Fragmented society 細分化された社会 (連載第461回)

 新型コロナウイルスの世界的大流行(pandemic)という史上最大級の危機にあって人類は一致団結すると少しは期待していたが、逆に社会の分断が進んだようにも見える。感染拡大の責任をめぐって大臣や知事がいがみ合い、東京の人間は地方に帰省するなという声もちらほら聞こえてくる。この国ではまだ治安の悪化は見られないようだが、コロナ禍が長引くにつれて人心が徐々に蝕まれていくのではないかと気がかりだ。

 かつて社会の木鐸を自負し世論の形成に影響力があった大手マスコミ(mass media)に昔日の面影は無い。自分が育った昭和後期は全国紙の論調やテレビに登場する評論家の舌鋒鋭いコメントに誰もがうなずいていたが、近頃は全く影が薄い。若い世代ほど新聞やテレビを見ないからそれも当然だ。情報の多くを印刷・電波媒体に依存してきた私より上の世代とは物の見方も違ってこよう。

 今日では若者を中心に多くの人々が情報源として利用しているツイッターなどのSNSでもニュースの大部分は新聞社やテレビ局から発信されているが、情報源を自由に選択できるSNSでは自分に関心の無い記事を遮断する一方、耳当たりの良い意見だけ拾い集める傾向があることは以前から指摘されてきた。破廉恥な不祥事で世間から指弾を浴びた政治家や起業家のツイッターを見ても、その投稿につけられるリプライ(返答)は賛美一色だ。それもそのはずで、彼らに好意的な人しか読んでいないのだ。批判は無視するか徹底的に叩き、自分と同じ賛意をひたすらリツイート(転載)しては「いいね」ボタンを押して共感を寄せ合う。結果、本人も支持者も自分の考えが世間の良識から外れているのに気づきにくい。

 一方、共感によって善意の輪が広がることもあるのがネット社会の捨て難いところだ。コロナ禍で公演を中止していたサーカス団が動物のエサ代を調達するためにクラウドファンディング(crowdfunding) を始めたところ、数日で数千万円もの目標額が集まったという。困っている人を助けたいという人々の善意は今も健在だが、昔のように一部の有力者や著名人が主導するのではなく、無名の人々による草の根運動(grassroots movement)で結集される時代になったようだ。今日の社会は分断された(divided)というよりも細分化(fragmented)が進んだと見るべきだろう。その変容を捉えて私などが世を憂うのは早計かもしれない。

(『財界』2020年9月23日号掲載)

【注】本稿で取り上げた英語表現については筆者ブログに解説記事を載せてあるのでクリックしてご参照ください。→ fragmented 【細分化された】mass media 【マスコミ/マスメディア】


※掲載日:2020年10月1日
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