[中四国近代建築スケッチブック  5]

 
旧遷喬小学校 その3
[1907年築 真庭郡久世町久世]

 独りになり、スケッチする場所を選ばうとするが決めあぐねてしまう。校舎の両端にある階段は、親柱を壁に埋め込んだ回り階段(珍しい270度の回り階段)で、擦り減って丸くなった松材の踏み板は、既に琥珀のような輝きを帯びていて、その堅さは盆の迎え火に使われる「肥え松」に近くなっている。擬洋風の棟梁たちの腕の見せ所だった親柱の彫刻もすばらしい。
 結局二階の廊下に座り込んで腰板と引き戸を描く。細部に何げなく施された彫刻や、木材の角の面取りなど、スケッチをすることで気づくことも多い。すっかり熱中し、仕上がった時は19時前になっていた。
 この日も来観者は次々と訪れていたが、テレビで母校が映ったのを見て、懐かしくなってやって来たという卒業生が多かった。たいてい子供連れで「ここに父さんは通っていたんたぞ」「へえー、すごーい」などと言葉を交わしている。安東さんの誠明にいちいちうなずき、「こねぇ(こんなに)大切なもんたぁ(物とは)知らなんだ」と笑う。どの顔も、とても誇らしげに見えた。

 久世町では現在、町民15名・職員15名からなる実行委員会を母体にして、この旧遷喬小学校を文化・情報・交流の拠点として町おこしを図る「久世エスパス事業」をすすめている。明治の校舎をそのまま残し、校庭も土のままで利用する。すでに2階の講堂では外国のピアニストや和太鼓などのコンサート企画が行われ、好評を博しているという。「町民の意見が動かすガラス張りの行政」としての試みが本格的に始まろうとしている。「古いものを保存する」ということが、決してノスタルジアでも退行的なことでもなく、とてもクリエイティブな文化創造の過程にはかならない、ということを実証するためにも、この久世の動きには声援を送りたいと思った。
 独りで大きな竜灯を校庭に運び、ライトアップの準備をしていた安東さんにお礼を述べて学校を辞した。照らされて闇に浮かび上がったルネッサンス風校舎は、まるで新たな生命を与えられたかのように見える。
 安藤さんに限らず、古き良き建築に対する理解と情熱・バイタリティーがある人が、その地域や役場などに、たった一人いるかどうかで、その建築の運命が決まってしまうということが往々にしてあるものだ。戴いた久世町の名刺には、旧遷喬小学校のイラスト、そして「〈癖〉ある久世」のコピーが刷られていた。なるはど、癖ある町には、やはりひと癖ある人間がいるものだ、と感心しながら、久世の町を後にした。

〔追記;別れ際「泊まる所は決めていない」と言ったばくを心配して安東さんは、ご自宅に一組の布団を用意させたあと、夜の久世の町を1時間もばくを探して車で走り回ってくださったということを帰京後に知った。そうとは知らずにばくは、呑気に近くの盆踊りにまぎれこみ、姫新線の無人駅で蚊取り線香を焚きながら野宿していたのだった〕。

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