[中四国近代建築スケッチブック  2]

 
河 野 医 院

 津山城の南部・旧出雲街道沿いの町並みは「城東むかし町」と名付けられ、白壁や真っ黒の焼き杉の壁、なまこ壁や出格子が残っている。江戸情緒を味わえると聞いて覗いてみたのだが、古い商家の家並みに混じって一軒の小さな洋舘が目に入った時、「おっ、これは!」と思わず立ち止まってしまった。
 コーニス(蛇腹)を半円形に膨らませた櫛形(セグメンタル)ペディメントと下向きに尖った3つのペンダント、そしてその中心にガラリ付きのブル・アイ(丸窓)を配した見事な擬洋風建築のファサードであった。それが、両側を和風の平入りの商家に挟まれた、僅か二間ほどの敷地に建っている。伝統的な美観地区のど真ん中で見る洋風の建物はたしかに異質の感があるが、その均整のとれた姿は少しもおどおどしていなくて、周囲と対立せぬ程度に自己主張しているのだ。
 これこそ「スケッチしたくなる建築だ」とばかりに道路に座り込むや、スケッチブックを開くのももどかしく描き始める。熱い日差しは背後の家の庇がかろうじて防いでくれる。隣の家の婦人が「暑いのに大変じゃなぁ、どっから来ましたの?」と、コップに冷たい水を入れて持って来てくれた。それは、なにやら兵庫県境の後山から汲んで来た霊泉の水でアレルギーにも効くのだという。喉を潤してさらにペンを走らせる。

 描きすすめるうちに、この建築がとても立派に見えてくる。これだけの小ささで「ちゃち」に見えないということはすごいことだと思う。とにかくよく計算されている。均整がとれているのだ。ブル・アイと上下2段の矩形の窓の高さと位置など、この通りでなければきっとバランスが崩れるだろうとさえ感しる。さらに窓の桟を、上から3、2、1の数でガラスを分割するデザインなどは、この棟梁の卓越したセンスの良さを感じさせる。エディキュラ(窓枠)を薄いピンクに塗り終えてスケッチは終了、絵を片手にかの洋舘につながる母屋の戸を叩いた。
 応対してくださったのは、お父様の初盆で帰省中だった河野吉雄さん(次男)。突然の訪問だったが、ばくが出来たばかりの拙画を見せてこの医院の歴史を伺うと、奥さんと一緒に快く話してくださった。
 この医院の主だった父親の医師(2代目)・河野守さんは、この3月に実に91歳で亡くなるまでここで現役の町医者を続けていたという。やはり医師の道を選んだ良男(吉雄さんのお兄さん)は今、津山を出て岩国の病院の院長をされているということで、ここ「河野医院」としては3月以来目下休業ということになる。建てられたのははっきりしないが、大正の初期、吉雄さんのお祖父さんにあたる河野稲太郎さん(初代の医者)が、開業するにあたって津山の大工に造らせたらしい。棟梁の名が分からないというのは寂しいが、明治期に入って来た近代建築の様式を懸命に学び伝統的技術の上で格闘して造りあげたであろうこの小さな洋舘に、ばくは村松貞次郎いうところの「民の系譜」の典型を見た思いがした。
 主不在となった河野医院だが、幸い取り壊しの予定はないらしい。町の観光案内にも載っていない、全くの偶然に出逢えた建物だが、スケッチをすることを通して、この建築と、また時代を超えてかの大工棟梁と、いっときの対話ができた気がした。

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