中欧(旧ユーゴスラビア)の旅
[§1]SLOVENIA #1


スケッチと文/渡邉義孝(c)

トリエステからリュブリアナへ ----The way to Ljubljana

▲Trieste Station (ITALY)

 イタリアの東のはずれ、トリエステの駅舎は、あざやかなテレジアンイエロー。10時35分の国際列車の発車まで約40分ある。駅前広場から駅舎を“特急”でスケッチする。
 ときどき立ち止まり覗き込む人々。三人組の若者が描き終わるまでつきあってくれて、イタリア語のつづり「STAZIONE DI TRIESTE」を教えてくれた。

 ブカレストゆきの国際列車の車窓には、じきにエメラルド色のアドリア海が広がった。たくさんのヨットが浮かぶ。
 15分ほどで国境駅に着く。いよいよ旧ユーゴに入国ということで少し緊張する。じっとしていると暑い程の日ざしの下、列車は45分ほど停車し、その間にイタリア・スロベニア両国の国境管理職員がパスポートチェックに回る。特に質問もされない。


 列車が動き出すと数分でスロベニア最初の駅Sezanaに停車。国境線などどこにも無かった。やはり青い空が続いている。再度パスポートチェック、入国スタンプが捺される。

 スロベニアの大地は緑に覆われ、遠景に山をいだき、われわれにも「心和む」感じがする。建物はイタリアに似た褐色の屋根の家々が多い。トウモロコシ畑と牧草地、そして美しいせせらぎ。おだやかな田園の風景は、この国の首都リュブリアナ(Ljubljana)近くまで続いた。 

Pivkaの駅→

 


▲Romana & Marko(at Ljubljana station)

 リュブリアナ駅のホームの中程に、若い男女が微笑んで立っている。一年前にチベットで出会ったスロベニア人学生・Romanaと、ボーイフレンドのマルコに違いない。喧噪のない駅に降り立ち、再会を喜ぶ。

 ……1999年秋、東チベットの松藩という小さな町のツアーでぼくは彼女に会った。焚火を囲んだ宴にはポーランド人学生とスロベニアのロマーナ、そしてチベタンとぼくがいた。
「スロベニアという国を知っている?」
そう聞かれてぼくは「旧ユーゴから最初に独立した……」としか答えられなかった。
 にっこり笑った彼女は「そうでしょうね。世界が私たちのことを知らないんだから。でもヨーロッパのとても美しい国なの。いつかきっと訪ねてちょうだい」といい、「美しきリュブリアナ」という歌を歌ってくれた。
 今回の旅は、ロマーナとの「約束の旅」でもあった。

 

美しきリュブリアナ

 二人の若者は、ぼくをリュブリアナ城(Ljuljanski Grad)に連れて行ってくれた。山頂までは車で行ける。ここから見遙かす首都、特に旧市街は、緑と褐色の屋根とが調和して美しい。
 山頂の城は古い石造の遺構の部分と、スチールとガラスをふんだんに使った現代の展示スペースからなり、「歴史的建造物の再生事例」としても興味深い。特に地下のギャラリーでは、半透明樹脂に電球を埋め込んだ現代アートが展示されていて、人々を幻想の世界へと誘っている。

 

▲View from Glad

 1991年のスロベニア独立時の話をする。
 旧ユーゴスラビアから最初に独立したスロベニアは、連邦内きっての工業国であり、その豊かさは群を抜いていたようだ。
「一番多く税金を払って、ベオグラード(連邦首都)の人々を食べさせていた」という意識があったことは確か。
 独立をめぐる内戦での死者は「三人」だった。
「三人だけ、って言ったら亡くなった人には申し訳ないけれど、他の国に比べたら本当にラッキーだった。独立の宣言に対してユーゴ連邦軍が空爆に来たんだけど、爆撃機のパイロットがスロベニア人・クロアチア人だったから、わざと誰もいない原っぱに爆弾を落として帰っていったのよ」とロマーナは言う。
 独立したことについての評価はもちろん高い。「独立のデメリットといえば、海岸線が少なくなったことくらいかな」とマルコが笑う。たしかにスロベニアの海岸線は、港町ピランのあたりのわずかしかない。
 独立後も国内にセルビア人は15%ほど残っている。が、二人とも、セルビア人の友人はいないという。


▲Franciskanska Cerkev

 たしかに、首都リュブリアナで内戦の傷跡を感じることはほとんどない。走る車、売られている商品、道路の表面の状態、まちをゆく人々の雰囲気のどれをとっても、西欧の国々とほとんど変わることがない。なによりも英語が通じる。
 EUへの加盟申請が認められる日は、そう遠くはないだろう。

 市の中心部、三本橋のたもとにあるフランチスカンスカ教会。イタリアを思わせるピンクの外観、三廊式・コリント列柱、巨大なボールト天井いっぱいに描かれたフレスコ画。そして正面の祭壇は大天使ガブリエルの受胎告知とマリアの姿。この祭壇は後に17世紀につくられたもの。

 一方、側廊にもひとつひとつ、小規模な祭壇があり、こちらにも惹かれる。左はそんなひとつの姿。

 もちろんここはカトリック。スロベニアは国民の大多数がカトリック。
 入口から入りざまに膝を折って一礼し、着席してひたすら祈る人の姿。シャッターを押す気になれない。外から鐘の音が聞こえる。

 三本橋からリュブリヤニツァ川を東に進むと竜の橋(Zmajski most)がある。これも建築家プレツィニクの作品。
 緑青の体と真っ赤な口。「モデル」なんかいないのにこのリアルさはどうだ!


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