旧順正寮
[1896年築 高梁市伊賀町]
一見すると和風である。正面入口の破風などはどう見ても日本風である。屋根の棟には鬼瓦がのっている。
旧私立順正女学校校舎として建てられた木造2階建の順正寮。じつはここにはきびしい歴史の証人としての一面があるのだ。
裁縫所の教師だった34歳の福西志計子(しげこ)が中心となってキリスト教婦人会が高梁に結成されたのが1880(明治13)年。女性の手で大学を設立したメリー・ライオン伝に感動し、女性解放と地位向上をめざして、私財を投じ翌年順正女学校を設立する。
しかし、城下町で急速に伸長するキリスト教に対して、町民の反感と迫害が強まり、1896(明治29)年にこの校舎を新築する際にも、洋風の要素は極力抑えたという。
改めてファサードに向き合う。控えめに埋め込まれた西洋の痕跡を探す。破風の上部に丸いガラリ付きの窓がある。西洋建築のブル・アイ(丸窓)だろう。玄関(ポーチ)の天井を覗き込む、やはり菱組の天井になっている。擬洋風の代表的な仕上げのひとつだ。そして何よりも、すべての窓が上げ下げ窓である。これは、開き戸よりも施工しやすく(蝶番なども不要)、そのわりに戸締まり精度が高かったこともあって、洋風建築に欠かせないものとして好んで使われたものだった。
創設者の福西とともに悩んだのであろうこの設計者は、「せめてここだけは」との思いで、こうした洋風のエレメントを部分部分に採用していったにちがいない。そんな、込められた思いを想起するとき、全体の中の限られた部分だからこそかえって胸に迫るものがある。
――此処の地に教の庭をつくりし我が師の君も世の人々も
いかなる花か咲かせまほしと
我等にのぞみぞそもかけられし (旧順正高等女学校校歌より)
県指定史跡となり、今は順正短大の図書館として使われている。
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