を呼んでくれた。井上忠士さん、71歳である。
 戦争の敗色が濃くなっていた1944年、井上さんは丸山商店で番頭をしていた父親に呼ばれるように製材工として入社。「そのころはゲタよりも軍用材として枕木を造っておりました。栗が不足して近くの松の木を代用していたのを覚えています」。軍需、戦後復興の需要によってゲタ素材が不足するたび材料を変えていく。アブラギリからウコン、ラワン、セン、シナ、ドロヤナギ……。「でもラワンは大失敗じゃった」と井上さんは笑う。
「他に材木がない時期でラワンを丸山商店が一番に試してみたんですわ。ところが市場に出てみんなが履きだして一、二年すると歯が欠けるんです。目が通りやすく歯が飛ぶんですね。頭を抱えちゃいましてね」
 1955年には年産5800万足と全国の6割のシェアにまで拡大するが、土間や井戸端が姿を消していくのにつれて下駄生産も急速に落ち込んでいく。そして高度成長のレールを驀進し始める60年を境に、丸山商店も下駄からサンダルへと舵を切り、松永の風物誌の塩田も廃止されるのである。
 65年に四代目を継いだ丸山茂樹氏は、サンダル製造を軌道に乗せるために必死だった。「ミシンのミの字も知らず、雑巾縫いから始めたんですわ。よそのサンダルを買うてきては社長と一緒に分解し『糸が何センチ使こうてある』とね」と井上さん。
 茂樹氏のところに万里子夫人が嫁いだのは、ちょうどそんな転換期だった。氏は本業の傍ら、先代からの夢であった「日本はきもの博物館」を1978年にオープンさせる。この旧事務所は博物館研究室として再利用した後、94年にはコーヒーハウスとして再生させた。だが、茂樹社長はその二年後に62歳で他界する。

 

●最高の材料と職人たち

 ボーンと応接室の柱時計が鳴った。大正11年竣工当時の時計である。
 この応接間は、大正から昭和にかけて流行した折衷主義の流れに漏れず、和と洋の意匠が大胆に混在している。それらが落ち着いた調和を見せているのは、素材が本物であることも一因であろう。
 床板は22ミリ厚のタモ。伸びやかにうねるナンテンの床柱、床脇には40センチ×50センチの腰板が並ぶ。目玉のような鮮やかな斑が浮いた玉杢のタモである。地袋の円形引き手には精緻な象嵌で松の葉がデザインされている。そして応接室の白いスティールシーリング。大正時代に流行した鉄板をプレスしてペンキを塗った天井のことであるが、ここでは一枚の鉄板で出来ているという。
 この建物で驚くのは、外壁の左官仕上の妙とともにその保存状態の良さである。修繕には国宝の解体修理にも参加した地元の左官屋が当たっていたという。
 亡くなった茂樹社長もまた、近代建築へのこだわりが強かった。博物館オープン時、研究室に改装する時のこと。「昔の通りに直すには多額の経費が必要」としぶる声を「ちぐはぐになってええかげんなことになってしまったらこの建物が死んでしまう」と一喝したという。
 番頭さんが座っていた一段高い座敷、そこは今コーヒーを沸かすサービスブースとなっている。新しくなった装飾も派手な既製品をなるべく使わず、当初のエレメントとの衝突を避ける配慮が伺える。喫茶店への改装を行った94年、健在だった茂樹社長の「本物へのこだわり」はここにも生きているようだ。
 コーヒーハウスを出て入り川沿いを歩くと、切り出した下駄の板を数十段も組み上げて乾燥させる風景に今も出会う。瀬戸からのゆるやかな風に吹かれながら、活気に満ちていた往時の賑わいをこの建築は静かに伝えている。

●1996年登録文化財制度がスタートしたが、このコーヒーハウスは県内第一号に指定された。今後は歴史的資産としてまちづくりにも活かしていきたい、とはきもの博物館は考えている。

●資料提供/日本はきもの博物館、丸山もとこ氏(東京大学藤森研究室)

■DATA

名 称:日本はきもの博物館コーヒーハウス・サボ(サボはオランダ語で木靴の意)
所在地:広島県福山市松永町4-16-27
竣 工:1922年(大正11年)
創 業:1817年(明治11年)
構 造:木造二階建疑似石造
設 計:長谷川建築事務所(大阪)
施 工:横山組(横山善吉)
所有者:(財)遺芳文化財団日本はきもの博物館
注/丸山商店は現在(株)マルヤマと改称されている。

 

この稿初出・月刊商店建築1999年6月号「モダン店舗見聞録」

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