Close call ヒヤリ[事故] (連載第446回)

 受賞の類にはとんと縁の無かった私だが、昨年は長寿猫の飼育により動物病院で受け取った表彰状(連載第439回「表彰」参照)のほかにもうひとつ、交通事故につながりかねないヒヤリ体験談の投稿(下注)で立派な賞状と、貧乏暮らしの私が欣喜雀躍するほどの賞金をいただいた。

 私の投稿作は、自転車の前と後に幼児を乗せた母親がスマホを操作しながら歩道を無灯火走行していたのを危うく避けたという実体験だが、ネットで検索したところそのような母親の姿は方々で目撃されているようだ。それを1、2行の文にまとめて投稿しただけで受賞したことを恐縮至極に思いつつも、久しぶりにまとまった現金を手にした私はもう得意満面で、賞金をのし袋のまま家内に渡して分け前を取らせた。

 このように重大な事故につながりかねないヒヤリとする事故を英語でclose callとかnear missなどと言う。日本語では「事故」という漢語で一括りに表現されるが、英語では、損害が発生しない軽微な事故はincident(インシデント)、人的・物的損害を伴う重大な事故はaccident(アクシデント)だ。つまりヒヤリ事故とは、アクシデントに至るおそれがあったインシデントのことだ。それを日本語では音訳のカタカナ語やヒヤリハットといった造語で表すのは、それに当たる漢語や和語が無いからだろう。

 さて、その賞を頂戴して数日後のこと。安全への注意を怠らないと自惚れていた私に罰(ばち)が当たった。換気扇を掃除しようとしてキッチン台によじ登ったところ、ガスコンロのガラス製の天板に膝を落として割ってしまった。「前もって注意してほしかったな」と家内をなじったが、それがガラスでできていたことを失念していた私の失態だ。しょうがないのでその修理代を払ったら、せっかく手にした賞金が半分になってちょっと落ち込んだ。そこで私はこう考え直した。そこに膝をついたからこそ転落しないで済んだわけだし、割れたのが自分の膝のほうでなくてよかった。神様はきっと賞金の半分を取って貴重なヒヤリ体験をさせてくださったに違いない。

 ヒヤリ体験は時折省みては人と共有すべきなのだ。よって賞状賞金と共にいただいた受賞作のポスターを門前に張り出し、ここに失敗談を開陳した次第だ。

(注)第10回「ヒヤリ体験」投稿キャンペーン(一般社団法人 東京指定自動車教習所協会主催)

(『財界』2020年2月12日号掲載)


※掲載日:2020年3月1日
※このページの無断複写・転載は固くお断りします。
©Yoshifumi Urade 2020  All rights reserved.