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中欧(旧ユーゴスラビア)の旅 |
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「明日もまた友人であること」 |
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ここが、そしてここに住み働く人々がムスリムであることを知った。ぼくは料理を食べ終わるとウエイトレスに訊いた。 彼はドラガン・チョバノビッチ(24)。このM.M.の店員。控えめで黒い瞳は相手をしっかりと見る男だった。 |
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なにもドラガンが内戦の厳しい洗礼を受けていないわけではなかった。 |
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手を止めて聞いていたぼくに、ドラガンは食事をすすめ、言葉を続けた。 |
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「でも家族や友人を失ったことへの怒りは、その集団に向けてなおも燃やされるものではないだろうか?」 |
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確かに、この町にはいたるところに墓地があった。 |
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「集団に向けられた憎しみはないのか」 彼女は明らかに悲しみを顔に浮かべていた。耐えがたい出来事が、この町で起きたことを物語っていた。しかし次の瞬間、ほとんど同時に同じ言葉が二人の口から出たことに驚かされた。 「That's the past」 「なぜそう言えるのですか? 今朝出会ったクロアチアの人々はそうは言わなかった。そしてあの言葉こそ率直な感情として理解できるのだけれど……」 ドラガンは少し考えて言った。 |
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「このモスタルの東側にはムスリム90%、一方西側にはクロアチア人80%というふうに別れて暮らしている。それでも「一色」というわけではない。このまちに10日間留まってもっと沢山の人に会ってみたらいい。「奴等とは暮らしたくない」「いや、一緒にやっていこうと思う」いろんな意見を聞くことができるだろう。サラエボでもそうだろう。ぼくも、彼女も、ボシュカイロも、それぞれが違うように。そしてぼくのように『セルビア人であろうが友達は今でも友達だ』と言う人間にも出会うだろう。どこの国でもきっとそうだろう。だからもっと沢山の人に会って欲しい。話を聞いてみて欲しいよ」 |
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彼は更に言葉を続けた。 「家族が引き裂かれたケースもたしかにある。異宗教間婚姻の家族はその多くが米国や西欧に逃げている。100万人は下らないだろう。離婚して敵味方になったのは少数のケースではないだろうか。海外に移住した人々はもうこの国には帰ってこないだろう。平和になった今でも毎日100人単位で出国が続いているんだ。何故って? 仕事がないからさ。働いていけないんだ。日本の失業率は5%位なんだろう? 新聞は読むし、CNNだって見ているからそれくらいは知っている。でも70%の失業率ではどうしようもなんだ。停戦後、事態がよくなったとは残念ながら言えないんだ。ぼくのサラリーが年に500$。一軒の家は15,000$はするんだ。結婚して家を建てるなんてこともとても無理さ。でもぼくはこれからもここで生きていくよ。明日もここに通ってくる。それは確かなことだよ」 |
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ドラガンは、憎しみと絶望に満ちているかに見えた激戦地モスタルで出会った、またひとつの肉声である。モスタルの名を聞く度に、ぼくはこの遠慮がちなドラガンの瞳を思い出すだろう。 |
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