English exam 英語の試験 (連載第443回)

 2020年度に予定されていた大学入学選考への英語民間試験の導入が当面、見送られることになったという。試験によっては地方に会場が少ない、慣れるために何度も受けると受験料が高額になるといった問題提起に対する文部科学大臣の「自分の身の丈に合わせて」頑張れという失言が批判を招いた挙句、見直されることになった。大学入試には門外漢の私だが、多大な時間をかけて準備を進めてきた受験生や学校関係者の思いを忖度してここに持論を述べておく。

 試験というものは、どれほど良くできたものでもそれぞれ独特のクセがある。だからこそ、その傾向と対策を伝授する学習塾や予備校が受験生の親を相手にした商売が成り立つ。当然、教育に金をかけられる裕福な家庭の子弟は有利だ。だがそうであっても、教育の機会均等を実現すべき政府の所管大臣がその大原則を否定するようなことを言っては元も子もない。

 そもそも大学入試、特に一次試験の本来の目的は、高校で修得した学力を計ることではないか。だとすれば、従来のような択一式の筆記試験(和製英語でいうペーパーテスト、英語ではwritten examination)で十分だろう。これを予備選抜(screening)、俗に言う足切りに使うことには昔から否定的な向きもあるが、受験者数が多過ぎる場合は止むを得まい。二次試験の受験者数を絞り込んで小論文(essay)、面接(interview)や即興スピーチ(impromptu speech)などによる思考力や表現力を重視した選考を充実させるほうがずっと有意義だ。

 英語で話すコミュニケーション能力の評価は、その目的からして学力試験とは異なる。将来AI(人工知能)を使って人間のコミュニケーション能力を計れるようにでもなれば話は別だが、今はまだ生身の人間でなければ計り難い。もちろん、学力試験とは違って受験生の表情や態度によって試験官に与える印象も変わってくる以上、客観性の確保は難しいが、人間が直に人間を観察するからこそ、例えば人間的な魅力や話術といった対人交渉に資する才能、向学心や探究心といった筆記試験では計れない資質を持った学生を見出す機会も生まれる。要は評価基準の透明性、公平性や合理性を前もって明示しておくことだ。

 英語での面接評価ができる教職員が不足しているから外部の試験団体に丸投げしたい、というのが教育当局や教育機関の本音だとすれば、それほど人材に乏しい大学に入って人生で最も貴重な数年間を過ごす価値はあまり無い。

(『財界』2020年1月1日号掲載)


※掲載日:2019年12月30日
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