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引き裂かれた町、モスタル
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▲民族を引き裂いて流れるネレトバ川
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ドブロブニク〜プローチェと乗り換えた大型バスは、16時00分、ボスニア・ヘルツェゴビナ南西部のモスタルに着いた。どんよりとした空から小雨が降っている。
ひどい状態の家やビル、弾痕がなまなましい。駅はガランとして少し怖い。人々の表情も少しきびしく感じる。国連やJICAの車を見る。川が青く泡ぶきながら流れる両岸は特に破壊されている。カリンスキー橋を渡るとき、響き渡るコーランが聞こえた。ここはムスリムのエリアなのだ。商店のウィンドウを覗くと、価格表示がドイツマルクでなされている。
ホテルEROは高そうなのでやめて、ホテルムスタルに投宿(約3500円)。ホテルで傘を借りて町を歩く。HRVATSKA
POST(クロアチア郵政)がある不思議。ホテルを出て南へ進む。特にひどく破壊された廃虚ビルが並ぶ一角にあるピンク色のビルは風格がある。これは銀行だったというが、蜂の巣のように無数の穴があいている。胸の内がグラリとする。『興味本意で来るところではない』という声が自分の中で聞こえる。
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寒々とした広場。ガレキになりかけた民家。水溜りを避けながら通りを渡る。ボロボロのビルの隣にモスクがある。この先に「落ちた橋」がある筈だが……。
遅い昼食をとろうと思い、ホテルブリストルの手前、M.M.というレストランに入る。モスクがあるということはムスリム地区なのだろうか。ガイドブックに「ムスリム地区は治安が悪く危険」と書かれていたことを思い出す。本当はクロアチア人地区で食事をした方がよかったか……。中に入って、店内が暗くてここを選んだことを一瞬後悔したが、若いウエイトレスが電気をつけてくれる。言葉は分からないだろうからと、近くの客席でマスター(ボシュカイロ氏)が食べているものと同じものを注文して座る。
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▲廃虚となったビル
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▲ビルの弾痕
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窓際に座っていた男が英語で「今、君が何をたのんだか分かっているかい?」ときいてきた。
「いいえ、でもおいしそうに見えたので……」
「あれはチーズとマシュマロだよ。いいかい?」
「ええ勿論」
彼はブリストルホテルのスタッフのシェリフ氏。ボスニアの内戦について語り始める。
スロベニアに続き旧ユーゴスラビアから独立を求めて始まった1992年の戦争勃発時、対セルビアで共闘したムスリムとカトリックは、しかしセルビアを追い出した1年半後に相まみえることになる。なぜ?
「シンプルな理由さ。クロアチア人が『ここは我々の土地だ!』と言いだしたのさ。そしてわれわれムスリムを追いだしにかかった。異教徒同士(ムスリム&クロアチア人)で結婚した夫婦は沢山いたが、そんな家族も離ればなれになって敵同士になった」
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「日本人の君から見るとクレージーだろうね。たしかにこれはクレージーな戦争だった」
……今朝、ドブロブニクで会ったばかりのクロアチア人タクシー運転手Rade氏の言葉を思い出していた。彼は「被害者としてのクロアチア人」だった。セルビア人部隊による8ヶ月に及ぶ都市包囲戦による犠牲者として、それは間違いなく説得力のある生きた証言だった。
しかし、民族というものは、まるで磁石のようではないか。
近づいたS極の前ではN極であり、それが唯一の属性だと思っているうちに、その水面下で別のS極がしっかりと内包されているかのように。
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「君はあの50 m上の広場を見たかい?」
シェリフ氏は席を立って外を指した。
「あの信号のあるところが東西のラインなのだ」
モスタルは内戦後、レネトバ川およびそこからやや西を走る大通りが、東(ムスリム)と西(クロアチア人)を分けるボーダーとなっていた。正確に言えばここはニュートラル・エリアだが、でも殆どがムスリムだという。
「この通りでも、何人ものムスリムが殺されたよ。私の目の前でもね。……そろそろ仕事に戻らなければ。ではよい旅を! サヨナラ、ヨシ!」
日本語で別れを告げてシェリフ氏は出ていった。
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